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私の軍歌のシリーズは「優れた軍歌を楽しむ♪」というタイトルを付けているのですが、
今回「海ゆかば」を扱うにあたっては少々戸惑うものです。
それでも、襟を正す気持ちできちんと紹介しましょう。
まず歌詞ですが、
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ (長閑(のど)には死なじ) 万葉の歌人である大伴家持(おおとものやかもち)の「陸奥国に金を出す詔書を賀す歌一首 、并せて短歌」という長歌(五七、五七、…、 五七と繰り返して最後を七音で締める形式) にこの一節があります。
私の解釈ではありますが、 大仏建立のために陸奥の国の黄金を出させる詔書が出された( これで大仏建立計画が具体化した)ことを祝い、 これまでずっと軍事(特に近衛的な役割) を通して大君に仕えてきた大伴氏の誇りを高らかに歌い上げた歌と 理解しています。
大伴家持像(川内市)
原文(参考提示です。下線部分だけ見てもらっても結構です。)
現代語訳 (ウィキペディアより)
次に曲についです。
実は(末尾以外)同じ歌詞で「海ゆかば」という同名の曲が2つあるのです。 どちらも同じ頃に作曲されました。
まず宮内省の伶人(雅楽の楽師)である東儀季芳の作品は、 前回にとりあげた「軍艦行進曲」の動画でもそうですが、 間奏としてよく組み込まれて使われています。
軽快で勇壮な「 軍艦」から一転して日本古来の旋律「海ゆかば」に移り、再び「軍艦」 の旋律に戻っています。併せた曲として見ると、陽-陽-陰-陽と、 この間奏があることで全体を引き締める効果があります。
この二つの曲は調和をとりながらもう一方を引出しているように感じま す。実に素晴らしい編曲ですね。
「海ゆかば」(東儀季芳作曲)は正式な儀典曲です。
この歌を聴く機会はあまりないと思いますので是非どう ぞ。
この場合は、最後のフレーズは「長閑(のど)には死なじ」 が使われています。「生き長らえて無事平穏な死に方はしない」 といった意味でしょうか。
そして、よく知られたもう一つの曲が信時 潔(のぶとき きよし、1887-1965)の作です。
言うまでもなく、鎮魂の歌としてよく知られています。
しかし元々は特に鎮魂というわけでなく、普通の国民歌謡でした。
大本営の発表を流す際に使われ、戦果を誇るときには「軍艦行進曲」を、玉砕を伝えるときには「海ゆかば」をと、使い分けたのでいつしか鎮魂の歌のイメージが定着してしまったということです。
なお信時潔の作品には歌曲集などが多くあります。特徴的なのは校歌などの作曲で、「信時潔研究ガイド」によれば、校歌として、慶応義塾(塾歌)、 学習院、名城大学、皇學館、成蹊、専修、東海、大東文化、金沢、 大阪工などの大学、高校、中学など約900曲、社歌・ 団体歌が約170曲もあるそうです。
「海ゆかば」の動画を選ぼうとしたのですが、あまりに多くまた、 特別攻撃を含めて映像がどれも辛いものばかりです。
映像のないものを選ばせていただきました。
下の動画は演奏、独唱、合唱と続いています。
あまりに詩も曲も美しすぎます。
改めて幾多の英霊に感謝するものであります。
そして今を生きる日本人として、 何をするべきかを自問させられるものでもあります。
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軍歌と戦時歌謡
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君が代に続く名曲です・・・
傑作
2012/4/23(月) 午後 9:07
カマちゃん様、こんばんわ、
こんなに凄い曲が、悲しいまでに美しい曲が日本にはありますね。
傑作ありがとうございます。
2012/4/23(月) 午後 9:12
学校で歌い継ぐべきすばらしい曲です。
この歌を歌い歴史を知る、大切なことです。
傑作
2012/4/23(月) 午後 10:20
さくらの花びらさん、こんばんわ、
そうですね。
単に鎮魂の歌として捉えるだけでなく、日本という国が古代からこのように天皇あっての国だという見方について、何よりの教材です。
傑作ありがとうございます。
2012/4/23(月) 午後 10:52
「海ゆかば」を知らない日本人が多すぎると思っています。
「君が代」さえ歌えないこどもがいることに愕然とします。
「海ゆかば」の歌詞もメロディーも最高に美しいですよね。歌詞の内容は凄い事が書いてるのですが、それが当然の国、日本なのですね。
皇国を護るためには皇民としては当然のつとめ。
もっと色々なところで聞く機会を増やすべき曲かと思います。
傑作
2012/4/23(月) 午後 11:44
れおんさん、こんばんわ、
ほう、「海ゆかば」を知らない日本人が多い?!
そうなんですか・・
これが日本人のアイデンティティーなのにね。
スマップの変な歌より、この歌を知らなければダメですよね。
傑作ありがとうございます。
2012/4/24(火) 午前 0:25
古代の氏姓制度下の氏族にとってそれぞれの職掌はとても重要な、アイデンティティみたいな意味合いがあったので、記事にあるように家持がそれを強調して歌に盛り込んだのも必然的でしたでしょうし、戦中期、言わば軍事貴族だった大伴氏のそれが脚光を浴びたのもまた必然的だったのでしょうね。
長歌を含む和歌はかつては政治性を帯びてましたが、家持の編集したとされる万葉集は「大君は神にし坐せば」ですし、1000年以上後の戦中期のムードと奇しくもマッチしますしね。
古代には壬辰の乱の後いわゆる皇親政治が敷かれたり、八色の姓の制定で豪族が朝廷の下に編成されたりして天皇権力がとても高まった時期があり、「大君は神」もその影響ですが、こういうのを見ると戦中にも文学と政治が密接に関連してたんだと分かりますね。
その時代その時代の正当性のようなものを求めるのはやはり歴史であり、戦中の場合のそれは、まだ大貴族も台頭していない頃(蘇我氏は既に滅んで藤原氏もまだまだの頃)の天皇中心の政治が行われていた古代の歴史だったということになるでしょうか。
2012/4/24(火) 午後 3:36
古文は現代文より少ないフレーズで深い意味を示めす
日本語の良さですね。
素晴らしいです。
傑作
2012/4/24(火) 午後 5:51
理瀬さん、こんばんわ、
流石です。家持がこの歌を詠んだ時代背景をきちんと説明頂き、ありがとうございます。
曽我氏が既に滅んで藤原氏もまだまだという、良き時代だったのですね。
分かりやすい説明感謝します。
2012/4/24(火) 午後 7:38
杢兵衛さん、こんばんわ、
古語には美しい響きがありますね
私は特にこの時代の言葉が好きです。
ブログタイトルの「くにしおもほゆ」も自分で気に入ってます!(^^)!
傑作ありがとうございます。
2012/4/24(火) 午後 7:46
こんにちは。
拙ブログにご訪問とコメントを頂き有難うございました。
2012/4/27(金) 午後 3:17