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		<channel>
			<title>1day,1page</title>
			<description>気が長い人、偏屈な人、歓迎いたします。

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（4）「そちらさまどなたさま？」という投稿は削除することがあります。ごめんあそばせ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>1day,1page</title>
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			<description>気が長い人、偏屈な人、歓迎いたします。

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		<item>
			<title>かどまつ</title>
			<description>&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;今年は、年賀状のやりとりだけ続けていた中嶋先生と、いよいよ会えるかもしれない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;あたりまえとされている道をあたりまえのふりをして歩きつづけることは、あたりまえの心ではとてもしんどいことだ。と、速くも気づいてしまった子の、先達として、再び。そうして、そのような子を持つ親の大先輩として、新たに。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;数年前の年賀状で、先生は「鳥を待つ」と詠っておられた。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;今日いただいた詩には……暑い夏、濁り切った池の底の魚がひとときの夕立ちに歓喜するけれど、その後の日照り空に「雨は降らず　世界は枯れていく」と、ある。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;思い違いかもしれないけれど、私はいま、先生の詩が、わかるように思うのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ゆたかであるということは、この私に、いつでも十分な実りと平安が約束されている、ということではなかった。努力すればそれが手に入れられる、と約束されるものでもなかった。約束など何も無かったのだった。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;まだ見ない鳥を待つ。池の底で歓喜の雨を待つ。世界には私には、圧倒的な未知と欠乏とが在るということを知り、だからこそ「明日にはきっと」と待ち望む。そういう心なしに、人の精神のどこにも、ゆたかさが住む処は無いのだ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;いつか私の子にも、世界はゆたかであると感じる瞬間が来てほしい。だから私は、&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;あの子がいま、約束されている確かさなど無いという恐れを、自分はまだ何も知らず何も出来ずこれから何も為し得ないかもしれないという虚しさを、体と心いっぱいに感じ取っていることを、むやみに妨げてはいけないのだと思う。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;まあでもね。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そうとわかるようになっても、毎日はまあまあ、しんどいっすよ。私にも親心ってものがあったんですね。驚きです。それもまた、うれしいのですが。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;先生、またお会いできる日を楽しみにしています。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;*****&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「Capital Forest」の公開場所は、下記に移しました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;a href=&quot;https://kakuyomu.jp/works/1177354054886670289&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;https://kakuyomu.jp/works/1177354054886670289&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;素人のモノカキが住むのに特化した機能性、しかも広告表示いっさいなし、素晴らしいなと思っていたら、角川とはてながタッグを組んでいるサービスだった。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;住人が、まあとにかく、若い！　と、トップページに並ぶタイトル群を眺めて、いつも感じる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;私はもう、この世界ではシルバーなんだなあ。おもしれえや。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel/70170899.html</link>
			<pubDate>Tue, 01 Jan 2019 17:48:58 +0900</pubDate>
			<category>日々の出来事</category>
		</item>
		<item>
			<title>このきなんのみ</title>
			<description>たぶん私は、ある方面に対しては、相当怒りっぽいのだろうな。&lt;br /&gt;
理屈に合わないこと。建前と本音が、言っていることとやっていることがあまりに違うこと。を、私は酷く嫌う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、個人が、その人自身の問題として、そのようであることについては、私はほとんど気にしない。個人の内面においては、そのようであることとは、そのようであらざるを得ないこと、だと思えるからだ。つまり、それは人のあるがままの自然であり、弱さであって、思考や選択の結果ではない。&lt;br /&gt;
個人の内面において、理屈に合わないことを、公への言葉通りに動かない我が身を、いっさい許さないなどという態度は、非人間的なことだ。もっと言えば、そもそも不可能なことで、可能だと思い込んでしまうことは、重大な錯誤だろう。&lt;br /&gt;
私はそう思っているから、Webの表現空間においても、他人の不合理や矛盾に対して、たんに不合理であること矛盾していることだけを理由に、その表現を嫌ったことはない。批判したこともない。むしろ、そういう表現をこそ味わい深いと好んで読んでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私が怒りを押さえられないのは、「集」においての不合理、狡猾、といったものだと思う。現実の多数の他人に関わり多大な影響を与えながら、権力構造の中で他人を抑圧しながら、理屈に合わないことを押し通そうとする態度や、綺麗事を言いながら自己の利益ばかり追う態度を。&lt;br /&gt;
そういったものに、私は物凄く鼻がきき、いったん嗅ぎ取ってしまうと、寝ないでこうやって慣れないスマホでちまちま文章打たずにいられないほど頭から離れない、ようするに怒ってしまうので、とても、疲れる。&lt;br /&gt;
ちなみに、事が起きたのは今日ではない。まだ持ち越している。冷静になろうと、10年前のrage記事群を読み返してもいるが、なかなかもてあましている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
個人を対象に怒りを向けたいとは思わない。私は、事が集のステージで起きているからこそ、怒っている。&lt;br /&gt;
けれども、、、公的に、つまり、なんらかの肩書きに基づいて言葉を発している人であっても、問題のかなりの部分は、その人個人の人格に根ざしたところにある。ならば、どうするか、という。&lt;br /&gt;
どうするか、というのは、現実の対応としてその人を批判するとか弾劾するとかいうことではない。私自身は、そのような集のステージにおいても「そのようにあらざるを得ない」人を前にして、彼にどのような眼差しで心持ちで、どのような理解をもって、あるいは理解することを留保して、向き合うか、という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちょっちぷんさんの文章が思い出される。&lt;br /&gt;
事が「個」のステージにあるとき、人の精神世界の負に対する向き合いかたは、私と驚くほど似ていた。同じと呼んでいいほど、ベクトルが一致していた。&lt;br /&gt;
けれども、事が集のステージに移ると、ちょっちぷんさんは私とはかなり角度が異なった。私にとっては、相変わらず「あらざるを得ない」様相を呈している問題なのだが、ちょっちぷんさんにとっては、意思と選択の領域に厳然と位置する、「あってはならない」問題のように見えた。&lt;br /&gt;
どちらの捉え方が正しいか、ということではなく、たんに、捉え方が異なる、というだけだが。ただ、こうは思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私のベクトルは、集のステージににおける悪を黙認する恐れがある。一言でいえば悪人にアマい。人がその本性として持つ弱さを、ステージを問わず、肯定し続ける道なりだからだ。&lt;br /&gt;
その恩典として、と云うべきか、代償として、と云うべきか、迷うが、人という存在への憎悪を抱く恐れはない。&lt;br /&gt;
私は、怒りによって疲れきってしまうことや、精神世界が混乱し一時的に荒むことがあったとしても、人そのものへの憎悪やその予感によって、自らの精神世界を傷つけることはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちょっちぷんさんのベクトルは、この点においては、私のほぼ逆を行く。人間というものを深く理解しながら悪に対して健全であり続けることは、自身の精神界にとってはたいへんなリスクを伴うのだと、私は知った。&lt;br /&gt;
このテーマに取り組むときは、心身ともに余裕があるときを見計らい、細心の注意を払って思考を進めておられたのを思いだす。&lt;br /&gt;
それは、ちょっちぷんさん御一人にとってそうする意味が在り、可能性がある、思考の道なりなのだろうと思う。&lt;br /&gt;
お元気かな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
で。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は自分の道をいくしかないわけだが。今ちょっと、どうしたもんかな、と。言葉がそろそろ尽きてきた。&lt;br /&gt;
なにか、言葉以前の領域に、ぼんやり明かりが灯るように、見える。なにか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何だろ、あれ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel/69284776.html</link>
			<pubDate>Sun, 11 Dec 2016 03:14:59 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>かおださん</title>
			<description>会社のSNSに顔を載せるのがイヤで、おもちゃのトリの写真を載せていたら、同感の人が多かったらしく、あっというまに人外の巣窟のようなプロフィールリストになっていた。&lt;br /&gt;
で、こりゃいいやと喜んでいたら、たいへんエラいかたから、顔写真以外は登録するなと全員一斉回覧が配信された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私はリアルでもここでも脳内でも、他人を蔑称でよんで憂さを晴らしたことがないし、そもそもそうしたいと感じないたちだ、ったはずだが、あの文字列については、読んだ瞬間ためらいなく、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ふざけんなジジイ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と思ってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
わりと珍しい反応で、ちょっとおもしろい。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel/69261993.html</link>
			<pubDate>Fri, 25 Nov 2016 22:09:27 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>がんこなのなんのつて、</title>
			<description>流されやすい、と評されていた人が、私には、かなり頑固な性質に思えて、その頑固さがなにかよくわかるカンジもし、なんでだろう、と、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
紳士的で腰が低い、と周りから安心されていた人が、私には、かなり横着で謙虚さに欠けると、感じられて、その両面が彼にとっては必然のシーソー運動のように感じられ、なんか腹立つけどなんでや、と、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他人への心配りが絶妙で、物事への洞察も鋭いと自認している人が、私には、他人の尊厳への配慮と自分自身をふりかえることには驚くほど鈍感だと、見えて、だが私とはあるいみ対極に位置するその精神はちょっとやそっとじゃわからん不思議にも見えて、なんかもうほんとに気分はノらんがこんちくしょーなんなんじゃ、と、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などなどなど、に向かって、あまり言葉を探さずにざっくりぼんやりと、彼ら彼女らの振るまいや顔つきや話しかたを眺めて聴いてみることにした、その結果、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういったことを、以前の私なら、人の表と裏だとか、長所と短所だとか、なにか分類するような吟味して是非を判じるような、そういうやり方で、言葉の上での決着を試しただろう、が、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それも間違ってはいない、が、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近になって、というより、ここ最近ほんとうによく感じるのが、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ある人の、とても厄介な行動の傾向は、もしかしたら、そのひとの突出した美点、他人からすればその人の真の魅力につながる何物かが、たんに周囲の影響で変奏されて表出しているのではないか。&lt;br /&gt;
と、思うようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もしそうだとしたら、私にできることは、やっぱりとどのつまり、嬉しいことに、それらを理解すること、理解しようとし続けることに、尽きるのかもしれない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel/69260540.html</link>
			<pubDate>Thu, 24 Nov 2016 21:33:56 +0900</pubDate>
			<category>高校</category>
		</item>
		<item>
			<title>みみへん</title>
			<description>文化の僻地に住んでいると、たまの東京出張は楽しみ。2時間の空きがあれば何かは見たり聞いたり歩いたり。で、こないだは鈴本亭で久しぶりに生落語を三本。&lt;br /&gt;
誰か掛けてくれないかと永らく待っていた替り目がとうとう聞けて、嬉しかったしまあ面白かったんだけど、私がずっと聞いてきた志ん生のとは当然違っていて、あ、やっぱりそうだよな、となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
受験勉強の夜、ヘッドホンでテープがへろへろに伸びきるまで聞き込んだ、ホルストの惑星も、そのあといろいろな指揮者演者のCDを手当たりしだい聴いたが、どれも、あ、こうなっちゃうか、となってしまう。&lt;br /&gt;
演奏の上手い下手ではなく、好き嫌いでもない、たんに、リズムも音色も息づかいまで耳に馴染んでしまったものについては、似ていて違う何物かではもうだめなんだ、というだけで。本当に音楽が好きな人というのは、似ていて違う幾万ものバリエーションをこそ楽しむのだろうから、私のこの耳は音楽好きという範疇にはなくて、たんに最初に受け入れたものに愛着してしまう偏屈穴なんだな。微妙絶妙な味を選り分ける美食家にも、万人を愛せる心広い人にも、まったく憧れないが、耳の受け入れ間口が広い人は、正直、羨ましい。どんな世界がそこにはあるのだろうかと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それはそうと、トリの太平さんの｢一文無しってすごい｣には笑った。上手かったなあ。あのリズム、声音、息遣いまで、今も覚えている。久しぶりに、丸ごと穴に収まる音源に出会えた。&lt;br /&gt;
あ、そういうことか。要は、器が狭いか広いかなんてどうでもいいんじゃ、新しいのを入れてけや、と。てんてけてけてけ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel/69245535.html</link>
			<pubDate>Tue, 15 Nov 2016 01:44:26 +0900</pubDate>
			<category>高校</category>
		</item>
		<item>
			<title>ボク妻ってか。</title>
			<description>私にはどうしても独りでぼーっとする時間が相当に必要で、それがなくなる生活が続くことはガマンできない。結婚したからといってこれが直ることはない。あなたにはそれがわかるか。&lt;br /&gt;
と尋ねたら、わかるとも、わからないとも答えなかった。話の内容がわかるわからない以前に、やっぱりこいつはわからん、という顔をしていた。で、問いかけへの答えは無く、つまり約束を互いに交わしたわけではないのだが、私が独り隠りモードを発動した場合、9割かたは放っておいてくれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
携帯の不携帯を続けていたら、スマホに変えたいと言ったとき鼻で嗤われた。しつこく言ったら怒られた。そのあと放っておかれた。3年経って年季が明けたか、しゃあないなと言わはった。&lt;br /&gt;
不携帯率が5割に改善したスマホで、いやーまさかこのブログに書き込む日が来るとはね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私がやりたいことを、すぐやらせてくれるとは限らないが、本当にやりたいことを邪魔するとは思えない。さらに良いこととして、私がやりたくないことを、ムリにやらせようとする気配が無い。私のような性向を、一言でいえば社会不適合と直感で知っている、真正の常識人だが、そのまま置いておいて常識的に向き合ってくれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私はずっとひとり旅が好きだったが、あなたとなら、一緒に旅するほうが楽しみだ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel/69241229.html</link>
			<pubDate>Sat, 12 Nov 2016 10:51:46 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>おばかさんぶん。</title>
			<description>あれこれ造り続けていればおのずと、構築物というものには出来の良い設計とそうでない設計が歴然と厳然とあると解ってくる。&lt;br /&gt;
もちろん設計者によって採用する「良さ」の核は異なるし、構築物それぞれによって採用されるバリエーションも異なってくる、けれども、ひとつの構築物においては、ひとつの設計思想が全体において細部において全てにおいて貫かているということ、意味のないものは無いしこれからも入り込む隙が無いということ、その構築物の一切の未来が設計というたった一地点の過去の作為によって予言されているということ、そういう不可能に設計者が挑んだと明瞭にわかる構築物は、出来が良い。&lt;br /&gt;
自分の好みは別として、要するに、わかりやすく完成度が高いし、時間が経過してもその完成度が急速に損なわれることはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
完成度の高い構築物に触れたとき、私はその空間を心地好いと感じることを、身を預けたいという憧れを持つことをやめられない。どちらかといえば、私は、無秩序よりも秩序立てられた物事や状態の方を好む。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
んでもな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
十年後の自分を想定して夢の実現のストーリーを書いて提出しろと、と言われたとき、私ははっきりと嫌悪感を持った。こんなバカな自己啓発を世の中に流行らせやがった誰かを呪いたくなった。それだけのことで、この職場に定年まで勤続したいとは思わなくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
過去の一点から、まだ見えもしない未来のなかにいる自分を想像して、そこでなにかしらの成功を掴んで居られるように着々と歩むストーリーを描いて見せろ、ということの馬鹿馬鹿しさ。自分に対する良い設計書を作成しその通りに建設していけば良い未来が約束されると信じて疑わない馬鹿馬鹿しさ。&lt;br /&gt;
人の生が、未来が、過去からの集積を礎に築かれ続けてゆくことは確かだし、無計画な生活を送れば人並みな生計を立てることさえ難しいことも自明だが、それでも、人を一個の構築物と見立てて「お前自身の設計書を描いて見せてみろ」と迫られるこの状況を、私は異常だと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イヤだ、という感は確かに強い。&lt;br /&gt;
けれどもそれ以上に、それは「錯誤」だ、という感が強い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
過去の思惑のいっさいが、未来の文脈においてまったく異なるパラダイムで再解釈されるということ、その営みがあらゆるタイミングで時間幅で時間軸で繰り返され続けるということ、が、人と、人そのものを対象とする「人文」という領域での絶対の法則で。&lt;br /&gt;
たかが一個人の私が、その圧倒的な潮流に抗うこともやってみようと目論むなら、自分をたかが一個の構築物と見立てて凡庸の過去の連続の一点から設計書を起こして未来を支配しようなどと考えても仕方がない。その考えは、そもそも根本的に誤っていると、私は感じる。目論んだ通りに構築物が完成する可能性はほとんどないし、完成したとしてもけして満足はできない。&lt;br /&gt;
ああ、言い直そう。素晴らしい設計で、すばらしい自分を完成させ、それに満足する人も居るだろうし、もしかしたら、そのようにできる人が大多数かもしれない、が、私はそうではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日の何かが、私のなかで、私の過去のいっさいの記憶と思考と行為と書き残してきた文章と誰かとのやりとりとに付されていた意味を、別の意味へと蘇生させる、そのような日が来ることを恐れないということ、むしろ歓待するということ、あわよくばと待ちかまえるということ。&lt;br /&gt;
私にとって、私自身と過去のいっさいと今現在の混成したものが海原のようなもので、そこに毎日船を出して、網を投げて、今日を生きていく糧が網に掛かってくれるように待つ。毎日獲物が取れるとは限らないけれど、私が飢えきって死ぬまで長々と待たされることはない、心配しなくても、それくらいには、この海は豊かだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでいいじゃん。&lt;br /&gt;
ていうか、他人はともかく、私はそれでいいんじゃ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel/68485227.html</link>
			<pubDate>Fri, 04 Dec 2015 03:49:12 +0900</pubDate>
			<category>小学生日記</category>
		</item>
		<item>
			<title>きらいまがいの、</title>
			<description>中島義道だったかな、アドとアラートの機械音に強制的に晒され続ける都市の生活空間に、強烈な嫌悪感と憤慨を綴った文を読んだとき、ああこの感覚は解るな、と思った。それでも、音にわりあい敏感なほうの私でも、ここまで神経こすられるような違和感はないな、とも思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、私の画に対する感覚はかなり鈍いほうであるのに、ネットに溢れかえり強制的に目に入ってくる広告テキストとバナーとフラッシュのゴミ山には我慢がならない。こういうものを所狭しと並べて平気なサービス元というのはもう、そもそも、人間としての美的感覚がないというより良心が無いのだ。奴らが何を思っているかといえば、タダでいいサービスを受けようなどという煩悩の塊の奴ばらに何故真っ白な美しいカンバスなど貸してやらねばならん、いやそのような道理など全く無いのであるから、広告主の寄生先としてせいぜいありがたくこのゴミ溜めで蠢いておれ、といったところだろう。なんかカフカの「変身」を思い出すな。あれの主人公、なんて名だったっけ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネットサービスがまだ黎明期だった頃、ブログサービスがまだ出揃う前の頃、そのサービスには何処かしら、新しいツールと価値と世界の構築がいままさにその提供者達と享受者達との協働で行われているのだといった、自負なり気概なりが感じられるものだった。いま思えば。つまり、サービスではあったが、「商品」ではなかった。商品としての完成度は高くなかったけれど、それと引き換えに、「商品」が必然としてまとう収益構造をほとんど感じさせなかった。&lt;br /&gt;
あのときのあれらのありようは、今から振り返れば、夢のようだ。なんというかな。文字通りの新しい大地に、開拓者が集って、一斉に、ほとんどタダ働きで、あるいは必要な資金はおのおのが少しづつ持ち寄って、自分たちの街を造っていったような、そういう感覚かな。なつかしいというほどの感傷は無いが、時代は変わったなという感は拭えない。この空間はもう、生産無き消費をいかに加速するかという設計思想に支配された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それはそうと、最近、中島義道の文章をまとまった量読む機会があり、それまでの断片の拾い読みではこの人の書くことに心惹かれることが度々あったのに、ちゃんと読むと案外ガッカリな内容だった。なんというかな。&lt;br /&gt;
おそらく、「こういうことはキライだ」というツボが私の感覚にかなり近かったのだと思う。そうそう、わかるわかる、という感覚。だが、まとまった量を読むと、違和感がある、というより、嫌気がさしてくる。だんだんと。&lt;br /&gt;
おそらく、イヤだな、と感じたものに晒された後になにをどう考えるかというところで、彼が繰り返す思考の傾斜が、イヤだと感じる自分をマジョリティに対する異端者として位置づけ自分の「単なるイヤだという感覚」を思索すること正当化することを、『哲学』と名付けている、ように、感じられるからだ。そのような思考の傾斜は、よくわかるように思うけれど、それは私にとっては、水平でも平板でもなく変化に富んで面白く人間味があるという意味での「傾斜」ではなく、たんに、安易に落ち込むという意味での傾斜に思える。屋根の雪を下に落とすときに使うスレートのようなもので、意図して使うことは度々あっても、そこに自分の身を預けて乗ろうとは思わない。そのような思索を「哲学」と自負し、まして露悪的であることも自認しながら言論として言挙げすることは、私には、甚だしく自己中心的な勘違いだと感じられる。真実の表現としては読むけれども、真理であるとは思わない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それはそうと、法案が決する流れを見て、時代は動くなと思う。「あえて」と露悪を気取りながら体制に組み込まれた後には、「しからば」と開き直った悪が駆動するのだろうか。そうして加速するのみってか。10年で様変わり、かもしれないな。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel/68312615.html</link>
			<pubDate>Thu, 17 Sep 2015 01:50:44 +0900</pubDate>
			<category>小学生日記</category>
		</item>
		<item>
			<title>宿世</title>
			<description>つまらないことをしすぎるまえに生きることをやめられるように死ぬことをあきるくらいに、
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;おまえの好くものと厭うもののはじまりのかたちだけを抱いてその淵にただひとくさりの、&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;いかなるものも呼び還すさよならのこだまをいのち綱に。往きたい。いきたい。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;と、せむしが詠いはじめた。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;今はまだムリ。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel/68264880.html</link>
			<pubDate>Thu, 27 Aug 2015 00:47:54 +0900</pubDate>
			<category>小学生日記</category>
		</item>
		<item>
			<title>するうべ。</title>
			<description>小学生の頃、母方の本家にちょくちょく遊びに連れて行かれた。母にすれば里帰りで、伯父も伯母も子連れの妹の長居はあまりいい気はしなかったのでは、と大人になってから私は思うのだが、思い返してみると、いいあんばいに御構い無しに放っておいてくれるという感じだった。
&lt;div&gt;その伯父が手塚治虫が好きで、書斎の大きな本棚いっぱいに全巻揃えて持っていた。たまに行って半日いるくらいではまったく読み切れない量だったけれど、とにかく私はそこに入り浸って、帰るよと声がかかるまで読み耽っていた。稀に、家に帰って来た伯父が自室を覗いて、ああいるのかと私に声を掛けて、そのまま私をひとり部屋に残して扉を閉めていく。そのときの、ちょっと驚いたなかに、よく来たなという歓待の気持ちと、それがそんなに面白いのかそうかそうか、といったような親しみの気持ちが滲んだ伯父の声音そのものを、私はいまも覚えている。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;私がもしあのときの伯父だったら、と考えると。自分が大事にしているコレクションを、ことわりもせずに掴み出して好きに使う子供に、あまりいい気はしないだろうと思う。いやまあ、あんがい微笑ましいかもしれないな、でもなあ。ちゃんと戻しておいてくれよ、とか、大事に使ってくれよ、とか、何か言わずにはおれない。たぶんそうだ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;あのとき、私は読むのに夢中で、伯父の顔さえ見ていなかった。でも、あのとき伯父は、ああ居たのか、とだけ言って、微笑んでいた。微笑んでいる、と子供でも直感する、そういう声音だった。だから私は安心して、あの家に行けば、いつでもあの部屋に入り浸っていた。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;私の至らなさをけして怒らず、いつでも穏やかに話し、微笑むようにして私に向き合ってくれた人が、あと二人いる。伯父とあわせて三人、そのうちのふたりはもう逝ってしまった。私は残るひとりに、早く会うべきかもしれない。そうしておけばよかったと、後悔しないように。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;職場の同僚の、思うところをかなり正直に言ってくれる人と、学生時代の知人つながりで気心しれた人に、私のことを、怖い、と、ここのところ続けて評された。彼らがそう思っているから言った、というより、私のことをそう思っても口に出せない大多数の人を代弁して言うとね、という文脈で。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;怖い、と言われることに納得する自分が居て、不本意でもない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;怖いと思われる役を誰も引き受けずにきた結果として、しかるべきことにしかるべきときに叱るという人間が後々になって現れたら、それを怖いというのか、くらいの不満は持った。その不満は、あまりに自己弁護だと頭ではわかっちゃいるが。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ただ、その後、私に対して、怖いという気持ちのカケラさえ与えなかった先達を思い出さずにはいられなくなった。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;優しい人間になりたい、とは思わない。ただ、私には優しい人が隣に居る時間があったし、それを大切に思っているなら、それは本当に大切なことだと改めて知るべきだ、とは思う。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;優しい人間になりたい、とは思わない。ただ、自分がなんの理由も問われずに与えられた良いものがこの身にある、それならば、その良いものを自分ひとりのものとせずに、次の誰かに返していくべきだ、と思う。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel/68236639.html</link>
			<pubDate>Sat, 15 Aug 2015 01:24:35 +0900</pubDate>
			<category>小学生日記</category>
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