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奈良県天川村にある龍泉寺を初めて訪れた。真言宗醍醐派の大本山であるこのお寺は、修験道の根本道場として信者、登山者の必ず訪れる霊場だそうだ。そして誰でも簡単に滝行が出来る場所になっている。滝行を簡単と言うと、かなり問題はあるけど、どんな宗派の人間でも等しく解放されていて、簡易的に修験道行者の気持ちになれる場所だ。
丁度、大雨が降っていたけど、お寺の人から白衣と着替え場所のカギを借りて、滝に向かう。小さな滝だけどすごく神聖な何かを感じて、しばらくは合掌。念仏を唱えながら、滝に打たれたが、思っていたよりもかなりの衝撃を全身に受けることになった。 本当は滝行は危険なので、一人でやるものではないと聞いているのだが、まあ、あちら側の世界に連れ去られる前に強い意志を持って臨み終了した。
滝は他界への一つの入り口で、神々が出入りする場所でもある。滝に打たれることは、神々との交流で、禊、清めとなり、その力で不屈の行者となるのであるが、私の場合は未だにいろんな事に迷っていて、いろんな意味でのインスピレーションを得るための手段としてとらえている。 長いようで短い「人生」の最終コーナーを回る前に、長いサラリーマン生活で錆びつき見えなくなってきた純粋な感覚を取り戻そうとしている。
10代の後半から試行錯誤したいろんな想いを、形として再現できるようにしたいのが最近の私の大事な課題だ。そうは言っても簡単な作業ではないのは、自分でもよく理解しているつもり…。
誰でも、喪失感を胸に抱き来ながら、生涯忘れられない異性がいるというようなことを、私が昔から注目している作家の辻仁成と江國香織の両氏が言っていた。人間は、楽しいことから得る幸福感を持つことがが勿論大事なのだが、取り返しのつかない体験で得たある種の「絶望感」も大事だと思っている。 ノスタルジアではなくて、そこから得る貴重な感覚が、古今東西、音楽などのアートに反映されているのだと信じている。
滝行の後は、同じ天川村にある「芸能のメッカ」天河弁財天にお礼参りをした。ここの神は、私のように一流でないアーティストでも何かしらの啓示を与えてくれるありがたい存在だ。お参りの後は、滝行で、少々寒くなった身体を温めるために、天川温泉センターで入浴、さすがに大雨の降る月曜日の昼過ぎには他の客はまばらというより殆んどいなかった、気持のいい湯船を一人で独占して、誰も見ていないので、ついつい、子供の時のように水泳もどきをして楽しむ。
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