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ロサンゼルス市警は30日、格差是正を訴え同市庁舎周辺に寝泊まりしてデモ活動を続けていた市民らを強制的に排除し、292人を逮捕した。
警察はデモ参加者に対し28日までに退去するよう命じていたが、参加者が移動しなかったため、強制排除に踏み切った。 デモ参加者は、9月に米ニューヨークで「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」と銘打って始まった格差是正デモに呼応し、ロサンゼルス市庁舎周辺で抗議活動を実施。参加者が占拠していた場所には500のテントが設置され、700─800人が終日にわたり抗議活動を行っていたとされている。 逮捕者の大半は退去命令に従わなかったことで逮捕された。 警察による強制排除では、オークランドなど他の都市でデモ参加者の排除に使われた催涙ガスは用いられず、負傷者も出なかったとみられる。 ペンシルベニア州フィラデルフィアでは、市庁舎周辺の広場で反格差デモを行っていた市民ら約100人が退去したが、警察の発表によると、その後高速道路の封鎖や警官に対する暴行などの容疑で52人が逮捕された。 |
アメリカの経済社会
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米年末商戦の幕開けとして注目される感謝祭翌日の金曜日「ブラックフライデー」(25日)には、一部の小売店で買い物客が銃撃されたり、催涙スプレーをかけられたりという騒ぎがあった。当局が明らかにした。
ロサンゼルスのウォルマートでは、24日深夜に販売開始となるゲーム機「Xbox」を買おうと群がっていた客の1人である女が唐辛子スプレーを噴射し、周りにいた約20人にけがを負わせた。 また、ノースカロライナ州キンストンにあるウォルマートでは、警備員として雇われていた非番の警官らが、乱暴な客を抑えるために唐辛子スプレーを使用。同店では真夜中に電化製品の特売が始まる予定だったが、しびれを切らした客が販売開始前に商品を奪い取ろうとしたため、警備員がスプレーを使ったという。 一方、カリフォルニア州サンリアンドロのウォルマートでは午前1時50分、買い物を終えた男性が駐車場で強盗に襲われ、銃で撃たれる事件があった。男性は重傷だが容態は安定しているという。 アリゾナ州ケーブクリークのウォルマートでは、24日遅くに従業員の休憩所で爆破装置のようなものが見つかり、店舗が一時閉鎖された。地元警察はロボットを使って装置を回収、爆発物探知犬で点検した後に店は再開された。 ブラックフライデーは米国の小売業界にとって、1年で最も忙しい日となっている。 |
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ロナルド・ドーア 中央公論 11月25日 一方、アメリカを含む多くの国では、当該会社の社債を一枚も持っていなくても、その社債に対するCDSはいくらでも市場で買うことができる。これを「裸の」CDSという。 「裸の」CDSは、多くの金融業者、ヘッジファンドにとって理想的なギャンブル市場となっている。何かの情報を先取りして、「あの会社は危ないかも」と聞けば、掛け金一パーセントで市場に出ているCDSを買おうとする。それを嗅ぎつけた他の人も買おうとして、銀行などが掛け金二パーセントの新契約を発行する。すると、「あの会社はやはり危ない」と、取引会社や下請け、資材供給会社などが警戒し、信用売りつけを拒む。そして当該会社の実態は悪化し、評判はさらに悪くなり、市場で新CDSの掛け金は三、四パーセントと上がる。そうした「人工的」スパイラルに嵌まり、不合理にも実際に倒産してしまう企業は少なくない。 ゼネラルモーターズ(GM)が倒産寸前になった時、もし国家資金の注入で救済されていなければ、倒産による社債保有者の損失額の合計より、CDS契約で儲かる人たちの利益額の合計のほうが大きかったそうだ。 今のギリシャ国債のCDSの掛け金は一三パーセントぐらいまで上がっているが、デフォルトの扱い方によって契約の解釈も変わり、ギャンブラーたちは自分は大儲けできるのかどうかと、わいわい騒いでいる。 ■デモの核心にある格差問題 さて、地味なモノづくりの国、日本の読者には、占拠運動に参加する人たちのウォール街に対する憎悪の根拠がわかるだろうか。 ウォール街占拠運動の原動力は、銀行従業員─役員、局長クラスとギャンブル・トレーダーたち─のボーナスが天文学的数字に達することに対する怒りが最大の動機である。「経済システムを崩壊寸前にし、一〇〇〇万人もの失業者を出し、将来の経済成長を危うくしたにもかかわらず、我々の税金を何兆ドルも注ぎ込ませ、涼しい顔をしてこれまでと同じように何億、何十億ドルものボーナスをとっているとは何事だ!」と。 日本で「格差問題」といえば、主として、終身雇用の慣習が依然として生きながらえている部門に就職した中流階級と、その部門に入るのに成功しなかったワーキング・プアやフリーター、長期失業者との格差のことをいう。かつては新聞などで、「高額納税者」の番付表が、毎年発表されていた。そこでは、小説家とか芸能人とか、中小企業で「当たった」企業家とか、土地売買の富豪など、個人に焦点が当てられ、階層・階級といった構造的な問題は問われなかった。給与体系の上層部にいる大企業の役員、社長などの報酬はあまり問題視されなかったのである。それもそのはずで、一九七五年から九九年まで一般従業員の年収(賃金、賞与、福利厚生)と役員の年収(給与及び賞与)は一対二・五、わずかな景気の変動によって、二・三倍、二・七倍程度になる以外は安定していた。比率が五倍になったのは今世紀に入ってからだ。その比率が四〇〇倍となる企業がザラにあるアメリカとは次元が違う。 所得分布を論ずる時、よく上位、中位、下位という概念を使う。国民を収入の一番高い人から、一番低い人まで並べ、上から一〇パーセント目の人の収入を上位、五〇パーセント目の人の収入を中位、九〇パーセント目の人の収入を下位とする。日本で最近心配されているのは、下位の数字がだんだん下がって中位とのギャップが大きくなってきていることである。米国の不平等化は、上位がますます高くなり、中位から離れていくという形で進んでいる。そして上位一〇パーセントの中でも、一番裕福な一パーセント(約三〇〇万人)がどんどん裕福になり、一九八〇年には国民の個人収入の総額の一二パーセントを得ていたのが、二〇〇七年には二〇パーセント以上となっている。収入でなく、財産で見ると、頂点の一パーセントが三三パーセントを所有している。 アメリカは極端な例としても、同じ英語圏のイギリス、カナダ、オーストラリアでも、「天文学的報酬」が問題とされている。毎年、「労働者賃金上昇率一・五パーセント、社長の平均報酬上昇率二〇パーセント」などという数字が発表され、「けしからん」という意見が新聞の社説やテレビ討論などで表明されてきた。 一方で、市場原理主義者はこう答える。「高額報酬は、特別な人材の正当な市場価格に過ぎない。市場原理を貫徹するよりほかに、いい経済政策はありえない」。道義主義者は、「それだけ社会に貢献しているのだから当然だ」という。右翼の政治学者は、「そんな批判は、嫉妬を利用してポピュリズムに訴えようとする政治家の偽善に過ぎない」という。討論戦術に長けた論者の反駁はいろいろある。 しかし金融業、特に銀行・証券会社のボーナスがそのような討論の主たる「的」になったのは、二〇〇〇年代中期の信用バブルで市場の収益が膨張し、経営者やトレーダーが「稼ぐ」ボーナスがそれに比例して爆発的に大きくなってからだった。そして、その膨張した収益が、短期的利益追求のための投機的取引の産物に過ぎなかったことがバブル崩壊後に明らかになると、世界不況の犠牲者の憤りは頂点に達した。 やがてパニックが収まり、二〇〇九年の秋頃に「回復の兆し」が信じられるようになると、失業率はまだ上昇しているのに、銀行、証券会社、ファンドだけは、政府の支援のおかげでばかに景気がよくなった。国有化されたイギリスのRBS、アメリカのAIGが危機以前の時代に劣らないボーナス計画を発表すると、もう忘れ去られたかと思われていたボーナス問題が二〇一〇年になってメディアを賑わすことになった。 ■ボーナスをめぐる論争 イギリスでの論争の焦点は、ボーナス水準が適当であるかどうかということではなかった。保守党までもこの件については(自分の立場を「単なる嫉妬に基づいたポピュリズム」と一線を画そうとはしたが)好ましくないと言い、国内にコンセンサスはあった。問題はむしろ、何か規制を加えれば、銀行が皆ロンドンからチューリッヒ、ニューヨークへ逃げてしまうということであり、そのために「待った」がかかっていた。 ヨーロッパ大陸でも、英米と似たような論争が起きていた。二〇〇八年にドイチェバンクの頭取の誕生日を祝うディナーを公費で催したことが問題にされたドイツのメルケル首相は、マイナスイメージ払拭のためか、翌年、銀行幹部の年収の上限を五〇万ユーロまでにすべきだと表明した。フランスでは、二〇〇億ユーロもの公的資金を注入されたベ・エヌ・ペ・パリバ(BNP Paribas)が第2四半期の好業績と高級従業員のボーナス総額を発表して、メディアで激しく攻撃され、サルコジ大統領は官邸に銀行業界の大物を呼びつけて、ボーナスの規制を制定することを発表した。すなわち、1、ボーナスは一年ごとではなく、稼いだ期間以降、三年かけて三分の一ずつ払うこと、2、三分の一は現金でなく、ストック・オプションの形で払うこと、3、新雇用契約には最低ボーナスの保証をしないこと、である。BNPの頭取はその場で、ボーナス総額を半減することに同意した。 イギリス人の一人として、「人を騙す金融商品の発明にしか優れていないわがイギリス」を嘆きたくはないが、規制を加えればシティから銀行が他国に逃げていくという脅しはホンモノかもしれないと思う。ということは、銀行従業員の報酬に関して一国規制主義は難しく、国際的に協調して各国が同水準にするしかない。 幸いにして、その可能性はある。金融危機以来、G20だの、BIS(国際決済銀行)だの、FSB(金融安定理事会)だの、グローバル・システムの構造改革を検討しているメンバーは、おそらく所得分布の上位一パーセントに属する人だろうが、皆とにかく、自分たちも損するかもしれないので、金融制度の崩壊を避けたいと思っているはずだからである。 ■ボーナス問題が重要だった理由
二〇〇七年以降の四年間、いろいろ重要な問題が論じられている中で、銀行のボーナスの問題が目立って重要だったのには、次のような理由がある。 投資銀行の報酬制度は、給料より、「成果主義」のボーナスが中心となってきた。「成果」はたいてい、ギャンブル的取引での儲けで測られる。そのため、景気のよい時にリスクの大きい商品を作って、高値で売ったり、高い手数料で取引しようというインセンティブが強くなる。トレーダー個人には巨大ボーナスの累積があるため、銀行が倒産して職がなくなっても、一生豪勢に暮らせるわけだから、そのインセンティブに歯止めはかからない。ところが、景気が下り坂に入り始め、リスクが多くなって、リターンがどんどん不確実となると、皆一斉にリスクの高い証券資産を売ろうとする。そして二〇〇八年の時のように、システム全体がパンクする危険が出てくる。というわけで、ボーナス文化はリスク・テークを試みさせる過度のインセンティブとして、金融を永遠に安定させないシステム上の欠陥なのである。 その認識に基づいて、二〇〇九年のピッツバーグのG20会合で、ボーナス規制の原則、その弊害を最小限にするガイドライン、六ヵ条規則が提案され、多少は国内法に取り入れた国もある。 しかし、そのような制度修正は、実体経済に携わる人と金融業に携わる人との一対五、あるいは一対一〇といった給料格差を変えることができるような規制ではない。そのため、ウォール街を占拠しようとする人たちの憤慨、嫉妬、正義感に訴えるものにはなりえない。 実際、優秀なアメリカの大学の卒業生の大半、そしてギークの大半が、メーカーやサービス業ではなく、その才能を“ずるい”金融商品を作ることに使い、大儲けが可能な金融業を目指す、という現状はなかなか変わらない。 ウォール街占拠運動にエールを送りたいと思う。同時に、うっかりして暴力沙汰の末に支持を失わないように、極左にも、体制当局の挑発にも気をつけるように、と言いたい。 |
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ロナルド・ドーア 中央公論 11月25日 ■世界各国に広がったデモの特徴 雑誌『WIRED』によると、アメリカ・ウォール街占拠運動への参加者は、「ブツブツ文句ばかり言う汚いヒッピー」より、ウィキリークスと同様のハッカー精神を持った「ギーク(コンピュータやネットに関して卓越した知識を持つ人)」が多いという。その点では、先日の東京での、お祭りのようだった反原発デモに似ており、八月のロンドン、十月のローマでのデモが暴動にまでエスカレートし、多くの負傷者を出したのとは様相が違う。 私は温暖化対策として原発は欠かせないものだと思っているがそれはさておき、ウォール街や東京の平穏な抗議デモも、暴力的になったロンドンなどのデモも、これまでのように組合や政党などの組織が動員したものではなく、ツイッター、インターネットを使った “個人動員”という二十一世紀型の現象であることを指摘したい。江戸時代、凶作にもかかわらず年貢が軽くならず、あちこちで百姓一揆が起きたとき、もしツイッターがあったとしたら、幕藩体制は三〇〇年も続かなかっただろう。 ただ、ウォール街や東京の「五万人集会」と、ロンドン、ローマとでは、流されたメッセージが違っている。両者ともに、「××が酷いと思わない? 抗議デモに行こう」という内容だったが、ロンドンやローマでは加えて、「今晩ポリ公/移民/黒人をやっつけるから、面白いぞ。来いよ」というメッセージもあった。若年失業者の数が増え続けている今日、社会から疎外されて暴力に走る傾向がある彼らに、いかにして希望を与え、社会の一員であるという意識を植え付けるかが大きな課題となっている。 ■ギャンブルに走った銀行 ウォール街のデモに参加している、『WIRED』のいうすぐれて頭のいいギークも、暴力こそ振るうことはなくとも、現在の社会体制に対してゲリラ戦を行っていることは間違いない。世論調査でニューヨーク市民の六七パーセントがデモ参加者に同情的だというのも驚くことではない。近年「世界経済の金融化」を研究テーマとしてきた私としても、これは「正義の戦争」だと思う。金融市場を厳しく規制する法律、すなわちドッド=フランク法が実際に効力を発揮できるか骨抜きにされるかがまもなく決まる時期であり、デモはそのカギを握っているからだ。 詳しく説明しよう。銀行の最も重要な機能はいわゆる「満期返還」である。一方で、客の預金を使って、実体経済を動かす企業へ短期・長期の貸し出しを行うという役割もある。預金が引き出される推定率、貸し出しの量と利率、短期・長期のバランス、不良債権になる可能性などを計算して、それらの釣り合いを保つのが本来の銀行業の妙味である。 ところが、そういう地味な仕事─預金に対して払う利子と債権の利子との利ざやで利益を上げること─に満足せず、預かった膨大な資金を、うまくいけば大きな儲けが期待できる証券、土地、物品などの市場での投機的売買に使うという誘惑が、常に銀行にはある。 銀行がそういうギャンブルに足を踏み入れたことが一九二九年の大恐慌の大きな原因の一つであった。銀行は軒並み倒産し、預金者が大損するばかりでなく、実体経済も機能不全に陥った。そこから生まれた治療法が、グラス=スティーガル法(一九三三年)であり、これによって商業銀行と投資銀行の分離が強制され、一般市民の預金を使ってリスクの大きい投機的投資はできないようになった。その思想は、戦後日本で作り直された金融制度─都市銀行、開発銀行、信託銀行、証券会社など分野ごとに金融機関を特化させた─にも体現された。 ところが、ウォール街の銀行屋たちはこうした規制に束縛されたままでいようとは考えなかった。金融業の政治的な力が増してくると(米国の全法人利益に金融業が占める割合は、一九四〇年代に七〜八パーセントだったのが、二〇〇〇年には四〇パーセントとなった)、共和党はウォール街と同盟を結んだ。一九九八年の中間選挙で共和党が勝つと、クリントン大統領はグラス=スティーガル法を廃止する法案にサインせざるをえなかった。 それとほぼ同時期の日本でも、橋本政権以降、新自由主義者たちによって進められていた、銀行・証券会社の縄張りを廃し相互参入を許す規制緩和、いわゆる金融ビッグバンが行われることになった。 ■ドッド=フランク法は骨抜きにされるか 二〇〇〇年代前半、住宅資産のバブルにリードされた資産市場の(永遠に続くと思われた)右肩上がりの波に乗り、米国のあらゆる銀行が“ギャンブル活動”を大きく拡大させた(イギリスのある銀行やドイツのドイチェバンクも一生懸命それを追いかけ、日本やその他のヨーロッパ大陸の銀行はより慎重に追いかけた)。やがて住宅バブルが弾け、資産市場の価格下落(特に金融派生商品、証券、住宅ローンなどの無形の資産)が始まると、大損して倒産する銀行も出てきた。 しかしアメリカの金融当局(財務省、FRB〔連邦準備制度理事会〕、SEC〔証券取引委員会〕)には、「Too big to fail(大きすぎて潰せない)だから政府が助けてくれるだろう」というモラル・ハザードの思想を排し市場原理主義を貫徹させるため、死ぬべきものは死なせるべきだとの声が強く、ベア・スターンズとリーマン・ブラザーズを倒産させた(ベア・スターンズはJPモルガンが救済買収)。 ところが、リーマン・ブラザーズ倒産の翌日、次に危ないのは、さらに大きいAIGだということが明らかになり、さすがの市場原理主義者たちも金融制度の大崩壊を恐れて、大量の公的資金を注入してAIGを救うことにした。TARP(不良資産買い取りプログラム)によって、同じような公的資金が他の銀行へも供給された。 リーマン・ショックにより、機能不全に陥っている米国の金融制度を何とかしなくてはならないという意識が高まり、二〇〇八年にG30の会合が開かれた。このG30とは非公式な国際機関で、金融界、学界、官界の専門家三〇人で構成されている。現会長は、カーター、レーガン政権下でFRB議長を務めたポール・ボルカー。 この会合での最も重要な提言は、「グラス=スティーガル法を復活すべし」だった。ただし、アメリカ人は過去に戻るのが嫌いだから、その後、グラス=スティーガルの名前は出てこなくなり、「ボルカー・ルール」が議論の中心となった。オバマ政権の経済再生諮問会議議長でもあるポール・ボルカーの名のついた「ボルカー・ルール」とは、一般国民の預金を預かる商業銀行に対して、自己資金による高リスク商品への投資を禁止するものである。これによって銀行は、退屈な「普段着型」の銀行でいくか、投機的ギャンブルがいくらでもできる派手な「カジノ型」の銀行になるか、二者択一を迫られることになる。 リーマン・ショックの衝撃はあまりにも大きく、ゴールドマン・サックスの前CEOを財務長官にするほどウォール街と癒着している共和党も、新しい規制の必要を認めざるを得なかった。ところが、下院の民主党議員バーニー・フランクがボルカー・ルールを含む金融規制法案を議会に提出したところ、共和党は猛烈に反対し、押し切るためには大変な努力と、ある程度の譲歩を必要とした。苦労の末に成立したのがフランクと上院のクリストファー・ドッドの名を冠したドッド=フランク法であり、この法律はボルカー・ルールを強制する条項を含んでいる。 グラス=スティーガル法が成立した当時と比べると、今の世の中はずいぶん複雑になった。グラス=スティーガル法は三〇ページだったのが、ドッド=フランク法は二〇〇〇ページ以上にも及ぶ。二〇一二年までに細かい規則を行政官が書かなければならないのだが、それに対するウォール街のロビー攻勢にはすさまじいものがある。そのバックには、議会で勢力の強い共和党がいる。 ウォール街占拠運動がどれだけ広がるか、思慮不足の不満分子や右翼が送り込む暴動扇動家がいても一般市民の同情を失わないですむか、政治家はどう影響されるのか、ロビー活動家対行政官の勝ち負けはどうなるか等々は、単に見守るのが面白いだけでなく、世界経済の行く末を占ううえでもきわめて重要なことである。 ■危険な「裸の」CDS市場
金融規制の問題として、普通の銀行とカジノ型銀行の分離を取り上げてきたが、他にも問題はたくさんある。一例として「裸の」CDS(Naked CDS)市場を取り上げよう。 AIGのような、保険会社でありながら、他の銀行と同様に自前のギャンブルに深入りする会社が今では多くなってしまったが、本来の保険事業とは、社会的に有用な立派な事業であった。家を買う人が、火事や盗難に遭う可能性に備えて、掛け金を払って大損を避ける。一家の大黒柱が突然亡くなる可能性に備えて、生命保険をかける。それは合理的な行動だ。 同様に、保有する社債や国債を発行している会社や国が破産する可能性に備えて保険をかけることも合理的である。比較的安定した会社なら、社債の額面の一パーセントか二パーセントで保障を買うことができる。 ところが妙なことに、こうした保険は英米法では、保険法の規制を受けない。金融業者にとって都合のいいことに、保障されているのは「証券」だから、証券法でしか規制されない事業となる。「社債保険」「国債保険」は、「保険契約」でなく、Credit Default Swap(CDS=企業の債務不履行にともなうリスクを対象にした金融派生商品)とうまい名前がつけられている。 「バラの名前を何にしようと、香りには変わりはない」とシェークスピアは言ったが、CDSと保険には一つ大きな違いがある。保険の場合、自分の家に保険をかけるのはいいが、他人の家に勝手に保険をかけることは許されない。こっそり火をつけてしまう誘惑にかられるのは、あまりにも明らかだからだ。 |
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米ニューヨーク市マンハッタンで25日、非営利団体(NPO)「ボランティア・オブ・アメリカ」のメンバーが、サンタの格好をして毎年恒例のパレード「サイドウォーク・サンタ」を行った。
今年で109回目を迎えた「サイドウォーク・サンタ」は毎年感謝祭の翌日に行われ、貧困者に対する支援を呼び掛け募金活動を行うなどしている。 米CBSによると、今年は約50人のサンタがパレードに参加した。 |







