わたしの涙そうそう

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わたしの涙そうそう

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これは確か2005年ぐらいにテレビの「金スマ」でネットからでも

投稿できるとできると出てた。

私は自分の思いを選ばれるとか関係なしに一気に書いた。

亡き母への思いです。



★「涙そうそう」★


初めて「涙そうそう」を聞いた時、涙が止まらなくなった。
母を思い出すのだ。母は私が高校時代から肝臓が悪く入退院の繰り返しだった。
一度、入院したら半年は帰らない。だから1年の半分しか家にいない。
高校を卒業して専門学校を卒業して仕事についた。退院して家にいる母。

仕事から帰ってきても晩ご飯がない。
私は母に文句ばかり言っていた。
「なんでご飯ないのよ!」

母は寝たきりのおばあちゃんの面倒も見ていた。その頃の私と言えば遊び盛り。
ほとんど手伝いもしなかった。

でも母がまた入院すると私が仕事に行く前におばあちゃんの朝、昼のご飯を作っ
て仕事に行き、帰ると買物に行き自分らのご飯の支度でくたくたになっていた。
犬の朝と晩の散歩。

父は仕事人間。自分の親なのに何もしてくれなかった。

24歳で結婚した。
結婚式の3日前、母の具合が悪くなり救急車を呼んでくれと言う。
私はためらってしまった。
「我慢でけへんの?」自分の事しか考えてないひどい言葉だ。

母は救急車で病院に運ばれそのまま入院になった。
結婚式は母なしでおこなった。
式が終わり花束を持って主人と病院に行った。母は涙ぐんでいた。
母は病院では明るく同じ病室の人から慕われ身体も元気そうだった。

しばらくすると私は流産した。
そしてまた妊娠。嬉しかった

妊娠も流産の時期を過ぎると主人と妹から
「お母ちゃん、あと持って2年の命やねん」

嘘や!嘘や!あんなに元気なのに。

妊娠9ヶ月の時、母はまた入院した。
生まれてくる赤ちゃんのために、おしめをいっぱい作ってくれていた。
入院した母は元気だった。
いや、私達の前だけ元気そうにしていたと思う。
「今度、お腹の腹水取んねん」と笑いながら話す母。明るくしているからどんな
に辛いものかわからなかった。

病室に入る前に涙顔を見られたらあかんから
主人とけんかをして泣いた事にしとこうと主人と相談した。

子供が生まれた時も母は病院だった。
数ヶ月して母は一時退院。肝硬変だった。
あの時、もって2年と言われたが信じなかった。母は元気そうにしてたから。
でも身体は少し黄疸も出てるしお腹だけ出て足は細くなっている。

実家に帰ると母は孫をベビーカーに乗せて散歩するのがすごく嬉しかったみたい
でなかなか帰ってこないから公園まで見にいったぐらいだ。

そして娘が1歳2ヶ月の時、母は亡くなった。49歳だった。私の前では決して
辛いとか痛いとか弱音をはかなかった母。

お正月に一時退院して病院に帰る日になっても帰りたくないと駄々をこねた母。
母の気持ちもわからず無理やり病院に送った私。

私は今44歳になった。
いろいろ病気をするたびに泣いている。
何故、母はあんなに強かったの?
何故、母にもっと優しくしてあげなかったの?後悔ばかり。
ただ一つだけ親孝行をした。
あなたの孫を抱かせてあげれた。
たったひとつの親孝行。

今日、お墓参りに行きました。
「お母ちゃん、あなたの孫、麻理は今年から大学生です」
もっともっと生きていてほしかった。
私の赤ちゃんの時はどんなだったの?
いっぱいいっぱい聞きたいことがあるよ。

「涙そうそう」を聞く度に母を思い出して泣いています。





☆この文章は昔から最近まで書いていた日記には載せていません

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