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SUCCESSさまのブログ(元記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/17949201.html)より部分転載・加工させて頂きました。
対馬沖では最近2度にわたって韓国船の衝突事故がありました。
2013年12月29日
船舶事故-対馬沖で韓国船と衝突炎上 したケミカルタンカー、漂流して日本領海内に→毒性物質流出の危険性も 2013年12月29日 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1388361928/ 第7管区海上保安本部(北九州市)に入った連絡によると、29日午前2時10分ごろ、長崎県・対馬の北西約37キロの対馬海峡の公海上で、香港船籍のケミカルタンカー、マリタイム・メイシー号(約2万9千トン、乗員27人)と、バハマ船籍のコンテナ船グラビティ・ハイウエー号(約5万5千トン、乗員64人)が衝突。ケミカルタンカーで火災が起きた。乗組員は救命艇で避難し、全員無事という。 対応は日本:
第7管区海上保安本部の巡視船艇が 消火活動を実施 11日午前2時40分ごろ、長崎県・対馬の西約22キロの公海上でマルタ船籍の貨物船「リガリ」 対応は日本:
対馬海保などが処理作業をしている そしてついに対馬に被害が出ました。
Youtube「海難事故船の重油 対馬の海岸に漂着」
ところで、韓国籍の船は、保険に
入っているかというと・・・ 韓国籍の船は 「無保険」 (保険会社の補償なし) [ロイズ]世界中の保険会社が韓国を切り捨て:日本は世界と協調し、一切、韓国を助けてはならない。 2013 年 9 月 18 日 http://www.asyura2.com/13/senkyo153/msg/878.html ニュース出典: http://gofar.skr.jp/obo/?p=6740
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mamimami77772さまの『私達の愛する国 日本よ永遠に Japan Forever 』(exciteブログ)より転載させて頂きました。
(以下、転載記事。 ↓のタイトルをクリックして元記事に行けます)
仕事が無いために福岡や長崎への人口流出に伴い、過疎化が進んだ対馬の人口は昨年12月で33,546人となりました。
一方増え続ける韓国人観光客は昨年何と、18万人を突破したことが「対馬新聞」の新年号に、長崎県対馬振興局長のあいさつで自慢げに報告されています。島民の6倍近くの韓国人が昨年、主に免税店目当てに対馬を訪れたことになります。 こんな中でも第一次産業にたずさわる島の農家は頑張っています。 地域に根差した、息の長い、働く幸せを感じる地域振興策を、対馬島民自身が模索し始めたのだと思いました。 ★ 長崎県対馬市上県町志多留ってどんなところ? 九州よかとこBY で検索 ================================== あなたも「田んぼオーナー」に 長崎・対馬市で米作り体験 長崎県対馬市の志多留地区活性化協議会(原田義則会長)は、4月から地元農家などの指導で米作りが体験できる「田んぼのオーナー」を募集している。 志多留地区の耕作放棄地を田んぼに復活させ、地域に活力をもたらそうと、地元の人たちや京都大学の大学院生などが企画した。対馬市の「域学連携地域づくり」の一環。 募集するオーナーは2種類。「志多留サポーター」は、希望すれば田植えや稲刈りに参加できる。特典として、栽培した米30キロ、または米20キロと特産品セットが届く。年会費は1口(1アール)3万円。 「志多留稲作再生隊」は農家の指導を受け、開墾から米作りまでをオーナー自身で行う。契約した面積の収穫物は全て受け取ることができる。日常の田んぼの管理は協議会が担う。年会費は1口2万5千円。 どちらも申し込みは2月28日まで。問い合わせは一般社団法人MIT(ミット)事務局=0920(85)1755。 ============================= 対馬の事なら 対馬支援Wiki へ! ① 志多留地区 2/28まで申し込み受付中! 現在オーナー募集中!! |

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ses*in*nny*のブログより転載させて頂きました。
元記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/seseinennyo
(以下、転載記事)
対馬へ行こう!対馬の歴史(紀元前6800年ころ九州産の黒曜石出土〜663大和朝廷の朝鮮半島撤退〜大宰府の宗氏支配〜元・高麗連合軍の元寇対馬の歴史対馬にはいつから人が住んでいたの? 2005年10月現在、対馬で最古の遺跡は上県町の越高(こしたか)遺跡です。紀元前6800年頃の縄文時代の遺跡で、朝鮮半島の隆起文土器と、九州産の黒曜石などが同時に出土しており、その当時から朝鮮半島と九州の間で人・モノの流れがあったことを示しています。
魏志倭人伝 〜史書への登場〜http://www.tsushima-net.org/history/images/history_001_small.jpg 対馬がはじめて歴史書に登場するのは3世紀頃、中国の三国志時代の「魏志倭人伝」(ぎしわじんでん)です。
「始めて一海を渡ること千余里、對馬(対馬)国に至る。 其の大官は卑狗、副は卑奴母離と曰う。居る所絶島、方四百余里可。土地は山険しく深林多く、路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。良田無く、海の物を食べ自活、船に乗りて南北に市糴(=交易)す。」 断崖絶壁が多く、山が深く、道は獣道のように細い。また、水田が少なく、海産物を食し、朝鮮半島や大陸と日本本土を小船で行き来して交易を行っていた・・・。 この記述は、当時の対馬の状態を簡潔・的確に描写しています。現在でも対馬の島土の約89%は森に覆われており、農耕地は少なく、戦後に道路網が整備されるまで集落間の移動に船を用いることも多かったようです。 (写真:豊玉町烏帽子岳から浅茅湾を臨む) 白村江の戦い 〜金田城と防人〜http://www.tsushima-net.org/history/images/history_002_small.jpg 古代の対馬に緊張状態をもたらしたのが、663年の白村江(はくそんこう、はくすきのえ)の戦い。当時の朝鮮半島には高句麗(こうくり)・新羅(しらぎ)・百済(くだら)の三国が分立していましたが、唐・新羅の連合軍により日本と同盟関係にあった百済が滅ぼされ、百済再興のために大和朝廷が送った援軍も白村江で大敗してしまいます。
大和朝廷は朝鮮半島からの撤退を余儀なくされ、防衛のためにのろし台や防人(さきもり)が配置され、城が築かれました。美津島町箕形の金田城(かねだじょう、かねたのき。667年)には日本最古級の朝鮮式山城の遺構がよく残っており、国の特別史跡に指定されています。
現在、金田城には登山道が整備され、山頂からは古代の防人たちも見たであろう朝鮮半島方面の水平線を臨むことができ、歴史のロマンに思いを馳せることができるトレッキングコースとして人気です。 平安時代(10世紀)に編纂された「延喜式」神名帳は、当時「官社」とされていた神社の一覧です。神名帳に記載された神社を「式内社」(延喜式内社)と呼び、古くから朝廷に認められた神社として、一種の社格になっています。
西海道(九州)全体で107の式内社が名を連ねていますが、そのうち対馬は九州最多の29社を誇り、2位の壱岐の24社を加えると、2島で約半分を占めています。対馬・壱岐は、神道の源流のひとつといえる島々なのです。
対馬には多くの神々が鎮座していますが、特に重要視されてきたのが、海神の娘・豊玉(とよたま)姫と、神功(じんぐう)皇后です。豊玉姫は「古事記」の海幸山幸伝承に登場する女神で、初代天皇である神武天皇の祖母にあたります。航海守護・安産・豊漁などの庶民にも身近な神徳があり、島民に親しまれてきました。 一方、神功皇后は懐妊したまま三韓(朝鮮)征伐を行ったとされる勇ましい女神で、子の応神天皇とともに「八幡神」として全国の八幡神社に祭られています。神功皇后は九州北部に縁の深い女神であり、対馬にもたくさんの伝承地があります。 阿比留氏と宗氏 〜中世対馬の有力者〜 現在の対馬でもっとも多い姓は「阿比留」(あびる)です。本土の人は「あひる」と読んでしまうこの姓のルーツは、平安時代まで遡ることができます。阿比留一族は交易などの実権を握って対馬で大きな勢力を持っていたようですが、鎌倉時代になると大宰府との関係が悪化し、惟宗(これむね)氏によって支配権を奪われます。惟宗氏はやがて宗(そう)氏を名乗り、鎌倉時代から江戸幕末まで600年続く対馬島主・対馬藩主の家系となりました。
伝説では、大宰府の命を受けた惟宗重尚(これむねしげひさ)以下200騎が厳原町豆酘(つつ)に上陸し、阿比留氏と死闘を繰り広げ、美津島町鶏知(けち)で阿比留平太郎国時を討ち取り、上対馬町舟志(しゅうし)で阿比留禅佑坊を敗死させ、対馬の支配者となった、とされています。
惟宗重尚は伝説上の人物であり、その武勇伝も後の世に生み出されたもののようですが、宗氏による阿比留氏追討の伝説は対馬では長く信じられてきました。
宗氏は平氏の血をひくと自称しており、また、源平合戦で壇ノ浦に沈んだ安徳帝の子孫であるとも称し、厳原町久根田舎には安徳天皇の参考陵墓があります。宗姓を名乗ることができたのは島主・藩主だけであったため、現在島内に宗姓の人はいません。
ちなみに阿比留氏は、上総国安蒜(あびる)庄の出身であるとか、蘇我氏の末裔であると称しており、対馬で最も多い姓となりました。
元寇 〜国境の島を襲った悲劇〜 阿比留氏に代わって対馬を統治することになった宗氏ですが、鎌倉時代から江戸幕末まで続くその治世は決して平坦なものではありませんでした。1274年、宗資国(助国)の時代には、元寇軍3万3000(蒙古2万5000・高麗8000)のうち約千騎が小茂田浜(こもだはま。現在の金田小学校周辺とされている)に上陸、それを迎え撃った資国以下80余騎が全滅しています。
宗資国の首と胴体は、お首塚・お胴塚に別々に埋葬されており、戦いの激しさを伝えています。
対馬に上陸した元・高麗連合軍は暴虐の限りを尽くし、島人は未曾有の惨状に巻き込まれました。
68歳であった宗資国はのちに軍神として祀られ、毎年11月に行われる小茂田浜神社大祭には、宗氏と家臣の子孫たちが甲冑に身を固めて参加し、海に向かって弓を鳴らす鳴弦の儀式が行われます。 熊本県の菊地神社資料館より
御首塚
元軍の撤退後、対馬を中心とする倭寇の活動が激しくなり、高麗朝を滅ぼす原因のひとつとなりますが、背景には元寇への復讐という意味と再び元寇が起きないようにする防衛の意味がありました。
倭寇 〜海賊たちの時代〜http://www.tsushima-net.org/history/images/history_005_small.jpg 13世紀から16世紀にかけて、東アジア一帯で猛威をふるったのが「倭寇」(わこう)と言われる海賊集団でした。倭=日本人等、寇=侵略、であり、北九州(対馬・壱岐など)や瀬戸内海の漁民・豪族及びアジア人により構成されていたと考えられています。
古来よりこれらの地域では海外との交易が盛んでしたが、卑劣な侵略である元寇への報復の意味及び防衛のためであり、日本・朝鮮の中央政府が弱体化したり、戦争や対外的な緊張により交易ができなくなると、盛んに行為を行うようになりました。
倭寇の行為は熾烈をきわめ、それが高麗王朝の滅亡を早めたと言われています。
倭寇に悩まされた李氏朝鮮は、倭寇の本拠地とされた対馬の武力鎮圧を試みたり(1419年応永の外寇)、食料が自給できないことが海賊行為の原因であると推察し、対馬の有力豪族や対馬島主である宗家に官位を与え、貿易を認める等の懐柔策を取ります。 1443年(嘉吉3年)には宗家と李氏朝鮮の間で嘉吉条約(貿易協定)が結ばれ、これより宗家は朝鮮との貿易権をほぼ独占することになり、また、室町幕府と明国の間で勘合貿易が行われるようになったため、倭寇の活動は次第に下火になっていきます。
後期倭寇は、明国の海禁政策(貿易制限)によって生活手段を奪われた中国人・ポルトガル人・イスパニア(スペイン)人・博多の商人などが中心となっており、正確には「倭=日本」寇とは呼べないものである。
対馬市美津島町の西部にある尾崎地域は、一大勢力であった早田氏の拠点の一つでした。尾崎の北端にある水崎遺跡の発掘の結果、陶磁器の9割近くは朝鮮製で、その他に東南アジア製の陶器等も見つかっており、早田氏が朝鮮・中国・東南アジアにいたる広い交易圏を持っていたことをうかがわせます。 朝鮮出兵と和平交渉 〜宗義智の人生〜http://www.tsushima-net.org/history/images/history_0061_small.jpg 宗家宗義智(そう よしとし)は、豊臣秀吉による朝鮮出兵と、徳川家康による和平交渉という最も困難な時代に生きた島主でした。天下統一を果たした秀吉が次に目指したのが大国・明の支配であり、宗義智や小西行長の反対を押し切り、朝鮮半島への出兵(文禄・慶長の役)が計画されます。
先導役を命じられた義智は、義父でもある行長の密命を受け、水面下でさまざまな和平交渉を行ったと言われています。日本軍は一時は漢城(ソウル)・平壌(ピョンヤン)を陥れますが、李舜臣率いる朝鮮水軍に補給路を絶たれ、また明国の援軍と朝鮮義勇兵の抵抗に遭い、秀吉の病死によって撤退を余儀なくされます。
http://www.tsushima-net.org/history/images/history_006_small.jpg 朝鮮に兵を送らなかった家康は着実に力を蓄え、関ヶ原の戦いを制して天下人となります。関ヶ原の戦いにおいて、義智は義父の行長とともに西軍(三成方)に味方しますが、小西行長は敗戦後に処刑、義智の妻であった行長の娘マリアは離縁され、長崎で一生を終えたと言われています。義智は、家康によってお咎め無しとされ、断絶していた朝鮮との関係修復を命じられます。
李氏朝鮮は強硬に拒絶しますが、北方で勢力を拡大していた女真族への防備の必要もあり、家康から先に国書を通じること等を条件に通信使の派遣を承諾し、1607年に最初の通信使(回答兼刷還使)が派遣されます。
秀吉の朝鮮出兵、妻との離縁、戦後の和平交渉など苦難に満ちた人生を送った宗義智は、江戸幕藩体制においてその功績を認められ、初代対馬藩主として元和元年(1615年)、その波乱に満ちた生涯を終えました。 父・義智の苦労を偲んだ宗義成によって菩提寺が建立され、義智の法号から万松院と名付けられました。義智の妻マリアはキリシタンでしたが、厳原町の八幡神社の末社である今宮若宮神社に祀られています。 考古学的に見ると、対馬の中心地は各時代で少しずつ移動したように見える。
・縄文時代 … 上県町〜峰町 → 越高遺跡、志多留貝塚、佐賀貝塚など ・弥生時代 … 峰町〜豊玉町 → 三根川流域の井手壇、高松壇、浅海湾岸のシゲノダン遺跡など ・古墳時代 … 鶏知周辺 → 根曽古墳や出井塚古墳などの前方後円墳 ・古 代 … 国府(厳原) Hojo Tokimune Munemasa Died for Japan 北条 宗政
http://www.youtube.com/watch?v=UjKWvP92Ous&feature=related |

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mamimami77772さまの『私達の愛する国 日本よ永遠に Japan Forever 』(exciteブログ)より転載させて頂きました。
(以下、転載記事。 ↓のタイトルをクリックして元記事に行けます)
宮中献穀記念 対馬豆酘(とうず) 赤米神事を存続させる会が 『 赤米神田 』 の石碑を建立 対馬新聞一月一日号 から抜粋 対馬豆酘(とうず) 赤米神事を存続させる会が 『 赤米神田 』 の石碑を建立 豆酘の赤米(あかごめ、あかまい)は、日本の稲作伝来地とされ、頭仲間による一年の交代の神役で継承されてきた。 『 豆酘赤米行事 』は、国選択無形民俗文化財(平成14年1月)にも指定されている。 年間10回もの神事等、体力的にも精神的にも金銭的にも負担が多く、その伝承者が現在、主藤公敏さん(63歳)一人となっていることから、対馬豆酘赤米神事を存続させる会(佐護哲也代表)が、広く全国へ募金を求めるなど、数年前より支援してる。 昨年は、対馬から76年ぶりとなった宮中献穀事業(宮中行事の新嘗祭における献穀)を無事済ませた厳原町(いずはらまち)豆酘の赤米神田に、このほど記念石碑が建立され、12月12日に除幕式が行われた。 (石碑の)文字は同支援者の一人、東京在住で日展会友篆刻(てんこく)家、小田玉瑛氏の提供によるもの。 歌手で赤米大使の相川七瀬さんからも、コンサートの度にファンに募金を募って頂いた。 ★ 相川七瀬さんの公式ブログから 対馬の赤米が真っ赤になった(^_^) ここまで抜粋============================ 対馬の赤米刈りの記事が朝日新聞に載っています。 売国紙として定着している朝日新聞ですが、ごく稀に日本の伝統行事をきちんと国民に伝えてくれる記事もあります。こんな時は “やれば出来るじゃないか!”と激励したくなります。 宮中献上、赤米刈りおごそか 長崎・対馬 : 朝日新聞DIGITAL 動画の後半に、相川七瀬さんが登場します。 11月23日に宮中で行われる新嘗(にいなめ)祭で神前に供えられる米を収穫する抜穂(ぬいぼ)祭が14日、対馬市厳原町豆酘であった。 献上されるのは国の無形民俗文化財「赤米神事」で知られる古代米の一種の赤米。豆酘以外では鹿児島県の種子島と岡山県総社市に神事として伝わるとされる。(朝日新聞DIGITAL ) ここまで転載============================ ミニ解説 Wikiから引用 ●民俗学者の柳田國男は、赤飯の起源は赤米であると主張している。 ●日本では明治以降、赤米が全国的な撲滅の対象となった。そうした状況の中、3つの神社で神事用に赤米が栽培され続けた。 岡山県総社市の国司(くにし)神社、長崎県対馬市の多久頭魂(たくずだま)神社、鹿児島県種子島の宝満(ほうまん)神社である ●豆酘:対馬の南端にある集落の名前。 ●赤米:神事に使われる。対馬の赤米は島の外に出すことが出来ない。 ところが、その赤米の流れを汲む赤米のもち米が「田ノ浜とらやま 共生米」と一緒に届きました。 「田ノ浜 田んぼのオーナー制度」事務局の關さんから、次の様なメールが届きました。 「 田ノ浜で試験栽培したため、オーナーの皆さんに食べていただこうとの思いで少量ですがお送りしたそうです。 食べ方としては、他の米に少量混ぜていただくとほんのり赤い色がついて色を楽しむことが出来るとのことです。 どの程度入れるかは好みによるそうですので、いろいろとお試しいただければ幸いに存じます。」 そこで早速、白米10 対 赤米1 の割合で炊いてみました。 お赤飯のようですね。神聖な気持ちで味わいながら頂きました。 ● 対馬・田ノ浜 田んぼのオーナー制度 で対馬を応援できます。是非ご覧ください。 ●水田オーナー制度 をどうぞ宜しく! ← NEW ! ●関連過去エントリ 【祝】対馬の農業・受賞のご報告 ●対馬の事なら 対馬支援Wiki へ! |

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mamimami77772さまの『私達の愛する国 日本よ永遠に Japan Forever 』(exciteブログ)より転載させて頂きました。
(以下、転載記事。 ↓のタイトルをクリックして元記事に行けます)
うれしいご報告があります。 「田ノ浜 ツシマヤマネコ共生農業実行委員会」が昨年、田園再生活動コンクールで受賞しました。 昨年12月9日(月) 日比谷図書文化館スタジオプラスにて表彰式が行われるとのお知らせを戴き、私もお祝いに駆けつけました。 対馬からは受賞者の神宮さんご夫妻と、田ノ浜区長の乙成さんが上京、出席しました。 田園再生活動コンクール(主催:一般社団法人 地域環境資源センター)とは、自然環境の保全・再生活動(田園自然再生活動)をしている優良団体を表彰するコンクールです このたび、自然と共生する農村づくりが認められての受賞となりました。 「田ノ浜ツシマヤマネコ共生農業実行委員会」では、田ノ浜 田んぼのオーナーを募集。オーナー参加型の自然再生活動をしています。お申込みはこちらへ! ★ 対馬・田ノ浜 田んぼのオーナー大募集!! ( 季節のイベント、田植え、稲刈りにご家族で参加。 美味しい対馬のお米30キロ付き ) 以下転載============================== 「平成25年度 第11回田園自然再生活動コンクール表彰式」開催 第11回田園自然再生活動コンクールの表彰式が平成25年12月9日、都内の日比谷図書文化館で開催されました。各6賞の受賞者12名とその関係者が出席し、賞状と副賞が授与されました。 また、授賞式に先立ち、各受賞団体の代表から活動概要や今後の計画を発表いただくプレイベント(活動報告会)も行いました。 受賞団体:全国23 都道府県から、NPO 法人、農業者団体等34 団体が応募し、次の6団体が受賞しました。 ▽農水省農村振興局長賞(農業・農村振興、地域づくり) 丸山千枚田保存会(三重県熊野市) ▽環境省自然環境局長賞(自然生態系の保全・再生) 田ノ浜ツシマヤマネコ共生農業実行委員会(長崎県対馬市) ▽復興奨励賞(地域の復興) 3.11北上地域農業復興会議(宮城県石巻市) ▽子どもと生きもの賞(子どもたちへの環境教育) せせらぎの郷(滋賀県野洲市) ▽地域資源活用賞(地域の環境資源の利用) 淡路東浦ため池・里海交流保全協議会(兵庫県淡路市) ▽オーライ!ニッポン賞(都市と農村の共生・対流) 北庄中央棚田天然米生産組合(岡山県久米南町) ================================= スライドで紹介された日本の田園は整然として美しく、芸術的でさえあります。同じく受賞した三重県熊野市紀和町丸山地区の丸山千枚田( 熊野市ふるさと振興公社 ) 会場の様子です。 会場に展示された「田ノ浜 とらやま 共生米」とパネルです。 授賞式ではスライドを見ながら、受賞した6団体の農業の取り組みや活動が紹介されました。 祝辞の中で特に、東京農業大学名誉教授・前学長の 進士 五十八さんが「 農業は日本そのものであり、農業こそが日本人の命である 」とおっしゃった言葉がとても心に響きました。 日本の農業は品質、安全性において世界一です。 対馬をよろしくお願いします。 対馬の事なら 対馬支援Wiki へ!! 佐護ヤマネコ米オーナー制度 も宜しくお願いします ← NEW ! 佐護ヤマネコ稲作研究会 公式サイト 佐護ヤマネコ稲作研究会 Facebookページ 石屋根の高床式倉庫と、青々とした稲田(対馬にて) |




