わたしの涙そうそうの前に。

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今は一心寺さんでおばあちゃん(母方)とお母ちゃんの骨の一部が
仏さんになってます。
きっと天国でもう苦しみもなくおばあちゃんとか、せっちゃんの
おばちゃんとかと仲良くしてると思いたいです。



母親の最後のこと。

母は何年間か入退院の繰り返しだった。
半年入院して半年家にいた。

最後の入院、数日間ぐらいでいきなり昏睡状態になった。
母は一人っ子やし、おばあちゃんはもういない。
府○病院は完全看護やけどいつ何があるかわからないので家族がついていなけれ
ばならない。
だから私と妹しかいない。

昏睡に入る前に3日間「水分飲むこと禁止」検査のため。
お水ほしがる母にガーゼをしぼって口をふいた。目を離した隙にそれをしぼって
飲んでた。
今思い出してもつらい。

一ヶ月近く昏睡が続いた。
病院にも交代で泊り・・・

私も妹も疲れ果てていらいらしてたと思う。
妹と交代の時間に私が遅れて文句を言われた。
もう病室の前で妹と泣きながら喧嘩。
精神的にも体力的にも限界やった。

父が家政婦さんを頼んだ。
とてもいい家政婦さんにあたった。
なんか言ってたな。。。
満潮と引き潮。
死。

病院の先生が「臓器も止まっているのに生きてるのが不思議なくらいだ」と。
私は毎日、母に会いに行った。
昏睡状態がすごく苦しそうだ。

その日は30日。
あと1日したら病室に飾ってるカレンダーめくれると思った。
先生は今月いっぱいと言っていたから。
その事はだいぶしてから父に聞かされた。
だまってた父もつらかったと思う。
後でつらかったと聞いた。

30日の前日、母が血を吐いた。
いっぱい吐いた。

30日、病室に母と私だけになったとき、
母に「お母ちゃん、○○○(妹)とも仲良くするしお父ちゃんも大丈夫やから 
もうがんばらんでええで」と言った。

お母ちゃん、安心したん?
その日の夕方、お父ちゃんと私に見守られて天国に行った。
妹は間に合わなかった。

お母ちゃんは自分が死ぬとは思わなかったと思う。
もしかしてわかってたんかな?

もし今生きていてくれたら私もっと何かできたしいろいろ相談もできた。
今でも、もっともっとお母ちゃんに何かできたんちゃうかなと思う。

何年たってもその時の事を思い出す。
今日も思い出して泣いてた。
だからまた母の事を書いた。


☆☆☆

母の最期の時、妹がまだ来ないので(車が混んでた)電話しに行こうとしたら父

私の名前を大きな声で呼んだ。
私、すぐ引き返して部屋に戻って行く途中、看護婦さんも予感がしたのかあわて
てる様子が見えた。
息をひきとった時、父と私しかいなかった。
知らない先生がしばらくしてからきて、
時間とか言ってる。

また母の話になるけど
息をひきとるまで母の熱は42度あった。
それが段々冷たくなっていった。

覚えているのはその時私は母に「ごめんな、ごめんな」と言っていた。
自分の気持ちの中で母に充分なことしてあげられなかったから。

しばらくしてからおっさん先生が父に話があるからと呼ばれる。
この時点で職人さん達、Sおばちゃん夫婦、待合室が母のためいっぱいになった


父が呼ばれるのを嫌な予感がしたので一緒についていく。
解剖の話だった。
「これからの若い先生のために・・・」なんたら言ってた。
私、思わず泣き叫んだ。
父も断った。

今までいっぱいいっぱい身体つらいめにあって死んでからも痛い目をさせたくな
い。
お水の件だってそうだ。
3日間、お水禁止って言われて4日目に昏睡になったじゃないか!

その先生が淡々と言うのがくやしかった。

もうあの病院はいやだ。
絶対いやだ!
気持ちがない病院はいやだ!

この話を書く前に私は言いたい。
私も妹もお父ちゃんが『大好き』ということを。


私が小さい頃から父には愛人がいた。

今もそういう人がいてるけどその人は母が亡くなってからの人。


家が仕事場にもなっているから父は早朝から夕方まで家にいた。
おばあちゃんもいた(父方)
同居です。
嫁姑の関係がひどかった。
おばあちゃんの気が強かった。
家の二階には私が小6まで、田舎から出てきた若い職人さん達が
住んでいた。

お母ちゃんとおばあちゃんとの間にはさまれて辛かった。

母はもっともっと辛かったはず。
母は田舎者だ!お人よしだ!
知り合いの保証人になって逃げられた。
だまされた。
父にだまってきっと自分でなんとかしようとしてたみたい。
あっちこっちのサラ金とかでお金を借りたみたいだ。
それが、利子だけでどんどん貯まって自分ではどうしよもなくなったみたいだ。
父にばれる。
その時には1千万になっていた。
そして家にはサラ金の兄ちゃんが夜になると家に来て
「お母ちゃんいるか?」と来る。
父は女の人のとこでいない。
私が対応してた。テレビで見るような怖い人はいなかった、多分。

その間にも母は入院したりしてた。
父は母に愛想が尽きて突き放した状態だった。
入院費の一部も多分、借金に消えていた。
私は少ししかない自分のお金をおこづかいとして渡したりもした。
その間におばあちゃん(母方)が死んだ。
家のおばあちゃんはその1年前に死んだ。

おばあちゃんが死んだ時(母方)、お葬式代がない状態だった。
それは、母が作った借金を父が返済した後だった。
1千万の借金。
きっと今まで蓄えていた貯金とか保険金とか解約したと思う。

お葬式代がない・・・
おばあちゃんはそれまでに脳の病気で入院したりして大変やった。
私はおじいちゃんを知らない。
私が生まれる前に亡くなった。
そして物心つく前からおばあちゃんは、籍を入れてないけど
私から言えば、おじいちゃんと暮らしていた。
「おっちゃん」と呼んでいた。
おばあちゃんの長期の入院費、付き添いの家政婦代。
お母ちゃんの借金の一部の返済。
いっぱいかかったはず。

おばあちゃんは、脳溢血で頭の手術をして頭が半分になった状態半身麻痺のまま
、市大病院から転院を言われた。
そこでは、完全看護じゃない。
私等では全部無理だ。
家政婦さんをつけた。
ひどい人だった。病人の隣でタバコをすったり・・・
そこは、生きて帰れないと言われる病院だった。
おっちゃんはおばあちゃんの気持ちをくみ取り勝手に退院させた。
アパートで2人暮らす。
私は時々、見にいった。
家からは遠かった。

ある日のこと、おっちゃんがお風呂屋さんに行ってる間、おばあちゃんが火を使
ったらしい。
歩くのもやっとで話すのもやっとのおばあちゃん。
もちろん、頭の骨も半分取れたままで頭は三角になっている。
おっちゃんがお風呂から帰ると、ボヤ。
おばあちゃんがよちよち歩きで水道からコップで水を汲んで
何度か往復してたらしい。
おっちゃんが早く帰ってよかった。
ぼやですんだ。
おばあちゃんの気持ちを考えると今でも胸が痛くなって泣いてしまう。
いっぱいいっぱいかわいがってくれたおばあちゃん。
お母ちゃんが退院してる時は灯油をポリタンクに入れておばあちゃん家までタク
シーに乗ったときはタクシーのおっちゃんに嫌なことを言われた気がする。
でも母は必死だったと思う。
自分のためにおばあちゃんが・・・
生活苦しかったはず。

そんなおばあちゃんが死んだ。
お葬式代がない・・・
私の残りの数十万の貯金をおろして葬式代にした。
お母ちゃんに兄弟がいたら・・・
おばあちゃんに兄弟がいたら・・・
もう少し心強かったはず。

おばあちゃんが亡くなって落ち着いた頃、
お母ちゃんの借金がまだ少し残ってることが判明。
あの時、きっと父がこわくて全部の借金言えなかったと。

父は母に離婚を言い渡した。
小さい頃から二人の仲はよくなかった。
でも、離婚の話は多分初めてだと思う。わからないけど・・・

母は離婚されても肝臓の病気で一人で生活できない。
絶対どう考えてもできない。

私は父の気持ち、充分わかっていた。

母に言った。
「離婚されても仕方ない。私も協力するから」

でも母は
「かよこ、お父ちゃんに離婚せんように頼んでほしい」

もう、泣きじゃくっていた。

私はどっちの気持ちもわかる。

お父ちゃんもかわいそうだ。
お母ちゃんもかわいそうだ。

でもお母ちゃんが悪い。
悪いけど・・・
お父ちゃんに正座をして頭を下げて頼んだ。

お父ちゃんは泣きながら
「なんでかよこが、頼むんや!」

おばあちゃんが泣くなって以来(父方)の2度目のお父ちゃんの涙やった。
お父ちゃんの悔しさがわかる。
お母ちゃんの事で仕事先で恥をかいたりお金をかき集めたり・・・
私かって、どうしたらいいかわからへん。
でも、お母ちゃんを放り出すわけにはいかん。

辛かった。ほんとにほんとに辛かった。
多額の借金。それは自分のためじゃない。
人に騙された。
だから、服の一枚も買ってない。
宝石の一つもない。



ちょうど夕方で職人さんもいてる。
父が電話を取った。
もめている。
私にかわった。
母が「死ぬ」と言ってる。踏み切りの音もしてるし。
父に泣き叫んで「止めて!」と言った。
父は怒って母の言葉を無視した。

夜には母が家に戻って安心したことを覚えている。


その後、母は破産宣告をした。
今は知らないが、いやその時もあんまりわからないけど
破産宣告っていうものは自分のために物を買ったりして借金した人にはできない
らしい。
父に聞いたから詳しくはわからない。
でも母は人の借金を背負ったからできたのだ。
それをしてから借金取りの人達は来なくなったし電話もなくなった。

安心した生活が戻ってきた。

でも母はまた入院。
肝硬変の他に子宮筋腫の手術が必要だった。
でも肝硬変は血が出るとなかなか止まらないらしい。
筋腫の手術もすぐできなかった。
お母ちゃんの筋腫はひどいのか、出血がひどい。
私はナプキンを持ってきてと頼まれて少し買って持って行くけど
出血がひどくてすぐなくなる。
ナースセンターでも借りたみたいだ。
そんなに出血がひどいとは思わなかった。

お母ちゃん、辛かったやろね。
ごめんな、全然気持ちわからなくて。

そして手術の日、私と妹が付き添った。
お父ちゃんは仕事で来れなかった。
術後、筋腫 子宮を見せられた。
妹は私の後ろにいた。私だけ見た・・・
しばらくお肉は食べれなかったよ。

お母ちゃんは麻酔が効きすぎる体質なのか麻酔から覚めなかった。
覚めたのは数日してから?
普通は術後 痛みがあると思うけど母の場合、痛みを通り越して
目が覚めたのだ。
会いに行った時、いつものお母ちゃんに戻って笑って言ってた。

その後は前に書いたとおり、入退院の繰り返し。

入院してる時もいつも笑顔の母の顔しか浮かばない。

破産宣告するまでは入院してても怖かったやろね。
落ち着かなかったやろね。
何も知らないでのほほんと暮らしててごめんね。

あの身体で寝たきりのおばあちゃんの世話をしてたお母ちゃん。
ご飯から下の世話まで。


お母ちゃんはね、自分の身体がどんなにひどいか、どんなに辛いか何も言わない
からわからなかった。
病院でも辛い検査がいっぱいあったと思う。
笑って言うからアホの私には気付かなかったよ。


お母ちゃんが昏睡が一ヶ月続いた時、お父ちゃんがほとんど毎日
病院に行ったこと、お母ちゃんの最後、お父ちゃんが付き添っていたこと嬉しか
った。
仲が悪くても最後は一緒にいたんだ。
先生が心臓マッサージしようとした時、お父ちゃんは
「もうやめたって下さい」と言ったこと、後で先生に呼ばれて
いきなり解剖を言われた時、私は泣いて先生に反抗して父は
ちゃんと断ってくれたね。
これ以上辛い目にあわせたくないと。



いろいろあったけど私も妹もお父ちゃんとお母ちゃんが大好き。
妹なんてお父ちゃんとけんかしながらもいろいろ身体の事心配してるよ。

私のお父ちゃん、みんなに自慢できるよ。

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