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今回の「江」のシナリオは、「篤姫」をお書きになった方だそうですが・・・
女性でありながら、昔の女性の生き様の変遷を・・・良く理解されてはいないのでは無いでしょうか。
「篤姫」の時代と、「戦国時代」・・・「江」達の時代では生き方(生かされ方??)がまったく違います・・・
一例として、もう一つ挙げるならば・・・「平安の御世」とも、全く違う・・・女性の生き様・・・。
母は強し!!と申しますが・・・歴史の表面に現れない女性のパワー・・・「天照大神」から「卑弥呼」など等・・・「歴代女帝」をも含みますが・・・昔々は絶大なパワーを誇っていたのは女性!!!・・・
その後も「乳母」と名を変え・・・女性のパワーはとどまる事を知りませんでした。
【 ここで、ご注意・・・江戸時代後期の乳母・・・これは、別物です〜〜〜その実態は、表の権力から隔絶されてしまっています〜〜〜後述の予定です。】
前の記事でご紹介しました「永井路子」さんの著書で・・・
「当時(ここでは、江戸時代初期の事)、乳母と言うのは、母親に代わって、おっぱいを与え、おむつの世話をするだけの人間では無い。
いや、実際に乳が出なくてもいい。普通、乳母は複数で、乳を与える者と与えない者とがいた。
授乳よりも、むしろ若君(姫)の生活全般を取り仕切ることが、乳母の最も大事な役目なのだ。
彼女はいわば、教育者であり、若君(姫)が成人しても、ピッタリとその身辺に寄り添う。
つまり側近第一号でもあり、政治顧問でもある・・・・。」
と述べられ・・・次いで・・・
「面白い事だが、昔から日本では身分の高い女性は、自分の産んだ子の世話は、全くしなかった。
つまり産みっぱなし ママ こそが彼女達の ステイタス だったのだ。
天皇家、貴族、武家の上級者、すべてしかり・・・。」
又、次の様な考え方もあったようです・・・
「子育てはプロにかぎる、と言う考え方があった。実の母子はとかく甘やかしがちになる。それより、冷静な教育者にしつけを任せたほうが立派な大人に成人する・・・。」
これは、現代にも通ずる考えです・・・一流の学校に預ける(通わせる)ことで、立派な大人になって欲しいと 現代の親も 考えているのではないでしょうか〜〜〜。
話は戻って、平安朝末・・・
「天皇家の乳母は腕っこきが揃っていた。何しろ皇位継承は長幼の順によらなかったそのころ、出来の良い皇子(みこ)にならねば皇位は廻ってこない。
勿論、生母の家柄のよしあしは問題になるが、同じ位の家なら、それから先は乳母の教育の腕次第である。
乳母たるもの、たとえ皇子の資質がそれほどではなかったとしても、そこは売り込み、根廻し、阿修羅の働きで、皇位を獲得させてしまう。」
鎌倉時代以降は、将軍をめぐる乳母たちの権力争いがすさまじくなっていったようです・・・。
しかし「戦国時代」・・・賢い武家の登場で、徐々に女性のパワーは、減退させられたと、パパは考えています・・・特に「織田信長」「徳川家康」などに・・・
「戦国時代」・・・そこは歴史的には、ものすごく濃密な時代なのですが・・・女性にとっては受難の時代の始まり・・・???・・・
しかし、当時も「若君」「姫君」と呼ばれた「セレブ」達には・・・慣例として「乳母」がいました。
ドラマに立ち戻って・・・
「お市の方」 には 「須磨(すま)」・・・その娘達にも・・・
「茶々」 には 「サキ (後の、大蔵卿局)」・・・
「初」 には 「ウメ」・・・
「江」 には 「ヨシ (後の、民部卿局)」・・・
この方々は、ドラマ でも ちゃんと キャスティング されています・・・。
さて、長くなってしまいました・・・江戸時代・・・「江」の人生の後半につきましても・・・この「乳母」・・・
色々と シナリオ になって来ましたが・・・(「春日局」・・・などなど??・・・)
歴史に語られていない事・・・驚きの事実・・・沢山あります。
次回からは、この「乳母」に注目しつつ・・・「江」の人生と歴史の絡まり・・・解き明かして行きたいと考えています・・・。
『本日の結論』
鎌倉幕府隆盛の頃までは・・・(戦国時代に入るまで〜〜)・・・女性(乳母)の力(ちから)は絶大であった・・・しかし・・・戦国、織豊、江戸と時代が進むにつれ・・・・・・・・
後は今後のお楽しみ〜〜〜〜笑。
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