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都留重人氏は戦後日本を代表する経済学者である。2006年2月5日に逝った。93歳であった。
マルクス経済学が根強かった日本で、都留氏は米英の現代経済論を広めた。
1930年代に渡米し、アメリカの経済学者であるハーバード大学教授のシュンペーター氏の授業を受けていた。同じアメリカの経済学者であるサミュエルソンとの親睦も深かった。
都留氏はスポーツ堪能で長距離走の選手としても活躍していた。
日本軍の真珠湾攻撃後、ハーバード大で講師をしていた都留氏は日本への帰国を余儀なくされる。
都留氏が望んで日本に帰国したわけではなかったが、その後の都留氏の日本経済への貢献はいうまでもない。
都留氏は占領時代に政策立案に携わった数少ない日本人であった。
戦後は経済安定本部(現在の内閣府)で勤め、1947年に第1回の「経済白書」を執筆し脚光を浴びた。
研究生活に戻った1948年以降、都留氏は厳しさを存分に発揮した。日本の経済論壇に対しては「西洋の学説を紹介するだけの『経済学学』だ」と辛辣に批判し、「机上の空論でなく、現実と経済理論を結びつけるのが真の経済学者だ」と強く主張した。
都留氏は環境経済学の創始者の一人としても尊敬を集めた。
日本経済の高度成長に入ったばかりの1950年代末から公害、環境問題の提起を始めた。
2002年に90歳の高齢で書いた『21世紀 日本への期待』(岩波書店、2002年1月)の中で相当の紙幅で分かり易く環境問題の現状、発生原因、解決方法等を論じた。
都留氏は親友であるサミュエルソン氏の著作を翻訳し、得た収入を利用して、アパートを購入し、欧米からの学生を受け入れた。購入したアパートの命名はサミュエルソン氏に依頼した。親友のサミュエルソン氏は「ロイヤルティー・ハウス」と名付けた。英語で、「印税」という意味もあるからである。
そもそも都留重人氏の渡米は当時の日本政府からの迫害を逃げるためにアメリカに渡ったのである。都留氏は旧制八高(現在の名古屋大学)で左翼活動にかかわり治安維持法違反で摘発し、除名されたのである。
長年のアメリカ滞在にもかかわらず、都留氏はアメリカ流の合理主義には染まりきらず、経済が生むさまざまな矛盾への厳しい追求心を忘れなかった。日米安保などでもリベラルな立場から発言を続けた。
都留氏は真のアメリカ経済を熟知し市場経済・資本主義経済の致命傷をよく分かっている唯一の日本人経済学者である。都留氏と比べれば、現の無学でインチキの竹中平蔵氏はうわべだけを知っているアメリカ・市場経済への盲目な崇拝者に過ぎない。無信無頼の小泉純一郎氏ならなおさらの門外漢と言うしかない。
最後まで仕事をしようとして燃え尽きる都留氏は亡くなる直前でも日本の政治や社会動きを鋭く批判した。その遺著の原稿を気にかける。
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