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最初に、先日の記事の最後の映像は、こちらでは地上波で深夜に放送される「戦国鍋テレビ」のコーナーで、放送されたものです〜〜〜・・・歴史をパロディってて面白い番組です〜〜〜テレビ欄で見つけたら、観て見てください〜〜〜。
さて、本題ですが・・・
「浅井三姉妹」の中でも「江」が最も知られている時代と言えば・・・徳川初期になるのでしょう・・・。
この時期、「徳川家康」が、徳川の世を末永く、安泰に保つ為に実施した「政策」が3つあります。
「軍事」では無く「政策」です〜〜〜。
一つ目は「怨親平等」・・・これは、「豊臣」以外(当時は豊臣と戦っていた時期でしたので・・・) の没落した名族を召抱えることにより、「織田」や「豊臣」と違うところ を見せようと言うジェスチャーであり、狸オヤジ殿のフトコロの深さと言 えるでしょう・・・。
「さぁ、誰でも来い。怨親平等じゃ〜〜〜。」
この平和政策は、それなりに評価されるべきものだと思います。
二つ目は「長子相続」・・・要するに、徳川家安泰の為には、世襲制度を確立する必要があり、 それには相続の折、お家騒動を起こさない事こそ肝心・・・それには、 人間の力量に関わらず、長子相続と決めていたようです・・・。
三つ目は「大奥の確立」・・・過去の歴史を鑑みて、女性の力を、表の政治に出させない事こそ、 我が世を永らえる秘訣!!??・・・と言う「女性隔離政策」。
以上、3つの「政策」から導き出される解答・・・それは歴史が物語っています。
「家康」は、織田・豊臣に滅ぼされた家には特に注目しており、例えば甲斐の「武田家」、越前「朝倉家」、明智家の家臣などなど、手厚く扱っています。
又、自分の眼の黒いうちに、今でいう「引退」を決め・・・二代将軍に、「秀忠」を指名し、三代「家光」までをも自ら決めていたと思われること・・・(長子相続の徹底)。
さらに「大奥」を表より隔離することにより、前代にはあった、無用な「乳母戦争」などを予防し「お家騒動」の芽を摘んだ・・・と、なります。
江戸時代初期には、この「政策」が功を奏し・・・「家康」「秀忠」が存命中は「徳川家」万々歳〜〜〜。
それにも関わらず・・・何故??「江」が 表にも知れ渡るほどの、跡目争いを 「大奥」 に於いて 「春日局(おふく)」と 繰り返したのか??・・・
「おふく」が伯父「信長」を殺した「明智家」に連なる人物だったから???・・・
何故 「国松(忠長)」だけを自身で養育し、溺愛したと言われているのか???・・・
これ等すべてが・・・不思議ですよね・・・これが本当なら、全てに於いて「家康の政策」に 「江」は反抗している事になりませんか???・・・
「大奥隔離政策」により「江」は、姉を助けたくても、身動きが取れなかった事は、疑いようのない事でしょう・・・しかし・・・
自身による「国松」の養育・・・考えられません・・・・
「春日局」との次期将軍を巡る・・・争い・・・考えられません・・・
前回も書きましたが、「江」には「姫」としての自覚もあり、その務めも十分に果たされた方だと思っています。
それでは「春日局」は??・・・彼女も又、十分に自分の使命を果たされた、「最後の大物乳母」だったんです・・・。
「江」の乳母「ヨシ」は大奥にも つき従い「民部卿局」と名を変えて、歴史に その名を残しています。
そんな環境の 「江」が、セレブの 「江」が、国松の養育を???・・・あり得ません。
「竹千代」には乳母をつけたと言うのに・・・「おふく」と言う「明智家 家老 斎藤利光」の娘を・・・なのに「国松」は・・・
そうなんです!!ご存知の方もおいでと思いますが・・・
「国松」にも・・・乳母がいたんです!!、それも相当に大物!!!・・・
「春日局」は戦いましたが、相手は「江」では無く「国松の乳母」だったんですねぇ〜〜〜。
それでは「国松の乳母」とは???・・・誰だったのでしょう・・・
又、長くなってしまいましたぁ〜〜〜残りは、次回に持ちこします〜〜〜。
「狼少年」??・・・「狼オヤジ」と呼んでください〜〜〜。
最後に少しだけ、次回のイントロダクション〜〜〜。
「国松の乳母」・・・それは、信長に滅ぼされた越前「朝倉家」に連なる方で通称「朝倉局」・・・
これだけ、お知らせして、今日は終わります〜〜〜。
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