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「シイタケ形」で減速、大気圏外から安全帰還
実験機 →
宇宙から地球に帰還する探査機への応用を目指し、東京大学や宇宙航空研究開発機構などの研究グループは7日夕、シイタケ形の機体を使った大気圏突入実験を行う。
突入前に傘を広げて減速し、突入時に発生する熱を従来の10分の1程度に抑えるのが目標。実験機は、宇宙機構内之浦宇宙空間観測所(鹿児島県 肝付 ( きもつき ) 町)から小型ロケットで打ち上げられ、25分後に約200キロ・メートル沖に着水する。
耐熱布でできた傘は、実験機本体の周囲に折りたたみ傘のように巻かれており、高度100キロ・メートルでロケットの回転を利用して自動的に広がる。傘の直径は1・2メートル。縁に炭酸ガスを注入し、その圧力で形を保つ。
東大の鈴木宏二郎教授は「実用化に向けてはまだ入り口の段階だが、大気圏突入のさまざまな方法を考え、宇宙探査の可能性を広げたい」と話している。
(2012年8月4日13時33分 読売新聞)
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この件については6/26に「これぞやわらか頭 こういう発想こそが大切」で紹介した技術です。
いよいよ打ち上げて、実験機を大気圏に落下させます。
最初は折り畳み傘のように小さく畳まれています。
それがブルンと回転すると遠心力で開き、ガスを入れて画像のしいたけ型になります。
日本にはこういう柔軟な発想がまだまだあります。
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まずは木口小平(きぐちこへい)という陸軍の兵士を一人でも多くの人に知って頂きたい。
清国軍の脅威にさらされた朝鮮政府の要請を受けて出兵した日清戦争において、喇叭手(ラッパ手)として従軍し、戦死した二等兵である。
当時の歩兵は重い背嚢を背負い、長い銃を持ち、それだけでも大変なのに、喇叭を吹くことはわりと体力が要る。その状態で皆と一緒に突撃するのであるから大変なことである。
その喇叭手の木口が喇叭を口から離さない姿で戦死していたのである。
戦死の状況はあまり詳しくは分かっていない。たまたま同日に二名の喇叭手の戦死があったので名前が別人と取り違えられていた程である。(のちに陸軍が名前を確認している)
即死だったとしたら、地面にどっと倒れる瞬間も喇叭を吹いたままだったということになる。
まだ被弾から絶命までの時間を苦しんだとしたら、その状態でも必死に喇叭を吹こうとしたことになる。
いづれにしても強靭な意思と責任感がなしえたことである。
だから修身の教科書にも載せられていた。
ところで昔に11PM(イレブン・ピーエム)というテレビ番組があって、出演して売れっ子になった大阪日赤病院の木崎という医師が、ラジオ番組にまで出演して「木口小平は単に死後硬直でラッパが口から離れなかっただけですよ」と話していたのを聞いたとき、私は「そんな馬鹿な!」と驚愕した。その驚きと怒りは今でも忘れない。
偉人や英雄はコケにして、否定することによって自分の価値を高める卑しい発言である。
まして彼の職業は医師である。
医学の基礎として死後硬直の知識を学び、職業としての経験を積んでいる筈なのに。
死後硬直は死後2時間たった頃から起こる筋肉の変化である。
死後硬直が起こったから、木口二等兵は偶然に英雄に奉られてしまったのだろうか。
戦死の詳しい情況がどうであれ、そんな馬鹿なことはない。
「自分は喇叭を吹くのだ!」というすさまじいまでの意思の結果の筈である。
私は自作記事はアップする前に常にウィキペディアなどで確認します。
残念なことに「木口小平」の項でも死後硬直論が通っているし、「死後硬直」の項の「関連項目」に至ってはこのように記載されていました。
「木口小平 - 急激な死後硬直が原因で英雄とされた喇叭手」
死後硬直は彼にかぎって特別に急激に発現したと言いたいのだろうか。
まるで冷静な分析のような仮面を被ったエセ分析である。
左翼雑誌「文藝春秋」 のかなり昔の記事が発信元であるようだ。
「木口小平」とキーワードを入れると、そのかなりの部分で「死後硬直」が出てくる。
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