くにしおもほゆ

羅針盤を見誤ることなかれ

伝統芸能

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能は600年前の室町時代に、観阿弥・世阿弥の父子によってそれまでの神事・農民の芸能など多くの要素を統合して大成されます。たちまち将軍足利義光を魅了して幕府の保護を受けます。
 
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        これは現代の能とは少し違いますが、当時の観劇の様子です。
 
将軍をはじめ多くの武将の前で何度も能が演じられたことでしょう。
武骨な武将たちも自然に能に魅せられていったことと想像します。
一方、能役者たちも将軍とその周囲の影響で高い教養を身に付けてゆきます。
能楽は将軍家から守護大名を経て地方に拡がり、そして室町幕府が滅んだ後も、能楽は戦国大名に受け継がれてゆきます。
能舞台はシテ(主役)やワキらが出入りに橋掛かり(歌舞伎では花道になる)を通る以外は右手奥の小さい木戸口を通ります。刀をさしたままでは通りにくいでしょう。茶室に似てますね。刀の替わりに扇を身に付けます。
能そのものは能役者でしか出来ませんが、仕舞などは武士も自分で楽しんだと思われます。
 
織田信長が京都の本能寺で襲撃を受けた際、寝間着のままで自ら槍を持って戦い、もはや勝ち目がないと悟ると、奥に入って好みの能「敦盛」の中の一節「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」と吟じて舞った後に火を放って自害したとも伝わっています。史実かどうかは不明ですが、実に信長らしい最後を表わしていると思います。
その部分の仕舞
 奉納だから社殿の方を向いて舞っているのか、それともどちらが正面か分からない方が撮られたのか不明です。手前の方は後見(第9回参照)です。 
 
仕舞は能の見せ場を切り取って装束なしで演じるもので、このまま装束を着ければ即、能のシテの動きです。
 
 
現在の能は600年まえの形をほぼ残していると言われています。
どうしてだと思われます?
それは大衆芸能にならなかったからです。
                           イメージ 1
(いい悪い抜きで)歌舞伎は大衆のウケ狙いでどんどん替わっていったと思います。
能は武家社会をはじめ、貴族社会、寺社の保護のもとにあったので、昔からの芸の伝承が行えた訳です。いまでもお城や大きな寺社には能舞台が残っています。
 
権力に寄り添うなんて、芸人として情けない、なんてお感じでしょうか?
現代の権力はテレビ局ですよ。芸人たちはテレビ局の御意向に沿ったことしか言いません。
 
 
 
これといってとりえのない私が、とりえのないブログで何か国の為にできることはないかと考えてみました。
能についてでも書いてみようか・・。
私は学生時代の3年間、クラブ活動として毎日、謡(うたい)と仕舞(しまい)で過ごしました。
 
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これはネットからお借りした画像です。平服でもこのように舞台に上がれる機会は滅多にありません。
それでも板の間の部室で毎日練習したものです。

実際にはほとんどずっと能楽から遠ざかってしまっています。
ウンチクを披露するほど知ってたり経験したりした訳ではないけれど、
背伸びをして、こんな世界もありますよって、お話しできるかなと思いました。
まずは一回目として視覚的に分かりやすい能面からです。
 
 
シテ方(主役)の能役者は衣装が着て最後に鏡の間(かがみのま:客席から見える大きな幕の向こう側のスペース)で能面を箱から出してこれに一礼してから顔に着けます。
その瞬間からまるで役どころの人物の魂が入ったような気持ちになるらしいです。
幕の内側には左右に二人が座っていて、棒で幕を静かに上に突き上げ、シテ方は出てゆきます。
 
シテは嬉しい場面、悲しい場面などストーリーの展開に合わせて面(おもて)を付け替えるわけにはゆきません。
ひとつの面だけで喜怒哀楽を表現する。
何かメカニックな仕掛けでもあるのでしょうか??
いいえ、その種明かしとして、能面は
わずかな角度によって表情が替わるように造られているのです。
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能役者は首を上や下に動かすことはありません。
首筋の角度は固定したまま上体を、悲しい場面ではやや伏せ気味、嬉しい場面ではやや起こし気味にして演じます。
この角度の違いはわずかなものです。
だから伏せ気味の時にもの悲しげに、起こし気味のときは晴れやかな表情を見せてくれる能面が良い作品です。
もちろん見る人の感情移入もあるでしょう。
いろんな場面で、見る人とキャッチボールのように、心のやりとりができる面は秀作です。
そういう素晴らしい面は最高級の芸術ですから、そう簡単に彫れるものではありません。
能面は檜を彫って彩色したものです。
能面を作成することを「おもてを打つ」といいます。
 
能面をみる機会があったら試してみてください。
普通は壁に目の高さに架けてあると思います。
少し背伸びをしたり、かがんだ姿勢で見てください。
表情がどう変わるでしょうか。

でも何かのお店(飲食店など)に飾ってあったとしたら、その作品は多分あまり良い物ではないでしょう。
名作は能楽師が昔から大切に受け継いでいる物の他には、博物館などが所有していますが、
新作も含めてたまに展示会などに出ることはあります。
 
「能面のように無表情」という表現を聞いたり見たりしたことがあると思います。
これは大嘘です。!
誰か能を全く知らない人が言ったのでしょう。
能面ほど豊かに感情を表現できる面はありません。
 
面を付けると真正面のごく限られた部分だけしか見えません。
能を演じているときは横も下も全く見ることができません。
この状態で舞を舞う(大抵の能には舞の部分がある)のですから、大変な仕事です。
実際に舞台から落ちるハプニングもあるらしいです。
 
 
能は日本が世界に誇る仮面劇です。
 
日本文化よ、永遠にあれ!
なぜこのような記事タイトルを付けたかというと、
橋下大阪市長がテレビのコメンテーターの時期に、「能狂言を観る人間は変質者」と発言しているそうな。うけ狙いだけとは思えない。
彼の尺度で観るだけでも変質者なら、お勧めする私はド変態という理屈になる。
 
ブログ(akiraさんの「平凡な日常」)の秀逸な喩を借りれば、『達筆の書を見ても自分には読めないから、「これを書いた奴は変態だ」と言っているようなものだ。』
つまり彼は、そういう個人的な認識を長く伝統を守ってきた文化の世界に持ち込んでいるのである。
 
実際、彼は日本の伝統芸能を極端に嫌っている。
大阪ゆかりの文楽の庇護者でなければならない立場を自覚できず、逆にとことん虐めている。一度も観ずに攻めるのはマズイと思ったのか、一度だけ観てストーリーがどうだとか好き勝手に言ったあげく、「もう二度と見ない」と宣言した。
 
スチュワーデスのコスプレがたいそうお好きだと伝えられ、そういうのは個人の自由のようだが、立場には責任がある。
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文楽にしっかりと補助金を交付せずに自助努力を強いては、興行収入しか意識しなくなって、形だけが残り、伝統の心が変質します。衆に迎合して芸が廃れます。
 
こんな文化行政がさらに拡大して良いのでしょうか。
これも「大阪都」の問題のひとつです。
 
文楽は大阪の他、東京でも鑑賞できます。
国立劇場チケットセンター
 
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     前もってストーリーなどを勉強してからお出かけください。
 
 
なお、私は以前から能楽についての記事を出しています。
ド変態ぶりを発揮してやる!
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「羽衣」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
よろしければこのシリーズまだまだ続けます
  
 
 

皇居内での雅楽演奏会、入場希望者募集 宮内庁

2013.6.26 17:22
 宮内庁は26日、今年10月18〜20日に6回にわたって皇居・東御苑で開催する、同庁式部職楽部(がくぶ)の秋季雅楽演奏会の入場希望者を募集すると発表した。毎年恒例で、今年は10年ぶりに演奏する曲目もあるという。
 入場者は抽選で決まり、入場料は無料。締め切りは7月31日(消印有効)で、募集要領は宮内庁のホームページかテレホンサービス(03・3284・6780)で確認できる。
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(宮内庁ホームページより)

秋季雅楽演奏会の申込要領

来る10月18日(金)から3日間,宮内庁楽部において,雅楽演奏会を下記のとおり開催します。
1 開催日時
10月18日(金),19日(土)及び20日(日)
  • 午前の部:午前9時30分開場,午前10時30分開演
  • 午後の部:午後1時30分開場,午後2時30分開演
(演奏所要時間は,約1時間30分)
2 演奏曲目
  • 【管絃】
    • 平調音取 ( ひょうじょうのねとり ) , 三台塩急 ( さんだいのきゅう ) , 朗詠 ( ろうえい ) 花上苑 ( はなじょうえん ) , 老君子 ( ろうくんし )
  • 【舞楽】
    • 散手 ( さんじゅ ) , 林歌 ( りんが )

秋季雅楽演奏会申込要領

入場希望者は,「郵便往復はがき」に次の所要事項を明記して,7月31日(当日消印有効)までにお申し込みください。

「郵便往復はがき」記載要領

  • 1 往信用の表面
    • (宛先)〒100-8111 東京都千代田区千代田1-1 宮内庁式部職楽部
  • 2 往信用の裏面
    • (応募者の)住所,氏名(ふりがな),生年月日及び入場希望の日及び午前,午後の別
  • 3 返信用の表面(裏面は無記入で白紙とする。)
    • (応募者の)郵便番号,住所及び氏名

注意事項

  • 1 お申し込みは,3日間を通じ1人1枚限りとし,団体又は連名(1枚に2人以上連記)の申し込みは,お受けできません(無効といたします)。
  • 2 「往復はがき記載要領」の各項目に記載不備のあるものは,無効といたします。
  • 3 申し込み者多数の場合は,抽選を行います。
  • 4 当選者は,演奏会の受付にて本人確認をさせていただきますので,「当選はがき」の他に本人確認のできるもの(運転免許証,保険証等)をご持参ください。
申込み期間中は,テレホンサービス(03-3284-6780)で24時間ご案内しております。
ご応募頂いた個人情報は「秋季雅楽演奏会」応募及び返信に利用するものであり,他の目的に利用することはありません。
日本には世界に誇る芸能がいくつもあります。
世界のクラシックの世界で共演ができる和太鼓奏者 林英哲さんの
演奏、そして彼の人生の転機について見てください。

イメージ 1
Eitetsu Hayashi TAIKO LEGEND-Heart Beat from Japan tour in the Middle East   
 
ソロの演技はこちら
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【転機 話しましょう】(84)
和太鼓奏者の林英哲さん 誰かが背中を押してくれる 腰掛けのつもりが小澤征爾さんとの出会いで道定まる

2012.11.10 07:02 (産経転機 話しましょう
http://sankei.jp.msn.com/images/news/121110/bdy12111007020001-n1.jpg
「素人だからと甘えた意識で、小澤さんのキャリアを台無しにはできなかった」と米タングルウッド音楽祭を振り返る林英哲さん(織田淳嗣撮影)
 ソロ活動30周年を今年迎えた和太鼓奏者の林英哲さん(60)は海外でも公演を行い、国際的に高く評価されています。他分野の演奏家と数多くの共演を繰り返してきた第一人者。しかし、本来は絵の道を歩むはずだったといいます。和太鼓との出合いは、図らずもその美術によって演出されました。(織田淳嗣)

 
米のひのき舞台
 米東海岸へ向かう長距離バスは荒野を走り続ける。スモークガラスのためか、車窓からの風景は薄暗く見えた。
 24歳だった昭和51年夏、所属していた太鼓集団「鬼(おん)太(で)鼓(こ)座(ざ)」は、小澤征爾さん(77)が指揮するボストン交響楽団と共演するために渡米した。向かう先は、マサチューセッツ州で毎年夏に行われる世界的に有名な「タングルウッド音楽祭」。願ってもない大舞台だった。
 鬼太鼓座は、新潟・佐渡島で、集団生活を営みながらマラソンと太鼓の鍛錬に打ち込む独特なスタイルのグループだった。当時、音楽の専門教育を受けたメンバーはおらず、演奏は素人だったが、そんな禁欲的な生活や躍動的なステージが話題となり、徐々に知名度を上げていた。
 
 そして、前年4月のボストンマラソンに参加し、ゴール地点で太鼓を演奏。これが、小澤氏の目にとまったのだ。「クラシック界にも民俗的の要素を入れる動きがあったようで、小澤さんは(太鼓を)とても面白がってくれた」
 

 バスで決めた進路
 音楽祭の開催地に向かう長距離バスの中は、陰鬱に見えた。独立記念日(7月4日)の前後、アメリカはお祝いムードとなる。しかし、この国で長距離バスを利用するのは、貧困層が中心だ。
 「自分たちにはこれから、ひのき舞台が用意されている。しかし、この人たちには一生そんな機会はない…」。大きな荷物を抱えた旅行者たちの無表情を見ているうちに、そんな思いが浮かんだ。
 もとは、グラフィックデザイナーの横尾忠則さん(76)に憧れていた美術青年だった。しかし、美大の受験に失敗して迎えた18歳の夏、佐渡島を訪れたことで、その後の人生がガラリと変わった。太鼓集団の構想発表イベントに横尾さんが参加すると聞いて駆けつけたのだが、肝心の本人が欠席。ただ、現地で知り合った主催者との縁で、太鼓集団に加入してしまう。これが鬼太鼓座だった。メンバーの脱落もあり、説得されたという。
 メンバーとして活動を始めたのが19歳の時、46年のことだった。進路に疑問を抱えながらも、主催者の熱意に押され、在籍。「いずれは美術に戻る。太鼓は腰掛けという気持ちでいた」
 しかし、そんな中途半端な気持ちが、小澤さんとの出会いで消えた。
 
「クラシックの牙城に日の丸を背負って切り込み、成果を問われている人。もし僕らが大失敗したら、取り返しがつかない」
 バスは一本道を行く。しかし、頭の中では人生のレールが音を立てて切り替わった。「がっちゃーんと。人生こっちだと」。和太鼓奏者、林英哲が生まれた瞬間だった。
 当日の公演は伸ばしていた髪を短くして臨んだ。演奏終了後には、観客総立ちの拍手が待っていた。直前の練習までは、演奏していてどこか居心地が悪かった。それが安心感に変わった。

 

ソロでの出発
 ただ、気持ちは定まったが、活動は逆風に見舞われる。メンバーの対立でその後、鬼太鼓座を脱退。佐渡島で新たに設立された「鼓(こ)童(どう)」に参加したが、ここでも人間関係の問題で居場所を無くし、退会してしまう。
 57年、太鼓漬けの日々は11年にもおよび、気がつくと30歳。心身共に疲れ果てていた。太鼓から離れ「広島の実家の寺に戻り、僧侶になることも考えていた」という。
 しかし、鬼太鼓座時代に指導を受けた日本舞踊の花(はな)柳(やぎ)照(てる)奈(な)さんにあいさつに行くと、猛然と叱られた。「人が望んでも持てない能力と経験を持っているのに、生かさないでどうしますか!何という身勝手ですか!」
 ここから「ソロの太鼓奏者」としての模索が新たに始まる。そして、その2年後に栄光が待っていた。米ニューヨークのカーネギー・ホールに立ち、前例のない和太鼓独奏者としてデビューを果たす。以来、数多くの海外公演などで着実に名声を高めていった。
 今年はソロ活動30周年の節目。「今になって思うと、誰かに背中を押されている人生。決して自分だけで決めてきたわけではない、と思う」
 
  −−10月27日に行われたライブを拝見しましたが、3尺4寸(約103センチ)の和太鼓一つで、オーケストラのような広がりのある音を表現されていました
 「独奏者と言い切った以上、太鼓一つで演奏を成立させないと格好がつきません」
 −−客席に背中を向けるスタイルは、他の楽器にはない独特なものですね
 「前を向いていれば表情で、何か伝えることはできます。しかし背中を見せているということは笑ってごまかすなど『嘘をつく』ことができません」
 −−伝統芸能の太鼓とも違うと感じました
 「若い頃、郷土芸能の太鼓は、地元の祭りでは楽しい演奏なのだろうけど『舞台で見せるものではない』と感じていました。舞台映えする太鼓の打ち方を指導できる先人はいなかった。日本人らしい格調の高さを見せたいと思い、色々な芸能を取り入れ模索してきました」
 
 〈はやし・えいてつ〉昭和27年、広島県生まれ。太鼓集団「鬼太鼓座」「鼓童」の計11年間を経て、57年にソロ活動を開始。59年には、和太鼓独奏者では初めて米ニューヨークのカーネギー・ホールでの公演を実現させた。今月、半生を記した「太鼓日月」(講談社)を刊行。ソロ活動30周年記念コンサート「七つの輪具」は今月17日、東京・赤坂のサントリーホールのほか、来年1月3日に大阪・森ノ宮ピロティホールなどでも開催される。

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