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今回「幻の共和国」を書こうと思ったきっかけは・・・遥か昔に読んだ、「榎本 武揚(安部 公房 著)」 を思い出したからだったと記憶しています・・・・・。 しかし、「安部 公房」氏は・・・「榎本 武揚」を、どちらかと言うと、好意的に見ていた。 パパには、幕末の 奥州戦争から函館戦争に至る・・・一連の「榎本 武揚」の行動には、不信感が募ります・・・・・。 人は・・・この行動を、計画的敗走!!と、断言していますが、パパもそう思います。 遡って・・・慶応4年4月11日(1868年)・・・江戸城開城の当日です・・・・・。 この日、官軍の海軍先鋒は・・・幕府所有の 軍艦の引渡しを受ける予定でした・・・・・。 しかし、「榎本 武揚」は品川沖の 8艘の軍艦を率いて、房総南端の 館山湾へ脱走します。 同4月17日・・・「勝 海舟」らの説得で、品川沖に戻りますが・・・・・ 官軍(東海道先鋒総督府)は、「榎本」を強くとがめず・・・加えて、軍艦4艘を・・・「榎本」に与えているのです・・・・・。 しかも!!・・・当時日本で 最新鋭艦「開陽丸」を含み・・・実戦に耐えうる艦ばかりを、与えたのです。 その当時、佐賀藩士「島 義勇」が、官軍の 海軍編成を命じられているのですが・・・彼も、不審に思ったのではないでしょうか・・・・・。 その後、「榎本」は再び、江戸を脱走し・・・「計画的敗走」へと突き進む為・・・ 「江戸」→「石巻」→「宮古」→「函館」→「江差」の順に、進路をとります。 その後・・・運命の函館へと、進軍するわけですが・・・・・ 太平洋戦争当時の 日本軍は、函館山を要塞化しました。津軽海峡から、函館市内・・・すべて一望できる場所です・・・・・。 しかし、「榎本」は「五稜郭」を選んだ・・・・・四稜郭(亀田市の高台)からも、函館山からも、一望される「五稜郭」・・・。 城郭とは、名ばかりの狭い場所で・・・大砲、鉄砲の弾を 撃ち込んでくれ!!と、言わんばかりの造りです・・・・・。 その後、明治41年まで生きながらえた「榎本」を、かの「福沢 諭吉」先生は・・・強く非難しています。 1872年、「榎本」は、役人として・・・開拓史に出仕していますが・・・札幌に「榎本」の足跡はまったくありません・・・・・。(隣町「江別」に銅像がありますが、これは土地所有者の 個人的趣味みたいな?ものです・・・) 「榎本」の開拓使出仕は・・・1870年「島 義勇」が、判官を解任された、2年後・・・「佐賀の乱」で斬首された 1874年の 2年前になるのですが・・・ しかも、札幌の 建設計画は創りましたが・・・完成を見る事無く 解任され・・・後を引き継いだ 判官が、その意志は 受け継ぎましたが・・・・・実際、札幌を完成させた、その判官の銅像は・・・円山公園に1つだけ、建っているだけです・・・。 いかがでしょうか??・・・歴史は、近世ほど・・・謎だらけです・・・・・。 皆様は、いかが?お考えでしょうか??・・・・・。 蛇足ですが・・・こういう観点で歴史及び現代を見渡すと・・・現代こそ!!最も「謎」が多く隠されているのではないでしょうかぁ〜〜〜(爆)。 言いたい事・・・書きたい事は、まだまだ あるのですが・・・・・これ以上は、ラジカルな内容になってしまいそうですので〜〜〜この章は・・・涙を呑んで・・・筆を置きます〜〜〜爆。
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