Wecker papa の独り言

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Echt?Unglaublich

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賢明なる皆さまの事ですから、「四国に、何が隠されていたのか(過去形です・・・)」お察しの事とは思いますが・・・
 
それでは、誰が一体、最初に「四国」に目をつけ・・・全てを実行したのか??・・・興味ありませんか??
 
 
以前の記事で、渡来人の「ルーツ」を書いたとき・・・「百済系」は「北九州」、「新羅系」は「出雲」に上陸・・・
「新羅系」には「秦氏」「聖徳太子」「物部氏」などなど・・・とも書きました・・・
しかし、この書き方では・・・「新羅系」の人達が、まるで「新羅人」であるかのように・・・誤解を招きかねません。
 
違うんですよ〜〜〜「新羅系」は「新羅人」ではなく・・・出発地が「新羅」だっただけ・・・もしくは「新羅に身を寄せていただけの人達」・・・
 
又、違う記事では・・・西は「ローマ帝国」、東は「モンゴル高原、旧満州」にまで広がる領土を持つ「突厥(とっけつ)」についても書きました・・・
「東突厥」と「西突厥」に別れる、その騎馬国家は・・・当時の漢民族 「隋」 にとっては脅威でした・・・
 
そして、中国の歴史書によると・・・「隋」によって捕えられた「東突厥の阿波(あば)」と「西突厥の達頭(たんどぅ)」の両名・・・585年に、無傷で釈放されて後・・・消息不明・・・
 
所が、その両名・・・なんと日本に渡った・・・その後、「阿波」は「物部 守屋」、「達頭」は「司馬 達等」・・・すなわち「聖徳太子」である・・・と・・・
 
歴史上「出雲王国」なる国・・・「日本神話」の舞台となる訳ですが・・・
 
この「出雲王国」が・・・実は、「聖徳太子」「物部氏」のルーツである・・・「物部王国」へと、スライド しているんです。
 
では「物部王国」なる場所とは・・・一体?何処??・・・
 
ここからが、本日の「本題」となるわけなのですが・・・
 
もうお分かりかとは思いますが・・・壮大なる?戯言・・・「パパの推論」を・・・これから書いていきたいと思います。
 
 
まず最初に・・・「日本」に「原始キリスト教」が持ち込まれたのは、西暦199年「仲哀天皇」の頃・・・「秦氏」によってでした・・・と言うくだりを思い出してください・・・。
 
その後も、「渡来の民」は、海を渡って、日本に上陸し続けるのですが・・・
 
「聖徳太子」さん・・・歴史の教科書では「西暦574年宮廷にて、誕生」となっていますが・・・疑わしい〜〜。
「東西突厥」の「阿波」と「達頭」・・・「物部守屋」と「聖徳太子」が、日本に辿りついたのが・・・「隋」に釈放された「西暦585年以降」・・・
色々と物語は語られていますが・・・「聖徳太子さん」・・・「誕生から、25〜6歳」までが・・・実は「謎」なんです・・・
所が「西暦600年」になると・・・目覚ましい活躍!!・・・その後10年の間の業績は、素晴らしいものです・・・
しかし・・・その10年を過ぎると・・・「西暦622年」に亡くなられるまで・・・再び、消息不明〜〜〜
では?「聖徳太子さん」・・・「西暦600年」まで・・・何処に居たの???・・・
 
 
 
ズバリ!!・・・「四国」です!!!・・・
 
「物部王国」・・・実は「四国」そのもの!!!・・・「秦氏」によって、運び込まれた「大切なもの」・・・それは「物部王国」の奥地に、しっかりと「隠されていた」・・・。
「物部王国」こそが「ソロモン宮殿」から密かに避難した「アーク」を守り続けていたのです・・・
 
では?なぜ??・・・「物部王国」の人々(聖徳太子・物部守屋など)は「南紀」の「大和朝廷」に登場してきたのか??・・・・・・これが!「ミソ」です〜〜〜
 
以前の記事にも書きましたが、渡来人である彼らは、優れた「情報網」をも持っていた・・・
 
「西洋」からの「脅威」を予感していたのでしょう・・・そこで「物部王国」は隠された・・・
 
地図からも、歴史からも・・・
 
「西暦600年」ころ・・・「聖徳太子」も、「物部王国」を離れざるを得なかった・・・事情が出来たのでしょう・・・
 
紀元前3世紀に、渡来した「徐福探検隊」の活躍は・・・南は「鹿児島」に始まり「宮崎」「佐賀」「福岡」「和歌山」「京都」「三重」「愛知」「山梨」そして・・・遠く「東北各県」までを調べ上げ足跡も残しましたが・・・
 
「四国」の記述が?無い!!!・・・足跡も?無い!!!・・・
 
しかし、実際には「四国」は選ばれたんです・・・そして、「秘密の隠匿」は、つい最近まで・・・守られ続けたんです・・・
 
「阿波」と「南紀」に、同じ地名、名前をつける事で・・・「物部王国」すなわち「讃岐・阿波」に秘密のベールを被せ・・・実力者は、あえて「物部王国」を離れる事により・・・「重大な秘密」は・・・歴史の闇に沈んだんです・・・これが、「物部王国」の第1章です・・・
 
次のお話は・・・又、今度の記事で・・・
 
最後になりましたが!!・・・お気づきに?なられました??・・・
四国徳島は、昔・・・「阿波(あわ)」と呼ばれてましたね・・・「阿波踊り」有名ですぅ〜〜〜
この「阿波(あわ)」・・・何処かで??・・・見たような???・・・
「東突厥の阿波(あば)」・・・「物部守屋」となる???・・・でしたよね〜〜〜
 
 
 
 
 
 
 
 
回り道をして、やっと「四国」へ戻ってきましたが・・・今までの事、パパが「四国」を語る上で・・・
序章となるパートですので、頭の隅にでも、留めておいてください・・・
 
さて、「四国」ですが・・・「日本神話」には、しっかりと登場しているのに・・・(空海さん、龍馬さん、とか?)は出ますが、「四国」と言う土地自体は・・・華々しく、歴史の表舞台に 登場する事がありません・・・
 
「北九州地域」「出雲」「姫路」「奈良(南紀)」「京都(畿内)」「鎌倉」「美濃・尾張・三河」「江戸(東京)」などの土地は・・・歴史上の人物達が、華々しい活躍を見せる地域です・・・勿論、それらの土地を結ぶ地域も同様です。
 
それでは?そのほかの地域では??と、目を向けると(古代から・・・)・・・
 
南から「中九州(熊本)」には、大和朝廷に従わない・・・「熊襲(くまそ)」なる人々が、居りました。
「南九州(鹿児島)」には、同じく「隼人(はやと)」と呼ばれた人々が居りました・・・一方、北に目を転じると・・・
「関東の一部も含め、それ以北(東北・北海道)」には、ここも又、大和朝廷とは一線を画す・・・「蝦夷(えみし)」なる人々が・・・居りました。
 
日本史における、重要な多くの事が、先述の「南関東」以西・・・「九州北部」までの地域で起こっていたんです・・・(中央に反逆しての、戦いは・・・その他の地域でも、ポツポツとは起きていますが・・・)
 
さて、ここにまったく登場しない地域が、一か所・・・もうお分かりですね・・・
 
「四国」です・・・
 
何故でしょう??・・・
 
そんな、歴史上、気にも止められなかった??「四国」の地に・・・
 
 
【謝罪】・・・祖父が、阿波出身という事で〜〜失礼、お許しください〜〜四国の皆さま〜〜
 
 
何故?「朝廷」は「四国に結界」を張る事を、「弘法大師(空海)さん」にお命じになられたのか??・・・
 
第52代「嵯峨天皇」、809年に即位してからの事です・・・
 
時に「空海さん」・・・30代後半・・・若い!!!
 
その「空海さん」の俗名が「佐伯 眞魚」・・・「佐伯氏」です・・・
 
この「佐伯氏」元々は「物部氏」と言い「大伴氏」と共に「大和朝廷」の「軍事の長」をつかさどっていた家系。
 
「大伴氏」に押され、次第に衰退し子孫は「佐伯」を名乗ったと言われていますが・・・
 
「佐伯氏」には、もう一つの顔があるんです・・・
 
それは、「佐伯」を名乗るようになってからだと思うのですが・・・「忌部氏(いんべし)」との繋がりを強くし・・・
 
「忌部氏」同様、「神職を司っていた」そうなんです・・・
 
「阿波忌部氏」と・・・「讃岐佐伯氏」・・・「空海さん」も・・・「佐伯」です〜〜〜「讃岐」出身です〜〜
 
「讃岐の佐伯さん」の息子さんが・・・「お坊さん」に〜〜「真言密教」ですって!!!
 
そんな「空海さん」が、四国に88加持を配し・・・「お遍路道」を作り・・・「結界(封印)」を張った。
 
この88加持を回る「お遍路道」・・・阿波の「鳴門」が一番で、その後四国を回る訳ですが・・・
 
「空海さん」が設定した「お遍路道」からは・・・見る事が出来ない場所があるんです・・・
 
意図的に隠されたと言われている、その場所こそ・・・阿波の霊峰「剣山」なんですよ〜〜〜何故でしょう??
 
それから・・・「四国」を横断するように流れる「吉野川」・・・「剣山」を擁する、徳島の「那賀郡」・・・等の名前・・・
 
「紀伊水道」を挟んで「奈良南部・和歌山北部」に・・・「同じ名前」がつけられているんです・・・
 
奈良に発し、和歌山を流れ、紀伊水道に流れ込む「紀ノ川」・・・この川、ご存知かと思いますが、上流では「吉野川」と言われてますよね・・・
 
徳島の「那賀郡の那賀」・・・和歌山は「紀ノ川市」に同じく「那賀」がつけられています・・・何故なんでしょう??
 
当の「空海さん」「四国」に「結界」を張ったにも関わらず・・・「剣山」とは「紀伊水道」を挟んで向かいにそびえる「高野山」を開き・・・今でも、奥の院にて?ご存命??とか???・・・伝説です〜〜〜
 
長くなってしまいました・・・封印の理由、「空海さん」の正体??・・・につきましては、次回、必ず・・・
 
馬鹿げた話になるかも?知れませんが・・・宜しかったら、読んでみてください・・・
 
 
 
 
 
 
「現代の人間」と言われている「種族」は、元々は何処から?来たの??・・・
 
四大文明」の発祥地として、名高い土地から発生したの?・・・それとも?白人種」は「ヨーロッパ大陸で、黒人種」は「アフリカ大陸、「黄色人種」は「アジア大陸で??誕生したのでしょうか??・・・
 
イエイエ・・・違います・・・「現代の人間」・・・「クロマニヨン人」「ネアンデルタール人」の子孫でもありません・・・
 
現代に於ける、遺伝子研究の目覚ましい進歩により・・・「現代まで生息している人間」の「ルーツ」は・・・
 
「アフリカ」である事が、証明されています・・・
 
「アフリカ」で発生した「人間」・・・その後、世界に移動を開始し・・・その子孫が我々であると言う事を認識しておいてください・・・
 
それを踏まえて、「日本人とは??」と、問う事自体・・・ある意味、ナンセンスであるとは思うのですが・・・
 
違う視点から考えて見ると・・・今、現在、日本に住む我々の「ルーツ」が、「中東」にあったとしても、「東南アジア」であったとしても、勿論「お隣の国」もしくは「中国」であったとしても・・・驚くには値しない・・・と言う事ではないでしょうか・・・
 
人のルーツは、そうだとしても・・・文化、風習などは?何処から来たの??・・・パパのこだわりは、この一点に尽きる事・・・お含みおきください・・・
 
前置きが長くなってしまいましたが・・・パパは、これ等の事実を振りかざして・・・「日本人=ユダヤ人」であるとは・・・決して考えていません・・・
 
又、安易に「ユダヤ人=古代イスラエル人」と理解する事も又・・・大きな間違いの元になります・・・
 
「古代イスラエル人」と、現在「イスラエルという国に住む、ユダヤ人」とは、違うと言う事です・・・
 
ウ〜〜ン・・・複雑です〜〜???
 
 
パレスチナの話題も、以前にしましたが・・・今、「ユダヤ人」と呼ばれている人々は・・・「南イスラエル王国」の末裔・・・イスラエル12部族のうちの「ユダ族」「ベニヤミン族」の末裔なんです・・・。
 
「ダビデ王」の元、12部族が協力し造り上げた「イスラエル統一国家」・・・「ダビデ」の子「ソロモン王」の時分には最盛期を迎え・・・その後、内紛により「北イスラエル」と「南イスラエル」とに分裂・・・
 
「北イスラエル」は「アッシリア」により滅ぼされ・・・「南イスラエル」は「バビロン」により滅ぼされるのでしたね・・・
 
「古代イスラエル人」と言うのは、この「イスラエル統一国家」の民の事で・・・「北」だ「南」だと言う話では無いんです・・・
 
一般に「ユダヤ人」とは・・・「南イスラエル」の民を指しています・・・唯一の神「絶対神ヤハウェ」を信じる民です。
 
北イスラエル」の民は「偶像崇拝」、すなわち「宗教的象徴を重んじた」民です・・・彼らは、パレスチナの地には戻らず、未だに「消息不明」と言うのが定説です・・・
 
 
この話を土台に・・パパの無謀な推論ですが・・・
 
北イスラエル」の民・・・すなわち「失われた10部族」と言われている人々が「シルクロード」なる東への道を開拓し・・・「偶像崇拝」を反省し・・・時代と共に「イエス・キリスト」へと傾倒していった・・・「原始キリスト教徒」・・・
 
しかし、同胞の危急を知った彼ら、又は彼らの一部は「エルサレム」へと密かに足を運び・・・「契約の聖櫃(アーク)」の避難に力を貸した・・・
 
その後・・・「契約の聖櫃」は?どうなったか??・・・
 
インディー・ジョーンズ」も「ナチス・ドイツ」も探した・・・あの「アーク」は・・・密かに「極東のパラダイス」へと運ばれた・・・誰にも知られることなく、密やかに・・・時間をかけて・・・運ばれた・・・
 
果たして、その場所は?何処だったのか??・・・
 
それが「四国」だったと・・・半分?信じています〜〜〜
 
狂人の戯言だと・・・お笑いになるのも結構ですが・・・意外と?これが・・・西洋人達が血眼になって探しても見つからなかった「アーク」の真実なのかも??知れませんよ〜〜〜
 
ここでやっと「四国」の再登場となるわけですが・・・長くなりましたので、次の機会に、この続きは書かせていただきます・・・
今日書きます内容は、パパの勝手な妄想だと・・・笑いながら、お読みください・・・
 
さて、先日は・・・かの昔、「四国」が「空海さん」の手によって、しかも「嵯峨天皇」の指示により「結界」を張り巡らされた土地であった(過去形〜〜〜)と言う話題でしたが・・・
 
何故?そのような必要が、朝廷にあったのかを・・・書く前に・・・
 
思いだしてください・・・パパの「小説もどき!のコーナー」書庫の「シークレット・ハート」を・・・
 
その中に登場した「徐福」なる人物の事・・・紀元前3世紀の頃の話ですが・・・
 
徐福」は「秦の始皇帝」の命により・・・「不老不死の妙薬」を探す為に・・・日本に渡ったのでしたね・・・
 
しかし、「秦の始皇帝」の命に背き・・・日本に永住してしまいます・・・。
 
果たして?それが事実なんでしょうかぁ〜〜〜・・・
 
紀元前3世紀頃に九州に上陸したのは事実のようですが・・・当の中国では・・・
 
「徐福=神武天皇」と語られているんです・・・
 
それが事実だとしたら・・・日本神話、金の鷲に導かれ行われた「神武東征」って、「徐福」が東へ移動した?と言う話になります・・・
 
事実「徐福」は「東征」しており・・・富士山のふもとまで進んだと言う言い伝えがあります・・・
 
富士のふもと・・・正に「諏訪」・・・
 
「諏訪大社」には・・・御存じ「御柱祭り」と・・・あまり知られていない「御頭祭り」とがあります・・・
 
この「御頭祭り」・・・「酉(とり)の祭り・・・ミシャグチ祭り」とも呼ばれ・・・その由来については、全くの謎だそうですが・・・その内容に、旧約聖書「イサク捧献伝承」に似たところがあるそうな・・・
 
「イサク捧献伝承」の舞台となるのが・・・エルサレム近郊の「モリヤの山」・・・「諏訪大社」の御神体が、社殿の奥に広がる「もりや山」・・・
 
日本には「スメラ・ミコト」なる「天皇の別称」がありますが・・・この言葉、古代ヘブライ語のアラム方言で「サマリアの大王」と言う意味になるそうです・・・
 
「サマリア」とは・・・ご存知「北イスラエル王国」の都・・・・「ユダヤの、失われた10部族」の出身地ですね。
又、「天皇」の事を・・・その昔「帝(みかど)」とも呼んでいましたが・・・この言葉も同じようにヘブライ語にすると・・・「ガド族の出身者」と言う意味になる・・・
 
こんな事を「シークレット・ハート」には書いて来ましたが・・・覚えておられるでしょうか?・・・
 
「徐福」は「秦氏」・・・九州に上陸した「秦の民」・・・東へ東へと進み・・・富士のふもとまで・・・
 
その痕跡は各地に「伝承」として、伝わっていますが・・・ここに「四国」は出て来ません・・・
 
四国」が無視されていたのか?・・・それとも??・・・「意図的に隠された土地」だったのか??・・・
 
パパは、後者を支持して・・・この記事を書いています・・・
 
 
再び・・・話は「諏訪」に戻りますが・・・ここで重要なのが・・・やはり「モリヤ山」・・・ご神体です・・・
 
その「モリヤ山」から・・・さかのぼる事、数世紀・・・紀元前10世紀頃・・・パレスチナの地・・・今のエルサレムに位置する「モリヤの山」の上に・・・南イスラエルの王「ソロモン」は「宮殿」を造ります・・・
 
「ソロモン宮殿」です・・・ソロモンは、その宮殿の「ケルビム(金の酉)の翼の下」に・・・「契約の聖櫃」を安置します・・・(ユダヤの三種の神器を収めた箱)
 
その340年後・・・紀元前586年・・・「ソロモン宮殿」は「バビロン帝国」の攻撃の前に・・・完膚無きまでに破壊されました・・・
 
しかし・・・「契約の聖櫃(アーク)」は・・・その後、誰の目にも触れていません・・・今に至るまで・・・
 
ヨーロッパには、色々な伝承があるようですが・・・確実な情報は、未だに見つかっていないようです・・・
 
以前にも書きましたが、「南イスラエル」が滅亡する時点で、既に「北イスラエル」は「アッシリア帝国」の手によって滅ぼされており・・・捕囚となり、その後解放された「北イスラエル」の民の協力のもと・・・
 
「アーク」は「ソロモン宮殿」を脱出していたとしたら・・・「失われた10部族」の手によって・・・東へ運ばれたとしたら・・・行きつく先は・・・言わずと知れた・・・「日本」だったのでは??・・・
 
恐ろしい事を、書いてしまいましたが・・・パパの憶測は、止まる事を知りません〜〜〜
 
何故?「朝廷」は・・・「四国を封印」する必要があったのか??・・・
 
歴史の重要な場所としては、登場しない「四国」に、何故??・・・
 
「徐福」の東征も・・・北九州と出雲から始まった、日本の歴史・・・瀬戸内海を通り、日本海を通り・・・機内へと進み・・・伊勢、尾張、三河・・・もっと進んで「諏訪」・・・
 
まるで、肝心な場所を、あえて避けるかのような動き・・・これを「国仕掛け」と言うのでしょうか??・・・
 
肝心な場所・・・そう・・・それが「四国」だったとしたら・・・謎が、謎を呼びます・・・
 
 
今日は「空海さん」から、離れてしまいましたが・・・「四国」の特殊性・・・少し?お分かりいただけたでしょうか??・・・次回、「空海さん」に戻って、再び、突拍子もない、お話を・・・
 
 
 
突然に四国の話題で恐縮です・・・
 
四国の徳島は、母方の祖父の出身地で・・・小さい頃には、祖父から四国の話を良く聞かされました・・・
 
剣山」の大蛇の話とか・・・
 
それは、さて置いて・・・四国と言えば・・・坂東真砂子さんの小説「死国」・・・「石鎚山」を中心に「四国」を霊の集まる場所として描かれていました。
 
フィクションですが、八十八か所を、甦らせたい人の年齢だけ逆に回ると、死者が甦ると言う「逆打ち」・・・
 
実際「逆打ち」は、御利益が増すと言うものらしいですが・・・小説では、不吉な行いとして描かれていました。
 
その「逆打ち」のせいで、他の死者まで甦る・・・と言うストーリーでしたが・・・
 
四国には、この小説のベースになるべき特殊性が隠されています・・・
 
そもそも、八十八か所の加持・・・お寺を配置したのは、何故??・・・
 
ここで問題になってくるのが・・・この「お遍路路」を作られた「空海」なる人物・・・
 
「八十八か所」をお参りする「お遍路路」・・・何を?祈っての?お遍路なのか・・・
 
知ってか知らずか、自分を見つめ直す為に回られる方、最近はバスに乗って、ショートコースを回られる方など・・・いまいち、目的が定かでは無くなっているように思うのは・・・パパだけでしょうか・・・
 
「空海」さんを偲んでの「お遍路」なのかも知れませんが・・・
 
皆が「真言密教」の信者さん?では無かろうと思うのですが・・・何故?人が集まるのでしょう・・・
 
四国の「お遍路路」に囲まれた山は「石鎚山」だけではありません・・・
 
徳島の奥地に位置する「剣山(つるぎさん)」・・・ここも、この「お遍路路」の中にあるのですが・・・
 
ここは、不思議な所です・・・。
 
ここの「剣山神社」の「本宮大祭」・・・毎年、7月17日に行われるのですが・・・
 
「7月17日」・・・この日付に、ご記憶ありませんか?・・・
 
そう、「祇園祭」と同じ日・・・そして聖書では、「ノアの方舟が アララト山 の山頂に着き、水が引いた日」でしたよね。
 
不思議な一致?です・・・と言いたいところですが・・・そうでも?無いんです・・・
 
ここに大きな「国仕掛け」が、あったんです・・・
 
四国と言えば、確かに「空海」さんの生まれ育ったところ・・・774年に生まれた「空海」さんの俗名は・・・
 
「佐伯 眞魚」・・・「さえき まお」とも「さえき まな」とも言われています・・・
 
「眞魚」ですよ・・・これも、何処かで?聞いたような・・・
 
この「空海」さん・・・「弘法大師」と言った方が馴染み深い方ですが・・・
 
特別の計らいで、中国大陸への留学を果たします・・・通常20年間の修行を収めて後の帰国・・・と言うのが慣例だったにも拘わらず・・・僅か2年で密教の奥義を極め・・・帰国してしまいます・・・
 
暫し、中央への帰参は叶わず・・・九州に留め置かれますが・・・809年に即位した「第52代 嵯峨天皇」の命により・・・四国に「2重の壁」・・・「封印」・・・「結界」を張り巡らせます・・・
 
それが、四国の「八十八加持」・・・
 
それでは?何故、「四国に結界」を張り巡らせ無ければならなかったのか・・・
 
次回から、簡単にではありますが・・・解き明かしていきたいと考えています・・・。

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