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先日の予告で、国松(忠長)にも乳母がいて、その名を 「朝倉局 (あさくらのつぼね)」 と言う・・・と書きました。
さて、この名前につきましては、実際の所、真偽の程? 定かではないのですが・・・
「朝倉義景 (よしかげ)」の直系の曾孫 「朝倉宣正 (のりまさ)」の、妻であり・・・なおかつ「土井利勝 (としかつ)」の、妹 と言う事は確かなようです・・・。
「朝倉家」 と言いますと「京極家」に代わって、越前を治めた 名門であり・・・かの、「浅井家」の主筋でもあります。
「信長」によって滅ぼされましたが、例の 「家康の名門復活政策」によって、宣正の父 「朝倉在重 (ありしげ)」の時代に、家康に仕えました・・・。
その子「宣正」は、早くから 「秀忠」に仕える事となります・・・。
又、「土井利勝」 と言えば・・・家康の伯父 「水野信元 (のぶもと)」の息子となって居りますが・・・
「家康の御落胤」 との噂がある方で、
「秀忠」が生まれてよりすぐに 「側近第一号 」として、城へ上がり・・・6歳年下の 秀忠の 良き兄貴分として仕えた方でした・・・。
( 因みに、1573年生まれで、「江」と同じ年・・・ )
そして、秀忠 亡き後は、三代将軍 「家光」の重臣となられました。
そんな方の 「妹」で・・・同じく秀忠側近「朝倉宣正」の 「妻」・・・が・・・「国松殿の乳母」 だったんです。
没落したとは言え「美濃 斎藤家」の血筋に連なる「春日局 (かすがのつぼね)」ならずとも・・・焦りますよね!!
「春日局」の側から見ると・・・
『 乳母の敵は「御台所 (江)」に非ず・・・乳母の敵は、乳母!! 』 なのです・・・。
「御台所」にたてつく事など、畏れ多い事・・・・・。
世間では 「朝倉・土井」 この強力タッグ を知り・・・「国松」の方が、ブレーンも強く、次期将軍として期待されていると・・・勝手に妄想し、その結果が・・・
後世、囁かれる 「江・おふく 不仲説」 だったのではないでしょうか・・・。
それでは何故? 「国松の乳母」は 今まで・・・と言うより、今もなお 歴史の表に出てこないのでしょう??・・・。
その答えは、「江」が亡くなってからの話になるのですが・・・
「秀忠・江 夫妻」の死後・・・三代将軍は「家光」であると、家康の政策により確定事項でもあり、又、その通りになったのですが・・・
「家光」より「忠長(国松)」の方に・・・才 があったとしたら・・・???
既に「家康・秀忠」は亡くなり、家康の重臣も、秀忠の重臣も、新しい将軍の側近たちにより 閑職へ追いやられ・・・
徳川時代初期の「家康の政策」に、揺らぎが生じていたとしたら・・・???
確かに「家光」は、将軍職に就きながらも、弟「忠長」を恐れていたふしが見受けられるのだそうです。
詳細な話は、人間関係等々、膨大な話になりますので、ここではストーリーだけ簡潔に お示しすると・・・
「家光」は「忠長」の、人望、人柄、才能に恐れを抱き・・・「春日局」も又、「家光の世」を盤石なものとせんが為・・・
この両者は、「忠長」の正体を貶め・・・「死」へと誘います・・・。
この時、一緒に処分を受けたのが・・・「朝倉宣正」その人でした・・・。
「土井利勝」は、秀忠に引き続き「家光の重臣」として、長く仕え・・・その一族は幕末まで続く家柄となりましたが・・・
これは当然の帰結・・・
名門復活政策の 「朝倉」と・・・徳川一門の 「土井」と言う事を考えるとね〜〜〜〜。
話は逸れましたが・・・
この一件により 「土井利勝」は、意図的に 「国松の乳母」=「自分の妹」 の存在を歴史の闇へと葬り去った・・・。
これが、真実なのでは?無いでしょうか??・・・。
結果、「 江 対 春日局 」 の構図が作り上げられたのでしょう・・・。
「江」さんには、えらく迷惑な話です・・・。
「永井路子」さん、曰く・・・
『 「江」は、信長を殺した「明智」の家臣の血を引く「おふく」を、好かなかったのだ・・・と言う意見があるが、これは歴史を知っているようで、知らない見方です・・・。
それなら、「信長」は「江」にとっては、父の敵(かたき)!!
殺したり、殺されたりを、いつまでも根に持っていたのでは、あの時代・・・始まらない。
「人間、今が大事!」
戦国の男も女も、そう腹を据えていた・・・。』
・・・なのだそうですから・・・。
巷間語られている、数々のエピソードにつきましても・・・書きたいことは沢山あるのですが・・・
話の筋を見失いそうですので・・・
今回の連載は、これにて「おしまい」と、させて頂きます・・・。
ただ・・・最後に・・・一つだけ・・・
実は小生・・・「江」の死亡に関しまして、少々疑問を感じております・・・。
非業の死を遂げたとは言え「茶々」は・・・47歳・・・
次女の「初」は・・・64歳・・・
かの「春日局」も、64歳まで存命でした・・・。
それなのに「江」は・・・「秀忠・家光・忠長」の三名が京に上っている間に・・・54歳で他界しています。
彼女の死因についても、歴史の何処にも記載が無く・・・「謎」のままです・・・。
芝「増上寺」に埋葬されている、徳川ゆかりの故人の中で・・・「江」だけが「火葬」されている事実・・・。
これ等を、どう判断して良いのやら・・・・・
歴史の裏には、まだまだ隠された真実とやらが眠っているようです・・・。
もしも・・・もしも・・・「江」も又・・・「名門復活政策」の一翼を担っただけ?だったとしたら・・・???
後あと・・・徳川の邪魔になる???????・・・・・・・・・。
《 完 》
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