阪神大震災や東日本大震災では、多くの人が避難所での暮らしを余儀なくされたが、そこではトイレが使えなかったり、劣悪なトイレ環境になったりして、被災者たちを苦しめた。十分な数のトイレと清潔な環境が確保できるか否かは、被災者の生活を大きく左右する。今年も4月14日夜にマグニチュード(M)6.5の「前震」、16日未明にM7.3の「本震」に見舞われる熊本地震が発生しており、大災害への備えはますます重要になっている。
災害時、水洗トイレは、水が流れなくなると汚物がたまるばかりで、すぐに使えなくなる。学校や公民館などの避難所には、自治体が仮設トイレを設置するケースが多い。しかし、仮設トイレは、建設現場用のものなどを緊急に集めて運ばなければならず、すぐには用意できない。トラックなどで運搬する必要があり、被災地で道路網が寸断された場合などは、到着までにかなりの時間がかかってしまう。東日本大震災でも多くの避難所に仮設トイレが設置されたが、避難所に行き渡るのに4日以上かかった自治体が全体の66%を占め、最も長かった自治体では65日を要した。仮設トイレが来るまでの間、地面に穴を掘ってトイレ代わりに使う例もあったという。
マンホールは至る所にある
仮設トイレが設置できたとしても、くみ取りが必要だ。バキュームカーを手配できなかったり、処理施設が被災したりした場合は、仮設トイレさえ使えなくなることがありうる。
トイレが不衛生だった場合、大きなストレスを感じるのは日常生活で誰もが実感するところだ。不自由な避難生活のなかでは、なおさら精神的なダメージが大きい。トイレが快適でないと、人間はどうするか。トイレに行く回数を減らそうと、水分を控えるようになる。その結果、脱水症状になり、エコノミークラス症候群にかかりやすくなる。熊本地震で、エコノミークラス症候群の多発が問題になったのも、トイレ事情と無関係ではないはずだ。脱水症状で血液の流れが悪くなると、脳梗塞や心筋梗塞のリスクも高まるという悪循環に陥る。実は、災害時のトイレは、生命にかかわる重要な問題でもある。
前述のように、仮設トイレに絶対の信頼が置けない中で、切り札と期待されるのが、「マンホールトイレ」だ。身近なところにあるマンホールだが、それがトイレに活用できることは意外に知られていない。
マンホールの蓋を作るメーカーの業界団体、日本グラウンドマンホール工業会によると、マンホールトイレが開発されたのは阪神大震災が起きた1995年。1月の震災発生後、トイレに困った被災者が、仕方なくマンホールの蓋をあけて穴の両側に板を渡し、トイレに使ったという事例があった。これを参考に、相模原市など一部の自治体とマンホール関連の企業が共同開発し、製品化したのが始まりだという。国交省によると、海外にはなく日本独自のものだ。
マンホールトイレについて語る前に、ふだんは蓋しか見ることのないマンホールと下水道について少し説明しよう。下水道は、生活排水などを集めて処理するために全国各地に張り巡らされており、現在、人口に対する普及率は80%近くに達している。人口の多い都市部ではほぼ100%だ。日本の下水道の総延長は、全国で約46万キロに達する。設置や運営は、市町村が行うものが多いが、複数の自治体にまたがる下水道を都道府県が管理する場合もある。
家庭からの生活排水は、かつては河川などに流れ、川や沿岸の水質の汚染につながるケースが多かった。都市整備とともに広がった下水道の普及により、われわれの身の回りの水質は大幅に改善された。快適な生活とは、切っても切り離せない存在といえる。
その下水道をメンテナンスするために掘られている穴が、マンホールだ。下水道のほぼ50〜60メートルに一か所、設けられ、下水道につながっている。マンホールには、下水道とは別に電力会社やガス会社の設備につながっているものもあるが、下水道につながっているマンホールの蓋には、市町村名が書かれていることが多い。歩道に多く作られているので、機会があったら、確かめてみてほしい。学校などの大規模な施設には、施設内の汚水を集めて下水道まで送る排水管もあり、これにもマンホールが設けられている。
下水道を所管する国土交通省も正確な数を把握していないほど、マンホールは各地にたくさんある。全国で約1400万か所ともいわれている。われわれが日常生活で意識することは少ないが、都市部ではほとんどの場所にあるといっていい。
下水道は、電気や水道などと比べ、災害に強いインフラ(社会基盤)だ。施工時に耐震対策をしているほか、地中に埋まっているため揺れの被害を受けにくい。国交省によると、東日本大震災の被災地でも、管がはずれたり、液状化で土砂が詰まったりする被害の割合は全体の1%程度だった。それを災害時のトイレに活用できるとすれば、使わない手はない。
衛生的、段差もなく洋式で快適
下水道のマンホールの穴は通常、直径が60センチほどあるため、そのままトイレ用の穴として使うことは推奨されていない。歩道にあることが多く、仮設とはいえトイレを置くことが難しい場所も多い。
実際に使うマンホールトイレには、図で示したように、いくつかの方式がある。下水道から分かれるバイパスのような管を引き込み、その上にマンホールトイレ用の穴を掘って流すのが「本管直結型」と呼ばれる。避難所となる施設にバイパスを引き込み、トイレ用のマンホールを掘っておけばいい。下水の流れを利用するため、流すための水も必要ない。
学校などの大規模施設内にある下水道につながった排水管を活用するタイプもある。既設の排水管を使う例のほか、新たにマンホールトイレ用に排水管を設置する場合もある。「流下型」と呼ばれ、こちらは、下水道まで流すための水が必要になる。
いずれのタイプも、避難所となる学校や公民館などの施設や病院、大規模な集合住宅、商業施設などへの整備が想定されている。地中に設備を確保した上で、通常は蓋をし、緊急用に蓋を開けて活用する。
上部の構造は簡単だ。穴の上に便座となる椅子のような器材を置き、排せつ物がそのまま穴に流れるようにする。さらに、テントやパネルなどの構造物を設営して個室にする。夜間の照明なども用意しておく必要がある。器材については、販売されているマンホールトイレ専用の器材一式を購入すればいい。
国もマンホールトイレを災害時のトイレ対策の重要な柱と位置づけ、普及に力を入れている。国交省によると、5基程度のマンホールトイレの整備に700万〜800万円の費用がかかるが、2006年度から費用の半額を国が補助する制度を設け、現在も続けている。今年3月には、マンホールトイレの特徴や使い方などをまとめたガイドラインを作成。市町村の下水道担当、防災担当部局に配布したほか、市町村向けの説明会を開いたり、ホームページ上で公開したりして、普及に向けたPRを行っている。
マンホールトイレの整備を進める自治体も徐々に増えてきており、東京23区内では15年度末で、避難所となる小中学校などの施設で6000基が利用可能だ。横浜市も、小中学校など110か所に600基以上の設備を設けている。阪神大震災に見舞われた神戸市は、小中学校など60か所に300基分を設置済み。阪神大震災時の支援活動で職員らがトイレの重要性を知ったという京都府長岡京市も整備に積極的で、すでに200基以上が利用可能だ。宮崎市も15か所で143基分を整備したという。
マンホールさえあれば、どこでも設置できることのほかにも、メリットは多い。仮設トイレのように、遠くから持ってくる必要がないので、避難所に指定されている施設などに設備や器材を準備しておけば、災害が起きた後、すぐに設置して使うことができる。汚物をためずに下水管に流すため、くみ取りの必要がなく、においや衛生面でも仮設トイレより数段、優れている。仮設トイレは便器の下に汚物をためる空間が必要なため段差がある。マンホールトイレは段差がないバリアフリーで、高齢者や障害者も利用しやすい。仮設トイレは和式が多く、最近は使い慣れない人が多いが、マンホールトイレはほとんどが洋式トイレだ。災害時のトイレの数の確保だけでなく、質の向上にも大きく貢献してくれそうだ。
宮城、熊本で活躍も、普及道半ば
熊本市で
熊本地震に見舞われた熊本市では、マンホールトイレの設備を市があらかじめ準備していたため、4か所で20基が設置され、実際に活用された。国交省が利用者の声を聞くと、「発生直後に使用を開始できた」「貴重な洋式トイレとして快適に使用できた」「お年寄りや女性に使いやすい」などと喜ばれたという。
東日本大震災の時も、08年から準備を進めていた宮城県東松島市で9基が設置され、900人の避難者が利用した。すぐに使えたことや、臭いがないことなどが好評だった。東松島市では、震災発生から3日ほど市職員も業務がほとんどできない状態だったが、マンホールトイレについて事前に自主防災組織に使い方などを説明していたため、住民たちが主導して設置ができたという。
一方で、快適性や安全性を高めるための課題もある。現状はテント式のものが多いが、風が強い地域では風でめくれてしまう恐れがある。テント式のチャックは、施錠が難しい。そのため、板で囲うパネル式の構造物を普及させていくことなどが必要だ。排水管から下水道まで流す方式の場合、汚水を流すための水をあらかじめ用意しておく必要がある。プールのある学校では水を準備しやすいが、公民館などの避難所の場合、新たに貯水槽を設けるなど何らかの対策が求められる。
このほか、避難所の生活エリアの近くなど、使いやすい場所に設置すること、防犯上、人目の付きやすいところに置くこと、男女別を基本とし、出入り口の向きを変えて動線を分けることなど、運用上の注意事項も多い。東松島市のように住民自身が組み立てから使用、維持管理までできるよう、防災訓練の中にマンホールトイレの設置訓練を盛り込むことも課題になる。
全国で利用可能なマンホールトイレは、2014年末時点で約300自治体に2.4万基ほど。平均すると、人口5000人に1基の割合だ。国交省によると、災害時に被災者がストレスを感じないようにするには、100人に1〜2基のトイレが必要で、まだまだ足りない。整備を担うのは主に市町村だが、防災用の予算は食料や水の備蓄などが優先され、トイレにまで気を配っている自治体はまだ少ない。整備に積極的な自治体と、そうでない自治体の温度差も大きいといい、使用事例はまだ、東松島市と熊本市の2例しかない。
マンホールトイレの認知度が低いことも、普及が進まない要因となっている。PRに力を入れる国交省は、「仮設トイレのほか、すぐに使える携帯トイレや簡易トイレと組み合わせ、切れ目なく災害時のトイレを賄うことが重要だ。中でもマンホールトイレは利便性と快適性で優れているということを多くの自治体の担当者のほか、一般の人たちにも知ってもらいたい」(下水道部)と力を込める。
災害時の備え、中でもトイレの重要性は普段、なかなか意識できない。だが、トイレの確保こそ災害復旧、生活再建への第一歩でもある。汚い話はしにくいものだが、災害時にトイレをどうするのか、われわれ自身ももっと考えておく必要があるのだろう。