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オペラでも新劇でも、もし劇の真っ最中に主役が病気でバタッと倒れたとしたら、どうなるでしょう。
取敢えずは幕が下りて、その後にアナウンスがあるのではないかと思います。 能舞台には、客席とを仕切る幕は存在しません。
何かあれば舞台の奥に座っている人が出てきます。 「後見(こうけん)」という役の人です。 こういうハプニングはまずないでしょうが、倒れたシテを連れ出し(ここまでは当たり前)、その後シテの装束や面は着けないままで、残された部分を最期まで演じきります。 能はそれ自体が特別なものであって、関係者は“お能”と言っています。
始まった能は最期まで演じ切るために、貢献はシテと同等かそれ以上の能楽師が務めます・ 普通、後見は二名いて、まず出番前のシテの世話をします。シテが舞台に進み出た後に、目立たないように自分たちも舞台に出て、奥に座り、文字通り後ろから見ています。
演技中のシテに道具を渡したり、衣を着せ換えたりもします。 目立たないようで、とても大切な役です。
未成年者に対する「後見人」もこの意味だと思います。
能を見るときに慣れないうちは、後見の動きに目が行ってしまいます。 しかしすぐに気付きます。 演者でない人の動きは、見えていても気にならないのです。 これが日本の演劇の約束事なのです。 同じことが文楽にも歌舞伎にも言えます。
黒子(くろこ)の動きは気にならないのです。
文楽は一つの人形を三人で操りますが、このうちのメインの人形遣い(主遣い)は、しばしば顔も隠しません。 観客は人形の動きと共に、人形遣いの名人的なワザを同時に楽しみます。 橋下大阪市長は「「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えるのは腑に落ちない」言ったそうですが、日本文化を知らない恥ずかしい発言をしました。 能は日本が世界に誇る仮面劇です。
日本文化よ、永遠にあれ!
(能へのお誘い シリーズは「伝統芸能」書庫にあります) |
伝統芸能
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久しぶりに「能へのお誘い」シリーズを書きました。
なぜ、書いたかというと、橋下徹大阪市長が、文楽を手厚く保護する立場であるにもかかわらず、逆にこれを破壊する言動への反感です。
これは大げさに言えば演劇論であり、文化論でもあります。
2012/8/28(火) 午後 10:49
なるほど〜です。
私は、実はけっこう舞台上の周りの人を見ているのも好きなのですが、
「確かに演者以外の人は、透明人間にして観ている時があることも実感」しています。これが日本の伝統芸能の特徴、お約束だとは面白いお話でした。
蒼
2012/8/29(水) 午後 7:07 [ - ]
蒼さん、こんばんわ、
はい、日本の伝統芸能の面白い特徴だと思います。
文楽では黒子が透明人間を通り越して顔を見せても観客はそれを楽しむわけです。
2012/8/29(水) 午後 8:44
えー・・・なっとくいかない・・・
いつからこういう文化に成ったのですか??約束事だと言われても幼児や外国人は暫く慣れないと思うんですが・・・
それともそういう決まり事を理解出来ないやつは見るなってことですかね
2014/1/6(月) 午後 4:40 [ さいとう ]
さいとうさま、
歌舞伎(詳しくはないですが)でも同じような後見がありますし、黒衣(くろご)もいますね。
後見が能の歴史でいつからあったのかは知りません。
能ではシテが舞台に出るまで世話をして、シテが舞台に登場した後にそっと出てきます。
舞台に大道具・小道具を運んだり、衣裳の世話をしたりして、シテが退場する前に(世話の為に)先に退場します。
私も慣れないうちは、この動きが気になりました。でもそういうものだと分かれば気にならなくなりました。
2014/1/6(月) 午後 5:47