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書庫過ぎ去りし日々

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今日のTBS系列のTVサンデーモーニングのスポーツコーナーを観て、
        私が感じたことが2つありました。
 
 1.都市対抗野球で完全試合!
   JR東日本東北の森内投手が、54年ぶりに都市対抗史上2回目の完全試合の快挙!
   さて、54年前は誰が、どのチームが達成したのでしょうか?
   番組では触れませんでしたが、私が幼少時代を過ごした筑豊炭鉱地帯のチームだったのです。
 
イメージ 1 チーム名は「日鉄二瀬
 福岡県飯塚市二瀬にあった炭鉱の野球チームです。
 今の新日鉄の子会社の炭鉱でした。
 
 写真は完全試合を達成した村上投手と古葉遊撃手です。 
 古葉遊撃手は広島の選手、監督を歴任したからご存知の
 方も多いでしょう。
 
 その他に監督は濃人(後ロッテ監督)、南海の寺田、
 強打者の江藤慎一も同じチームにいたのですよ。
 
 私の町にも財閥系の炭鉱で野球チームがあったから
 よく試合をしていました。選手の名前などは殆んど 覚えており mainiti.jp                ませんけど、チーム名は記憶に残っています。
 
 2.野口みずき選手が久し振りに駅伝に出場
   わが町で西日本実業団女子駅伝が開催されたのですが、放送では福岡開催となっていました。
   これでは福岡市で開催されたみたいじゃないですか〜 
   そうは言っても、宗像市では他県の方には何処なのか分らないでしょうね。
   地方の小都市の悲哀です
 
   それとは別ですが私が中学時代に住んでいた町は、将棋の加藤一二三氏の出身地なのです      が、文芸春秋の対談記事のプロフィール紹介では、福岡県の片田舎と書いてありました

プロレスのポスター

門司港の街を歩いていると、古い看板やポスターを見つけました
イメージ 1
           数十年前に街中で普通に見られたホーローの看板や紙の宣伝ポスターです。
           収集家が見せるために貼っているそうです。
 
ふと、目を惹いたのがこれ↓
イメージ 2
 プロレス興行のポスターです。
 力道山、遠藤幸吉、東富士など、当時の
 スタープロレスラーの名があります。
 
 月日は分りますが、何年なのかは判りません。
 タイトルから推察するに
 遠藤幸吉がアメリカ武者修行から帰国したのが
昭和28年だから、この年と推測されます。
 とすると、今から58年前のことですね。
 
 写真では判別できませんが、共催者の一つが日本テレビで、同年に放送を開始していますから、実況放送もされたと思います。
 
 当時のテレビは一般の年収より高価だったので
駅前などの街頭テレビ、電気屋さんの店頭で大勢の人が見ていたそうです。
 
 私の町にはそれすらありませんでしたが、
昭和30年代に美容院に備えられるようになり
外からブラインド越しに観ていました
 

ルイ・ヴィトン

イメージ 1 これは、大抵の方はご存知のルイ・ヴィトンのバッグです。
 かれこれ20年前に買ったものですが、よく使ったにも関わ
らず、キズが殆んど無い丈夫なバッグです。
 
 キャンバス地に塩ビシートを貼ったものなのに、非常に
高価なのは合点がいきませんが、丈夫さと服装を問わないデザインを考えれば、お得なのかも知れません。
 
 20年前は国内外の価格差が非常に大きかったので、海外旅行で買い求める人が多かったブランド品です。
 
   実はこれを買う切っ掛けになったのは、私がシンガポールに出張することになった時に、カミサンから
  買ってきて欲しいと頼まれたからです。
   調べてみると、国内では10万円以上するものですが、4万円で買えるとのことでした。
   内心では(え〜!4万円もするの〜!ですが…)
 
イメージ 2
 
 さて、お店はヒルトンホテルの1階にありましたが、入口を入って驚きました。
 
 さほど広くも無い店内は若い日本人女性で
満員でした。 男はわたし一人…
 
 カウンターに並んで品物を選び、キャッシャーで支払い、引渡しカウンターで受け取るシステム
です。
 
 大抵の女性は、予算の範囲内ならカバンでも
ハンドバッグでも財布でも構わないらしくて、一人ひとりが非常に時間を掛けてあーでもないこ −でもないと選んでいて、後ろで順番を待つ私                                         はイライラしました。
 
  結局、小1時間くらいで買えたのですが、これが近所のお店なら絶対に買わずに帰っていますね。
  バブル景気の終末期の頃でしたが、最近では国内外価格差も小さくなり、落ち着いた雰囲気の直営店を見る につけ、あの頃の騒ぎはなんだったのだろうと思わずにはいられません。
 
  ブランド品にまつわる小咄をご披露                       イメージ 3
 
       日本人とおぼしき女性客 「このトランク、 高いのに重過ぎるわよ!」 
 
       店員 「お嬢様、これは召使いが持つものでございます。」
                                           
 

プラモデル

トラックバック試作記事
 
プラモデルを初めて見たのは、昭和30年であった。
 
ハワイに移住した友達が、国際郵便で送ってくれた。
 
原子力潜水艦「ノーチラス号」
 
潜水艦は形が簡単なので、すぐ出来上がった。
 
模型と言えば、バルサ材を型紙どおり削って造る時代。
 
硬質ビニル素材がとても珍しかった。
 
注・この記事はある方に依頼されて
  トラックバック記事のサンプルとして作成しました。
  使用後は削除しますので、コメント欄は閉じております。
 
 
 
 

開くトラックバック(1)

 昭和30年代、入港すると必ず雨が降ると言われた外国船がいました 
 
イメージ 1英国籍の貨物船。
 
船会社は 「Blue Funnel Line」
 
名前のとおり青い煙突が特徴的
 
船籍港はRiverpool
 
この頃デビューのビートルズと同じ
 
七つの海を制した大英帝国の面影を
 
残した、当時としては大型の船でした。
 
 
 梅雨時季になると日本の特産品を積み込みに来るのです 
 
   梅雨の時期になると、日本では蜜柑の缶詰の生産がほぼ完了して、まとまった在庫が出来ます。
 
   この英国船は、蜜柑缶詰を貨物室一杯に詰め込んで、遥々英国へ運ぶのです。
   
イメージ 2
       英国人は、無類の蜜柑好き。 
 
      それも手間の掛からない缶詰に限ります。
 
      当時、工業製品で遅れをとっていた日本にとって
 
      まぐろ、かに、蜜柑などの缶詰は有力な輸出品でした。
 
      GEISHAブランドは、私達にとっては複雑な気持ちですが…
 
      今でも日本商社の海外ブランドです。
 
    それにしてもラベルに Product of foreign (外国産)の表示とは!
 
    当時の反日感情を考慮して日本産とは書けなかったようですが、GEISHA だったら分るだろうに!
 
 
イメージ 3  蜜柑缶詰の生産には多くの人を必要としていました。
 
  皮むきは人の手で一つずつ剥いていたのです。
 
  港の倉庫で一缶ずつラベルを貼ったり
 
  検査棒で叩いて不良缶を探したり
 
  人海戦術で船積みしたり
 
                    大勢の人たちが、生産から船積みまで関わっていました。
 
                    今はコンテナー輸送が全盛で港に人影は殆んどありません。
 
                    産業構造の変化に伴って、缶詰の国際競争力は急速に下落しました。
 
                    英国人の蜜柑好きは変わりませんが、産地はスペインに移ったようです。
 
                    スーパーで見かける蜜柑缶詰は中国産のものが増えましたね。  
 

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