博客新人

中国と日本の経済社会事情を知る。さらにもう少し視野を広めて隣国、そしてアジア、また遠いところまで見詰めて行きたい。

世界経済と情勢

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 ●第301件目 一月三十一日夕方、彩霞街の海産物店付近の通りで六十歳代の女性と十二歳の少女が日本兵により強姦された。

●第302件目 一月三十一日、鼓楼、耳條巷で十二歳の少女が強姦された。

●第303件目 一月三十一日、四象橋に住んでいる六十歳代の女性が日本兵に強姦された。事が終わった後、日本兵は銃剣で女性の恥部を刺し、殺した。

●第307件目 一月三十一日、三牌楼駅付近に住む六十歳代の女性が最近十回以上強姦された。

●第327件目 二月一日午後一時、三人の日本兵が鼓楼呉條巷にやってきて十歳を超えたばかりの少女をさらっていった。同じ家族の人たちは一月二十八日、三人の日本兵に襲われ 二人の女性が強姦された。

●第366件目 一月二十九日、五十八歳の何さんは日本兵に二回強姦された。それで収容所に戻ってきた。

●第375件目 二月三日、馬さんは帰宅途中で同仁街の家の前を通っていると三人の日本兵に遭遇 した。彼女は近く の空き家に連れ込まれ、かわるがわる強姦された。(彼女の右手 の中指で爪痕を残した。)

 ●第378件目 一月三十一日、陳さんがShih San Chiehの通りを歩いて帰宅していると三人の日本兵に出会い、HenMaoGianYuanに連れ込まれ輪姦された。彼女は強姦後釈放された。 (彼女の右手の中指で爪痕を残した。)

●第382件目 一月一日、呉昌生が光華門外の自宅に帰った時、七人の日本兵がひとりの中国人の おばあさんを連れてやってきた。彼らにおばあさんを犯せと命じた。日本兵はこの 光景を見て笑っていた。

●第428件目 二月七日、12歳の少女が深夜強姦された。彼女の両親は前日大方巷に引っ越してきていた。父親は娘を収容所に戻した。彼女の父親の話によると心の傷は深く今でも 歩けないということだ。彼女の負傷した部分もまだ腫れ上がっている。

●第430件目 二月五日、一人の日本兵が西中華門附近大中橋の陳さんの家にやってきて女を出せといった。そこには女性がいなかったため、十七,八の少年を引っ張り出し、犯した。

●第436件目 二月五日、三牌楼に住む六十歳を超える陳さんのところに三人の日本兵がやってきた。 一人が見張りで、他の二人は交代で強姦した。日本兵の一人はおばあさんにペニスをなめてきれいにしろと言った。彼女の孫は泣き止まないので二回刺された。多くの犠牲者は強姦の後殺されている。日本兵の田所耕三は率直に述べている。「強姦の後は殺しました。いったん開放すると女たちは逃げていきます。そこで後ろからバンと一発であの世行きです」

●国際安全区の存在は日本軍にある程度は認められていたので兵士たちにも多少の抑止力にはなった。安全区内の殺害は区外よりは少なかった。しかし、安全区は決して安全な場所とはいえなかっ た。日本兵の犯罪の温床となって しまった。日本兵はしばしば安全区にやってきて多数の女性をさ らっていき、朝早く送り返す。たいていの女性が体に傷を負っていた。
 南京安全区国際委員会は安 全区における日本兵による虐殺に関して六十九通の公式抗議文書を提出している。その中に上記の 事件が記載されている二十通の覚え書きも含まれている。
 ティンパレーはその著書 "What War Means: Japanese Terror in China"(「戦争とはなにかー中国における日本軍の暴虐―」) の中でこの報告書を引用した時に書いている。「ここにあげられた事件は南京安全区内のものだけであり、その 他の地域は一九三八年の一月までほとんど人がいなかった。そしてその時期はほとんどの場合、外 国人観察者もいなかった。「南京の強姦」の時期にいったい何人の女性が日本兵や将校の犠牲になったのかについては正確 な数は分からないだろう。あるアメリカ人は簡潔にこう言っている。「そんなものは正確な数を出 すまでもない。女性に対するあのような大規模な犯罪が行われたことが明らかになった今9500件の 強姦と9600件の強姦にどれほどの違いがあるというのか」。
 ●第250件目 一月三十日、四十歳の朱張さんは家に帰ってみると二人の日本兵に強姦された。 (西安新橋)

●第251件目 一月二十九日、十九歳の呉瀛さんは子供を産んで四日目に一人の日本兵に強姦された。

●第253件目 一月二十五日、四十五歳の王張さんは新橋の自宅で夫は日本兵に刺し殺され、彼女は 強姦された。

●第256件目 一月三十日、國府路の自宅に帰る途中日本兵に人のいない家に連れ込まれ、強姦された。彼女は収容所に戻ってきた。

●第257件目 一月三十日、四十四歳の女性が大鍾橋の自宅に戻っていたら、日本兵に人のいない家 に連れ込まれ強姦された。今は南京大学養蚕系校舎に戻ってきている。

●第259件目 一月二十九日、四十二歳の徐陳さんは玉壷舫七号の自宅に戻ると二人の日本兵に強姦された。

●第266件目 一月二十九日、周必臣(男性)は日本兵が撈米蔵で中国人の女性や少女を強姦したの を目撃した証人である。日本兵はこれらの女性を集めて、米やメリケン粉でチキンや あひるの肉と交換してやるから来いと言った。しかし、これが汚い罠であった、と彼は言う。

●第268件目 一月三十一日、安平街銭常巷十三号に住む邱呉さんは米を取りに帰宅すると日本兵に 強姦されて略奪され、収容所に戻ってきた。

●第277件目 一月三十日午後一時、慈悲社二号の明さん宅で三人の日本兵が男を追い出して女性を 強姦した。難民の帰宅の日にちを遅らせてほしいとの嘆願があった。

●第278件目 一月三十日、覃菜橋三十号で3人の日本兵が家に押し入った。男がいないかどうかを 確かめた後、ほんの半月前に赤ん坊を生んだばかりの目撃者の叔母を強姦した。

●第281件目 一月二十八日、で三人の日本兵が大沙帽巷一号の家に押し入り、未成年の少女を強 姦した。

●第282件目 一月二十九日、奈橋の質屋の向かいで二十歳ぐらいの女性が日本兵によって小さな 小道に連れ込まれていた。

●第283件目 天津街三百八十四号、夫を亡くした五十歳代の周さんは強姦された。彼女はまだ拘留されて食事の支度をさせられている。二月一日に報告。

●第290件目 一月三十日午前十一時、朝天宮の黄梨巷十九号で南京大学に避難している十歳を超えたばかりの少女が自宅に戻った。突然四人の日本兵がやってきてこの少女を交代で強姦した。

●第292件目 一月三十日、五薹山の奏里で夕方二人の少女がさらわれた。 第294件目 一月二十九日、民家で三人の日本兵が一人の女性を強姦した。 第295件目 一月二十九日夕方、楚江路の民家で三人の日本兵が一人の女性を強姦した。

●第296件目 一月二十九日夕方、古陵寺九号の民家に三人の日本兵がやってきて二十歳の女性を 強姦した。

●第297件目 一月二十九日夕方、陰陽営二十一号で一人の女性が複数の日本兵に強姦された。

●第298件目 一月二十九日夕方、陰陽営四十三、四十四、四十五、四十六号はすべて日本兵によって家宅捜査され、金と女を漁っていった。四十四号では四人の日本兵が一人の女 性を強姦しその夫を殴った。

●第299件目 一月二十日朝、紫香橋の太平旅館で女性が日本兵から戸口まで引きずられその場で 殺された。

●第300件目 一月三十一日、広州路で二人の日本兵が一人の女性を強姦した。
 ●第211件目 一月二十五日午後、一人の中国人女性が大学病院にやってきた。彼女は夫と安全区に避難して牧師訓練学校附近のかやぶ藁葺きの小屋に住んでいた。十二月十三日に 夫は日本兵に連行され、彼女も南区に連行され拘留されていた。彼女は毎晩七回 から十回強姦された。夜眠ることは許された。彼女は三種類の悪性の性病―梅毒、淋病、軟性下疳―にかかった。おそらく感染の状態のためであろうが、彼女は五日 前に退院した。しかし、また安全区に戻ってきた。

 ●第212件目 一月二十九日午後、難民収容所から若い女性がメリケン粉を買いに茅竹楼に行きました。彼女は日本兵に捕まり、他の二十人の女性とトラックに乗せられた。彼女に よるとFu Tze Miao まで運ばれそこで将官の相手を させられたそうだ。 第213件目 一月二十九日、南京大学付属中学校の南方安老里で日本兵により三人の女性が強姦 された。

 ●第219件目 ジョン・マギー牧師の日記によると南部地区で十三人家族のうち十一人が殺された。 日本兵により女性は強姦され、切断された。これは、十二月十三日から十四日にかけてのことであった。二人の子供が生き残り証言 している。

 ●第221件目 一月三十日、西門難民キャンプの二十四歳の女性が、同居している叔父さんの昼食を 用意するため、今朝午前十一時に帰宅した。(廣州路46号)日本兵が彼女の後を追い、 銃剣で脅して強姦した。 第222件目 一月三十日、ある家族が難民収容所を去るようにいわれたので南京大学養蚕系校舎 から二條巷二十五号の自宅に戻った。その夜、三人の日本兵が裏の垣根を壊し、家 にやってきて玄関のドアをたたいた。開けなかったので日本兵はドアを倒し押し入り、明かりを点けて主人をたたき起こした。彼らは調査隊だと言った。一人は刀を 持ち、一人は銃を、そしてもう一人は武装していなかった。彼らは怖がることはない、危害を加えないからということを強調して、主人に横になって寝ておきなさいといった。主人はそれにしたがった。彼らは金銭を探し、刀を持っていた男は十二歳の少女を強姦した。他の二人はおばあさんを強姦した。日本兵は真夜中ごろ帰って行った。それで家族は三十一日に収容所に戻ってきた。

 ●第223件目 二月一日。今朝六時半、ベーツ博士が大学を出る時、数人の女性が挨拶のため二度 目に集まった。彼女らは家に帰れないと訴えた。収容所が閉鎖されたら寝る場所が 無くなることを案じた女性が昨日二人の娘を們地無の家に連れて帰った。昨晩日本 兵がやってきて女を出せといった。二人の娘が拒絶したので日本兵は銃剣で刺し殺した。この女性はもう家に帰っても仕方が無いという。家でも殺されるのなら、二月四日(一九三八年)にやって来て彼女らを追い出そうとする日本兵に殺されても同じことだと言う。

 ●第224件目 一月三十日午後五時頃、桑恩牧師のところに数百人の女性がやってきて二月四日に は家に帰る必要が無いという。家で強姦され、略奪され、殺されるくらいなら収容 所で殺された方がましだから家に帰っても仕方が無いという。彼女らは言う、「あなたは私たちを半分は救ってくれました。しかし、今家に帰れというのは死ねというのと同じではありませんか。」六二歳のおばあさんが漢西門の近くの自宅に帰った。すると日本兵がやってきて強姦を迫る。おばあさんは「私は年を取りすぎてます。」と言うと日本兵はおばあさんの股間に枝を突っ込んだ。しかし、おばあさんは死なずに戻ってきた。

 ●第226件目 一月三十日午前十一時、足酥巷二号に戻ってきた二人の少女が日本兵に強姦された。

 ●第228件目 一月二十九日、二十四歳の女性が通済門に戻ってきた。彼女が家に帰ると一人の日 本兵がいて、彼女を人のいない家の中に押し込んで強姦した。彼女は今、南京大学 養蚕系校舎に住んでいる。

 ●第230件目 一月二十九日、二十二歳の女性が家に戻った。彼女の夫は数日前日本兵に銃剣で刺し 殺されている。彼女が一月二十九日山北路二号の家に戻った時、日本兵に三回強姦さ れた。

 ●第232件目 一月二十九日。二十八歳の陳王さんは帰宅していた。途中で彼女ともう一人の女性が 三人の日本兵に呼びとめられついて来いといわれた。ひざまずいて助けを請うたが、 ある店に連れ込まれて三回強姦された。

 ●第233件目 一月二十八日、三十七歳の張楊さんは家に帰りつくと日本兵に二回強姦された。 第234件目 一月三十 一日。十七歳の聶馮さんは家に帰って池で米を洗っていた。その時一人の日本兵がやってきて米を放り投げ、桑畑に引きずり込み強姦した。

 ●第235件目 一月三十日。十六歳の姚彩さんは人と会うためにお母さんと大学病院に行った。鼓楼の近くで二人の日本兵が彼女を地面に押し倒し、強姦した。

 ●第236件目 一月三十日。二十七歳の徐秦は夫と隣人と一緒に家に帰っていた。花牌楼太平巷で二人の日本兵が彼女を小さな家に連れて行き強姦した。

 ●第240件目 三十六歳の周陳さんは一月三十日、通済門附近を通って帰宅していると二人の日本兵に強姦された。

 ●第241件目 一月二十九日。二十二歳の慶王さんは一月二十二日日本兵に誘拐され収容所には戻ってこなかった。

 ●第242件目 一月二十八日、三十八歳の畢呉さんが帰宅すると日本兵が強姦した。

 ●第244件目 三十五歳の慶馬さんは帰宅途中北門橋で強姦された。

 ●第245件目 一月二十八日。二十歳の張魏さんは帰宅して二人の日本人に強姦された。

●第246件目 一月二十八日。三十二歳の徐朱さんが帰宅すると日本兵が強姦して夫の衣服を盗んでいった。

●第247件目 三十六歳の慶方さんは通済門附近の焼かれた自宅に戻る途中二人の日本兵に強姦された。

●第248件目 一月二十九日、三十四歳の姚王さんは帰宅途中で二人の日本兵に強姦された。

●第249件目 一月二十九日、十八歳の蔡彩英さんは馬太街の自宅にお母さんと戻っている途中二 人の日本兵に強姦された。
 次に挙げるのは日本 軍の暴行に対して抗議された四百三十六件の抗議文の一部である。
 ●第4件目 十二月十五日夜、七名の日本兵が南京大学図書館に進入し、七名の女性を誘拐した。そのうち三名はその場で強姦された。

 ●第18件目 十二月十五日夜、南京大学宿舎にたくさんの日本兵が進入。三十人の女性を強姦し た。六人から襲われた人もいる。

 ●第41件目 十二月十七日、司法院附近で強姦された若い娘が腹部を刺された。

 ●第53件目 十二月十七日午後三時、大方巷十号の難民区で三人の女性が日本兵にかわるがわる 強姦された。また、一人は銃弾を受け、重傷である。

 ●第105件目 十二月二十一日、緊急避難のため近くに住んでいる女性が昨晩から強姦されたとし て約百名が国際委員会本部に保護を求めてきた。(その前に来ていた女性は南京大 学に移されていた。)

 ●第146件目 十二月二十三日午後三時、漢口路小学校難民収容所に二人の日本兵が略奪のためや って来て、職員の 黄小姐さんを強姦した。その夜他の日本兵がやってきて王さんの 娘を強姦した。午後七時ごろ三人の少女が漢口路小学校 にやって来た。みんな日本 兵に強姦されていた。その中の一人は十三歳であった。

 ●第148件目 十二月二五日夜、七人の日本兵が聖書訓練学校収容所にやって来てその晩は泊まった。 午前九時には四人、 午後二時には三人が来た。彼らは服やお金を奪っていった。そし て二人の女性を強姦した。一人は十二歳の少女である。

 ●第151件目 十二月二十二日、南京大学養蚕校舎で二人の日本兵が十三歳の難民の少女を強姦した。 その母親は 止めよ うとして負傷した。もう一人二十八歳の女性が強姦された。

 ●第154件目 十二月二十六日午後四時、陳家巷六号で十三歳の少女が三人の日本兵に強姦された。

 ●第175件目 一九三八年一月元旦午後四時、漢口路甲十一号の南京大学校舎(アメリカ経営)内で三 人の日本兵が 十四歳の少女を強姦した。

 ●第178件目 一月三日。十二月三十日銅銀巷六号から他の五人と一緒に名義上は日本軍将校の洗濯 娘として連れ去られた女性が大学病院にやって来た。彼女は町の西中央部の日本軍の 病院のようなところに連れて行かれたと述べた。 女性たちは昼間は洗濯、夜は性の慰み者にされた。年配の女性は十回から二十回強姦され、若くてきれいな女性は一晩四十回も相手をさせられた。一月二日、二人の日本兵はわれわれの患者を人気の無い校舎に連れて行き、銃剣で十回刺した。彼女は首の後ろを四回斬られ、脊椎のところま での筋肉が切断された。また、手首に 一回、顔に一回、背中に四回刺された。彼女は 時間が経てばおそらく回復するだろうが、首が自由に廻らないように なるだろう。

 ●179件目 一月三日夜、肉体的にまだ未発達の十四歳の少女が強姦され、大手術を要する重傷を 負った。

 ●第180件目 一月八日、五,六人の日本兵が、強姦後、銃を発砲し三十二歳の李という女性に負傷 を負わせた。

 ●第181件目 一月八日夜、高関四十五号の袁さん宅に四人の日本兵が押し入り三人の女性に乱暴した。年齢は21歳、25歳、29歳)女性が言うことを聞かないと銃を発砲した。

 ●182件目 一月七日、二人の日本兵が梓北謝七号で若い女性を強姦しようとした。張富熙さんはこ れを阻止しようとしたら銃剣で刺された。

 ●第183件目 一月八日午後六時、三人の日本軍の飛行士が跨橋四号で高という十八歳の女性を強姦し て銃で乱射した。日本兵の女性に対する陵辱は占領後1ヶ月たっても収まらなかった。逆に戦いが無いときに激しさを増していった。兵士は酒をのみ性欲のはけ口を求めて何ヶ月も傍若無人に振る舞う。このこと を一九三八年一月十日アメリカ人が上海の友人に宛てた手紙に記している。「大学の敷地内だけでも十一歳の少女から五十三歳の女性まで強姦されている。ほかの難民の中には七十二歳、七十六歳 のおばあさんまで容赦無く強姦されている。神学院内では白昼堂々と十七人の日本兵がよってたかって一人の女性をレープした。実際、強姦の三分の一が白昼に行われている。次に一九三八年一月 十三日以後に安全区国際委員会が報告した事件を列挙する。(これらの期間中は南京の他の地区は 外国人の目撃者はいなかった。)

 ●第190件目 一月十四日、この家族は南京大学付属中学校からの帰り道、日本兵に新しい登 録証をもらい、これを玄関に張っておくと日本兵がやってくることはないといわれた。彼らはそうしたが、一時間以内に三人の日本兵がやってきて男性を放り出し、女性を五回強姦した。それで一月十五日、彼らは中学校に戻ってきて 避難した。

 ●第195件目 一月十七日、南京大学付属中学校に住む家族の男女が自宅に戻った。家は南区 の新開発区にあった。そこに日本兵が一人やってきて女性と寝ることを強要し た。彼女が拒絶すると日本兵は銃剣で刺し殺した。

 ●第210件目 一月二十一日夜、二人の日本兵が高家丘関四十四号にやって来て女を出せといっ た。運良く女性は皆前日南京大学付属中学校に行っていた。日本兵はたばことお 金を要求した。その家族はとても貧乏であった。それで日本兵は隣に行き、そこ で二人の女性を見つけ、夫の目の前で強姦した。二十二日その二人の日本兵は他に二人を連れて家の前で立ち止まり、高笑いした。
 ●南京大学米人教授であり南京安全区国際委員会委員のベーツ博士(Dr. M. S. Bates)も証言した。
 「一九三八年二月六日からその年の夏まで多くの虐殺はまだ続いていました。」安全区内の国 際委員会が作成した統計では、 「少なくとも八万人の女性が強姦された。」 このおびただしい数の強姦がどのくらいのスケールのものであったかは南京にいた日本兵の数と共に占領の期間と地域を調べればだいたいわかるであろう。

(1) 南京戦にたずさわった日本軍は十個師団以上であるが、八個師団以上が侵略戦をした。(日本の一個師団
は普通二万五千名で構成される。)十二月十三日から十二月二十一日まで南京とその近郊 にいた日本兵は
少なくとも十万であった。
(2) 強姦は二ヶ月以上にわたって行われた。南京国際委員会による強姦事件の報告は一九三 八年二月七日まで
には終わった。 しかし、実際、安全区が解散した二月九日以後も強姦は 続いている。
(3) 当時南京市は十二地区を管理していた。

 市内六地区と郊外六地区である。日本軍は市内で あろうと郊外であろうとあらゆるところで犯罪を犯した。殺人と強姦は信じられないくらい残酷なものであった。ある外国人居住者が日記に書いている。

 ●「十二月十七日金曜日。略奪、殺人、強姦の勢いはまだ衰えない。昨晩だけでも強姦件数は千人を下らない。一人で三十七回も辱めを受けたという女性もいた。また、強姦中に五ヶ月の幼児が泣きだしたため日本兵に窒息死させられたという人もいた。抵抗すれば銃剣が待っていた。目撃者の李克痕はその著作「南京陥落後の五ヶ月間」の中で書いている。「通りにはおびただしい 数の死体が横たわっていた。輪姦され殺された人たちである。みんな丸裸にされ、乳房は切り取られ、暗い褐色の穴があいている。お腹を銃剣で切り裂かれている者もいる。はらわたが現れている。丸めた紙や木片を膣内に押し込まれた死体もある」。南京占領から数週間の間に約十万の日本兵が人間性を失った。彼らは市内のあちこちに女性を求めて走り回り、世界を震撼させた犯罪を犯したのである。

 ●十二月十五日以降の状況をデビッド・バーガミニ(David Bergamini)は記している。「捕獲した獲物の中から美人と教育のある女性が選び出され、将官のハーレムで性の奴隷になる。運の悪いものは兵士が収容されている建物や講堂に送られた。陵辱を受けて処刑される者もいる。多くのま だ幼い少女は男の荒々しい野蛮行為により数日後に死亡する。 また多くの少女はベッドに縛りつけられ誰でもがすぐに犯せるようにしている。少女があまり泣きじゃくったり、性病に罹ったりしたら、すぐに殺されてしまう。路地や公園には女性の死体でいっぱいだ。彼女らは死んだ後でも切断されたり、局部に物を差し込まれたりして辱めを受けている。女性は家にいても、通りを歩いていても、国際安全区に逃げ込んでも強姦から逃れられなかった。 市内にいても田舎でも同じである。南京の町全体が日本軍の犯罪の餌食となったのである。これは 日本軍隊の組織的趣味とでもいえるものだ。次は南京大虐殺の生存者の証言である。

 ●当時四十五歳で一九八五年に八三歳になった張という男性は語っている。「日本軍は一九三七年の冬に南京に侵略してきました。当時私の家族は下関の実善通り、徳思過通りのアパートに上層に 住んでいました。日本軍が下関にきて三日目に三人の日本兵が私の家に土足で入り込んできました。 彼らは私の母と妻と義理の姉を強姦しました。そして私を殴りました」。

 ●南京埠頭の初老の労働者姜根福さんは記憶している。「一九三七年十二月十二日、日本の侵略者は 中華門入城の途中殺人、略奪、放火の犯罪を重ねました。中央路と北中山路は血塗られたハイウェ イと化しました。当時、私は七歳でした。鬼のうな日本兵から逃げるために私の親は私たちを沼 に連れていって隠れていました。ところが生まれて三ヶ月の弟が母親の乳欲しさに泣き止みません。 とうとうそばを通った日本兵に見つかってしまいました。日本兵は私の母を見つけて強姦しようとしましたが母の必死の抵抗に遭いました。日本兵は幼い弟を奪い、地面に強く叩き付け、殺してしまいました。今度は泣き叫ぶ母を撃ち殺し死んだ赤ん坊のところに投げ捨てました。次に十一歳の姉に目をつけて強姦しようとしました。 姉はとっさに逃げましたが、数人の日本兵に追われ今の運河学校附近で捕まりました。 姉は憎しみで蹴ったりわめいたりして抵抗しましたが、野蛮な日本兵はこれに怒り、刀で妹を真っ二つに斬ってしまいました」。

 ●一九八五年時七十八歳の沈錫恩さんはイスラム教徒だった。彼は一九三七年十一月十七日に安全 区の豆菜橋二十八号に引っ越した。九人家族だった。彼の家の近くのアパートに隣人の李擴飛さん (当時二十八歳の女性)が母親(当時四十歳ぐらい)と同居していた。 一九三七年十二月、二人の日本兵が沈錫恩さんの家に押し入った。李擴飛さんは三歳のと遊んでいた。二人の日本兵は赤ちゃんを奪い壁に投げつけ次に李擴飛さんを部屋に引き摺り込み強姦し た。沈錫恩さんは今でもはっきり記憶している。

 ●一九三七年十二月十九日、李秀英さんと他に六、七人の女性が上海路にある学校の防空壕で避難していた。突然日本兵が現れ乱暴しようとした。李秀英さんは一人の兵隊の腰の鞘から銃剣を奪い 激しく抵抗した。彼女は頭で兵隊の胸に体当たりした。慌てた日本兵は笛を吹いて仲間に助けを求 めた。この間に他の女性は脱出するチャンスがあった。李秀英さんは日本兵をしっかり捕まえてい た。他の兵隊は女性を逃がし、レイプできなかった腹いせに彼女を三十三回も銃剣で刺した。 彼女は気を失った。後でウィルソンというアメリカ人医師であり牧師でもあった人に助けられ、一命を 取り留めた。戦後になって東京裁判で三十三回も刺されたこの強姦、殺人未遂事件は南京での日本軍の残虐な強姦を裏付ける動かしがたい証拠となった。 秀英さん自身の証言の他にも李秀英さんの顔やから だの傷の手当てをした鼓楼病院の医者や看護婦の傍証もあるし、外国人によって助けられた李秀英 さんのドキュメンタリー・フィルムも残っている。 これらの証言は南京において日本軍によって行われた強姦を証明するものであるが、これは氷山の一角に過ぎない。南京安全区の国際委員会はこれらの犯罪に抗議している。

 

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