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自分は死んでしまったのだろうか。 少年グランスリードは、まったく感覚のない四肢を認識しながら、ぼんやりとそう思った。 ――ああ。でも、声が聞こえる。あの女の声だ……。そういえば、聖女だったのだな。 聖人エストナージュ。 クリプトの木の精霊がそう言っていた。 光の神ルーフに唯一見染められた女性であり、ウォルド王国屈指の伝説の武人。 今日では光の神ルーフも聖女とともに存在しなくなってしまったのだと、大人たちは言う。 ――だから、ウォルド王国の大地の力が弱くなっているんだ。守護竜もいない。古(いにしえ)の精霊王たちや天使族もほとんど姿を見せなくなった。 「み……んな……みん、な……いなく……なって……」 「生きているわ! よかった。ああ、でも肺臓が半分つぶれているのかもしれない。いつ死んでもおかしくないわ」 か細い声を切れ切れに発した少年の状態をそう診断したのは、聖女と言われた女だった。 グランスリードを突き飛ばした何ものかはすでにいなくなっている。 聖女、つまり聖人エストナージュは、グランスリードが口の端から血を流し、さらにその小さな胸が奇妙な形にへこんでいるのを見て眉間にしわを寄せた。 『この子どもが死んだら、ベルメールが悲しむだろうね』 白い影――この神々の森の木クリプトの精霊が静かに言った。 「死ぬ……? そうね、ここで私に出会い、瘴気の塊によって負傷し短い人生を終える。それもこの子の運命かもしれない。でも、死なずに済むかもしれない。その手段を私は持っているのだから」 瞬きもせず目を見開くエストナージュは微かながらに神気をまとい、瀕死のグランスリードを凝視した。そうして次にゆっくりと呟いたのだった。 「……エル・ヴィント。我がもとへ」 『思い出したのかい』 白い影がやや感情を昂(たかぶら)らせた声を出すと、女はそう言えば、と自嘲の笑みを口元に浮かべた。 「どうして忘れていたのか、そしてどうして思い出したのか。すべてはこの大地と光の神のみぞ知る、かしら。そう、私は聖女と呼ばれた存在だったわね。本当はただのエリーナという人間にすぎないというのに」 やがて、聖人エストナージュは右手を横に差し出すと、空中に現れたであろう不可視の物体を掴み取った。それは小さな渦巻く風の塊であり、エル・ヴィントと呼ばれる風の精霊の化身である。 「私はあの人――光の神ルーフを愛した。そして、この大地とつながる存在となったわ」 聖人は語りながらも右手を瀕死の少年の胸にそっと押し当てた。 「私が力尽きて眠り、その上ルーフも眠り、ウォルド王国の大地の力が弱まってしまったのね。今では五大貴族に従う守護竜もいない」 エル・ヴィントはとろみを帯びると、グランスリードの幼い体に膜を張るように広がっていった。すると、少年の表情はやがて和らぎ、紫色だった顔色も徐々に人肌のそれに戻っていったのだった。 「大事な友人ベルメールの悲しむ顔を見なくて済みそうね」 『ねぇ、きみの身体はどこに眠っているの。クリプトの仲間の誰も知らないんだ』 「ああ、私の身体。それがね、私にもそれは思い出せないの。もう何百年と酷使したから、意識と離れたがっているのかもしれないわね。エル・ヴィントだって、ほら、もう消えてしまった。今の私には、短時間しか風を呼び止めておけない」 聖人エストナージュは、グランスリードの体に沁み入るように消えてそのまま姿を消した風の精霊の化身に苦笑をもらした。 「次の精霊使いが現れなければだめね。キャリドールには寂しい思いをさせてしまうけれど、彼なら必ず見つけることができるはず。あら……そんなことを言っているうちに、私も眠くなって……きた、かしら」 『そ、そんな! もう? 待って、まだたくさん話したいことがあるんだ!』 精霊クリプトの今にも泣き出しそうな声に、聖人エストナージュは、優しく微笑んだ。 「クリプト、これは聖女としての勘だけれど。その少年は気骨があってなかなかのものよ。ウォルドの大地に力を蘇らせてくれるかもしれない。どうか、見守ってあげてちょうだい」 『エリーナ』 「そう呼んでくれて……うれ、し……――」 声を途切れさせ、金色の髪を揺らして頷いた聖女は、霧のようにぼんやりと姿を消してしまった。 それから時は流れ、ベルド地方の大領主の嫡男たるグランスリード・ドラフトは賢明かつ精悍な青年に成長していた。 大地の力の権化たる翼竜と人間との信頼を回復させ、五大貴族の守護竜である神竜復活を目指した。そうしてまずはリンドブルムを操る第一級翼竜隊を編制したのだった。 それから翼竜を飼育する段になり、実父ベルメールが負傷。さらには唯一無二の親友であり、五大貴族はキャメロット家の長女・アレーナの事故死と、現実の厳しさを噛みしめた彼は、やがて丘の上で運命の出会いを果たすことになる。 乳白色の髪を風になびかせ、丘の上で振り返った少年は、グランスリードを見下ろして言ったのだ。 「君からはクリプトの匂いがするね。僕はキャリドール。探している人がいるんだけれど」 クリプトという名前を聞き、そして悲しみを含んだ新緑色の双眸を見て取ると、大きく息を吸い込んだグランスリードは、すぐさま言い返した。 「ならば俺とともにいればいい。俺はグランスリード・ドラフト」 力強い声音のグランスリードは、青灰色の双眸を閃かせた。 「森の聖女の後継者は、必ずこの風の大地に現れる」 この傲岸不遜なまでの発言は、風に乗って国境を越えていったかどうか、それは、風のみが知っているのだった。 ―了―
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グランスリードの物語
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とても久しぶりになってしまったので、少々あらすじです。 これは、少年の日のグランスリードが主人公です。 ウォルド王国最北の森であり、けっして入ってはいけないと言われていた「神々の森」へ、あることを確かめに足を踏み入れます。しかし、森で迷ってしまったグランスリードは、謎の女と、クリプトの木の精霊に出会います。 女は記憶を無くしているようで、何者なのか分かりません。ただ、グランの父親であるベルメールとも関わったことがある様子。 そんなとき、女が危険を察知します。 「何か来る」と。 グランスリードの運命やいかに――! 「クリプト、その子をお願いね」 前を見据えたままの女が低く指示を出した。 いよいよ緊迫感が増し、呼吸を整えた女は膝を軽く折ると、そのまま勢いをつけて地面を蹴り前へ飛び出していった。 向かっていくべき対象もいまだ見えずにいたグランスリード少年は、しなやかで機敏な女のうしろ姿を唖然として見送りながら、傍らの白い影・精霊クリプトに問うた。 「おい、あの女は誰と闘っているんだ。何もいないぞ。それに、あの身のこなし…未熟な俺が見てもかなりの手練だとわかる」 的を射た発言をしたグランスリードに、精霊クリプトは誇らしげな声音で答えた。 『ドラフト家の後継ぎは怖いもの知らずだけど、愚か者じゃあないんだね。そうだよ、彼女は光の神ルーフに見染められた唯一の人間、聖人エストナージュだもの。……今はその記憶がないようだけれどね』 最後はどこか物悲しそうな口調になったクリプトから聖人エストナージュの名を聞くと、ベルド領主の嫡男たる少年は、もはや冷静さを装うことができなくなっていた。 「聖人エストナージュだと! 光の神ルーフと聖婚し、聖女となったあの」 魔法王国ウォルドの民ならば教養としてではなく、生まれおちたその日から刷り込まれるように寝物語に聴き、その武勇伝から旅の道中を守護する聖人としてあまりにも有名なのである。もちろん、聖人エストナージュの伝説はグランスリードが生まれるはるか昔の話で、本の挿絵でしかその姿を見たことはないし、まさか実際に本人と対面できるとは夢にも思わなかったグランスリード少年だった。 「やはり、この『神々の森』にはまだ神がすんでいるのだな。聖婚を果たした人間が永(なが)の命を得てウォルド王国を護っているんだ。神竜だって甦ることができるはずだ、絶対に……! アレーナと俺は間違ってなんかいないんだ」 聖女が少し離れた場所で何者かと闘っている姿を、熱に浮かされたように凝視しながら、少年は歓喜に声を震わせていた。 そんな熱いまなざしを向けられていることを感じる余裕などなく、聖女はいまだ踊るように身をひるがえし、右手に握りしめた「何か」で相手を切りつけているようだった。グランスリードには何も見えていないので、まるで演舞を観ているようなのだが、鋭く光る彼女の瞳は真剣そのものだ。 と、その時だった。 「危ない!」 突然聖人エストナージュが少年に叫んだかと思うと、グランスリードは胸の中心を丸太で突かれたような衝撃を受け、後方へ大きく跳ね飛ばされていた。 「な……んだ……こ、れ」 痛覚よりも状況を把握するための思考回路が先に働こうとしたのか、グランスリードはそう言葉を漏らすと、口の端から赤い血をこぼし、目を閉じたのだった。 ―つづく―
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グランスリードの父であり、現ドラフト家当主ベルメール・ドラフトは、温厚かつ篤実な人柄で、ベルド地方を治める長としてもさることながら、父親としても申し分のない人物であった。 聡明ではあるが、たいへんなやんちゃ坊主のグランスリードに苦々しい表情ひとつしないベルメールも、「神々の森」に入ることだけは厳しく禁じていたのだ。それなのに、好奇心に勝てないのが子どもの常である。 だがしかし、勝手をした結果、影に襲われた今のグランスリードになら、熟考するまでもなくそれが理解できた。 「うわあっ」 黒く大きな影に上からのしかかられたグランスリードは、思わず叫び声をあげた。 苔むした湿気のある地面に押し付けられ、恐怖心が一気にこみ上げると、死ぬ、終わりだ――。そんな言葉が嵐のように胸中に渦巻いた。 気位の高い子どもであるグランスリードが目を白黒させた、その時だった。 「そのへんにしてあげて、クリプト」 そうだ、そのへんにして………………? その言葉に我に返ったグランスリードは、謎の女の声がするほうを見上げた。 『子どもだからって、侵入者にはかわりないのにさ』 押しつぶされたはずのグランスリードは、背中から黒い影が消えたのをその重さで感じ取り、大きく息を吸い込みながら素早く体を起こして身構えた。 「なんだ、お前?」 頬を引きつらせた少年が開口一番にそう言うと、女にクリプトと呼ばれた黒い影――今はうすぼんやりと人の姿に見えるのだが――は、滑らかだがいたずらそうな少年の声でグランスリードに言った。 『こいつ、あのベルメールの子らしいよ』 「誰ですって?」 白い少年がくれた情報には本当に覚えがないらしく、女は眉をひそめた。すると、情報の提供者たる白い影が、動揺したかのように一瞬揺らいだ。 『僕らの理解者の名も忘れてしまった? じゃあ、ルーフ様のことは?』 女の表情がますます歪んだ。思い出そうとしてもまったくわからないようだった。 「ちょっと待ってくれ。なぜお前たちが父上の名を知っている。何者なんだ、お前たちは」 『生意気だなぁ。ベルメールはこの森を守ってくれた恩人だから特別に教えてあげるけれど。僕はこの森の木【クリプト】の精霊だよ。そのままクリプトって呼ばれている。彼女は――』 精霊クリプトは言いよどんだ。本人が思い出せないことを軽々しく言っても良いものか迷ったのだ。 「どうしたんだ。なぜ教えてくれない。それとも」 短気な少年が文句を言い始めると、再び女の表情が険しくなった。 「静かに。何か……来る」 「おい、その手にはもう乗らないぞ」 「違う。今度は」 女は神妙な顔つきで周囲を警戒した。右手は腰の辺りにあり、まるでありもしない武器をすぐ手に取れるようにしているようだった。その張りつめた空気は歴戦の戦士さながらで、今度は嘘などではないということがグランスリードにも伝わったのだった。 「何がくるんだ」 グランスリーは生唾を飲み込んだ。 ―つづく―
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ウォルド王国最北に広がる「神々の森」。生態系が他と異なり、暗く静寂に包まれた未開の地。侵入者である少年グランスリードは、突如現れた女性に驚きを隠せず、じりじりと後退した。 「逃げなくてもいいわよ。子どもには何もしない。ああ、でも、早くここから出て行ったほうがいいということは言っておくわ」 「あなたは誰だ」 グランスリードの青灰色の瞳だけは女性から逃げることはなかった。 女性は見た目は若い女性だ。二十代、いや、ともすれば十代にも見える。 ウォルド王国では珍しくはない黄金色の髪は耳朶の辺りで切り揃えられ、服装はまるで下着姿のように薄着だ。しかし、卑猥な雰囲気はまるでなく、その魔力にも似た力強い光を宿した両の眼(まなこ)の下では、彼女の姿かたちなど語るに及ばないものであった。 「善い目をしているわね――少し生意気そうだけど。私が誰なのか……私も忘れかけているのよ。でも、あのひとのことは覚えているわ」 「あの人? もっと具体的に話せないのか」 子どもながらに短気なグランスリードは、寝ぼけているかのような女に片眉を跳ね上げた。 「あの人はあの人よ」 グランスリードは苛つくのをとおり越して、脱力した。 さすがは「神々の森」。おそらく目の前の寝ぼけた女は人間ではないのだろう。子どもには何もしないと言っていたが、十分に怪しい。彼女の言う「あの人」もいったい誰なのか。 「面白いな。あなたの言う人物に会ってみたい。連れて行ってくれ」 迷子になった不安などどこに行ってしまったのか、不遜な態度の少年は、今度は女に詰め寄った。 「目上の者に頼む態度ではないわね」 「……連れて行ってくださいませんか」 「いやよ」 「なっ。貴様、ふざけるな!」 つい女性に貴様などと言ってしまったグランスリードは、羞恥心に顔を赤らめ、小声で「失礼」と呟いた。その胸中を察したのか、女は予想外に優しい笑みをこぼした。 「意地悪で言っているのではないわ。どこにいるのか知らないの。それに……ほら、来てしまったわよ。――気をつけて!」 グランスリードには何も感じられなかったが、女の表情が少々厳しくなった。 「な、何だ」 大きな黒い影が、グランスリードに覆いかぶさってきた。 ―つづく―
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ウォルド王国は西のベルド地方を治める大領主、ドラフト公爵家。その公爵家の未来を担う少年は、今年十二歳になったばかりのグランスリードだ。少年とはいえ、その顔はすでに人を従える立場を自覚した大人のそれであった。 しっかりとした眉の下には、曇りの冬空を彷彿させる灰色と瑠璃の艶やかな青を混ぜ合わせたような瞳があり、偽りは通じぬとばかりに前を見据えていた。 そんなグランスリード少年は今、供の者も連れずにたった一人、「神々の森」と称される王国最北の広大な森の中にいた。北の大領主、キャメロット公爵家に滞在中のことだ。 薄暗くひんやりとした空気の森で、グランスリードは天にも届こうかと思われる常緑樹の梢(こずえ)を見上げながら、自分の次の行動を決めかねていた。――つまりは、森で迷子になったのだった。 「父上たちも気付くころだろうし……。動かず待つのが得策なんだろうけど、それではここへ来た意味がない」 本当は、少しばかり己の強すぎる好奇心に後悔していたのだが、そうだと認めたくない思いが勝り、そんな風に独りごちた。 この森の木々は、見たことがあるようでないものだった。樅(もみ)の木に似ているのだが、よく見ると違う。具体的には十二歳のグランスリードではわからなかったが、「違う」ということだけはわかった。 「書物に記されていることが本当かどうか、確かめる好機だ」 自分の胴体ほども太さがある木の根に腰を下ろしていたグランスリードは、よしと頷き、立ち上がって歩き出した。 勝気な少年はしかし、まだ十二歳の少年なのであった。歩き出して間もなく、鳥の声もなく風の動きもない、ただただ樅の木にも似た緑の木々が立ち並ぶ陰鬱な風景に、徐々に不安を募らせた。 真っ先に抱いた思いは、キャメロット家の長女で自分と同い年の少女アレーナに対する 不満であった。最近生まれたという妹に骨抜きにされてしまった友人アレーナは、今日の誘いもあっさりと断ったのだ。 「アレーナめ。妹などまだ寝てばかりの赤子だというのに」 自分の申し出と妹、どちらが大事なのだ――と子どもらしく唇を尖らせる。 次に考えたのは、帰れなくなったらどうするかであった。 「どこかに住む場所を確保しないといけないな。食べるものも、だ」 不安を消すため、グランスリードは冷静であろうとした。すでに探求心は忘れており、少年にとっては死活問題へと発展しているようだった。 そんなグランスリードが、あてもなく彷徨っていると、一陣の温かな風が吹いた。 大きな鳥でも低空飛行したのかと思われたが、どこを見回しても生き物らしき気配はない。 ふと、突然、背後から声がした。 「ここで何をしているの」 驚いたグランスリードは、飛び上がりそうになったところを堪え、すばやく声のほうを振り返った。 「あ……」 とっさに声が出ないグランスリードの目の前にいたのは、人間の姿をした女性だった。 ―つづく― またちょっと続きます(^^ゞ
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