Wecker papa の独り言

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先日の予告で、国松(忠長)にも乳母がいて、その名を 「朝倉局 (あさくらのつぼね)」 と言う・・・と書きました。
 
さて、この名前につきましては、実際の所、真偽の程? 定かではないのですが・・・
 
朝倉義景 (よしかげ)」の直系の曾孫 「朝倉宣正 (のりまさ)」の、であり・・・なおかつ「土井利勝 (としかつ)」の、 と言う事は確かなようです・・・。
 
「朝倉家」 と言いますと「京極家」に代わって、越前を治めた 名門であり・・・かの、「浅井家」の主筋でもあります。
「信長」によって滅ぼされましたが、例の 「家康の名門復活政策」によって、宣正の父 「朝倉在重 (ありしげ)」の時代に、家康に仕えました・・・。
その子「宣正」は、早くから 「秀忠」に仕える事となります・・・。
 
又、「土井利勝」 と言えば・・・家康の伯父 「水野信元 (のぶもと)」の息子となって居りますが・・・
「家康の御落胤」 との噂がある方で、
秀忠」が生まれてよりすぐに 「側近第一号 」として、城へ上がり・・・6歳年下の 秀忠の 良き兄貴分として仕えた方でした・・・。
( 因みに、1573年生まれで、「江」と同じ年・・・ )
そして、秀忠 亡き後は、三代将軍 「家光」の重臣となられました。
 
そんな方の 「」で・・・同じく秀忠側近「朝倉宣正」の 「」・・・が・・・「国松殿の乳母」 だったんです。
 
没落したとは言え「美濃 斎藤家」の血筋に連なる「春日局 (かすがのつぼね)」ならずとも・・・焦りますよね!!
 
「春日局」の側から見ると・・・
 
『 乳母の敵は「御台所 (江)」に非ず・・・乳母の敵は、乳母!! 』 なのです・・・。
 
「御台所」にたてつく事など、畏れ多い事・・・・・。
 
世間では 「朝倉・土井」 この強力タッグ を知り・・・「国松」の方が、ブレーンも強く、次期将軍として期待されていると・・・勝手に妄想し、その結果が・・・
後世、囁かれる 「江・おふく 不仲説」 だったのではないでしょうか・・・。
 
それでは何故? 「国松の乳母」は 今まで・・・と言うより、今もなお 歴史の表に出てこないのでしょう??・・・。
 
その答えは、「江」が亡くなってからの話になるのですが・・・
 
「秀忠・江 夫妻」の死後・・・三代将軍は「家光」であると、家康の政策により確定事項でもあり、又、その通りになったのですが・・・
 
「家光」より「忠長(国松)」の方に・・・才 があったとしたら・・・???
 
既に「家康・秀忠」は亡くなり、家康の重臣も、秀忠の重臣も、新しい将軍の側近たちにより 閑職へ追いやられ・・・
 
徳川時代初期の「家康の政策」に、揺らぎが生じていたとしたら・・・???
 
確かに「家光」は、将軍職に就きながらも、弟「忠長」を恐れていたふしが見受けられるのだそうです。
 
詳細な話は、人間関係等々、膨大な話になりますので、ここではストーリーだけ簡潔に お示しすると・・・
 
「家光」は「忠長」の、人望、人柄、才能に恐れを抱き・・・「春日局」も又、「家光の世」を盤石なものとせんが為・・・
この両者は、「忠長」の正体を貶め・・・「死」へと誘います・・・。
この時、一緒に処分を受けたのが・・・「朝倉宣正」その人でした・・・。
「土井利勝」は、秀忠に引き続き「家光の重臣」として、長く仕え・・・その一族は幕末まで続く家柄となりましたが・・・
 
これは当然の帰結・・・
 
名門復活政策の 「朝倉」と・・・徳川一門の 「土井」と言う事を考えるとね〜〜〜〜。
 
話は逸れましたが・・・
 
この一件により 「土井利勝」は、意図的に 「国松の乳母」=「自分の妹」 の存在を歴史の闇へと葬り去った・・・。
 
これが、真実なのでは?無いでしょうか??・・・。
 
結果、「 江 対 春日局 」 の構図が作り上げられたのでしょう・・・。
 
「江」さんには、えらく迷惑な話です・・・。
 
 
「永井路子」さん、曰く・・・
 
『 「江」は、信長を殺した「明智」の家臣の血を引く「おふく」を、好かなかったのだ・・・と言う意見があるが、これは歴史を知っているようで、知らない見方です・・・。
 
それなら、「信長」は「江」にとっては、父の敵(かたき)!!
 
殺したり、殺されたりを、いつまでも根に持っていたのでは、あの時代・・・始まらない。
 
「人間、今が大事!」
 
戦国の男も女も、そう腹を据えていた・・・。』
 
・・・なのだそうですから・・・。
 
巷間語られている、数々のエピソードにつきましても・・・書きたいことは沢山あるのですが・・・
話の筋を見失いそうですので・・・
今回の連載は、これにて「おしまい」と、させて頂きます・・・。
 
 
ただ・・・最後に・・・一つだけ・・・
 
実は小生・・・「江」の死亡に関しまして、少々疑問を感じております・・・。
 
非業の死を遂げたとは言え「茶々」は・・・47歳・・・
 
次女の「」は・・・64歳・・・
 
かの「春日局」も、64歳まで存命でした・・・。
 
それなのに「江」は・・・「秀忠・家光・忠長」の三名が京に上っている間に・・・54歳で他界しています。
 
彼女の死因についても、歴史の何処にも記載が無く・・・「謎」のままです・・・。
 
芝「増上寺」に埋葬されている、徳川ゆかりの故人の中で・・・「江」だけが「火葬」されている事実・・・。
 
これ等を、どう判断して良いのやら・・・・・
 
歴史の裏には、まだまだ隠された真実とやらが眠っているようです・・・。
 
 
もしも・・・もしも・・・「江」も又・・・「名門復活政策」の一翼を担っただけ?だったとしたら・・・???
 
後あと・・・徳川の邪魔になる???????・・・・・・・・・。
 
 
                                                                                 《   完  》
 
 
 
 
 
最初に、先日の記事の最後の映像は、こちらでは地上波で深夜に放送される「戦国鍋テレビ」のコーナーで、放送されたものです〜〜〜・・・歴史をパロディってて面白い番組です〜〜〜テレビ欄で見つけたら、観て見てください〜〜〜。
 
 
さて、本題ですが・・・
 
「浅井三姉妹」の中でも「江」が最も知られている時代と言えば・・・徳川初期になるのでしょう・・・。
 
この時期、「徳川家康」が、徳川の世を末永く、安泰に保つ為に実施した「政策」が3つあります。
 
「軍事」では無く「政策」です〜〜〜。
 
一つ目は「怨親平等」・・・これは、「豊臣」以外(当時は豊臣と戦っていた時期でしたので・・・)               の没落した名族を召抱えることにより、「織田」や「豊臣」と違うところ               を見せようと言うジェスチャーであり、狸オヤジ殿のフトコロの深さと言               えるでしょう・・・。
                「さぁ、誰でも来い。怨親平等じゃ〜〜〜。」
                この平和政策は、それなりに評価されるべきものだと思います。
 
二つ目は「長子相続」・・・要するに、徳川家安泰の為には、世襲制度を確立する必要があり、                それには相続の折、お家騒動を起こさない事こそ肝心・・・それには、               人間の力量に関わらず、長子相続と決めていたようです・・・。
 
三つ目は「大奥の確立」・・・過去の歴史を鑑みて、女性の力を、表の政治に出させない事こそ、                 我が世を永らえる秘訣!!??・・・と言う「女性隔離政策」。
 
以上、3つの「政策」から導き出される解答・・・それは歴史が物語っています。
 
「家康」は、織田・豊臣に滅ぼされた家には特に注目しており、例えば甲斐の「武田家」、越前「朝倉家」、明智家の家臣などなど、手厚く扱っています。
又、自分の眼の黒いうちに、今でいう「引退」を決め・・・二代将軍に、「秀忠」を指名し、三代「家光」までをも自ら決めていたと思われること・・・(長子相続の徹底)。
さらに「大奥」を表より隔離することにより、前代にはあった、無用な「乳母戦争」などを予防し「お家騒動」の芽を摘んだ・・・と、なります。
 
江戸時代初期には、この「政策」が功を奏し・・・「家康」「秀忠」が存命中は「徳川家」万々歳〜〜〜。
 
それにも関わらず・・・何故??「江」が 表にも知れ渡るほどの、跡目争いを 「大奥」 に於いて 「春日局(おふく)」と 繰り返したのか??・・・
「おふく」が伯父「信長」を殺した「明智家」に連なる人物だったから???・・・
何故 「国松(忠長)」だけを自身で養育し、溺愛したと言われているのか???・・・
 
これ等すべてが・・・不思議ですよね・・・これが本当なら、全てに於いて「家康の政策」に 「江」は反抗している事になりませんか???・・・
 
 
「大奥隔離政策」により「江」は、姉を助けたくても、身動きが取れなかった事は、疑いようのない事でしょう・・・しかし・・・
 
自身による「国松」の養育・・・考えられません・・・・
「春日局」との次期将軍を巡る・・・争い・・・考えられません・・・
 
前回も書きましたが、「」には「」としての自覚もあり、その務めも十分に果たされた方だと思っています。
 
それでは「春日局」は??・・・彼女も又、十分に自分の使命を果たされた、「最後の大物乳母」だったんです・・・。
 
「江」の乳母「ヨシ」は大奥にも つき従い「民部卿局」と名を変えて、歴史に その名を残しています。
 
そんな環境の 「江」が、セレブの 「江」が、国松の養育を???・・・あり得ません。
 
「竹千代」には乳母をつけたと言うのに・・・「おふく」と言う「明智家 家老  斎藤利光」の娘を・・・なのに「国松」は・・・
 
 
そうなんです!!ご存知の方もおいでと思いますが・・・
 
「国松」にも・・・乳母がいたんです!!、それも相当に大物!!!・・・
 
「春日局」は戦いましたが、相手は「江」では無く「国松の乳母」だったんですねぇ〜〜〜。
 
それでは「国松の乳母」とは???・・・誰だったのでしょう・・・
 
 
又、長くなってしまいましたぁ〜〜〜残りは、次回に持ちこします〜〜〜。
 
「狼少年」??・・・「狼オヤジ」と呼んでください〜〜〜。
 
最後に少しだけ、次回のイントロダクション〜〜〜。
 
 
「国松の乳母」・・・それは、信長に滅ぼされた越前「朝倉家」に連なる方で通称「朝倉局」・・・
 
これだけ、お知らせして、今日は終わります〜〜〜。
 
 
 
 
 
 
先日来、書いて来ましたが・・・戦国末期、衰えたと言えども、まだまだ女性にパワーのみなぎっていた時代でした・・・。前代とは比較にならない程、女性の一般的地位が弱められた時代ではありましたが・・・。
 
その時期を生き抜いた、浅井三姉妹なのです・・・・が・・・
 
その生涯・・・三者三様・・・見事に 女性の生き方の お手本を示されていると、パパは感心しております。
 
長女「茶々」 : 我が子の為に、戦い抜きました・・・。
 
次女「初」 : 嫁ぎ先の京極家復興の為に戦いました・・・。大阪の陣の時には、淀殿と徳川家
         との間に立ち、調停役として活躍されました・・・。
 
三女「江」 : 江戸城に居られ、当時は はかばかしい活躍が無い・・・。
 
 
文章にすると・・・味も素っ気も無くなりますが、果たして?それだけだったのでしょうか???
 
「江」に関しまして思う事は、「はかばかしい活躍が無い」事が・・・彼女の活躍??だったのでは???と考えております・・・。
 
紛らわしい表現になってしまいましたが・・・
 
野に放たれた「水」の如く、流れるまま、運ばれるまま、蓄えられるままの・・・自然体・・・。
それこそが、現代に至るまで 「浅井家の正当な DNA 」 を残すことが出来た 源なのでは??・・・・。
 
長女も次女も成し得なかった事を・・・「江」は成し遂げているんですねぇ〜〜〜。
 
 
そう言った意味合いで、このドラマを見ていくと、納得できる事もあるのでしょう・・・
「江」に着目した、国営放送局は凄い!!・・・と、なるのでしょうが・・・
 
シナリオに「嘘」が多すぎます・・・過去の他のドラマにしても同じことが言えるのですが・・・
 
「豊臣の代表者??」として「淀殿」は、妹の嫁ぎ先「徳川家」との溝を深めます・・・・・当時の「江」の 徳川 での立場は如何に???・・・活躍しようにも、出来なかったのが、真実なのでは??・・・
 
そんな立場に居た 「江」が、正にその時、江戸城「大奥」に於いて・・・「春日局」と、自分の息子達の跡目争いに躍起になるものでしょうか・・・仲の良かった三姉妹それぞれが、それぞれの立ち位置で、踏ん張っていた!!!・・・それなのに「江」だけが、自分よりも身分の低い、息子の「乳母」と、諍(いさか)いを起こしていたと・・・皆様、本気で?お信じになられますか???〜〜〜。
 
しかし、今までのドラマなどでは、「江」の事を、そのように下品に描いてきたのではないでしょう・・・。
 
「江」さんには、本当に失礼な事です・・・。
 
この大河ドラマの、このテンポで行けば・・・江戸城内に入られるのも、そう遠い話ではなさそうですが・・・
 
万が一、「大奥」に於ける エピソード・・・その 創始者の如く 「江」を 描くのなら・・・
 
折角、浅井三姉妹の中にあって、その一族の使命を見事に成就させた方の事を・・・
低俗な、世俗のスキャンダル通りに、描くのなら・・・
 
国営放送も・・・地に落ちたもの・・・と、言わざるを得なくなります・・・悲しいかな・・・。
 
 
さて!!、ここからが、今回の本題だったのですが、前置き・・・長くなってしまいました。
 
次回を最後と致します・・・
 
「江」さんは、生まれ落ちてから亡くなられるまで・・・「姫」さまを全うされました。
 
巷間、語られてきた「春日局(おふく)」との確執など、まったく現実味のない、お話・・・。
 
何を?根拠に!!・・・思われるでしょうが、しっかりとした歴史が・・・あるんです。
 
ただ、そこに於いても「姫」は「姫」・・・「乳母」と争うほど低俗な女性ではない事・・・
 
次回、証明させて頂きます・・・。
 
 
 
又、次回に延びてしまいましたぁ〜〜〜良かったら、ものは試しに、クリックしてみてください・・・なかなかのものですよ〜〜〜笑えます〜〜〜。
先日の記事で、「乳母」について触れました・・・
 
賢明なる皆様は、「江」の人生に於いてハイライトとも言うべき「江戸時代」に思いを馳せられたのではないでしょうかぁ〜〜〜。
 
確かに、ドラマを見ていると・・・そのような布石が見て取れます・・・。
 
「明智光秀」の家臣「斎藤利三」の扱い・・・今までのドラマには無かった登場です・・・。
 
言わずと知れた「春日局」の実の父ですよね・・・・。
 
この人をしっかりと?キャスティングしておいて・・・「春日局」が出てこない訳が無い・・・きっと??。
 
「春日局」は皆様ご存知、「竹千代(家光)」の乳母ですよね・・・
 
大奥での「江(江与)」との熾烈な戦いは、他のドラマで有名ですが・・・
 
「春日局」は確かに戦いましたが・・・相手が違うんです〜〜〜。
 
「江」ではありません・・・もし、このドラマで「春日局(おふく)」が「江」の敵役(かたきやく)のような登場をしたならば・・・パパは、もうこのドラマは見ないでしょう・・・。
 
この件の詳しいお話は・・・後日と致しまして、本日は、「江」の人生について触れておきたいと考えています。
 
一級、超一級のセレブの姫として誕生した「」・・・
 
その誕生は定かではありませんが、父「浅井長政」の居城「小谷城」が落城した「1573年」だと言われています。時に「茶々」6歳・・・「」3歳・・・。
 
」は、実の父の面影をまったく知らずに、母、姉達と共に伯父(信長の兄弟)の城で育つのですが・・・
 
」9歳の「1582年」・・・「本能寺の変」により、実父の敵(?)伯父「織田信長」を失います。
 
そして翌「1583年」・・・「信長」の跡目争いの末、「賤ヶ岳の戦い」に敗れた、母の再婚相手であった「柴田勝家」の居城「北の庄城」も落城・・・「秀吉」の元に保護されます・・・と言うより?「カード」として「秀吉」の手中に落ちたと言うべきなのでしょう・・・。「江」10歳・・・「茶々」16歳・・・「初」13歳・・・
 
そして驚くことに・・・翌年の「1584年」・・・「江」11歳で、三姉妹の中で一番早く、嫁がされるんです〜〜〜秀吉の差し金です。しかし、翌年には「秀吉」の手によって離婚させられています・・・。
 
ここまでの「江」の人生を見てきて・・・それこそ、怒涛の人生〜〜〜波乱万丈だと思います・・・。
 
浅井の三姉妹・・・幼くして両親を、時の権力者に殺され・・・あっちこっちと転々とする人生〜〜〜。
 
しかし、そこは「セレブ」・・・「姫」としてのプライドは保たれていたのでしょう・・・。
 
1587年に「初」が、旧名門「京極家」へ嫁ぎ・・・1588年には「茶々」が「秀吉」の元に嫁ぎます。(茶々は側室ではありましたが、その扱いは正室同様な存在であったとか・・・)
 
そして、1592年「江」19歳となり、やはり、「秀吉」の差し金で、甥 「羽柴秀勝」の元へ、二度目の輿入れをするのですが・・・この「秀勝」、「朝鮮の役」で朝鮮出兵・・・かの地で病死してしまいます・・・かくして「江」、未亡人となります〜〜〜。
 
1592年に再婚し、死別するのですが・・・ここから「江」の人生の歯車が、再び他人の手によって、別の方向へと回転し始めます。
 
 
1593年・・・「茶々」と「秀吉」の間に、子が出来ます・・・後の「秀頼」であること、ご存知の事と思います
 
ここいら辺の歴史的出来ごとにつきましては、様々な解釈があり・・・奇々怪々でもありますので〜〜〜サラッと、正史通りに?やり過ごして〜〜ください。
 
ここで「秀吉」は、「秀頼」の後見としての「徳川」との繋がりを強固にするため??・・・
 
1595年「江」22歳・・・6歳年下の「家康の嫡男、秀忠」の元へ・・・またまた「秀吉」の道具として??・・・送り込まれます〜〜〜三回目の婚姻です。
 
 
ここまで観て来て・・・如何でしょうか??・・・「江」の人生〜〜〜
 
誕生以来・・・他人に翻弄され続けてきた人生・・・ただ、ただ不幸???・・・
 
いえいえ〜〜〜当時のセレブの姫君にとっては、当たり前の人生・・・それなりに日々を楽しみ、慈しんで過ごしていたのではないかと??・・・パパは考えます・・・。
 
しかし・・・これと言って?歴史的な事を成された訳ではありません・・・彼女の周りでは、様々な濃厚な出来事が一杯なのですが・・・・彼女自身は??・・・
 
だから、ドラマでは「伊賀越え」までさせちゃうのでしょうねぇ〜〜〜。
 
1595年に「江戸城」に入り・・・1597年「千姫誕生」、1604年「竹千代(家光)誕生」、1606年「国松(忠長)誕生」・・・などなど、徳川の人間としての活躍は歴史に残って居りますが・・・
 
この間、世間では〜〜〜
 
1600年「関ヶ原の戦い」・・・長女「茶々」は頑張りましたぁ〜〜〜。
 
1614年・・・長い戦いの幕が引かれ「大阪城」落城・・・「茶々(淀君)」47歳の人生を終えます・・・。
 
ここに至るまで「徳川」と「豊臣」の間に入り・・・陣中まで出向き、調停役として活躍されたのが・・・「京極家に嫁いでいた 初(次女)」・・・
 
因みに、この年(1614年)・・・家光(竹千代)10歳、忠長(国松)8歳・・・
 
かのドラマでは・・・大奥に於いて、世継ぎを巡り・・・丁々発止の駆け引きが行われていた??とか???・・・。
 
それが史実なら・・・脳天気な事ですね・・・。
 
他の姉妹が、大変な思いで「生きよう、生かそう」として奮闘されていた時・・・「江」は?何を考えていたのでしょう・・・「春日局」との一件が史実なら・・・「江」と言う人の立場は歴史上失われて当然!!・・・
 
故に、今まで テレビでは 主役として扱われてこなかった???・・・
 
色々と暴言を吐いてまいりましたが・・・お許しください・・・
 
1626年「江」54歳の一生を・・・江戸城中にて、終える訳ですが・・・
 
この人生??!!・・・どのようなシナリオになるのか???・・・非常に興味深い今後です(パパ、性格悪いかも〜〜〜)。
 
 
 
次回最後に・・・江戸城内で、何が起こっていたのか!!・・・スポットを当てて書きたいと思います・・・。
 
皆様が今まで聞いたことが無い事(多分??)・・・ご紹介して、今回の連載を終わりたいと考えております。
 
 
今回の「江」のシナリオは、「篤姫」をお書きになった方だそうですが・・・
 
女性でありながら、昔の女性の生き様の変遷を・・・良く理解されてはいないのでは無いでしょうか。
 
「篤姫」の時代と、「戦国時代」・・・「江」達の時代では生き方(生かされ方??)がまったく違います・・・
 
一例として、もう一つ挙げるならば・・・「平安の御世」とも、全く違う・・・女性の生き様・・・。
 
母は強し!!と申しますが・・・歴史の表面に現れない女性のパワー・・・「天照大神」から「卑弥呼」など等・・・「歴代女帝」をも含みますが・・・昔々は絶大なパワーを誇っていたのは女性!!!・・・
 
その後も「乳母」と名を変え・・・女性のパワーはとどまる事を知りませんでした。
 
【 ここで、ご注意・・・江戸時代後期の乳母・・・これは、別物です〜〜〜その実態は、表の権力から隔絶されてしまっています〜〜〜後述の予定です。】
 
前の記事でご紹介しました「永井路子」さんの著書で・・・
 
「当時(ここでは、江戸時代初期の事)、乳母と言うのは、母親に代わって、おっぱいを与え、おむつの世話をするだけの人間では無い。
いや、実際に乳が出なくてもいい。普通、乳母は複数で、乳を与える者と与えない者とがいた。
授乳よりも、むしろ若君(姫)の生活全般を取り仕切ることが、乳母の最も大事な役目なのだ。
彼女はいわば、教育者であり、若君(姫)が成人しても、ピッタリとその身辺に寄り添う。
つまり側近第一号でもあり、政治顧問でもある・・・・。」
 
と述べられ・・・次いで・・・
 
「面白い事だが、昔から日本では身分の高い女性は、自分の産んだ子の世話は、全くしなかった。
つまり産みっぱなし ママ こそが彼女達の ステイタス だったのだ。
天皇家、貴族、武家の上級者、すべてしかり・・・。」
 
又、次の様な考え方もあったようです・・・
 
「子育てはプロにかぎる、と言う考え方があった。実の母子はとかく甘やかしがちになる。それより、冷静な教育者にしつけを任せたほうが立派な大人に成人する・・・。」
 
これは、現代にも通ずる考えです・・・一流の学校に預ける(通わせる)ことで、立派な大人になって欲しいと 現代の親も 考えているのではないでしょうか〜〜〜。
 
 
話は戻って、平安朝末・・・
 
「天皇家の乳母は腕っこきが揃っていた。何しろ皇位継承は長幼の順によらなかったそのころ、出来の良い皇子(みこ)にならねば皇位は廻ってこない。
勿論、生母の家柄のよしあしは問題になるが、同じ位の家なら、それから先は乳母の教育の腕次第である。
乳母たるもの、たとえ皇子の資質がそれほどではなかったとしても、そこは売り込み、根廻し、阿修羅の働きで、皇位を獲得させてしまう。」
 
鎌倉時代以降は、将軍をめぐる乳母たちの権力争いがすさまじくなっていったようです・・・。
 
しかし「戦国時代」・・・賢い武家の登場で、徐々に女性のパワーは、減退させられたと、パパは考えています・・・特に「織田信長」「徳川家康」などに・・・
 
「戦国時代」・・・そこは歴史的には、ものすごく濃密な時代なのですが・・・女性にとっては受難の時代の始まり・・・???・・・
 
しかし、当時も「若君」「姫君」と呼ばれた「セレブ」達には・・・慣例として「乳母」がいました。
 
ドラマに立ち戻って・・・
 
「お市の方」 には 「須磨(すま)」・・・その娘達にも・・・
 
「茶々」 には 「サキ (後の、大蔵卿局)」・・・
 
「初」 には 「ウメ」・・・
 
「江」 には 「ヨシ (後の、民部卿局)」・・・
 
この方々は、ドラマ でも ちゃんと キャスティング されています・・・。
 
さて、長くなってしまいました・・・江戸時代・・・「江」の人生の後半につきましても・・・この「乳母」・・・
 
色々と シナリオ になって来ましたが・・・(「春日局」・・・などなど??・・・)
 
歴史に語られていない事・・・驚きの事実・・・沢山あります。
 
次回からは、この「乳母」に注目しつつ・・・「江」の人生と歴史の絡まり・・・解き明かして行きたいと考えています・・・。
 
『本日の結論』
鎌倉幕府隆盛の頃までは・・・(戦国時代に入るまで〜〜)・・・女性(乳母)の力(ちから)は絶大であった・・・しかし・・・戦国、織豊、江戸と時代が進むにつれ・・・・・・・・
 
後は今後のお楽しみ〜〜〜〜笑。
 
 
 
 
 
 

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