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「聖徳太子・蘇我馬子」連合軍に敗れ、「物部氏」が軍事力を失い・・・「佐伯氏」となり、舞い戻った地・・・「四国」・・・
その後の歴史の 表舞台には登場しない・・・「四国」・・・
その「佐伯氏」の末裔・・・「空海さん」により「結界」を張り巡らされた・・・「四国」・・・
この「佐伯氏」・・・実は、「忌部氏(いんべし)」と、関わりが浅くないんです・・・(同じと言っても?いいのかな??)
「忌部氏」・・・何処かで?出て来ましたぁ〜〜・・・覚えておられるでしょうかぁ〜〜〜???
そうです!!パパが「織田信長公」を書いたときに出てきたんです〜〜〜。
あの時パパは・・・「織田信長の織田家」の出自は「忌部氏」説を支持すると・・・確か?書きました・・・
ここでも、歴史の不思議な交叉が見られるんです〜〜〜。
阿波の国に「忌部神社」なる神社があるんですが・・・この神社こそ「古代 忌部氏 縁の 神社」なんだそうです・・・
さらに「織田信長公」の記事を書いたとき・・・その取り巻きとして、不思議な集団の存在も書きました・・・
木曽川沿いに居を構えていた「生駒氏」「蜂須賀氏」などなど・・・「歴史の闇」にかかわる一族でした・・・
「織豊時代」すなわち「織田信長公」の時代、そして「豊臣秀吉公」の時代・・・
不思議な国「讃岐・阿波」はどうなっていたのか・・・
土佐の「長曾我部」は有名ですが・・・「讃岐・阿波」は???・・・
「室町時代」には「細川氏」の領地だった「讃岐・阿波・南紀」・・・「織豊時代」には??・・・
そうなんですぅ〜〜〜「讃岐」は「生駒氏」が、「阿波」は「蜂須賀氏」が、それぞれ治めていたんですねぇ〜〜〜
この両家、「関ヶ原」の後も「徳川家」より「碌を加増」され、領地もそのままだったんです〜〜〜何故でしょう??
「徳川」の時代となり・・・「土佐の長曾我部」は駆逐され・・・ご存知「山内氏」が「土佐」を治めます・・・
「徳川幕府」にとって「辺境の地」であるはずの「四国」・・・「外様大名」が配置されてもおかしくないのに・・・
「四国」には・・・「徳川家に忠実な武将」を配置しているんです〜〜〜何故??
以前、「織田氏」も「徳川氏」も・・・「秦氏」の家系・・・と、書きました・・・知っていたのでしょうねぇ〜〜〜多分・・・
「四国」を守らなければならない理由を・・・「織田信長公」も「徳川家康公」も・・・知っていたのでしょう・・・
読まれて下さっている方々も、あっちへこっちへと、話が飛び・・・さぞ、お疲れのことと存じますが・・・いよいよ、次回から「伊勢神宮の不思議」そして「現代天皇家の秘密 と不思議 と陰謀??」について、書いて行きたいと思っています・・・。
今日、最後になりましたが・・・例年7月17日「祇園祭」と、時を同じくして行われる「徳島・剣山神社本宮大祭」・・・先日も少し書きましたが・・・この祭り・・・
「神輿を、標高1500メートルの剣山山頂まで、険しい道を担ぎ上げる」非常に危険な奇祭・・・
「剣山」に「神輿」・・・暗示的な祭りですが・・・その「剣山山麓」の「祖谷」には「栗枝渡(くりしと)神社」が・・・
この神社、元は「栗須戸(くりすと)神社」と・・・呼ばれていたそうです・・・
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本当に色んなところで結びつきがあるのですね…次回を楽しみにしています!ポチ☆
2010/6/9(水) 午前 7:08
そうなんですねぇ〜〜^^・・・時の権力者、様々あれど・・・共通して守り抜いてきたのが・・・朝廷なんでしょうね^^。
日本の「皇室」・・・「万世一系」は置いておいても^^、2000年の長きにわたり、脈々と続いてきた事・・・これは紛れもない事実です・・・世界を見回しても、日本の様なシステムは見当たりませんよね^^・・・「皇室」は国民が守って来たものでは無く・・・時々の権力者によって守られてきたんでしょうね・・・ある共通の認識の元に・・・^^・・・それを今の日本人は知らな過ぎる??^^と、思っています。
日本人はよく、群れると言われますが・・・そもそも「倭の国」に始まり →「和の国」そして、「大きな和の国」・・・「大和」だったんですものね^^。仲良く群れる事を、より良い方向へと持って行けるよう〜〜〜努力したいものです^^。
2010/6/10(木) 午前 0:17
福井県の織田家発祥の地に剣神社というのがあり、信長の祖先はそこの神官をつとめていました。結びつきがありそうな予感がします。。。
2012/1/7(土) 午前 2:36 [ 織田 ]