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9月18日付の「東京新聞」朝刊に、「共同通信、写真3枚偽装」という見出しと共に、プロ野球選手の本塁打本塁打写真を、別打席の写真を偽って配信していた、という、私にとってはショッキングな出来事である記事が掲載された。
若手の記者は、本塁打の写真を撮り逃したために、そんな事をしたらしいけど、本当に信じられない出来事だ。こんな言い方は、誤解を招くかもしれないけど「野球写真」は、いい悪いを問わなければ、子供でも撮影できる対象なのに、不思議で仕方ない。 あまりにレベルの低い話なので深く言及しても不毛なんだけど、新聞の写真についての限界は、「証拠写真」でしかないということに尽きると思っている。 写真を見て、言葉で表現されている記事が、事実だったんだ、という効果しかもたらさない。 そこから想像できるのは、言葉の追認で、貧困なボキャブラリーに日々囲われている個人の想念を、もっと退化させていくものだ。
写真は「真」を写すものでは無いという、問題意識から日本の写真は世界でも稀な「芸術」としての写真を生み出していった。タイムライフに代表されるような、くだらない世界観の押し付けでなく、自由な表現というものがあるのが、日本の写真だった。
しかし、最近の「自称写真家」の人たちは、デジタル表現で意味のない合成はするは、見栄えのいいように「素人」をだますテクニックだけはみにつけてしまったようだ。 言葉が喚起されない写真、レベルの低い自意識と観念によって、成立している「くだらない写真」を捨てて、自分に戻らなければならないと、何十年かぶりに考えてしまった。
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