history

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

音楽を離れ

イメージ 1

 そして、秋が来て冬・・。また、旅立ちの時が近づいて来ました。
僕は、東京の商社に就職が決まり、西早稲田の会社の寮へ・・・。
来る日も、来る日も、取引会社をまわり、仕事に明け暮れ、夜遅く寝て、早く出社し・・。
長男である僕は、自然の流れの中で、千葉の実家の会社の仕事に就いていました。しかし、小さな会社の将来は、そんなに明るいものではなく、僕はまた、自然の流れの中で、会社員という安定の中に身を置いたのでした。
 結婚、そして、子育て。まわりの景色に目をやる余裕もなく、かつて魂を揺さぶった音楽も、彼方のものとなっていました。ハードケースにしまったギターは、いつしか眠りについてしまいました。
そして、走る、走る、ひたすら、時間を追いかけ、時間に追い立てられ・・。
僕はどこへ行くんだ?道標は行き先を教えない・・・。

音楽〜作る喜び

とはいっても、僕は大学に残り、ボーっと周りの音楽を聴くともなしに聞いていたのだけど、ある日、気の合う音楽仲間で、自分たちの曲を作ろうぜ、ということになった。
 学生会館の部屋を夏休み中借りきって、8chのTESCOのミキサーを2台持ち込んで、サンパチ2トラのオープンリールでダビングを重ね、20曲くらい作ったろうか。あそこが、僕の音楽の原点かもしれない。
 1から曲を作るという作業はとても難しくて、「さて、どうする?(T_T)」から、始まったのでした。
曲と詩があればできるというものではなく、そこで初めて「編曲」の大切さを知ったのでした。それと、基本的に楽譜がよく読めない、って事は書けないと言うことで、まっ、つまり、コード譜と、あとは口伝え?で積み重ねてゆくのです。しかし、昔の技術では、ダビングを重ねれば重ねるほど、音は薄くなるわけで、だから、4回重ねると決めたら、その分低音をオーバー気味に入れておくとか、・・ようやるわ。若さだね。
 そんなことを続け、完成。マスタリングなんて言葉は当時知らなかったけど、マスターテープに落とし込んで、聞いたときは、感動ものだったナ。。・・
 30数年たった今も、大切に持ってます。

開く トラックバック(1)

運命の出会い〜旅立ち

 ここで大切なたくさんの人たちと出会ったのでした。
ギターの徳間氏にはとても感銘を受けたし、たぶん黒人っぽいギターを弾かせたら、右に出る人はいないのでは・・と思うくらい魂のあるギター弾きです。今でも札幌で渋くやっているようですが、相当ジャズ系に走っているようです。ベースの市村氏は20年ぶりに会ったのですが、当時と全然変わらずビックリ。いい人です。
 ドラムの黒滝氏は一度同棲?したことあり、同居ですか。(^_^;)とてもお世話になりました。もう一人のギター、高橋氏はとてもミュージシャンとして雰囲気のある人で、渋くてあこがれました。

 そんなバンドもメンバーが大学を卒業に当たって解散。
新たな旅立ちが待っていたのでした。

〜新たな世界へ

 大学に入ったのだから、音楽だ、と入ったのが軽音楽愛好会。できたばかりのサークルで、きったねェ、見るからに「みゅーじしゃん」というアンちゃん、ネエちゃんがたむろしていて、千葉の田舎から出てきた僕としては少しプレッシャーもかかったけど入部。後から考えてみればみんな青森、秋田、北海道、九州などのとんでもない田舎者だった。
 ほどなく、Mr.So & Soというバンドが結成され、その一員として僕が入ることになったのだが、そのバンドはすでにギターが二人いて、もちろん僕もギターは弾くのだけど、たまたま、そう、たまたまボーカルがいなかった、丁度そのとき、通りかかったのがオレだった。

「久保田麻琴と夕焼け楽団」というバンドの歌をやった。さらに、オールマンブラザースバンドやブルース系のもの。そもそもこのバンド、アメリカで言えばサザンロックの影響、つまりR&Bのにおいがするバンドで、高校時代ビージーズをやっていた僕としては、未知の世界へ飛び込んだのでした。

 
ブルーノートの世界は、実に甘美で魅惑的なそれでいてドロドロとした、味わったことのない食べ物を手づかみで食べたような(表現力がなくてスミマセン)、ともかく、新たな世界が広がったのでした。
 

愛と青春の旅立ち

 青春時代といえば、森田公一とトップギャランだけど(つまんネェ(^^;)
高校時代は、まあ、あれだな、全く勉強はやらなかった。当然成績は「推して知るべし」、で、音楽に夢中になっていました。友人と組んだ「ボンズ」というバンドで、ギターとハモをやっていたのだが、当時は、立派な機材もなく、友人の家の離れの倉庫で、ビージーズの曲を細々と歌っていました。
 そんな時も長くは続かず、バンドメンバーが離ればなれになったことも手伝って、解散。そうこうしながら、僕は、フォークソングをやったり、たばこを吸ったりと忙しい高校時代を終えたのでした。

 そんな僕でも向学の思い止みがたく?、一応、いちおうですけど、大学受験を敢行したのでした。結果、当然は残念〜。そして東京に旅立つことになったのでした。旅立ちの日・・・というのは不思議と何にも記憶にないのです。これが。不安よりも都会への憧れと、「自由」が手に入りそうな期待とで舞い上がっていたのかもしれない。

 下落合のアパートに友人二人と同居して、東京の生活をスタートするもまもなく分裂。分裂の原因は何だったのだろうか、と思い返すが定かでない。
そして、僕は東京都下の東伏見へ。テーブルもない6畳のアパートの裸電球の下で「オレは一体、これからどうするのだろう」と悶々としていた記憶がある。

 翌年再受験。ちょうどそのころ田中角栄首相の手で日中国交回復が、なされたコトもあり「そうだ、これからは中国だ」とごく単純に某大学の中国語学部を受験、見事ナゼか合格、そこはカトリックの大学らしいという噂を聞きつけ、「オレの家は仏教・・・真言宗・・」と若干不安になったが「マア、いいや」と通学を始めたが、月曜日の1朝に礼拝があって、「アーメン」と言うのはいいが、十字の切り方がわからず難儀した。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事