本編1 風羽の章

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リーフの小説の本編です。主人公リンディアは、五大竜の一人キャリドールによって選ばれ、風の精霊使いになりました。
働きながら大人に成長していく主人公の物語です(^v^)
騎士と竜と精霊に魔法のファンタジーをお楽しみください!
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 書斎に差し込む初夏のさわやかな陽光を背に、グランスリードは机の上で手を組み、緊張の面持ちであるリンディアに挑むような視線を向けていた。

「結論から言おう。お前は、今日この時を以て、ドラフト家預かりの客人(まろうど)となった。以後、この屋敷の一室を居とし、翼竜育成の任に当たってもらう」

 リンディアは面食らった顔になりつつ、ファリアが言っていた「部屋」云々の話を思い出していた。

 その思考をたやすく見破ったのか、青灰色の瞳の青年は、意地悪そうにほほ笑んだ。

「ファリアがお前の部屋をもう決めてしまっているからな。断ることはできないぞ」

 困惑気味の少女は、左側にいる乳白色の髪の少年、キャリドールをちらと見たが、いつものように感情を推し量ることのできない無表情であった。守護竜たる少年は、リンディアの決めたことに首を横に振ることはないということだろう。

 ふと、返事に窮したリンディアに助け船を出す声が右側から上がった。

「おい、今の話はおかしいんじゃないのか」

 ぞんざいな口のきき方で言ったのは、イオン・カエルラであった。

「客人なのに、翼竜隊で働かせる気か。はっきり言ったらどうだ。精霊使いを手放す気はなく、翼竜育成員としても役立ってほしいのだとな」

 光の神の賜り物である艶やかな髪の持主は、およそその容貌からは想像できない強い口調であった。

 年齢的には、ドラフト家領主代行と、王立図書館員の青年二人は同じくらいで、リンディアから見れば年の離れた兄のようなのだが、立場上、公爵という爵位を持つグランスリードに相応の口のきき方をするのが普通である。

 しかし、イオンはそのような俗世のしきたりなど気にする様子もなく、あからさまに菫色の双眸を鋭く光らせていた。

 その視線に怒るわけでもなく受け止めたグランスリードは、小さく息をつき、楽しげに笑った。

「カエルラ図書館員――いや、イオン。やはりお前は面白いな。俺はお前のような正直者を好ましく思うよ。さて、リンディア。この男が言ったとおりだが、お前はどうする」

 領主代行の衣は脱ぎ捨て、素に戻ったグランスリードに問われたリンディアは、表情を引き締めた。答えは始めから決まっているのだ。

 突如放り込まれた、見知らぬ国の翼竜隊。

 自分の知らない荒々しい翼竜、それを人の手で育てようとしている者たち。

 痛い目にあったり、同情だけでは成り立たぬ苦い現実。

 優しい先輩、温かな仲間。

 そして、自らの可能性を示す風。

 それらを捨てて、黒竜族の里に帰ることはできなくなっていた。望郷の念がないと言えば嘘になる。でも、十三歳の少女は今、目の前に開かれた可能性に向かって背中を押されている気がしたのだ。

「私は、翼竜育成に尽力したいと思っています。ですから、これからもここでお世話になります」

 きっぱりと言い切ったリンディアの答えに満足したグランスリードが、片眉をはね上げてイオンに視線だけ向けた。

「だ、そうだ。これで、お前もここから離れられないな、イオンお兄様?」

 わざと嫌味な口調で言う青年を、美貌の青年研究員は呆れ顔で見下ろした。

「ね、イオン兄さんもここにいてくれるの」

 まるで砂漠における蛇と蠍のような関係にある青年二人の間に、いとも簡単にリンディアが割って入った。その無垢で期待に満ち溢れた表情には誰も敵わなかった。

「そうだよ、リンディア。俺は、このドラフト家全翼竜隊のリンドブルム及び翼竜の飼育法確立のため、顧問飼育員として王立図書館から派遣されたんだ。情報の一部をトラロック王国に提供させてもらう条件でね」

「そうなんだ! イオン兄さんがいてくれたら、すごく心強いわ」

「ルーガにもいっぱい食わされたけどね」

「お父さんに?」

「そう。ドラフト家の翼竜隊に入ったのは、偶然じゃない。はじめからここで働くようになっていたんだ。まぁ、脱走竜に出くわしたのは本当に偶然だろうけどね」

 リンディアは初めて知る真実に、ほっと胸を撫で下ろした。父親であるルーガに疎まれたわけではなかったのだ。

「お前の父である黒竜族長と、俺の父は故あって旧知の仲だ。娘が風の精霊を使役できることから、里では争いを招くと案じ、信頼できる場へと送り出したわけだ」

 そう補足したグランスリードに、すかさずイオンが文句を言った。

「はじめから素直に事情を説明すればよかったんだ。おかげで俺はルーガの嫌がらせか知らないが、山ほど文献を読まされたんだぞ」

 イオンの言ったことは事実で、ある意味リンディアの父親ルーガの嫌がらせでもあった。

 イオンのウォルド王国への派遣は、ルーガとイオンの上司であり同期生のサラ・ペイジ女史との間で決められたことで、本人たっての希望であるということになっていた。

 図書館員は、その知識内容から国家所有物としての扱いになっている。国外へ輸出するとなれば、それに恥じない知識を身につけていなければならない。

 そんなわけで、イオンはあらゆる学部の長から出された難解な文献を読破しなければならなかったのだ。

「しかし、こんな短期間で全て読むとは、さすがは麗しき神童と謳われただけある」

 イオンは小声で『麗しきはつけるな』と唇を尖らせた。

 けっして和やかな口調ではないのに、なぜか波長が合っているように思えてならない青年二人のやり取りに、リンディアは自分でも気づかぬうちに笑っていた。

「やっといつもの笑顔になったね」

 ふと、左隣にいるキャリドールが優しく呟いた。そこで、リンディアは新たに気づいたことに胸を衝かれた。

 キャリドールに出会わなければ――この穏やかな新緑色の瞳に惹かれることがなければ、今、こんな風に笑っていられなかったかもしれない。脱走した翼竜の命を助けることすらできずに、己の無力に打ちひしがれていただろう。

 リンディアはキャリドールの手を取り、年長者二人に向かって言った。

「今の私は、キャリドールとエル・ヴィントの力を借りているだけなんです。リンディアとして、まだまだ覚えなければならないことがたくさんあります。だから……これからもよろしくお願いします」

 勢いよく頭を下げた少女の蜂蜜色の髪が艶やかに輝くのを見て、イオンとグランスリードは図らずも「もちろんだ」と口をそろえたのだった。

 薫風が緑萌ゆる丘を渡りゆく、そんな季節のことだった。


  ―了―
 ドラフト家当主代理の書斎の扉を開けると、リンディアの目にまず飛び込んできたのは、眩しいほどに美しい金色の髪の後ろ姿であった。背丈と骨格から、男性であることは瞬時に判断できた。
 
 その瞬間、リンディアの心臓は跳ね上がり、興奮状態になった息苦しさで言葉など出るはずもなかった。

 そうして、入室してきたリンディアを振り返ったその顔を見るなり、さらに胸の鼓動が速まり全身が小刻みに震え出す。その上、突如目の前が白くなりそうな、そんな不調に襲われた。

「……っ!」

 生唾を飲み込んだ少女のあまりの驚愕ぶりに、グランスリードが意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「リンディア・ウィンド、期待を裏切らぬ反応への礼だ。――許す」

 グランスリードが、揶揄(やゆ)するような言葉とは裏腹に、青灰色の瞳を存外優しく細めたので、それを機にリンディアは力強く前へ飛び出した。振り返った青年の名前をやっとの思いで喉から絞り出しながら。

「……イオン兄さん!」

「リンディア」

 ぶつかるように抱きついたリンディアは、久方ぶりに再会することができた、兄と慕う青年――イオン・カエルラの胸に顔をうずめ、ひたすら抱きついた。

 日当たりのよい書斎は太陽の恩恵を受けて光に満ちており、リンディアと菫色の瞳に優しい光を瞬かせて少女を見下ろす青年を温かく包んでいた。

「会いたかった、イオン兄さん」

 突然、目の前からいなくなったイオン。呆然としたが、途方に暮れている暇もない日々だった。しかし、こうして再び本物のイオンに会えて、リンディアは自分がやせ我慢をしていたことに気付かされたのだ。

 血のつながりはないけれど、生まれた時から見守り続けてくれた大好きな青年。大きな心の支えが身の内に甦ってくるのを感じながら、リンディアは抱きつく腕に力を入れた。

「リンディア、顔を見せてくれるかい」

 低すぎないなめらかな声で囁くようにイオンが頼むと、リンディアは頬を赤らめてぎこちなく青年の顔を仰いだ。

 そんな少女の顔を両手でそっと包んだ青年は、全てを知り尽くしたいという独占欲にも似た強いまなざしで少女の空色の瞳を見つめたあと、隊務で少し日に焼けたであろう額と両頬に親愛をこめて口づけた。

「しばらく見ない間に大人びたね。それに髪が――」

「これ、似合わない?」

「いや、とても似合っているよ。色々あったみたいだね」

 短くなった髪の毛に失望されなかったことにリンディアが胸をなでおろして笑顔を見せた。と、感動の再会はそこまでとばかりに横から咳ばらいがした。

「リンディア。お前がどれだけ甘やかされて育ったか、今実感した」

 ともすれば恋人同士にも見える、すっかり二人だけの世界に陥ったリンディアとイオンに、あきれ顔のグランスリードが机の上で頬杖をついていた。

「す、すみません」

 主にばつが悪そうに謝罪し、やっと周囲を見るだけの余裕を取り戻したリンディアは、キャリドールを振り返った。

「キャリドール、ごめんね」

「リンディアらしいと思うよ」

 そう言ってキャリドールはリンディアに微笑んだが、偶然イオンと視線が合うと、ふと目をそらした。

「さて、リンディア・ウィンド。ここからが本題だ。お前が負うべき責任について話をさせてもらう」

 グランスリードの声が真剣みを帯びると、リンディアはイオンから離れ、姿勢を正した。

「相応の罰を受ける覚悟はできています」

 左側に並んでくれたキャリドールと頷き合ったあと、リンディアはまっすぐグランスリードの瞳をとらえたのだった。


   ―つづく―
「まぁ。目が覚めたのね、リンディア。よかったわ」
 
 ファリアは甘い菓子のような見るものに幸福感を与える笑みを満面にたたえ、水差しと水飲みの器を乗せた盆を部屋の円卓に置いた。

「ふふ。そういえば、あなたが初めてドラフト家のこの部屋に運び込まれた時も、こうしてお水を運んできたところだったかしら。そうね、この部屋、グランスリード様に頼んで、あなた専用にしてもらうのもいいわね。陽当たりもいいし、居心地も好いと思うわ。ねぇ、キャリドールだってそう思うでしょう」

 水飲みに水を注ぎながら笑う有能な使用人頭は多弁で、さらには、いつの間にかキャリドールとも気安く話す仲にまでなっているようだった。

 頬にえくぼを作って楽しそうに笑うファリアの様子に、リンディアも短く笑い声をあげ、寝台の上で半身を起した。天蓋の浮彫に嵌めこまれた赤や青の宝石を見上げる。

「私も、この寝台はとても気持ち良くて好きなんです。あのきらきら光る石も、夜空の星みたいで素敵ですよね」

「なら決まりね! グランスリード様には私からお願いしておくわ」

「き、決まりって、ファリアさん」

 水を一杯飲むように勧められながら、リンディアは焦って傍に歩み寄ってきた恰幅の良いファリアを見上げた。

「あの、私、そんなつもりでは……」

 この南向きの客室が素敵であると思っていることは本当だが、よもや自分に提供してほしいなどと、分不相応なことは微塵も考えていない。

「リンディア、言いたいことが顔に出ているわよ。これからはその素直なところが、苦労の種になるかもしれないわね」

 ファリアは娘を諭す母親のような口調で、リンディアはますます困惑を極めた表情になっていった。

 と、そこへ、生気にあふれた力強い青年の声が、扉をあける勢いに乗って闖入(ちんにゅう)した。

「相変わらず寝坊だな、リンディア。だがまあいい、精霊使いたるもの、そのくらいの度胸がなければ務まらんだろう」

 少女の迷いを喝破してしまいそうなその自信にあふれた声の主は、ここドラフト公爵家嫡男にして、当主代理であるグランスリード・ドラフトその人であった。

 呆然としているリンディアの横で、ファリアが苦い顔をした。応え(いらえ)なしに入室してきた、騎士にあるまじき行為をした主人に、わざと大きなため息をついてみせる。

「そう睨むな、ファリア」

 片手を素早く上げ、頼れる使用人頭である女性の小言を未然に防いだ青年貴公子は、次に寝台で半身を起しているリンディアを見下ろした。

 その立ち姿は凛凛しく、相変わらず太陽の如く輝いている。圧倒的な眼力を誇る青灰色の双眸も、目覚めたばかりのリンディアを完全に覚醒させるに十分だった。

「グランスリード様、あの、翼竜はどうなりましたか」

 リンディアは、主人の許可なく発言するという失態に気づく余裕もなく問うていた。この場に第4級翼竜隊兵士長のトール・ラントがいたら、すかさず叱責されていたであろう。

 しかし、リンディアの真摯なまなざしに、グランスリードはあっさりと答えた。

「案ずるな。お前も承知のとおり、翼は使い物にならないが、死んではいない。特別に一頭だけ隔離して休ませている」

「……よかった」

 グランスリードが気休めの嘘をつくはずもないことはわかり切っていたので、リンディアは心の底から安堵の息をついた。

「それにね、いい知らせもあるんだ」

 すぐ傍から声をかけたのは、キャリドールだった。喜びが新緑色の瞳の輝きとなって放たれている。

「ベルが子供を産んだよ。雄の翼竜だ」

「ベルが……っ」

 春の雪解け水を彷彿させる清清しい笑顔をした少年から吉報がもたらされると、リンディアは嬉しさのあまり言葉を詰まらせた。

「我がウォルド王国の翼竜隊が、初めての出産成功例を作ったことになる。なにしろ翼竜の出産は、あの学問の都トラロック王国が誇る、王立図書館の鼻持ちならん学者どもでさえ為し得ていないのだからな。大事に育てなければ」

「ありがとうございます!」

 グランスリードに大きな声で礼を言うと、リンディアはキャリドールと跳び上がらんばかりの勢いで手を握り合って喜んだのだった。




 その後、身支度を整えたリンディアは、あらためてグランスリードの書斎に呼びつけられた。今回の脱走竜追跡騒動について話があるのだという。

 雄の翼竜が助かったこととベルの出産。それらに喜んでばかりもいられなかった。なにしろ、リンディアは脱走した翼竜を追って、最終的に止めることはできたものの、クリンの町の一部を破壊し、挙句、王都から遣わされている魔術師を負傷させてしまっている。

 通常であれば、すべてが一隊員にすぎない少女の責任になるはずもないのだが、今回は違っていた。リンディアは、殺処分にすると言われた翼竜をあえて助けさせてほしいと頼み込んだのだから。

 責任は取らなければならない。

「どんな罰でも、きちんと受け入れる」

 開け放たれた窓から吹き込むそよ風が陽光にきらめく書斎近くの廊下で、リンディアは隣を並んで歩くキャリドールに生真面目な顔で言った。

「いつでも僕は一緒だから」

 守護竜たる少年は、静かにそう返すと、リンディアの横顔に微笑みかけた。

 いよいよ書斎の前に立ち、リンディアは迷わず扉を叩いた。

「グランスリード様。リンディア・ウィンドとキャリドールです」

 グランスリードの応えは迅速だった。

 精霊使いとなった少女と、その守護竜たる少年は書斎へと足を踏み入れ、そしてそこで待っていた、グランスリード以外の人物が振り向くと、リンディアは驚きのあまり、言葉を失ってしまったのだった。




  ―つづく―
 リンディアの体は、心地よい温もりにつつまれていた。

 少女が横たわっていたのは、穏やかな光に満ちあふれた清浄なる場所だった。まだ見知らぬ、しかし、懐かしい気持ちがわきあがる、色とりどりの花咲く園。

 夢か幻か――。優しい水色の空を仰ぎながら、リンディアがゆっくりと瞬きをすると、複数の人の話し声が聞こえてきた。

『……見つけられたんだ、やっと』

『そう、よかった。寂しい思いをさせてしまってごめんなさいね』

 話し声は、少年と若い女性のものだった。

 聞き覚えのあるような、涼しげな少年の声音に、慌てて起き上がろうとしたリンディアであったが、魔術にかかったように頭すら声のする方向へ向けられない。

『今度――は、――君に――だ』

『そう――面白――わ。私――あ――みたい』

 会話がはっきりと聞き取れたのは、最初だけであった。以降は途切れたり、聞き取りづらかったりと、内容を把握することは不可能だった。

 歯がゆい思いで聞き耳を立てているうちに、声は徐々に遠ざかって行き、リンディアは必死に呼び止めようと大声を出したつもりだったのだが、もはや喉が音を発することもできなかった。

 深淵に落とされていくような悲愴な面持ちで声に手を伸ばしたところで、幻は闇に消えていった。





「ま……って!」

 胸が締めつけられるような思いで次に目を覚ますと、目の前に飛び込んできたのは、少女の守護竜となった、五大竜の一人であるキャリドールの涼しげな顔だった。

 今度は声だけではないようだ。

「大丈夫、ここにいるよ」

 目じりから涙を一粒こぼしたリンディアの胸中を慮った少年は目を細めて微笑み、寝台に横たわる少女の左手を労るようにさすってやった。

「キャリドール、ずっといてくれたの」

「僕は、いつどんなときでも君のそばに」

 そう静かに返してくれたキャリドールの若葉色の双眸をぼんやりと見つめたリンディアは、やっと安心感を得られたと表情を和らげた。そうかと思うと、今度は目を軽く見開いて少年に問うた。

「そういえば、翼竜は? ほかのみんなもどうしているの。エル・ヴィントも……」

 記憶が堰(せき)を切って流れ出し、まるで早朝の小鳥のようにさえずる少女に、キャリドールは苦笑をもらした。身を乗り出して、目覚めたばかりの愛らしい小鳥の頬に手を伸ばす。

「落ち着いて。順を追って話すから。ね」

「そ、うね。……ごめん」

 体の緊張を解いたリンディアに、キャリドールが笑顔で頷いた。

 すると、部屋の扉を軽く叩く音がした。

 キャリドールの返事のあとに姿を現したのは中年の女性で、ふっくらした頬が柔和な印象の、ドラフト公爵家使用人頭である女性、ファリアであった。




 ―つづく―
 一方、吹きすさぶ強風をまき起こし、まさに台風の目となったリンディアは、まるで本物の弓矢を手にしたかのような感触を当然のごとく受け入れていた。しかし、それと同時に、得体の知れぬ違和感も感じていたのだった。

『苦しい……』

 結界を破れば翼竜たちが解放される。それは間違いないだろう。理不尽な形で自由を奪われた翼竜たちには、あの強靭な鉄門の上空を越え、思う所へ飛び立つ権利がある。

『脱走して町を破壊しなくてもよくなるのに』

 リンディアは、勢いづいてエル・ヴィントの力を発現させた己の大胆な行動力に驚いていた。

 黒竜族の里にいたころは、父親を筆頭に周囲の人々によって守られていた。自ら動かずとも幸福に満たされていたのだ。

 それが、風に導かれるようにさまざまな人と出会い、短期間のうちに一歩踏み出すことを覚えていた。無謀ともいえる行動力だった。

 その力は、いったいどこから湧きだしたのだろうか。

『はじめは気持ちよいくらいだったけれど』

 ――今は、苦しい。

 リンディアはかすれた声で呟いた。

「エル・ヴィントに……引きずられている」

 そう自覚したとたん、エル・ヴィントの破壊的な轟音がリンディアの耳をつんざいた。

 短く悲鳴を上げたリンディアの気持ちが、風の精霊から離れると、もう少女の力では風の力をその手で抑えておくことはできない。しかし、エル・ヴィントが精霊使いの少女の手から離れることはなかった。

「うあっ」

 なんとか体を丸めて風の力がはりついている己の腕を抱え込み、地面に突っ伏したリンディアは、うめき声をあげた。

 土埃をあげていた風は徐々に弱くなっていたが、その力を抱え込んだ少女の様子がおかしいので、シオンが大声を出した。

「リンディア、どうしたんだ!」

 シオンだけでなく、アルスやケイン、そして白い外套の魔術師たちでさえ、少女の安否を気にかけた表情で息を呑んだ。

「グラン、あの少女に何があったのですか」

 グランスリードの腕の中で、やっと身じろぎしたロシーヌが問うと、いつもの不敵な口調の青年貴公子が口を開いた。
「あれは、内なる精霊と闘っている。いうなれば、精霊使いとしての最初の試練というべきか。我々は見守るしかないだろう」

「試練……」

 ロシーヌは、グランスリードからうずくまって動かない少女に視線を移し、紅をはいたように赤い唇をかみしめた。




「リンディア、リンディア」
 
風の精霊エル・ヴィントの力に引きずられまいと必死にこらえている少女の背中に、温かな手とともに声をかけたのは、守護竜キャリドールだった。

 キャリドールは、リンディアの髪をそっとひと撫でし、上から抱え込んだ。

『リンディア、抑え込もうとしなくていいんだ。風羽――エル・ヴィントを君の呼吸と同じく思えばいい。ゆっくり、静かに、大気に戻してやって』

 心の中に響くキャリドールの思いに、疲労困憊していたリンディアはしかし、汗にまみれた顔をゆっくりと上げた。

「大気に戻す」

 声に出すことで力を奮い立たせ、リンディアは上半身を起して、地面に座り込む体勢となった。そうして、手にはりついて離れない風の精霊を抱きしめ、大きく深呼吸をした。

 息を吸っては吐き出し、エル・ヴィントの呼吸を感じるように意識を集中させると、徐々に精霊の荒々しい鼓動は穏やかになっていったのだった。



 ふと気がつくと、風はやみ、太陽が茜色の光を放ちながら、双竜山の向こう側へと沈んでいこうとしていた。

「キャリドール。リンディアは大丈夫かい」

 心配したシオンが問うと、乳白色の髪を揺らして少年は頷いた。

 グランスリードたちが、背中を向けたまま座り込んだ少女に歩み寄り、その顔を覗き込むと、一同は苦笑ともつかぬ、脱力した笑い声を小さく上げた。

 そうして、皆の胸中を代弁するように一言、ケインがため息交じりに言った。

「大物ですな、幼き精霊使い殿は」

 誰もその言葉を否定する者はいなかったのは言うまでもない。

 蜂蜜色の髪の少女は、安らかな寝息を立てていたのだった。




 ―つづく―

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