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「PHOTOGRAPH EXHIBITION 〜TOKO×IOMARCHIO〜」
無事終了しました。
見に来てくださった方、なかなか在廊できなくて、会えなかった人も多かったのですが、
ほんとにありがとうございました☆
ある意味、この写真展は未完成なものであったと思う。
写真だけでは決して成り立たない写真展。
ある人から「笑顔の写真が1枚あればよかった」と言われた。
でも、なくてよかったと思う。
この写真展は癌という病がテーマになっている。
TOKOがその病によって、失ったもの、得たもの。
撮影のときに「笑顔はなしで行こうと」言われた。
そして、撮影が始まった瞬間、彼女はとてもコワイ顔ばかりをカメラに見せた。
そのとき、彼女の悲しみや苦しみを実感した。
そのときはシャッターを切れなかった。
「死」に直面した過去を撮るのは違うと思った。
でも、嘘のある笑顔はもっと違うと思った。
撮りたかったのは「生」に向かう強いまなざし。
実際、それが今のTOKOだから。
笑顔があれば、ある意味完結したハッピーエンドの写真展になったのかもしれない。
でも、そんな簡単なものではない現実も表現したかった。
自分にとっての精一杯の笑顔の写真がこの空の写真たち。
モノクロ写真の中に天井にだけ鮮やかな蒼の空。
黒い教会の上にひろがる空、縛られた空、
とげのささった空(この写真は選考にもれたのですが、気に入ってます)
決して心地よい青空ではない。
でも、その蒼は確かに希望に満ち溢れた空。
もし、TOKOと話をしないで帰った人はこの空を見ずに帰ったかもしれない。
でも、それもそれでよかったと思う。
見上げれば、誰の頭上にも空はひろがっているけど、毎日それを見る人は少ないし、
空の存在すら忘れて生活している人もいるのかもしれない。。
でも、空はある。
同じ空の下で誰にでも起こりえること。
でも、そのときに「生きる感覚」を忘れないでほしいと思った。
この空はそういったいろんな意味を含んでいる。
そして、今回はギャラリーの支配人であるTOKOがその場にいて、
話をして、それも表現のうちのひとつなのかなと思った。
写真にはない笑顔、それをみて初めて完成する写真展だったのかもしれない。
言葉、音、映像、空間、そして人、すべてがからみあって、
ひとつの表現だったのだと思う。
私の周りにはなぜか、重い病に苦しんでいる人が多い。
カラダの病、ココロの病、原因も治療法もわからない病、
一生向き合って生きていかなければいけない病。。。
でも、そこから「死」は感じられない。
むしろ「生」を感じる。
病により日々の大切さを実感して生きている。
ぎりぎりの中でみんな生き生きしている。
そういうところにひきつけられるのかもしれない。
生命の神秘を感じたいくつかの出来事。
数年前、愛猫アッシュが仕事から帰ると倒れていた。
急性腎不全で脱水症状を起こしていた。
その数日前にどうも様子がおかしいので病院に連れていったら
どこも悪くないと言われて安心していた矢先だった。
夜中であったため救急の動物病院に連れていった。
「もう、呼吸は止まっています。」
と言われた。
それは「もう、死んでいます。」と
同じ意味に聞こえて、愕然とした。
しかし、電気ショックを何度か試みて、
奇跡的にまた呼吸をはじめた。
でも喜びもつかのま
「体温が10℃以上下がっています。いわゆる死にかけている状態です。」
と言われた。
そこは救急病院で夜中にもかかわらず、さまざまな動物たちが次々に運ばれてきて、
あくまで緊急の治療しかできないので、あとは点滴をすることぐらいしかできないと言われた。
声をかけながら、ただその冷たくなった体をさするくらいしかできなかった。
体温が一度あがるたびに何かに祈った。
なんにでもすがりたかった。
朝までただそうしていた。
体温は平温にまで戻った。
「ほんとに1秒を争う戦いでしたね。」と言われた。
その後、いろんな病院に連れていったのだけど、
「もうながくないかもしれない」とか
「呼吸停止してたときに脳に血液がいかず、意識障害になってるかもしれない」とか
「治ることはないから、このままずっと通院しなければいけない」とか
いろいろ言われた。
あれから、もう5年はたったかな。
アッシュは今も元気でそばにいる。
治らないと言われた病気が完治した。
いまでも静かに寝ていると不安で駆け寄ってしまう。
心臓の鼓動を確かめてしまう。
はやすぎる鼓動に「自分と同じリズムで刻んでくれたら」
とか自分勝手なことを考えたりもしてしまうけど、
その小さな鼓動に大きな命を感じる。
もともと産まれたときからカラダが悪かったらしい。
実はアッシュをはじめて見たときアッシュは親からも見離されていた。
他の子たちよりあきらかに小さくて、
一匹だけ別に寝ていた。
このままでは死んでしまうかも。。。って引き取ることにした。
親からも医者からも見離されたアッシュが今も元気に生きている。
きっとアッシュも生きたいってあきらめなかったからこそ今も生きているのだと思う。
別の話でほんの一週間前のことだけど、
妹が第二子を妊娠した。
お祝いムードの中、病院にいくと残念ながら流産だった。
数日後にお腹をきれいにする手術をするので
また来てくださいと言われたらしいのだが、
なぜか納得できない妹は
別の病院でまたみてもらった。
前の日の晩に夢で赤ちゃんが大きくなる夢を見たらしい。
でも、結果は同じだった。
その後、その病院で手術をすることに。
確認でもう一度検査したところ、
なんと心音が聞こえるとのこと。
手術は中止になった。
もし、最初の病院で手術していればもうなかった命。
「生きてる気がする」と何度も妹は言っていたらしい。
老いていくメカニズムすらまだよく解明されていないらしい。
でも、老いていくことにきっと意味があり、
限りがある命だから大切なんだって思う。
生きたいと願う気持ちが治らない病を超えることがある。
原因不明の病なら、同じように原因不明で治るかもしれない。
死んだかもしれない命、
でもつながった命。
それはなにか意味のあることのなのかもしれない。
気づかないだけで、人はつねに死と隣り合わせで生きているのかもしれない。
そう考えれば、今生きていること自体なんらかの意味があるのかもしれない。
「命とは。。。」
そんなことを語れるほど、自分は「生」にも「死」にも
直面して生きていないのかもしれない。
表現する行為に一番「生」を実感できる今、
表現を仕事としてやりだす前までは、自分自身、死んでいたのかもしれない。
「死にたい」と思ったことはないけど、逆に「生きたい」と
思ったことがあるかというと疑問だった。
でも、今は自分の表現したいという気持ちや、
なによりもそういう本当の意味で「生きてる」人たちに出会えて、
1秒1秒が本当に大事に思えるようになったし、毎日「生きてる」ことを実感しているし、
その感覚をこれからもいろんなカタチで伝えていきたいと思う。
たとえ生きる意味がないものだったとしても、一生かかってしかわからないものだとしても、
意味を探求することには意味があると思うから。
この写真展を通じて、今、自分にとってなにが大事なのかを確認できた。
ほんとにありがとう☆
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