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夕焼けを背景にしたクルーズ客船を撮ってみたいと思い、
12日の夕方がチャンスではないかと考えて志賀島へ行ってみました。
日没は19時10分、客船の出港は19時、微妙なタイミングです。
岸壁から離れて20分くらいで姿を現しました。
博多湾の能古島付近のサファイア・プリンセスです。
夕焼けとのコラボは無理かな…?
湾外に出ました。雲が多くなって夕焼けも消えました。
また次の機会を狙います。
サファイア・プリンセスは次の目的地の済州島に一晩で到着します。
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船シリーズ
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詳細
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記事の間隔が開きましたが、日本丸の出港も記録しましたのでご覧ください。
海王丸に続いて門司港から出港です。
タグボートに引かれて本船航路へ…
パイロット(水先案内人)のボートと並走
狭い関門海峡を通過、関門橋をくぐれば源平合戦の古戦場の壇ノ浦です。
萬珠島を左に見ながら壇ノ浦を航行して四国へ向かっています。
関門橋周辺を紹介します。
和布刈(めかり)の突端に
和布刈神社(奥)と料亭「枕潮閣」があります。
若造の頃、ここで忘年会をしましたが
お酒も飲めず、料理の値打も分らず
高額な割り勘に憮然としました(^^;
急流の海峡に立つ灯篭は和布刈神事の場所です。
旧暦お正月の未明に神官がワカメを刈って神前に供える行事です。
関門海峡は大規模な修繕工事をしています。
養生シートがあって見栄えがいまいちです。
数十年ぶりに関門トンネルの人道を歩いてみました。
和布刈神社のすぐそばに人道へのエレベーターがあり40メートル降ります。
人道は無料(自転車は50円?)で緩い弓なりの坂が850メートルあります。
通気口から上の段の車道の車の音が聞こえます。
下関側の様子
海岸の小さな公園に源義経と平知盛の
銅像があります。
ここが源平合戦の壇ノ浦なのです。
お隣には幕末の長州軍の大砲があります。
幕末に欧米連合の艦隊と砲撃を交えた馬関戦争
を記念したものです。
この戦争に惨敗して欧米との力の差を痛感した
長州藩は、攘夷から開国に方針転換しました。
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北九州港開港120周年を記念して、海王丸と日本丸の2隻の帆船が入港しました。
開港時の港は門司港で、2隻は門司港区1号岸壁に係留されています。
私は所用があったので、海王丸が出向する日に訪れました。
こちらは日本丸
晴れたり雲ったりで、画像が極端に明暗の差がでる難しい撮影でした。
こちらは海王丸
後ろに日本丸がいます。
両方とも殆ど区別が出来ません(^^;
日本丸の女性クルーが海王丸の見送りに…
海王丸の出港準備が始まりました。
第一マストに信号旗が揚がっています。
水先案内人乗船要請、乗組員帰船命令
色んな意味があります。
今はさまざまな通信手段がありますので
旗の信号の必要性はありませんが、
船舶の運行儀礼の一つとして残っています。
タグボート2隻で岸壁から離します。
帆船の出港はマストの桁に上るのが慣例ですが、強風のため整列答礼になりました。
岸壁から離れました。 関門橋方面へ方向転換します。
タグボート2隻で後ろを押して前を引っ張ります。
急流の狭い海峡での方向転換はとても難しいです。
下関寄りの本船航路へ
タグボートの伴走も引き上げ、四国へ向かいました。
終り |
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外国船のようですが、どこかで見たような姿です!
早鞆の瀬戸をゆっくりと通過しています。
これは内海水先案内人のボートですね。
瀬戸内海を航行する時には、内海水先案内人が乗船して航行を指揮します。
関門海峡では、関門水先案内人と交代しますから、降りた案内人が帰っているのです。
本船が航行しながら乗下船します。
関門橋をくぐります。 ギリギリに見えますね。関門水先案内人のボートが走っています。
無事にくぐりました(当たり前か…) 橋桁下から海面まで70メートルです。
少し広いところでタンカーとすれ違いました。 実はタンカーが速度を落として待っていたのです。
関門橋のところは巾が700メートルしかなく航路巾が狭くなっているので気をつかうところです。
後姿で船名が見えました。 AMADEA バハマ船籍
後日調べたら、これは郵船クルーズの元 飛鳥 でした
郵船クルーズがクリスタル・ハーモニーを飛鳥Ⅱにして、代りに 飛鳥をドイツのクルーズ船社に売却したのです。
船籍をバハマにしているのは、不動産課税を安くするためです。 外洋船は動き回るのに不動産なのです |




