ソロ活動30周年を今年迎えた和太鼓奏者の林英哲さん(60)は海外でも公演を行い、国際的に高く評価されています。他分野の演奏家と数多くの共演を繰り返してきた第一人者。しかし、本来は絵の道を歩むはずだったといいます。和太鼓との出合いは、図らずもその美術によって演出されました。(織田淳嗣)
米のひのき舞台
米東海岸へ向かう長距離バスは荒野を走り続ける。スモークガラスのためか、車窓からの風景は薄暗く見えた。
24歳だった昭和51年夏、所属していた太鼓集団「鬼(おん)太(で)鼓(こ)座(ざ)」は、小澤征爾さん(77)が指揮するボストン交響楽団と共演するために渡米した。向かう先は、マサチューセッツ州で毎年夏に行われる世界的に有名な「タングルウッド音楽祭」。願ってもない大舞台だった。
鬼太鼓座は、新潟・佐渡島で、集団生活を営みながらマラソンと太鼓の鍛錬に打ち込む独特なスタイルのグループだった。当時、音楽の専門教育を受けたメンバーはおらず、演奏は素人だったが、そんな禁欲的な生活や躍動的なステージが話題となり、徐々に知名度を上げていた。
そして、前年4月のボストンマラソンに参加し、ゴール地点で太鼓を演奏。これが、小澤氏の目にとまったのだ。「クラシック界にも民俗的の要素を入れる動きがあったようで、小澤さんは(太鼓を)とても面白がってくれた」
バスで決めた進路
音楽祭の開催地に向かう長距離バスの中は、陰鬱に見えた。独立記念日(7月4日)の前後、アメリカはお祝いムードとなる。しかし、この国で長距離バスを利用するのは、貧困層が中心だ。
「自分たちにはこれから、ひのき舞台が用意されている。しかし、この人たちには一生そんな機会はない…」。大きな荷物を抱えた旅行者たちの無表情を見ているうちに、そんな思いが浮かんだ。
もとは、グラフィックデザイナーの横尾忠則さん(76)に憧れていた美術青年だった。しかし、美大の受験に失敗して迎えた18歳の夏、佐渡島を訪れたことで、その後の人生がガラリと変わった。太鼓集団の構想発表イベントに横尾さんが参加すると聞いて駆けつけたのだが、肝心の本人が欠席。ただ、現地で知り合った主催者との縁で、太鼓集団に加入してしまう。これが鬼太鼓座だった。メンバーの脱落もあり、説得されたという。
メンバーとして活動を始めたのが19歳の時、46年のことだった。進路に疑問を抱えながらも、主催者の熱意に押され、在籍。「いずれは美術に戻る。太鼓は腰掛けという気持ちでいた」
しかし、そんな中途半端な気持ちが、小澤さんとの出会いで消えた。
「クラシックの牙城に日の丸を背負って切り込み、成果を問われている人。もし僕らが大失敗したら、取り返しがつかない」
バスは一本道を行く。しかし、頭の中では人生のレールが音を立てて切り替わった。「がっちゃーんと。人生こっちだと」。和太鼓奏者、林英哲が生まれた瞬間だった。
当日の公演は伸ばしていた髪を短くして臨んだ。演奏終了後には、観客総立ちの拍手が待っていた。直前の練習までは、演奏していてどこか居心地が悪かった。それが安心感に変わった。
ソロでの出発
ただ、気持ちは定まったが、活動は逆風に見舞われる。メンバーの対立でその後、鬼太鼓座を脱退。佐渡島で新たに設立された「鼓(こ)童(どう)」に参加したが、ここでも人間関係の問題で居場所を無くし、退会してしまう。
57年、太鼓漬けの日々は11年にもおよび、気がつくと30歳。心身共に疲れ果てていた。太鼓から離れ「広島の実家の寺に戻り、僧侶になることも考えていた」という。
しかし、鬼太鼓座時代に指導を受けた日本舞踊の花(はな)柳(やぎ)照(てる)奈(な)さんにあいさつに行くと、猛然と叱られた。「人が望んでも持てない能力と経験を持っているのに、生かさないでどうしますか!何という身勝手ですか!」
ここから「ソロの太鼓奏者」としての模索が新たに始まる。そして、その2年後に栄光が待っていた。米ニューヨークのカーネギー・ホールに立ち、前例のない和太鼓独奏者としてデビューを果たす。以来、数多くの海外公演などで着実に名声を高めていった。
今年はソロ活動30周年の節目。「今になって思うと、誰かに背中を押されている人生。決して自分だけで決めてきたわけではない、と思う」
−−10月27日に行われたライブを拝見しましたが、3尺4寸(約103センチ)の和太鼓一つで、オーケストラのような広がりのある音を表現されていました
「独奏者と言い切った以上、太鼓一つで演奏を成立させないと格好がつきません」
−−客席に背中を向けるスタイルは、他の楽器にはない独特なものですね
「前を向いていれば表情で、何か伝えることはできます。しかし背中を見せているということは笑ってごまかすなど『嘘をつく』ことができません」
−−伝統芸能の太鼓とも違うと感じました
「若い頃、郷土芸能の太鼓は、地元の祭りでは楽しい演奏なのだろうけど『舞台で見せるものではない』と感じていました。舞台映えする太鼓の打ち方を指導できる先人はいなかった。日本人らしい格調の高さを見せたいと思い、色々な芸能を取り入れ模索してきました」
〈はやし・えいてつ〉昭和27年、広島県生まれ。太鼓集団「鬼太鼓座」「鼓童」の計11年間を経て、57年にソロ活動を開始。59年には、和太鼓独奏者では初めて米ニューヨークのカーネギー・ホールでの公演を実現させた。今月、半生を記した「太鼓日月」(講談社)を刊行。ソロ活動30周年記念コンサート「七つの輪具」は今月17日、東京・赤坂のサントリーホールのほか、来年1月3日に大阪・森ノ宮ピロティホールなどでも開催される。