くにしおもほゆ

羅針盤を見誤ることなかれ

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大変な事態になりました。
鳥取西高校は「教育委員会も大丈夫と言っている」と説明して、韓国へ生徒を強引に連れて行きます。
ところが教育委員会には、まるで全員が韓国行きを承諾したかのように参加者の名簿を付けた書類が出ているだけ。
全員承諾なら、保護者会が大紛糾するわけありません。
韓国は兵士が大きい殺人事件を起こして逃亡し、撃ち合いになったばっかりです。
 
電話をされたのは、前回この学校の教頭と電話で話し、「保護者の十分な理解を得ることが必要」と明記された次官通達を学校が順守する気がないことを聞き出された方です。
 
 
こちらは参考
 この方が鳥取西高校の教頭と電話で話された記録です。
 既にあちこちでアップされ、日本中に広まっています。
あきらさまのブログ『猫まっしぐら  』より転載させて頂きました。
 
国民ひとりひとりが自分の目で教科書をチェックすることが大切ですね。
 
(以下、転載記事)

とりあえず行ってみた

教科書展示会について、こちらの地域ではどこで行っているか分からず。
 
県に問い合わせをしていました。
 
県もこちらの教科書センター、期間を教えてもらいました。
 
図書館に連絡をしたら『やってはいるが、教育委員会の人に頼まれ
 
置いているだけなんです』とのこと。
 
教科書展示会はこの図書館(教科書センター)のHPにすら載っていません。
 
それほどひっそりと行っています。
 
他の県の教科書センターもこの程度なんでしょうか?
 
 
とりあえず出かけました。
 
イメージ 1
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
< 教科書展示会の目的 >
今年度、使用している教科書や、次年度見本本等その他の教科書を展示し、保護者や一般の方々および教職員に対して教科書研究の場を提供するとともに、教科書に対する理解を深める機会とする。
 
 
となっていましたが、ここにあった教科書は平成23年度、24年度であり、平成26年、27年度の教科書はありませんでした。
 
後で、県のHPで『小中学校 教科書 出版社』で検索をかけると使用使用教科書の一覧がでてきました。私の県では平成2427年も共通する教科書を使うことになっていました。(学校によって出版社が違いますが、ほとんどの中学校は歴史・地理・公民の教科書は『東京書籍』でした。)
 
教科書センターは県内22カ所。
 
教科書を置く程度なら各市町の図書館でもできると思います。
 
教育委員会は教科書展示会について、生徒の父兄にはプリントを
 
配布しているようですが
 
(私はもらった記憶がありません。
        自分の市が教科書センターではないからでしょうか?)
 
それだけでなく、HPに載せるのは当たり前で、新聞にも掲載できると思います。
 
もっと多くの人に読んでもらう努力が感じられません。
 
 
話しは戻ります。
 
教科書は県内で使われていない出版社の教科書も置いてあり
 
色々比較することができました。
 
イメージ 3
 
 
                
        出版社(清水書院、育鵬社以外)は忘れましたが、
        これはまだましな方です。
 
 
出版社東京書籍、帝国書院、大日本図書、教育出版、清水書院、育鵬社
 
教科書が多すぎて歴史、公民の比較しかしませんでした。
 
以下は私が受けた印象です。
 
歴史・・・育鵬社以外は?な内容でした。
     東京書籍は息子の時の教科書よりちょっぴり改善されていました。
     清水書院、育鵬社は、朝鮮併合について朝鮮を『保護国』と記述。
     他の出版社は朝鮮併合について、朝鮮人に日本の歴史、日本語を強要、
     選挙権はなく不平等に扱ったような記述が目立ちます。
     清水書院もこのあたりはあまり変わりません。
     
公民・・・育鵬社以外が外国人への人権が不当。もっと日本人と同様にすべき。
     沖縄、アイヌ、同和など挙げています。
 
     東京書籍が外国人への権利についておかしなくらい記述されています。
     外国人が日本国内で日本人と同様の権利を持たせなければならない
     ような内容でした。川崎市の外国人の公務員採用まで載せていました。
 
     育鵬社は分かりやすく解説も細かいです。
     人権や権利についてきちんと記述され、添付資料で日本国籍でない
     外人への権利については不当には当たらない等と記述。
     
子供に教えるなら、社会科の教科書は『育鵬社』を使ってほしいです。
 
 
以上はあくまでも私の印象です。
 
ぜひ、教科書展示会は見に行くことをお勧めします。
 
私が行った時には私が4番目だったようです。
 
各出版社の教科書を読む機会がほとんどないので新鮮でした。
 
意見箱や用紙、鉛筆もあるので、意見をすることができます。
 
ただ、うちの県は平成27年度までの教科書を決めているようなので、
 
出版社を変えられるか分かりません。
 
けれど意見を出さないより出した方がいいと思います。
 
ガイドライン違反のため、Yahoo! JAPANによって記事が削除されました。
葛飾北斎の展覧会を見てきました。
平日なのに会場への入場に半時間以上並ぶ人気ぶりです。
北斎は誰にも分かり易いから、教科書にも出ていますね。
展示のためにボストン美術館の収蔵品がいま里帰りしています。
イメージ 1
                (これは「富嶽三六景」の「武州千住」)
ああ、この美しい絵が外国に出てしまったか・・・
版画ですから、これ1つが「本物」という訳ではないですが、保存状態が特にいい。
いや、嘆くまい。流出したからこそ完全に保存されています。
日本に現存しない作品も収集されて大切に保管庫で眠っていました。
 
ひとつひとつが秀作だから、どの作品の前にも人でいっぱいです。
ところで私が昔から強く惹かれていた大きな魅力は、画家としての凄い生き方です。
 
葛飾と名乗っているのは当時の「ど田舎」のイメージを逆手に利用したとか。雅号は30回も改めたという、引っ越しを93回したという。常に貧乏で、奇行がたくさん。そして満88歳まで生きた。(ちなみに当時の平均寿命は50歳以下です)
 
画狂老人はその雅号の1つです。俺はクレージーなんだ!と叫ぶ生きざまが偲ばれます。死の床に至るまで自分の絵に満足しませんでした。
                         イメージ 2 自画像
ウィキペディアはこちらです。
 
江戸時代の後半に、先に日本の陶磁器がヨーロッパでもてはやされ、輸出の際に無造作に丸めて、浮世絵が単なる緩衝剤として箱に詰め込まれていました。
目利きの画商たちがそれを見逃すわけありません。
浮世絵はヨーロッパに一世風靡し、モネやゴッホなど印象派の画家にとても大きい影響を与えたことはよく知られています。
イメージ 7
左がゴッホ、右がモネの作品
いえ、画家だけではありません。ドビュッシーの作曲にインスピレーションを与え、楽譜の表紙の装丁に使っています。
イメージ 3
もちろんこれは「神奈川沖波裏」のデザインです。
元の絵が良いので、デザインを借りた作品までが良いですね。
イメージ 4
 
北斎が後世のアーチストの為に遺してくれたプレゼントがあります。
それが「北斎漫画」です。正しくは自分の弟子たちのために描いたものです。
現代の「画狂青年」を目指す若者にも、良い教科書なんじゃないでしょうか。
 
イメージ 5
 
イメージ 6
 
日本に、世界に壮大な遺産をありがとう! 
日本はとてつもない文化国家です。
 
葛飾北斎展、次は北九州市で7/12から開催です。
上野の森には9/13から。
 
 に続きます。
産経westの秀逸な記事です。
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【関西歴史事件簿】
元寇・文永の役(下) 元寇「新説」…蒙古・朝鮮連合軍900隻「消滅」の最大理由は朝鮮の「手抜き建造」か

2014.6.22 07:00 (産経west)関西歴史事件簿
イメージ 1
 
元寇・弘安の役で暴風雨に遭い沈没する蒙古船の絵。文永の役でも元・高麗軍は海の藻屑と消えた
 
 日本を力で服従させようと、文永11(1274)年10月、900隻、3万人余りの兵力で九州・博多に押し寄せた元・高麗連合軍は散々に暴れまわった揚げ句に、一夜にして視界から消えてしまう。タイムスリップか神隠しか。決死の覚悟で戦いに挑んだ日本の武士団もキツネにつままれたような感覚に襲われたことだろう。原因については“神風”、つまり天候が有力視されるが、高麗が建造したとされる船の構造にも重大な欠陥があったともいわれている。

 

撤退は予定通り?
 京都の公家の日記にも京都が当日、悪天候に見舞われたことが書かれており、九州も悪天候ということも予想される。
 だが、元・高麗軍の敗因ともされてきた神風については、当時の10月20日が現在の暦では11月下旬にあたるため、時期的に台風の発生は考えにくい。
 このため、撤退後、海上でもたついている間に台風ほどではないにしろ、何らかの悪天候に遭った「事後の神風」だったとも考えられる。

 

あやつり人形
 戦闘、悪天候による元・高麗軍の被害はひどかったようで、失った兵は派遣時の半数に近い約1万3500人にのぼったことが、高麗の歴史書「高麗史」に書かれている。
 また、当時の高麗の様子についてもこのように書かれている。
 《働き盛りの男は船の建造にとられ、兵士の多くは戦いで負傷したほか、帰国中の暴風雨で溺死したため今では国内には老人と子供だけ。しかも日照りなどが続き稲も実らず、草や葉で飢えをしのいだ》
 30年間にわたる抵抗も及ばず、1259年に元の支配下に置かれると、属国としての道を歩むことになった高麗の悲哀を物語る話である。
 当時の高麗王の忠烈王は高麗が元に帰属した後、人質として皇帝、フビライ・ハンの下で長年暮らし、フビライの娘を夫人に迎えるなど、“モンゴル一族”に変心して帰国している。
 そして、フビライに日本侵略を進言したのも忠烈王だったともいわれ、王はそのときの助成も買って出たのだという。
 
 このためか、高麗全土は前線基地にされ、900隻の船の建造を押しつけられてしまう。しかも半年という期限付きで。費用も負担しなければならない状況に追い込まれている。
 自業自得とはこういうことをいうのだろう。

 

手抜きの悲劇
 船の建造は若い作業員を大量動員して突貫に次ぐ突貫だった。そこで思いついたのが、中国船のように底が二重構造の巨大船ではなく、規模が小さくて技術的にも簡単な高麗船でしのぐことだった。
 「単に兵を運ぶだけ」などという軽い発想でやった“手抜き工事”だったのだろう。確かに期限内に900隻を収めることはできたのだが、やはり船の強度に問題が出た。
 日本撤退後、一瞬にして船団が消えた原因は、突貫による手抜きで造られた船底の浅い高麗船が、強風と高波とそれに伴う船同士の衝突に耐えられなかった可能性が高い。
 さらに、鎧などの武具を身につけていたことが災いし、多くの兵士は泳ぐこともできなかった。
 日本が確認した元・高麗軍の座礁船は約150隻にのぼったことから、たぶん全滅に近い被害だったのだろう。元は今回の被害を教訓に頑丈な船を4千400隻建造し、7年後、今回の4倍の16万の兵をもって再び日本を攻める。
 一方、鎌倉幕府は元寇来襲に備えて今回、戦場となった周辺に防塁を築き、兵力を増強する。またこの戦いで焼失した筥崎(はこざき)宮が再建されると、亀山上皇が「敵國降伏」の扁額を納めるなど各地で元寇退散の機運が高まった。
(園田和洋)

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