紫の砂漠にたたずんで←ブログ引越しました!

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華姫@天地人 です。
相変わらず大好きです♪

華姫の位牌は鎌倉の明月院に安置されています。
明月院といえば、アジサイの名所ですね。
今月始めに早速行ってきました!

平日かつ朝一だったのですが、既にものすごい人混みでした。
ここのアジサイは国産の姫アジサイという種類です。
手鞠のように小ぶりでまん丸に固まって咲く、とても愛らしいアジサイです。
明月院ブルーと呼ばれる、淡くて品のある、とても美しい水色をしています。
前後左右、このブルーに囲まれると本当に幻想的ですよ!!
6月はジューンブライドの季節ですから、是非、鎌倉で挙式される花嫁さんには
このアジサイをブーケにして頂きたいくらい可憐なんです♪

残念ながら、華姫の位牌は宝物館(非公開)に安置されているのか、拝むことは
できませんでした。
でも華姫のイメージぴったりのお寺だったのでとても満足しています。
(正確には本堂は明治時代の廃仏毀釈で壊されてしまい、明月院は庵だそうです)
今にもアジサイを愛でて散策する景虎と華姫が現れそうな、慎ましやかで静かな
名所でした♪



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山辺皇女

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激動の飛鳥時代を生きた皇女、山辺皇女(やまべのひめみこ/663〜686)です。
悲劇の皇子として名高い大津皇子(おおつのみこ)の正妃ですね。

天智天皇を父に、名門・蘇我氏の娘、常陸娘(ひたちのいらつめ)を母に持つ
超一流の血統を持つ彼女は、大海人天皇の皇子、大津皇子に嫁ぎます。
大津皇子とは1歳違いでしたので、きっと仲睦まじい夫婦だったことでしょう。

悲劇は大津皇子があまりにも人望が厚く、当時の皇太子、草壁皇子(くさかべのみこ)を
凌ぐ人気があったこと。
草壁皇子の母が女傑・持統天皇の皇子であったこと。
そしてその持統天皇が、山辺皇女の祖父・蘇我赤兄(あかえ)を憎んでいたことでした。

持統天皇の胸中は、このまま大津皇子が即位すれば憎い赤兄の孫が皇后になってしまう…、
そんな複雑な思いがあったかもしれません。

大海人天皇が崩御した後、大津皇子は皇位略奪の謀反の疑いをかけられ、
異例の速さで逮捕され、処刑されます。
時に24歳。

山辺皇女はその知らせを聞くと半狂乱になり、裸足のまま屋敷を飛び出して
夫の処刑場に駆けつけ、殉死します。
23歳の若さでした。

夫を偲ぶ歌も残さず、発作的に後を追った自殺だったのでしょう。
本当に大津皇子を愛していたのだと思います。
深窓に育った皇女が裸足で街を駆け抜けた。
その事実だけがとてもリアルに、時を経て伝わってきます。



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壱与

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壱与です。
あまりにも有名な邪馬台国の女王・卑弥呼の後継者として
13歳で即位した新女王様。

纒向遺跡が卑弥呼の神殿跡、箸墓が卑弥呼の墓の説が一気に有力に
なりましたね♪
これは壱与も描くしかないでしょう!

箸墓付近には大小多数の古墳が点在しています(これが纒向遺跡です)。
今回の調査で、これらの古墳は卑弥呼の側近が埋葬されたのではないかと
仮定されています。
もしかしたら、壱与のお墓もあるのかもしれません!

壱与の時代は卑弥呼ほど記録がなく、いつのまにか彼女は歴史の表舞台から
姿を消します。
その後、いわゆる「倭の五王」が登場し、大和朝廷が形成されていきます。
壱与はそのどこかで政治の実権を握っていたのでしょうか。
大和朝廷のような巨大国家が突然姿を現すとは考えにくいので、
やはり邪馬台国から発展したと考えるのが自然のような気がします。

ちなみに、卑弥呼はこちらです(^^
http://blogs.yahoo.co.jp/way_jinori/12979707.html



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垂仁天皇

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垂仁天皇(すいにんてんのう)。
第11代天皇です。

日本書紀の時代の天皇であり、半ば伝説の人物化していますね。
奈良の尼ヶ辻にとても美しい古墳が残されています。

当時、天皇は亡くなると古墳に葬られましたが、その際一緒に
兵士や侍女など数百人が生きたまま埋められました。
いわゆる殉死です。
高貴な人を一人であの世へ送るのは恐れ多く、死後も従者が
付き従うべきという考えから生まれた習慣でした。

それを中止させ、代わりに埴輪を飾らせたのが垂仁天皇です。

また、彼は永遠の生命に固執し、田道間守(たじまのもり)に不老不死の果実を
探すように命じたことでも知られています。
田道間守は常世国(中国と推測される)へ赴き、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)
を持ち帰ったのですが、既に天皇は亡くなっていました。
このとき139歳。もはや後世の人がつじつま合わせに割り出した年齢としか
思えません(^^;

ちなみに、この非時香菓は橘の実と言われており、その枝が祀られたのが
聖徳太子生誕の寺・橘寺です。

殉死制度に疑問を持ち、自ら殉死する兵士の装いをしてみた若き日の天皇を
イメージして描きました。



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聖フェリペ・デ・ヘススは前回ご紹介した聖パウロ三木と同じ
日本二十六聖人の一人です。
http://blogs.yahoo.co.jp/way_jinori/12723252.html

彼はスペインの裕福な家庭に生まれました。
修道士となった当初はそれほど真面目に活動はしておらず、むしろ堕落していたそうです。
しかしある時改心し、メキシコへ渡り熱心に布教活動を行うようになります。
司祭となるべくマニラに向かうため、貿易船サン・フェリペ号に便乗、そこで彼の運命は
決定されます。

サン・フェリペ号は浦戸沖(高知県)で座礁し、船上の荷物は豊臣秀吉により没収。
その中に世界地図が含まれていたこと、修道士が乗っていたことから秀吉は
修道士をキリスト教布教を隠れ蓑にして日本を植民地化するための手先であると
危惧します。

フェリペも捕らえられ、処刑対象となります。
1597年、長崎の西坂の丘で他の25人とともに磔刑に処されました。
24歳でした。

自分の名前と同じ船に乗り、その船の座礁によって処刑されることとなったフェリペは
「これこそが神のお恵みです」と深く感謝したといいます。



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