この記事はある意味でちょっぴり独白文であり、自分史のようでカミングアウトのようでもあります。
私が生まれ育ったのは、おぞましい共産の牙城、京都の市中でした。
そして蜷川虎三というのが知事で超長期独裁政権でした。
あまりにも左翼政権が強すぎて、自民勢力までもが協調しなければならない程で、良いことは何ひとつありません。
京都に長年圧政を行った 蜷川虎三共産系知事 左翼の巣窟京都府庁舎
私の父親は保守系ノンポリでした。
私が幼い頃は食料こそ不自由はなかったけれだ、衣類はまだ若干不足気味で、兄のお下がりの同じ服をずっと毎日着ている時代でした。
京都にもまだ進駐軍がおり、MPが白いジープで廻っていて、彼らを私は何か妙な気持で見ていたように思い出します。
進駐軍が撤退して住宅地として接収していた植物園が返還されたとき、白ペンキに塗りたくられた建物が子供心にもやたら違和感を感じさせました。
親米であり同時に反米である気持の原点だったのかもしれません。
なぜか私が社会を見る目は早熟で、新聞などが大好きでした。
難しい漢字をとばしながら毎日読んでいました。
小学校の3年か4年かのとき、ある日担任が言いました。
「ソ連では映画を観ても電車に乗っても全部タダなのです。」
さあクラスは沸きかえりました。
「すごーい!」、「ソ連に生まれたら良かったのに〜」、「日本で損したぁ」
私は「そんな事があるものか」と思いながらも、さすがに反論できなかったです。
中学のとき、国語が言いました。
「日本の演劇は能や歌舞伎も全部ウソ演劇で何もかも嘘。宇野重吉の演劇こそ本物!」。
この国語は「軍隊ではなぁー」と言って、生徒をしょっちゅうビンタしてました。
歴史は、教科書の記載から離れ、「これは実はこういうことだったのだ」と、権力者の貪欲さやトリックの政治、民衆の苦しみなどの話ばかりしていました。
高校のとき、美術は出欠をとってその日の課題を示すとさっさと講師室に入って出て来ずです。
ソ連旅行から帰った体育は、運動オンチの私をみんなの前で蹴りました。
倫理社会は、千里馬(チョンリマ)の思想を教える一方、何を質問されても答えず「君はまず○○の本、■■の本から読みなさい」とお勧めの左翼入門書の書名を言うだけ。
京都も日教組の勢力が減弱したようで、今では信じられないかも知れませんが、当時はそうでした。
私が「先生」という単語を使っていてないことにお気づきですか? それは全く尊敬もなく、親近感もないからです。残念なことに「先生」に値する教員にはついに巡り会いませんでした。
級友達も「世界が社会主義を経て共産主義に向かってゆくのは科学的に証明されている。」などと 私が何を言っても仕方がない土地風土。
なんという閉塞感。気持は鬱積するばかり。自分の中で「国のやり方が全部良いとは言わないが、あいつらの言うことは絶対違う。」「革新、革新と言ってるが、あんなものは本当の革新ではない」という気持が募るばかり。
私に言わせれば京都府の府政、教員達の言行が保守であり、とても強固な支配体制にあたります。
こんなものではなくて自分の精神こそが真の革新だという強い思いです。
この思いと反骨精神が長い年月をかけてじっくり熟成されました。
京都は活力がなく、大阪はどんどんビルが立って発展してゆき、差が開くばかり。
余談ですが当時流行っていたコミカルな歌謡曲「僕は特急の機関士で」がユーチューブにありますので聞いてみてください。歌の繰り返しの部分は「東京、京都、おーおさか」で、まだレコードが出た当時は日本の三大都市だったことが分ります。
京都の衰退は勿論、長期にわたった共産党支配の結果です。
新幹線が開通したとき、京都駅の南向こう側は凄いバラックでした。
保存を優先したいなら、旧市街と重要な社寺仏閣等の周囲を徹底して保存すればいいのです。
要は開発しようという意思そのものがないのです。
現状で満足していて旧守です。
これは左翼思想による保守政治です。
現在住んでいる場所は普通の場所ですが、この思いは変りません。
左翼でも創価学会でないなら、じゃあ「保守」でいいんじゃない と聞こえてきそうです。
確かにこの場合、保守と革新はニアイコールです。
でも頑固な私はあくまで否定します。
左翼にアンチなのは当然ながら、もっと広い意味での「革新」でありたいからです。
革新イコール反国歌・社会主義のイメージを持ってしまうのは、左翼のプロパガンダによる結果です。
そもそも「革新」とは何でしょう。「経営革新」という言葉もあります。
改革・革新・刷新などの語意をいろいろ調べてみましたが、違いがあるような・無いようなで、「現状を大きく変えること、またはその立場」あたりで良いと思います。
この絵は教科書にも載っていて衆知です。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Fujinraijin-tawaraya.jpg/370px-Fujinraijin-tawaraya.jpg 俵屋宗達作 国宝『風神雷神図屏風』
いまでこそ見慣れた一枚ですが、構図といえ描写といえ、当時の絵の常識を大きく打ち破って尾形光琳らを驚愕させ、その後の絵画の世界にとても大きい影響を与えました。
これは紛れもない革新だと思います。
音楽でいえば宮城道夫(1894-1956)の業績がそれにあたるでしょうか。
幕末から明治にかけては例えば福沢諭吉、渋沢栄一、狩野芳崖など各方面に大胆な改革者が数多くでました。この時代に日本が保守指向だったら世界に主要な大国にはなれていなかったでしょう。
何よりも時の大帝が進取の気風を率先させたのではないでしょうか。
時代が進んで、改革の気風が薄れてくると、思考の自由闊達さが失われたような状態に陥り、前例が重視され、精神主義が過度に重視されるようになってしまって、結果的に大きな敗戦にまで突き進んでしまいました。
現代は逆に精神が矮小されて、しかも思考の自由闊達さが失われたままの日本です。
古い物には良い物が多いです。かといって新しい物に関心を払わないと国家としても大きな損失です。問題はこの見極めであり、簡単なものではありません。
明治政府のように侃々諤々と議論すればよいのではないでしょうか。無論今の左翼は論外です。
私が大学に入ったとき、最初にしたことは、能楽部に飛び込むことでした。
能についてだけでなく、いろんなことを教えてくれた能楽師が私にとって最初の先生でした。
日本古来の価値観と美意識を踏まえ、そしてその次に民族主義者運動に参加しました。
私は教員たちの言ったことの逆をやりたかったのだと思います。
こう思うと、皮肉ながら彼ら教員は私にとって「恩師」だったということになるでしょうか。