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「 信長 」 のみならず・・・当時の 「 戦国武将 」達を 悩ませていた存在!!・・・ それが 「 一向一揆 」・・・。 特に対立が大きかったのが・・・ 「 越後の上杉 」 「 越前の朝倉 」 「 三河の徳川 」「 南九州の島津 」・・・。 「 浄土真宗 」 の門徒による 「 一揆 」 が主なものでしたので・・・「 一向一揆 」 と呼ばれます。 「 信長 」 と言う人・・・「 本願寺 」 やら 「 延暦寺 」 やらを攻撃し・・・やたら 「 仏教 」 を排斥したかのような イメージ がありますが・・・唯一 「 法華宗 」 に帰依していた事があります。 意外に思われる事と思いますが・・・正直に言えば・・・真剣に帰依していたのでは無いと考えます・・・。 「 法華宗 」 とは、 宗祖が 「 日蓮 」・・・ 「 日蓮宗 」 とも言われています。他宗派とは 宗教問答で、争いを挑む・・・ラジカル な存在・・・。 一方 「 浄土真宗 」 は 「 浄土宗の祖 法然 」 の弟子・・・「 親鸞 」 が起こした宗派ですが・・・「 浄土宗 」 自体が? 「 秦氏 」 の影響力の強い存在でした・・・。 「 法華宗 」 と 「 浄土宗 」 「 浄土真宗 」 は・・・仲が悪い!! と言うより 「 浄土真宗 」 の方が、新興宗教である 「 法華宗 」 の事を快く思っていなかった!!・・・と言うのが、真実のようです・・・。 何より 「 信長 」 にとって 「 法華宗 」 は・・・利用の し甲斐のある 「 宗派 」 であっただけ!!・・・と言うのが、正直なところでしょう・・・。 その他 「 信長 」 の元には・・・「 イエズス会 」 の宣教師 「 フロイス 」 も居りましたし・・・ この人に関しましても・・・「 信長 」 が 「 キリスト教かぶれ 」 をしていた訳では無く・・・ 海外の情報を入手する為の・・・道具・・・に過ぎなかった!! と考えます・・・。 「 法華宗 」 の宣教区の一つに・・・「 種子島 」 が、あった事・・・見逃せません。 「 本能寺の変 」 の折・・・「 信長 」の死と共に・・・「 本能寺 」 が、跡かたも無いほどの爆発を起こしています。 これは、「 本能寺 」 に・・・多量の 「 火薬 」 が備蓄されていた事を証明しています・・・。 「 種子島 」 に伝わった 「 火縄銃 」・・・「 種子島 」 で レプリカ が作られ・・・その多くは 「 本能寺 」 へ運ばれ・・・そこから流通していた形跡があります・・・。 さて・・・本題の 「 一向一揆 」 ですが・・・ これには、「 伊賀の忍び 」 「 雑賀衆 」 など 「 秦氏の裏 」 の勢力が加勢していました・・・と言う事は、 うがった見方をするならば・・・ 「 信長 」 が台頭してきた頃の 「 室町幕府 」 は、壊滅状態・・・公家たちの影響力も強く・・・ 「 武家の棟梁 」 としての実体は無かったと思われます・・・。 「 朝廷 」 は 「 朝廷 」 で・・・その事態を憂慮していた・・・。 早く 「 朝廷 」 の言いなりになる・・・強力な、新しい 「 番犬 」 が欲しかった・・・。 しかし・・・「 朝廷 」 に刃向かう者であっては・・・困る・・・。 各戦国武将の陣営に・・・「 火種 」 を置く為の・・・「 一向一揆 」 であったのかも??知れません。 「 伊勢湾交易 」 を手中にし、「 堺の 海外交易 」 をも押さえ・・・更に 「 敦賀湾交易 」 まで、己が物にしようとする 「 信長ファミリー 」 への・・・誰かさんの?? 危機感が、顕著に現れた タイミング だと・・・思うのですが〜〜〜。 そして、門徒は 一斉蜂起し・・・「 進むは極楽、退けば地獄 」 と鼓舞されて・・・武力闘争の道へと・・・突き進みます・・・。 しかし・・・最終的に 「 信長 」 の軍門に下った 「 顕如 」 は助命され・・・「 浄土真宗 」 を続けます・・・死んでいった 「 門徒 」 の立場は??・・・ これで困るのは・・・門徒では無く・・・「 顕如 」 等、一部の僧達・・・。 地域に於いて、領主をも 差し置いて・・・宗教の名のもとに、財をなし・・・僧兵など、私兵を創り・・・今で言えば・・・「 アルカイダ ( イスラム原理主義 ) 」 のように・・・領主に刃向かい、テロ まがいの行動に出る・・・。 手先に使われた・・・「 門徒達 」 には・・・一切 関わりのない事だったはずです・・・。 しかし、皮肉な事に・・・「 尾張 」 の門徒達は一揆を起こさなかったんです・・・。 「 信長 」 が怖かったのか??・・・それとも、満たされた日々を? 送っていたから?? でしょうかぁ〜〜。 「 一向一揆 」 に苦しむ、全国の戦国大名達でしたが・・・そんな大名達へ 「 本願寺 」は、次のような書状を送りつけます・・・。 「 織田信長 包囲網に参加するならば・・・一向一揆を止めさせる・・・ 」 と・・・・・。 全国で武装蜂起した 一向宗門徒達でしたが・・・真の目的は・・・誰かさんの? 「 信長討伐 」・・・その一点に 尽きるのでは??・・・。 それは 「 顕如 」 が頂点の話では無く・・・もっと後ろに、「 黒幕 」 が居た事・・・ しかし、全国では 「 一向一揆 」 は続き・・・「 信長 」 亡きあと 「 秀吉 」 が和睦を結ぶまで・・・戦国大名にとっては・・・悩みの種だったようです・・・。
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Echt?Unglaublich
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「 尾張・西美濃 」地域の 怪しい人達の話をしてきましたが・・・ここら辺、パパの ルーツ でもありますので・・・あまり、悪口は言えません〜〜〜笑。 しかし・・・「 美濃国守護 土岐氏 ( ときし ) 」 のご紹介が、まだでした・・・。 この 「 土岐氏 」・・・最盛期には、「 尾張 」「 美濃 」「 伊勢 」 の3カ国を支配する 「 守護大名 」 でしたが・・・ その出自は・・・「 清和 源氏 」 の 真の末裔 なんです・・・。 この家系に連なるのが・・・明智家 なんです〜〜〜。 これ等・・・ちょっと? 怪しい人達と 一線を画するのが・・・ 本来・・・「 光秀 」 の家系は 「 道三 」の下に位置する 家系では無く、同等もしくは?少し上。 しかし、その 「 斎藤家 」 ( 道三 )・・・「 油売り 」だけでは無く・・・ 同じ 「 神職系 」 でも・・・「 信長・織田家 」 よりも・・・家格は上!!。 ですが・・・信長の正妻 「 濃姫 」 は、「 道三 」 の娘・・・しかも、光秀とは 従兄妹同士!!。 と言う事は・・・「 信長 」 と 「 光秀 」 は・・・身内であったわけです・・・。 律儀なまでに・・・「 朝廷 」 と 「 足利幕府 」 に忠実であった 「 光秀 」・・・・・。 「 信長 」 や 「 道三 」 のような・・・商いで 富を 得・・・のし上がった家系に対して・・・ どんな?思いを抱いていたのか??・・・。 「 本能寺の変 」 の意味合いは 色々とあるのでしょうが・・・その根底にあるものが、垣間見られるのでは? 無いでしょうか・・・・・。 ここで、ちょっと・・・コーヒーブレイク(笑)〜〜〜〜。 再三、「 怪しい 」 と言う言葉を 使って来ましたが・・・悪気があっての事ではありません。 パパの言う 「 怪しい 」 = 「 時の 抵抗勢力 」 もしくは 「 新興勢力 」 と言う意味合いですので・・・ ご了承ください・・・。
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前回の記事で、信長を 深く掘り下げる??・・・などと、生意気な事を 宣言しましたが・・・ パパが、最も興味を覚えたのは・・・「 本能寺 」 で襲撃を知り・・・それが、「 明智 光秀 」 の軍であると 知った時に・・・信長が発した とされる言葉・・・・・ この一言でした・・・・・。 一般には・・・「 仕方が無い、やむを得ない 」 などと言う意味の言葉ですが・・・ 巷間、様々な意味に、解釈されています・・・しかし、的を得た答えは、誰も発表していません。 ( あくまで・・・パパが、納得する答え〜〜ですが・・・ ) 「 信長 」 49年の人生の最期に残した言葉です・・・絶対に、意味があるはず・・・。 そこでパパは・・・「 織田 信長 」 と言う人物の・・・生い立ち? から見て行かないと・・・ その答えには、辿り着けない!!・・・そう確信して、調べてみました・・・。 すると・・・前述の 「 秀吉 」 同様に・・・不思議な関係が、見えてきました・・・。 元々、信長の生まれた 「 織田家 」 は、「 織田本流 」 ではありません・・・。 以前の記事にも書きましたが、「 信長の 織田家 」 出自については、大きく 3つの推測が成されていますが・・・結論から申しますと・・・パパは 「 忌部氏 説 」 を評価しています。 「 藤原 説 」 「 平家 説 」 これらは・・・後から創られた系図であろうと思っています。 「 忌部氏 」 を ルーツ とするならば・・・ 「 神道 」 との関わりが出てきます・・・。 「 織田家 」 は、「 越前 織田庄 」 が、元々の出身地・・・織田傍流の 「 信長・織田家 」 は・・・ この 「 津島港 」 を支配する事で・・・「 信長・織田家 」 は、尾張の物流を 一手に司っていたんです。 「 津島港 」 と 「 津島神社 」 との コネクション による・・・「 油 」 の専売で、「 信長・織田家 」 は・・・尾張領内で 一気に、その地位を高め・・・ 「 尾張守護代 」 や 「 織田本家 」 ですら・・迂闊に 手が出せない存在になっていたんですねぇ〜〜〜「 信長・織田家 」 は!!!。 ( まだ、信長は生まれていません〜〜〜悪しからず・・・ ) 所が! です〜〜〜!!!・・・。 何故? 「 信長・織田家 」が、関われたのか??・・・。 もう、お分かりですよね・・・パパが 「 忌部氏 説 」 を支持しているのも、正に この事によってなんです・・・。 ちなみに・・・「 織田 信長 」 の家紋と、「 津島神社 」 の神紋・・・これが、同じなんですよ〜〜。 どうも・・・「 信長 」 が 「 桓武平氏 」・・・この説・・・吹っ飛びましたぁ〜〜〜。 この 「 長井氏 」 こそが 「 斎藤 道三 」 の実家!!・・・「 油 」 と 「 灰 」 の交易によって、莫大な 「 富 」 を得・・・「 美濃 土岐氏 」 での地位を高めたんです・・・。 武将としての 「 信長 」 から入った方には・・・多少の 「 違和感 」 があるのでは?無いでしょうか??・・・。 さて、このような家系で 生まれ育った 「 信長 」・・・ここいら辺を 理解すると・・・その後の行動も?・・・納得出来るのでは? 無いでしょうかぁ〜〜〜。 「 道三 」 の娘の 「 濃姫 」 との結婚も・・・ 「 油 」 と 「 灰 」 を商っていた 「 生駒屋敷 」 への出入りも・・・ 「 蜂須賀 」 「 秀吉 」 との・・・違和感のない交流や・・・「 秀吉 」 の重用も・・・ 全てが・・・自然であり・・・なるべくして? なった! 結末!! のように思えます。 さてさて(笑)・・・ここまでで 「 信長・織田家 」 と 「 美濃・斎藤家 」 が出てきましたが、 「 信長 」 に、人生最期に 「 是非に及ばず 」 と、言わせた人物・・・「 明智 光秀 」・・・ |




