Wecker papa の独り言

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Echt?Unglaublich

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その計画・・・2003年 から開始されており、ご存知の方も居られるのでは無いでしょうかぁ〜〜〜。

この 『 モーゼ計画 』・・・2014年に完了予定なのだそうですが・・・

元々、ベネチアと言う都市・・・ベネチアの潟( がた )の中にあり、外海の アドリア海とは、細長い陸地により、隔てられていますよね・・・。

その細長い陸地の 3か所には・・・3つの水路があり、その水路から、水位の上がった海水が 潟に侵入し・・・都市 「 ベネチア 」 は水害に見舞われているわけです・・・。


その昔・・・アドリア海の 北端の潟(がた)に浮かぶ島々に渡って来た人々が・・・

砂地に、カバノキ や カシ の杭を打ち込み・・・その土台の上に家を建てて築いた都市が・・・

「 ベネチア 」 である事は・・・ご存知だと思います。

しかし、絶えず 洪水の危険にさらされて来た事も・・・有名ですよね・・・。


これに対して、度重なる補強工事にも拘わらず・・・土台と建物は海水の影響で劣化し、沈んでいます・・・。

容赦のない地下水の汲み上げも・・・原因の一つだとは言われていますが・・・とにかく沈んでいます。

そこで、イタリア政府が考えたのが・・・『 モーゼ計画 』・・・笑。


これが、実に ユニーク(笑)・・・イタリア的? 思考??・・・どんな? 計画かは・・・

又、今度〜〜〜笑・・・ネーミング も バチカン を抱える国らしい発想で・・・興味を?そそられませんか??〜〜〜。


一応・・・ベネチアの 地理的ロケーションは・・・下の画像の通りです〜〜〜。

イメージ 1

過去 色々と、我が国の ルーツ について・・・語って来ましたが・・・。

言葉では、どんな? マジックでも? 可能です〜〜〜・・・。

次の画像を ご覧ください・・・懐かしい〜〜日本人の 原風景だと 思うのですが・・・。


イメージ 1

心が・・・何故か? 温まってくる??・・・のどかな風景ですね・・・。

この風景の中では・・・こんな作業が行われますよね・・・笑。


イメージ 2

イメージ 3

これは、勿論・・・お分かりですよね!!・・・「 田植え 」 の風景です・・・。

さて!!・・・ここは? 何処でしょう??・・・・・。






じらさずに・・・正直に、お話しましょう・・・・・

この画像は、すべて・・・「 イラン 」 の風景です・・・ご存知でしたか???。

中東の イラン です・・・。


まるで・・・日本の田舎 のような画像ですよね・・・。

行われている、農作業も・・・日本の昔の 「 田植え 」 に、そっくりです・・・。

これこそが・・・我々の 「 原風景 」なのでは?? 無いでしょうかぁ〜〜〜。


事実が・・・歴史を物語っている・・・証明では?・・・そう思えます。
結論から言いますと・・・「 本能寺 」 を襲ったのは・・・「 明智光秀 」 に間違い無いでしょう・・・。

しかし・・・「 信長公 」 を殺害したのは・・・彼ではありません・・・。


と!!ここで・・・世間知らずのパパは・・・重大な事実を知りました・・・笑。
パパと同じ視点で、「 信長公記 」 を小説にされた方が・・・いらしたのです。
その方の お名前は 「 加藤廣 」 氏・・・この方の著作、読んだ事はありませんが・・・
著作の プレビュー などを拝見すると・・・同じような趣旨かと??・・・???。
その名も 「 信長の棺 ( ひつぎ ) 」 と 「 秀吉の枷 ( かせ ) 」・・・。
知らぬ事とは言え・・・既に 「 小説 」になっていたんです〜〜〜驚!!!。

「 イルミナティ 」 の時と言い・・・己の 世間知らず具合に・・・少々、へこんでいます。

しかし・・・「 小説 」 は 「 小説 」・・・パパの見解は〜〜パパの見解!!!(爆)・・・。
もう少し・・・続けてみたいと思います・・・。

さて、記事に戻りましてぇ〜〜〜・・・「 光秀 」 は 「 襲撃犯 」 ですが・・・「 信長公 」 殺害に関しましては・・・「 未遂犯 」・・・ここまで、お話しました・・・。

しかし・・・信長公の遺体を 葬ったと言われている人物・・・が、存在します・・・。

浄土宗 「 阿弥陀 寺」 の 「 清如 」 と言う人・・・。


先日の記事で 「 是非に及ばず・・・ 」 これは 「 失意の中での 絶望の言葉 」 と解釈しますと、書きましたが・・・言葉足らずでした・・・。

己の 命の終わりを知り、絶望して・・・では無く・・・自分を 理解され無かった事への「 絶望 」 だと思っています・・・。

しかし、この時は・・・己の命が 尽きる事など・・・想像もしていない 「 信長公 」 だったとも考えています・・・。

「 信長 」 と言う人・・・自分が不利と知ると・・・なりふり構わず、逃げる事の出来る人でした・・・。

最初に 「 上杉謙信 」 と戦った時も・・・「 浅井長政 」 の裏切りの時も・・・見事?に逃げています・・・。

そんな 「 信長 」 が・・・退路を用意する事無く、僅かな共周りだけで・・・物騒な 「 京都 」 のお寺に 宿泊するとは・・・考えにくいんです・・・。

いくら 「 本能寺 」 が、要塞化していたとは言え・・・守備の人数が少な過ぎます・・・。

「 光秀 」 は 万を数える 兵を引き連れて・・・攻めて来たんです・・・。

それにも関わらず・・・「 信長公 」 の遺体すら発見できていない・・・考えにくい事です。

火をかけた!! からと言って・・・「 信長公 」 を見失い・・・生死すら、確認出来ない・・・

それほどまでに 「 明智軍 」 が、間抜けだとは・・・どうしても、考えられないんです。

もう、お分かりですよね・・・巷間、言われている 「 抜け穴 」・・・パパは、あったと思っています。


以前の記事で、「 本能寺 」 には、種子島で作られた 「 火縄銃と 火薬 」 の備蓄があった・・・と、書きましたが・・・

それらは、確かに 「 本能寺の変 」 の時に、火が回り・・・大爆発を起こしているようです。

しかし、それらは? 何処に?? 隠されていたのか???・・・。

曲りなりにも・・・「 本能寺 」 は 「 法華宗 」 の お寺です・・・。

地上に 「 火薬庫 」 を設けていたとは・・・考えにくいのですが、どうでしょう??・・・。

と、考えると・・・それは、おのずと 「 地下 」 にあった!! と言う事では無いでしょうか??。

地下を掘った??・・・誰が??・・・それは、「 信長 」 の 命を受けた 「 秀吉 」 の配下・・・と、言われています・・・「 抜け穴 」 も一緒に・・・???・・・。


良く言われているのが・・・「 フロイス 」 の居た 「 南蛮寺 」 まで、脱出用の 「 抜け穴 」 が用意されていた・・・と、聞きます。

しかし、事件当日・・・その 「 抜け穴 」 は、途中で 「 早乾きの 漆喰 」 で、塗り固められていて・・・使い物にならなかった・・・とも、言われています・・・。

その 「 漆喰の壁 」 の前で・・・敵兵では無く・・・火に追われた 「 信長公 」 は・・・命を落としたのでしょう・・・しかし・・・「 光秀 」 は その事を知らなかった。

では? 誰が、知っていたのか?・・・それは、抜け穴を掘った人達・・・そして、信長の命を受けた人・・・と・・・言う事になるのでしょう・・・。


ちょっと話が飛びますが・・・天下を取った 「 秀吉 」 が、「 大阪城 」 を急いで建てていた時・・・

見事なまでに、「 早乾きの 漆喰 」 で、素早く、城壁を塗る 一団が居りました・・・。

彼等は、「 秀吉 」 の家臣となっていた 「 川並衆の 蜂須賀小六 」 の弟分で、共に 「 秀吉 」 に仕えていた 「 前野将右衛門 」 の一党 「 前野衆 」 だったと、言われています・・・。

「 早乾きの 漆喰 」・・・何やら? 聞き覚えのある言葉です・・・。


しかし・・・「 前野衆 」 といい 「 川並衆 」 といい・・・「 宮後浅野衆 」 などと共に・・・

「 生駒衆 」 と 同じ流れ・・・すなわち 「 忍び 」 の 血をひく一族です・・・。

「 信長公 」 は・・・「 光秀 」 ばかりか・・・共に 出世街道を歩んで来た 仲間にさえも・・・

裏切られていた・・・と、言う事です・・・。


余りに、寂し過ぎる・・・最期だと・・・思いませんか??・・・。

今まで、色々と書いてきましたが・・・「 尾張・三河 」 から出た 三大武将・・・

実に、怪しい 3人・・・である事・・・お分かり? いただけたでしょうか??。

「 織田信長 」・・・織田本流では無く・・・傍流であり、出自が怪しい・・・。

室町時代は 「 室町幕府 」 があり・・・「 征夷大将軍 」 なる人物がおりました・・・。

江戸時代にも 「 徳川幕府 」 があり・・・「 征夷大将軍 」 が 「 将軍様 」 と呼ばれていました。

しかし、戦国時代を経て・・・「 室町 」 と 「 江戸 」 の間に位置する 「 安土・桃山時代 」・・・

又の名を 「 織豊時代 」 と呼ばれる時代に 「 幕府 」 は無く・・・と言う事は 「 征夷大将軍 」 も居なかった・・・と言う事です・・・。

「 豊臣秀吉 」 には・・・資格が無かった・・・と、前述しておりますが・・・

「 織田信長 」 は? どうだったのか??・・・彼が、その見識に於いて、その職を 必要としなかった・・・そう言う ニュアンス で、捉えていましたが・・・実際、そうだった? のでしょうか・・・・・。

何か? もっと、秘密めいた真実が・・・そこに眠っているような気がします・・・。


「 織田家 」 勿論 「 信長 」 も・・・「 朝廷 」 を本当に、軽んじていたのでしょうか??・・・。

いえいえ・・・どちらかと言えば・・・その逆・・・言う事は聞かないまでも、色々と 「 朝廷 」 には尽くしていた記録がある事・・・以前の記事にも書きました・・・。

ひょっと? したら??・・・「 信長 」 も又・・・その資格を持っていなかった?? と、考えたら・・・・・彼の行動が、明快に理解できるような気がします・・・。

彼の心の中では、その葛藤が・・・常にあった。


当時の 戦国武将の中で、一番に 「 上洛 」 し・・・「 朝廷 」 から 「 征夷大将軍 」の称号を頂けば・・・「 官軍 」 です。

「 織田信長 」 に弓引く者は・・・「 朝敵 」 も同然・・・そう言う構図に持ち込む事も・・・

可能であった立場にありながら・・・そうしなかったのには、何か? 不自然さを感じます。

巷間、言われるように・・・「 朝廷 」 を蔑 ( ないがし ) ろにしていた・・・もしくは、そう思っていたのなら? ともかく! ・・・しかし、違うんです・・・なのに? 何故??・・・。


さて、ここで 「 明智光秀 」 に、少し戻って、お話します・・・。

「 尾張・三河 」 の 3人と・・・「 美濃 」 の 「 土岐氏 」 に由来する 「 明智家 」・・・。

この中で、正当に 「 清和源氏 」 の末裔・・・と 正式に言えるのは・・・「 明智家 」だけ。

他の 3人は・・・家系図があったとしても、甚だ 怪しい・・・。

「 秀吉 」 に至っては・・・先祖の家系すら 無かったはずです・・・故に 「 藤原家 」と 養子縁組 をしてまで・・・「 関白 」 の官位を 手に入れた。しかし、本心は 「 征夷大将軍 」 が欲しかったはず・・・どうしても、家系が手に入らず・・・残念!!!。

「 光秀 」 は 「 信長 」 と、色々と、良く似た人物であるとも・・・言われています。


だから、「 光秀 」 は、「 信長 」 の 良き理解者でもあった・・・と、思っています。

考え方が 似てるのですから・・・「 信長 」 の行う 行為についても・・・理解できる・・・

そんな 「 光秀 」 を・・・「 信長 」 は 可愛がっていた事でしょう・・・内心は!!・・・。

そんな 「 蜜月な 関係 」 に・・・水を注いだ 人物が・・・必ず居る!! はずです・・・。

「 信長 」 が 心を許し・・・一番、身近に配置していた 「 光秀 」・・・その 「 光秀 」の事が 面白くない・・・人物の存在です・・・。


さぁ〜ここからは (笑)・・・テレビで2時間の サスペンス劇場〜〜〜・・・。

「 秀吉 」 「 家康 」・・・その立場、姿勢は 違えども・・・「 人たらし 」 が 上手と言う1点で、似ています・・・。

「 たらし込まれた 」・・・その人こそ・・・「 光秀 」 その人だったと、考えます。

結果が・・・「 本能寺の変 」 と 言う事ですが・・・

ここで 「 信長 」 が 発した言葉・・・「 是非に及ばず・・・ 」 実は 「 浅井長政 」の 裏切りを知った時にも 「 信長 」 は、同じ言葉を 発したと言われています・・・。

本来、「 信長 」 の 性格を推察するに・・・「 なにを〜〜!! 小癪な〜〜!! 」 と、強がりを 言いそうだと思うのですが・・・

自身の命の 危機に際して・・・「 仕方が無いよ〜〜・・・ 」 みたいな発言・・・・・

もし、本当に 「 信長 」 が 言ったのだとしたら・・・それは、諦め・・・それも、「 失意の中での 絶望の言葉 」・・・だったのでは? 無いでしょうか・・・。

「 信長 」 にしてみれば、気を許していた、一番 信頼できる部下による 反逆・・・「 青天のへきれき 」 だったのでは? 無いでしょうか・・・・・寂しかったと思います・・・「 信長公 」。


しかし、元々の原因は・・・「 信長自身 」 にあったのだと思います・・・。

「 心の内 」 を、他人に見せず・・・全ての関係を、自分の中で、自己完結してしまう・・・。


これでは、周りの人間達の 「 猜疑心 」 に 「 火 」 が 点いたとしても・・・致し方の無い状況を・・・自ら、作り上げていたとしか? 考えられない のでは無いでしょうか・・・・・。

「 尾張気質 」 が・・・彼の 破滅を・・・呼び込んだ・・・そう思います。


さて・・・「 是非に及ばず 」 は、この辺で・・・終わりとしますが・・・

「 本能寺の変 」・・・「 本能寺 」 で、本当は? どんな事が起こったのか!!・・・・・。


何故? 「 信長 」 は・・・襲われたのか??・・・誰に? 殺されたのか??・・・


まだまだ、歴史の真実は・・・闇の中に深く、その姿を隠しているんです・・・。

次回・・・そこら辺を・・・パパなりに、解明して行きたいと思っています・・・。
前回までで、簡単ではありますが・・・信長を取り巻く状況が、分かりかけて来ましたが・・・

「 織田家 」 家中にも、目を向けておかなければ・・・真実は見えてこないのでは? 無いでしょうか。

ここで、ハッキリさせておきたい事・・・それは・・・「 重用する 」 事と 「 信頼する 」 事との違いです・・・( これはキーワードになりますので、後で改めてお話しますが・・・ )。

当時の 「 信長 」 には・・・「 朝廷 」 や 「 公家 」 を相手にする前に・・・まだまだ、やらなければならない事が・・・山積みでした。

「 一向宗 」 しかり・・・「 越前の朝倉 」 「 越後の上杉 」 「 関東の北条 」 「 四国の長曽我部 」 「 中国の毛利 」 「 南九州の島津 」・・・と、名だたる武将達の他にも 「 畿内の諸大名 」 などなど・・・

歴史の表面に登場する名前だけでも・・・蒼々たる メンバー です・・・。


対外的に、これだけの敵と対峙していたにも関わらず・・・「 織田家中 」 の事は、あまり話題になっていません・・・。

「 羽柴 秀吉 」 「 柴田 勝家 」 「 滝川 一益 」 「 丹羽 長秀 」 「 佐久間 信盛 」 「 前田 利家 」 「 佐々 成政 」 「 明智 光秀 」・・・などなど目ぼしい 「 信長の家臣団 」 と 「 徳川 家康 」・・・・・。


さて、この メンバー の中で・・・本当に 「 信長 」 の事を一番、尊敬していたのは・・・誰なんでしょう〜〜〜。

パパが思うに・・・それは・・・「 明智 光秀 」 だったのでは? 無いかと思っています。


それでは・・・「 信長 」 が一番信頼していた人物・・・それも 「 明智 光秀 」 だったのでは? と考えています・・・。


では? 何故?? 「 本能寺の変 」 が、起こったのか???・・・・。




その前に・・・重要な人物の事を書いておかなければなりません・・・・・。

この人物も又、「 信長 」 から 「 信頼されていた 」 数少ない一人でした・・・。

その名は 「 浅井 長政 」・・・。


「 信長 」 の9人居る妹の一人・・・「 お市の方 」 を嫁がせた・・・湖北 ( 琵琶湖 ) の武将です。

しかし、心ならずも 「 長政 」 は 「 朝倉 」 方に 就かざるを得なくなり・・・結果 「 信長 」 を裏切ります。

元々 「 尾張気質 」 の 「 信長 」 が・・・裏切られる事 自体・・・考えにくいのですが・・・確かに油断はあったように、見受けられます・・・。

「 信じる筈のない人 」 が 「 信じて裏切られた 」・・・その心中や! 如何に!!・・・。



そして時は過ぎ・・・「 天下布武 」 の完了を目指して・・・「 信長 」 は、家臣団をそれぞれの方角へと・・・派遣します。

「 北陸平定軍 」 には 「 柴田 勝家 」 「 佐々 成政 」 「 前田 利家 」 「 佐久間 信盛 」・・・

「 関東管領 」 には 「 滝川 一益 」・・・

「 中国平定軍 」 には 「 羽柴 秀吉 」・・・

「 四国平定軍 」 には 「 丹羽 長秀 」・・・

さて・・・「 本能寺の変 」 の近辺で・・・「 信長 」 の近くに 配置されていたのは??・・・誰か??。


そう 「 明智 光秀 」 が、「 近畿平定軍 」 として・・・「 信長 」 の身近に配置されていました。

これって? 偶然だったのでしょうか・・・。

「 徳川 家康 」 の接待係・・・だった・・・とか・・・言われていますが・・・

「 明智 光秀 」 は・・・「 石田 光成 」 とは違うんです・・・れっきとした武将で・・・軍略にも長けた人・・・だったようです。

如何に 「 家康 」 が・・・「 信長 」 にとって、重要 且つ 怖い存在 だったのかは、知る由もありませんが・・・その接待を命ぜられた 「 光秀 」 の存在感が、歴史では あまりにも軽く扱われ過ぎて居り・・・よって、我々は 「 光秀 」 を少し 軽んじて評価してしまっている・・・そう、考えています。


ここで、前述の 「 重用する 」 と 「 信頼する 」 の違いが、浮き彫りになって来ます。

「 羽柴 秀吉 」 などは、「 重用する 」 の代表格・・・・・

しかし 「 信頼する 」 となると・・・疑問符がつきます。

その点 「 光秀 」 の言動を知るにつれ・・・「 信頼されている 」 と言う実感を、感じずには居られません・・・。

「 信長 」 と言う人は・・・「 利用できる 」 物は、とことん利用するが・・・「 信用はしない 」。

「 信長 」 が・・・唯一 「 信用した 」 と思われるのが 「 長政 」 であり 「 光秀 」 だったのでは無いでしょうか・・・。


しかし、皮肉にも・・・その2人共が、心ならずも 「 信長を裏切る 」 事になるのです・・・。



長くなりましたので・・・次回 「 是非に及ばず 」 Part・2  を考えています。

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