|
総務省は16日、地方公務員給与の調査結果(11年4月1日現在)を発表した。
国家公務員を100として給与水準を示すラスパイレス指数は、前年並みの98・9と8年連続で国を下回る一方で、持ち家の職員に対する住居手当が4割超の自治体で残るなど「お手盛り」の支給も判明。 国家公務員給与の削減など、国レベルでは「身を切る改革」も進んでおり、地方への歳出削減圧力がさらに高まりそうだ。 地方が国より低水準だったことに総務省は「自治体の行革努力の成果」としているが、国家公務員の平均7・8%カットが始まる今年4月には地方が上回る見通しだ。 |
日本の経済社会
[ リスト | 詳細 ]
|
世界の誰もが信じられないほどの悲惨な光景が、テレビ・新聞などの伝統的なマスメディア、そして近年発達したインターネットメディアによって世界に瞬く間に伝えられた「あの日」から1年が経過しました。 2011年3月11日に発生した東日本大震災は間違いなく日本の歴史に深く刻まれていく天災であり(本当は人災と言うべき)、また日本の歴史上初めて即時に世界に向けて刻一刻と変化する状況が映像として伝えられた非日常的な天災(人災)でありました。 改めまして、東日本大震災で被害に遭われた方に対し謹んでご冥福を申し上げ、またそのご親族の皆様、そして今も尚、避難所での生活を強いられ震災以前の生活に回復されていない皆様に対し、一日でも早い経済的・物理的な復興と、精神的な回復をお祈り申し上げます。 この震災一周年のブログの冒頭にて誤解をおそれずに発言するならば・・・「この1年間、日本はまったく動きませんでした。」というのが正直な僕の感想です。 震災発生のその直後から、最も直接的被害の多かった東北地方では多くの「現場」において、それぞれの住民のみなさんが助けあい、食べ物をわかちあいました。主に公共交通機関への被害によって都市機能不全に陥った首都圏においても国民の一人ひとりが毅然たる態度をとり、小さな混乱は生じたものの、あたかも日本国民は以前から「この時のための避難訓練」がなされていたように、パニック行動を最小限にとどめました。企業から国民ひとりひとりに至るまで、「助け合い」「絆」の精神が隅々まで行き渡っていたという日本文化の真骨頂が世界の共感をよんだものでありました。(また、世界からの多くの義援金・支援物資、本当にありがたかったと思います。) 各産業においても、程度の差はあれ物流・ロジスティクスの致命的問題点が発見され、被災地域にハードインフラを置いている企業活動が停止したことによって、産業価値連鎖(バリューチェーン)が分断され、直接的な被災地域に無い企業においても、企業活動が著しく阻害されるという事態も多く発生しました(例:自動車重要部品を製造する企業の被災によって、被災地にはない自動車工場での生産がストップしてしまう。)。しかし、これも被災から数ヶ月の期間をもって、当初の予想よりも早く、様々な代替方法、そして現場レベルでの連日連夜の検討の結果、個別の企業は震災の被害を克服し、産業バリューチェーンは震災以前よりも一層強いものとなりました。企業と産業のリスク管理技術の向上によって、いわゆる「雨降って地固まる」が発生し、強い構造体となったわけです。 もちろん、個人商店など比較的小規模にて、東北の被災地にて活動していた企業は、復興どころか廃業においこまれた例も多く、決してすべての企業が回復したというには程遠い状況ではありますが、各所で、産業回復への努力がいまも必死に行われている状況です。 一方で、これまで何度も僕がこちらのブログでも批判してきましたが、「1年間、まったく動かなかったもの」、それは日本の政治です。日本国民という個人が、そして、日本の経済を支える企業が必死に努力をしている中で、政治は動きが極めて遅かったと言わざるを得ません。 僕は社会的組織を研究する中で、社会組織セクターを3つにわけることがあります、政府セクター、民間営利セクター、ボランタリーセクターです(伝統的な考えでは、政府セクターと民間セクターの2部門だけです。)。多少強引にわかりやすく説明すると、これら3つの区分はそれぞれ「政治家・公務員」・「企業家・会社員」・「芸術家・宗教家・自由な個人」が職業的に代表していると捉えてもよいでしょう。それぞれのプレーヤーは社会という互恵関係を通じて互いに影響し合います。 今回の震災をうけて、企業・会社員の皆さんは、自分の企業が生き残るために必死に動きましたし、また表面上の概念だけではないCSR(企業の社会的責任)というものの価値を再発見する良い機会になったかと思います。 芸術家・宗教家の皆さんも、その芸術や宗教を通じて如何に震災という事象を咀嚼し、その要因または表象文化によって説明力を高めることに必死になられたかと思います(例:震災と被災者の心理状況をどの宗教的意義に結びつけるかという宗教、被災を描写した絵画・映画、被災者への心に最も響く音楽旋律の編み出し、等)。 しかし、政治は「必死さがなかった」と思います。ここでいう政治とは、地方自治体の公務員でもなく、また地方議会議員でもありません(被災地の公務員のみなさんが昼夜惜しまず働かれていたことは多く報じられました。)、ここでは国会議員、国政政党幹部、一部の霞ヶ関官僚といえるでしょう。自分たちだけの保身に走り、長期的な復興プラン・ビジョンも提示できず、振り返ってみれば一年間ずっと政局にあけくれていました(本気で政治の役割として震災復興に汗をかいている政治活動家の方も多くいらっしゃるのを僕は知っていますが、そうではなくて、『政治システム不全』という抽象的で厄介な事象を錦の御旗に、自らの震災復興への職業的義務の怠慢をかわしている政治活動家を指します。)。 僕は政治家の個人個人が震災復興に向けて動かなかったといっているわけではありません。おそらく、「それなりのレベル」で動かれていたと思います。しかし、そこには「必死さがなかった」はずです。自らの生活、社会において期待されている自らの役割が「失われるかもしれない」という必死さがなかった。芸術家が今回の震災に対して、何のインスピレーションもわかなかったら、それは芸術性の欠如であり、みずからの専門性に自ら疑問を抱くでしょうし、企業は業績を回復できなければ倒産してしまいます。だから必死だったはずです。ですが、政治家は必死さがなかった(議員の議席を守るという必死さはあったはずですが・・・。政治家の本質は議席を守る必死さではなく、政治という活動をする必死さです。)。次の選挙での当落など考えず、震災復興に身を投じる方が少なかったのです。だから結果的に全体として「政治は動かなかった」ということになろうかと思います。 音楽家がひとの心に伝わる音楽を奏でることができなくなったら、自らの進退を考えるでしょう、会社の社長さんが企業を運営できなくなったら倒産が迫ってくるでしょう、政治家も本来そうあるべきで「国家の財産・国家の利益」を保持・発展させること活動ができなくなったのならば、進退を考えるべきです。政治家だけが「長期的な視野だから」「いま政治をストップさせることはできないから」「政党が機能不全に陥ってはいけないから」などという「体の良い言い訳」を盾にして曖昧な復興活動するなどというのは、まったくもって意味のないことでありましょう。 これだけの震災をもってしても、変わらなかった日本の政治です。日本の政治家(せいじか)は政治家(せいじや)→政治屋のほかはない。いまこの1年を振り返り、日本の「政治」以外のみなさん、本当にお疲れ様でした。震災の傷から、復興を通じてより良いものへと昇華させていきましょう。「雨降って地固まる」であります。 日本の政治を自己利益・集団利益として利用し、「政治」中枢に携わるみなさん、「必死さとは何か」「真摯さとは何か」改めてお考え頂ければと思います。 すべての社会セクターが活動しなければ、東日本大震災からの最終的な復興はありえません。この1年間で「政治」以外は結果をだしました。さて、「政治」においての彼らが言う「復興」は、これからということですが、少なくとも(!!!)次の1年では結果を必ず出していただきたいと思うのは僕だけではないのではないでしょうか。 中川幸司 アジア経営戦略研究所上席コンサルティング研究員
|
|
放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ、何言ってんだー、税金(かね)かえせ、 (中略)長生きしてえな これは20年前に忌野清志郎がエルビス・プレスリーの名曲「Love Me Tender」に原子力発電反対のメッセージを込めた替え歌である。今、福島ではこの歌がまた人々の間で流行している。 なぜならこの替え歌は福島県民の心の声そのものだからだ。だが、原子力は要らないと叫びながらも、放射能汚染と共に生きて行かざるを得ない現地の人々は多い。 ◆「原発さえなければ」 福島県南相馬市は福島第一原子力発電所から20キロメートル余り離れた所にあり、放射能汚染の危険から最も近い地域である。原発から半径20キロメートルの「警戒区域」の検問所から南相馬市の中心区域まで5キロメートルも離れていない。警戒区域の境界では今も数名の警察らが検問を行ない、区域内の治安を取り締まっている。県外からの特別出向警察官は「ウルトラ警察隊」と呼ばれている。こんな情勢の中でも人々はジョークを忘れていない。 警戒区域の検問所から市中心部に向かうと、静まり返った街の様子が否応なく感じられる。警戒区域に近いところでは、あらゆる店舗が閉ざされている。市中心部にまで行ってようやく、歩行者や営業中の店舗をちらほらと見かけるようになった。 昨年、原発事故が発生してから2週間後に南相馬市を取材した際、同市は「屋内退避地域」、つまり屋外の放射線量が高いため被曝を避けるために屋内退避を政府から命じられていた地域だった。 幼稚園や学校は直ちに閉鎖されたため、転出を余儀なくされた世帯も数多い。7万人だった同市の人口は、最も著しい時にはわずか1万5千人にまで減った。救援物資を運ぶトラックの運転手も放射能汚染を恐れて来たがらず、市民生活はマヒ状態になった。桜井勝延市長がその窮状を動画投稿サイトYouTubeの動画を使って訴え、全世界から大きな反響を呼ぶようになってようやく、状況が改善されるようになった。その後、桜井市長は米タイム誌・2011年版「世界で最も影響力のある100人」の一人に選出されている。 あれから1年。放射線量の低下に伴い、戻って来た市民を合わせると今では4万人余りが南相馬市で暮らしている。だが、当該地域の放射線量は東京の9倍にもおよぶ。東京電力によると、第一原発は今もなお1時間あたり1,000万ベクレルの放射性物質を放出しているのだ。 「子どものいる家庭や若者はみんな出ていった。残ったのは全部年寄りばっかりだよ」と住民は語る。市役所に勤めていた公務員ですらも、8分の1が辞めるという空前の事態になっている。被曝による健康への影響を懸念しているという理由もあるが、何よりも、ここにいても未来がないと感じている人も多い。 昨年、南相馬市の除染作業を3年かけて行なうために国は600億万円の予算を組んでおり、復旧のための一縷の望みを託している。原発事故が起きてからは、同市の農業、水産業、畜産業、林業はすべて壊滅状態に陥っている。一番先に出荷禁止されたのは牛乳である。それにより酪農家3人が自殺した。そのうちの1人は「原発さえなければ」と壁に書き残し命を絶っている。そして今も生きている人々は、損害賠償をめぐり、東京電力とのせめぎ合いが続いている。 南相馬市では、昨年12月、今後10年の復興計画が策定された。幹部職員・高橋一善氏は取材に対し、「南相馬市は再生可能エネルギーによるクリーンな街に変わる。同時に原子力エネルギーの研究基地にもなる」と同市の未来像を語っている。だが、そうした素晴らしい未来が実現する可能性はどれくらいなのでしょう?と聞くと、高橋氏は苦笑いするだけだ。第一原発を廃炉するには最低でも30年かかるとされている。10年後、南相馬市は果たしてどこまで復興できているのだろうか? だが、復興計画を策定した桜井勝延市長は南相馬市の将来に対し自信を持っている。この1年、桜井市長は文字通り全国を東奔西走し、南相馬市への支援を集めるために駆けずり回って来た。今回、南相馬市を取材に訪れた日も、同市長は東京マラソン大会に出場しており、「諦めぬ福島」をアピールしながら完走を果たしている。 ◆放射能汚染との戦い
70歳になる小武海三郎さんは、南相馬市議会議員を28年間務めた人物だ。彼は31歳の頃から福島県の原発反対派としてその中核を担ってきた。かつて、福島第二原子力発電所建設を反対するために、東京電力を相手に訴訟を起こしたこともあるほどだ。 小武海議員は、南相馬市の居残り組だ。40名の会員からなる市民団体「フクシマの命と未来を放射能から守る会」を立ち上げ、昨年9月より毎月、市民らと結束し、反原発デモ行進を行なっており、その人数は最多時には70人に達している。昨年12月には、市の中心部にある駐車場1カ所で採取した土壌を神戸大学に依頼し、その放射線計測を行なっている。その報告によると、1キログラム当たり約108万ベクレルの高濃度の放射性セシウムを検出している。この駐車場のある区域はかつて市内の緊急時避難準備区域(昨年9月解除)だったのだ。報告書では「高いレベルの汚染で、周辺に人を住まわせてよいとは到底考えられない」としている。 小武海議員は市を通じて同報告書の内容を国に提言したが、いつまでたっても国からの回答はない。そこで、記者会見を開き、報告書の内容を公開する手段を取らざるを得なくなった。また、市長に除染作業を推進していくよう要請している。小武海議員はこうした手段を以って、原発から半径20〜30キロメートル圏に暮らす同市の人々の窮状を国民や行政にアピールしている。小武海議員は「南相馬市は強制避難地域ではないが、今もなお未知の危険が色濃く残っている」と述べている。 昨年12月16日、野田佳彦内閣総理大臣から、原子炉の「冷温停止状態」の達成を完了した旨の発表があった。また、「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と、事故収束を宣言している。これに対し、小武海議員は「我々の暮らしは一向に良くならないのに、何が収束だ」と怒りをあらわにしている。小武海議員が今一番気がかりなのは、福島第一原発4号機である。今の状況では、強い余震が来れば4号機プールの核燃料が全て溶融する危険性を孕んでいる。そして放射性物質が漏れ出したら、その後の被害の大きさは想像に難くない。余震が起きる度に、小武海議員はすぐさまテレビをつけ、原発の状況を確認している。4号機が危険な状態になれば、原発から最も近い南相馬市は一番にその影響を被るからだ。 小武海議員には仙台に住む娘さんがいる。そちらからの招きも断って今も夫婦2人で南相馬市に止まっている。夫妻はこの1年、出来るだけ外出を控え、当地の食品や水を口にしないようにしてきた。小武海議員は「残りの人生すべてをかけて、市民の安全のために、原発運動に邁進したい」と述べている。 |
|
滋賀県大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が転落死し、その後、男子生徒が同級生からいじめを受けていたと市教委が発表した問題で、男子生徒が通っていた中学校で13日、卒業式があり、女性最年少市長の越直美・大津市長(36)が出席し、小学校3年と高校1年のときにいじめを受けていたと涙ぐんで告白、「いじめのない社会をつくる責任がある」と力説した。
市によると、越市長は、「今までに2回死にたいと思ったことがある」と打ち明け、小学3年生のころに交換日記に暴言を書かれ、高校1年のときには、同級生に昼食の仲間に入れてもらえないなどのいじめを受けていたと告白。通学しようとすると腹痛が起こったことも明らかにした。 一方、越市長は「卒業し、海外でも生活し、いろんな人に支えられてきた」と、その後弁護士活動や留学を通して世界が広がったことも伝えた。 男子生徒のいじめをめぐっては、いじめが自殺の原因だったとして、両親が加害生徒3人やその保護者と市に、約7720万円の損害賠償を求める訴訟を大津地裁に起こしている。 しかし、日本社会全体の問題なので市長でも知事でも首相でも社会全体のいじめ撲滅認識がない限り、陰湿で犯罪行為に当たるいじめは永遠に日本に続けられるに決まっているのだ。 |
|
13日、九州新幹線が6時間以上にわたって全面ストップしたトラブルについて、JR九州は14日朝、会見を開き謝罪した。
「多数のお客様に大変ご迷惑をおかけしたことを心より深くお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした」(JR九州 青柳俊彦 常務) このトラブルは13日午後4時ごろ、九州新幹線下り、福岡県筑後市の久留米−筑後船小屋間で、「さくら557号」の運転士が架線にビニールが引っかかっているのを発見し、緊急停止したものだ。ビニールはおよそ2時間後に取り除かれたが、列車のバッテリーが上がり、自力走行できなくなった。 九州新幹線は6時間以上にわたって全線でストップし、上下線で45本が運休、乗客180人が列車内で一夜を過ごした。 「6時間、こんなに待たされたのは初めてですかね」(乗客) 「とりあえずホッとしています」(乗客) 九州新幹線は、14日は通常通り運行している。 |




