私の和竿・和釣具あれこれ

このところ更新が滞っていますが、よろしければごゆるりと。
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        *上が今回の喰わせ竿に押された印。下は前に紹介したスレ竿の印。

  長さ・継ぎ・重さ ① 185.1cm 6 45g
            ② 243.5cm 8 85g
            ③ 300.5cm  10 120g
  仕舞い      36cm(四本仕舞い)

   初代竿辰鯉箱竿組竿(喰わせ)

   初代竿辰時代の昭和12年に作られた鯉箱竿三本組(喰わせ)。
   この豪華極まる鯉竿も、実は過去に紹介した四代東作布袋ふな竿や竿壽ふな竿と同じ人物が誂えた竿のようである。(この件について詳しくは竿壽ふな竿の項を参照ください。)なんとも贅沢な・・・。

   造りは前に紹介したスレ竿と良く似ているが、口塗りも胴も明らかに色合いが異なっている。もちろん調子も全く違い、喰わせ竿ならではのしなやかな調子に整えられており、乗っ込みふななどにそのまま違和感なく使える竿である。
   蛇足ながら、鯉の箱釣りではスレ竿は冬期喰いが悪くなったときに使う竿なので、通年で見れば、この喰わせ竿が圧倒的に本流の竿なのだが、現在に残っているのは大方スレ竿ばかりで喰わせ竿はめったにみることができない。理由は判然としないが恐らく、喰わせ竿の方が使用頻度が高く、かつ大鯉でも掛ければ繊細な喰わせ竿では破損の確率も高かっただろうことが考えられるし、ふな釣りにも使える汎用性が消耗率を高めたのかも知れない。現に手許にある他の喰わせ竿はいずれもボロボロ状態のものが殆どである。

   ところで、この竿が納められた箱だが、平置き型でデスプレイタイプとでも言ったらよいのか、箱に入れたまま鑑賞する様式になっている。例えば六代東作三郎さんの作品をはじめ、当ブログでも東俊、正勇など、戦後のものは数多いのだが、この竿がつくられた当時の竿箱の殆どは(たぶん「刀箱」に準じて考え出されたと思われる)竿袋に納めた状態で収納するタイプが殆どで、こういうスタイルはかなり珍しいように思う。こうしたスタイルの収納箱が増えてきたのは和竿に対する価値観が「実用品」から「鑑賞に値する工芸品」に広がってきたことを意味しているのだと思う。(なお、これは保管時に節相互が干渉してキズがつかないようにするため、との見方もあるとは思うのだが、それだけならそれぞれの節を独立したポケットに納める竿袋の方が効果的だろう。)いつごろから広がりだしたのか興味深いところである。
   もし、本品がこうした形態の竿箱のはしり、魁けの一例だとしたら、それが(和竿を鑑賞の対象に引き上げた)竿忠でなく(道具としての完璧を目指した竿治の系譜を引き継ぐ)竿辰であったのは驚きである。

   当ブログもダラダラ続けているうちにほぼ6年が経過してしまいました。
   紹介すべき手持ち作品の大方はアップし終えたこともあり、今回をもちまして新規更新を長期休止とさせて頂くこととしました。長期に亘りお立ち寄り頂き、また、いろいろとアドバイスを頂いた皆様に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。


  

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竿辰*渓流竿(その2)


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   長さ  4.34m

   継ぎ  5   仕舞い  肘当て無しで100cm

   重さ  192g

   二代竿辰渓流竿
 スリムな矢竹胴に布袋穂の渓流竿。
 二代竿辰の古い渓流竿だが、実はこの竿、穂先が当初の状態から3寸強短くなっている。

 先端がショートした状態で譲り受けて、どうしたものか思案したのだが、とりあえずそのまま蛇口を取り付けていわな釣りに持っていったところ、ケガの功名とでもいうべきか、これがなんと非常に具合が良いのである。
 もちろん当初より強い穂先になって、全体の調子もわずかに胴によるものになっていることは間違いないのだが、それがやまめより重めの錘を使ういわな釣りにうまくマッチしたようである。(逆に、軽い錘でフカセ気味に釣るやまめにはやはり元の方がよさそうではあるが。)

 最適な竿の強さとか調子というのは一定のものがある訳ではなく、対象魚の大小や釣り場の状況、使い手の好み等々で異なっていく、なんとも微妙なものだ。だがしかし、そこに開眼?すると、次々に試したくなってキリがなくなり、結果、道具の山を築くことになる。困ったものだ。
 肘当ては収納時には取り外す仕様。銘印は枠だけみたいだが間違いなく小判竿辰。

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竿忠*尻金具


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   初代竿忠(竹翁)の尻金具

   先日六代東作ふな竿を紹介した際に尻金具の盛衰について書いたので、ついでに竿忠の作品に稀に取り付けられている超絶こだわりの四分一金具をご紹介。
   この金瓢箪の糸止めと精緻な線刻が施された尻金具(片方だけのものもある)は初代竿忠の後期〜竹翁〜二代竿忠の初期頃にのみ見られるもので、作者は中根家(竿忠家)の親族であった腕の立つ金工職人の手によるものと聞いている。写真は拡大してあり、実寸直径は14ミリ。

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竿松*ふな竿

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   長さ  3.27m
 
   継ぎ 7   仕舞い 55cm(栓込み56.5cm)

    重量 70 グラム

   竿松作ふな竿

 ごく最近入手した竿。
 穂先の(多分)裂け直しがされている。附属していた竿袋にはハヤ竿と記入はされているが、どう見てもふな竿である。銘印は焼きごてのようで枠なし竿松。

 (歳がバレルけど)40年ほど前、乗り合い舟でたまたま隣に座ったご老人の竿さばきが素晴らしく、自分の釣りを忘れて見惚れたのであるが、手にしている竿も横から見ているだけでも分かる素晴らしい調子。思わず作者を尋ねてみたら竿松とのこと。それから気になって何本か竿松銘の竿を入手してみたけど(悪い竿ではないけど)目に焼き付いたあの竿と違う。

 和竿睦会の系統図によれば竿松を銘とする竿師には、初代竿幸(鷹松数茂)の直弟子であった内田松五郎(竿松)と、その弟子であった竿栄(初代吉野栄一 昭和20年3月東京大空襲で没 二代目以後は鳩ヶ谷に移転)の弟子福田松吉(工房は川口・上青木)の2人が存在する。ちなみにこの2人は同一系列には属するが初代、二代ということではないようだ。
 内田松五郎の活躍した時期は判然としないが、初代竿栄が内田松五郎の許から独立したのが昭和元年だということからして、おおむね戦前期の竿師であったと思う。

 一方、当ブログで過去に紹介した竿松作はいずれも昭和の末頃に下町の釣具店で購入した物で、印はいずれも長角枠竿松で今回の竿とは違う上に字体も異なっている。
 確証はないが、過去に紹介した竿が福田松吉の作で、今回の竿が内田松五郎の作ではあるまいか。

 一見したところでは目立つ竿ではなく現代的な目からみると野暮ったくにも見える竿なのだが、使ってみると材の良さと、そこから巧みに引き出された調子とバランスの良さに驚かされる竿であった。
 あるいは40年越しの懸案の一本をようやく凡人は手にしたのかも知れない。

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六代東作*ふな竿

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        *ライテイングの関係で銀地が目だっています。通常の目視ではもっと渋いです。
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   長さ  12尺

   継ぎ  8   仕舞い 尺8寸                                                               
 
    重さ 142 グラム

   六代東作ふな竿

 洗練された塗り、姿形が素晴らしいふな竿。三郎さん88才米寿の作。
 三郎さんは95才で亡くなる前年頃まで製竿の手を止めなかった。しかし、この竿をつくった頃を最後に、その後の三郎さんの作はどこか切れ味が影を潜め、三郎さんらしさが薄れていったように思う。個人的にはこの竿が三郎さん最晩年最後の作品である。

 三郎さんの竿は継いだ姿が美しい。並継ぎであっても継ぎ部分の段差が目立たないのである。これは偶然ではなく、こんなところにも三郎さんの工夫と技が秘められている。三郎さんは口巻きに通常使われている糸よりずっと細い糸を用いて口塗りの厚みを減らし、玉口先端部の内側もギリギリまで削いで薄く仕上げている。こういう細部の工夫が三郎さんの竿には込められ、三郎さんならではの美形を生み出しているのだ。しかし、そういう繊細な仕事であれば、継いでいない状態で無理な力をかけたりすれば変形や口割れを招きやすい。使い手にもそれなりの繊細さや配慮が求められる竿なのである。(にも拘わらず、この時期の三郎さんの竿には口栓の付いていないものが多いのはなぜだろう?)

 この竿には、この時代の作品としては珍しく四分一銀の尻金具が付けられてデザインと実用の両面のアクセントになっている。
 この溶接継目のない尻金具は口金などとともに、戦前から昭和の終わり近くまで良く使われた和竿パーツであるが、いつの間にか姿を消してしまい、今では全くと言って良い程使われなくなっている。使いたくても作る金工職人がいなくなっていて、稀に貴金属加工職人が手掛けてくれても、値段がものすごくお高くなってしまう上に、過去の製品の感触とはだいぶん違ってしまうようなのである。
 たぶん、三郎さんは自分のイメージを実現するために、昔からのストックの中からサイズの合う物を探し出して使ったのではないかと思う。しかし、廉価な金具は別にして、四分一の高級金具は通常、一本ずつ竿にあわせて作る誂え品であったようである。ストック品があったとすれば、それはそれで幸運としか思えない。
 蛇足ながら、古い竿に使われている尻金具・口金・リングなどの金具は、時代を経て接着剤が劣化して脱落しやすくなっているものが多い。
紛失すると再入手は至難なのでお持ちの方は紛失しないようくれぐれも注意をして欲しいと思う。

 この竿にはまた、専用に誂えられた箱が附属する。この箱の設計にも三郎さんのこだわりが秘められている。箱の作成自体は馴染みの腕の良い箱屋(既に故人)の手になるもののだが、その設計は三郎さん自らが図面を引いて指示したもので、機能的にも見た目にもとても収まりがよい。箱に収めて「絵」になるのである。かって画家を志望した三郎さんにとって、箱は単なる収納具ではなく、あたかも絵画における額縁と同様な鑑賞のための作品の一部であったのだと思う。使わないのは実にもったいないが使うのはもっともったいない至芸の作品。

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