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青春時代といえば、森田公一とトップギャランだけど(つまんネェ(^^;)
高校時代は、まあ、あれだな、全く勉強はやらなかった。当然成績は「推して知るべし」、で、音楽に夢中になっていました。友人と組んだ「ボンズ」というバンドで、ギターとハモをやっていたのだが、当時は、立派な機材もなく、友人の家の離れの倉庫で、ビージーズの曲を細々と歌っていました。
そんな時も長くは続かず、バンドメンバーが離ればなれになったことも手伝って、解散。そうこうしながら、僕は、フォークソングをやったり、たばこを吸ったりと忙しい高校時代を終えたのでした。
そんな僕でも向学の思い止みがたく?、一応、いちおうですけど、大学受験を敢行したのでした。結果、当然は残念〜。そして東京に旅立つことになったのでした。旅立ちの日・・・というのは不思議と何にも記憶にないのです。これが。不安よりも都会への憧れと、「自由」が手に入りそうな期待とで舞い上がっていたのかもしれない。
下落合のアパートに友人二人と同居して、東京の生活をスタートするもまもなく分裂。分裂の原因は何だったのだろうか、と思い返すが定かでない。
そして、僕は東京都下の東伏見へ。テーブルもない6畳のアパートの裸電球の下で「オレは一体、これからどうするのだろう」と悶々としていた記憶がある。
翌年再受験。ちょうどそのころ田中角栄首相の手で日中国交回復が、なされたコトもあり「そうだ、これからは中国だ」とごく単純に某大学の中国語学部を受験、見事ナゼか合格、そこはカトリックの大学らしいという噂を聞きつけ、「オレの家は仏教・・・真言宗・・」と若干不安になったが「マア、いいや」と通学を始めたが、月曜日の1朝に礼拝があって、「アーメン」と言うのはいいが、十字の切り方がわからず難儀した。
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