1day,1page

ろんぐろんぐたいむはろう

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

トリノカルマカタリ

とおいむかしのはなしをしましょう。


やさしいひとたちのくにがありました。
やさしい王のおしえをまもり、やさしいおもいをかわしあうことで、しあわせにいきていこうとするひとたちのくにです。つねにあかるいことばによって、ときをえらばぬほうしによって、たえぬえがおとにんたいによって、かれらはとわにやさしいくにをきずこうとしました。ほかのくにならば、ぶたれわらわれすてられるようなみじめなひとたちをも、わけへだてなくむかえいれ、ともにくらしていました。

やさしいひとたちのくにのかたすみで、やさしくないこどもがうまれました。
こどもはとしをへて、じぶんのこころのありようをはっきりとしりました。わたしのじかんをだれかのためにくれてやるなんてまっぴら。おもってもいないことばをくちにするのもまっぴら。やさしいこころはわたしのなかには無い。王よ、わたしはいつまで、やさしいふりをつづけなければならないのですか。しぬまで? あなたがわたしをつくったというのなら、このようなわたしをなぜつくったのだろう。

それでもわたしは、やさしいくにがきらいではありませんでした。
じぶんが、やさしいひとたちにたすけられて、しあわせにいきていることはわかっていました。そしてまた、やさしいこころは無いけれど、どのようなひともわけへだてなくとうとぶこころだけは、あるようにおもいました。そのこころだけがわたしのたからものでした。わたしはぐずぐずと、じぶんのやさしくないこころをかくしたまま、やさしいとされるおこないをなぞりながら、やさしいくににいつづけました。

あるひ、やさしいくにに争いがおきました。
王をまもる臣たちの争いでした。臣たちは、じぶんこそが王のみこころをただしくしっているのだとくちぐちにいいあい、くにとまつりのどうぐと民とをとりあい、ながいながい争いのすえ、とうとう、くにと民とをずたずたに裂きました。たくさんのおやこ、きょうだい、ともだちたちのきずなをも。

やさしいくにのかたすみにいたわたしには、争いのかたちはみえませんでした。
ただ、やさしくないこのわたしをも、すこやかにそだててくれた、とうとくやさしいひとたちのやさしいかおに、やさしいことばに、しばしばおそろしいかげがひらめくのをみました。つねにじぶんのこころをゆびさしみがいていたはずのひとたちが、たにんのこころをゆびさしといつめ、せめたて、さばきくだしていました。しかもそれらはつねに、王のなのもとに、王のおしえをかたりながら、おこなわれるのでした。

やさしいこころが無いわたしには、そのありさまがよくみえました。
いつわりの光をまとった闇のひらめきが。闇がさらなる闇をよび、ふくれあがってゆくさまが。そしてわたしはしったのです。じぶんのうちの闇をみずにいきてきたひとたちのこころから、どのようなかたちの闇がそだってゆくのかを。どのようなときと、ばと、ことばたちが、その闇をささえ、おおきくねぶかくはぐくんでゆくのかを。



わたしは、やさしいひとたちのくにを、さりました。




 
いつか私は理解できるだろうか。
崇高な教義に仕えながら、あの争いを引き起こしてしまった人々のことを。
優しい心を持ちながら、あの闇に自ら身を投じてしまった人々のことを。

いつか私は手に入れられるだろうか。
あの時代あの渦中にいたとしても、闇に屈せずにいられるだけの精神を。





一年前、三人の友人たちと、異文化者を理解する技を見つけようと議論した。
いま、六人の友人たちと、異文化者と交流する技を見つけようと議論している。
先が楽しみだ。

議論したところで、なにかを理解したところで、世界が変わるわけではない。
私の脳内の出来事にすぎない。私ひとりでつむぐ空想と、同じ作用にすぎない。
それがどうした。私にとって、世界は、「私が認識する世界」がすべてだ。


私は、「私が認識した世界」を次の物語に込めよう。
次の物語が、世界への呪詛となるか、世界への賛歌となるか。
今の私には、まだわからない。


【追記】2007/1/25 記事を「ファンのみ公開」から「公開」に戻しました。

全1ページ

[1]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事