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佐伯祐三 衝撃の真実 絵画 巴里 パリ 哀愁の巴里

東大紛争と私

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東大紛争2

3)私は紛争のはじめの頃、民青にも入らず、全共闘にも入らず夜マージャンばかりしていたことがある。昼はクラスで討論、中村というクラスメイトがブント、革マル、社青同、中核などセクトの違いについて黒板に書いて説明していた。若いときは少しの違いで派閥を別にしてしまうのかもしれない。
三島由起夫が駒場に来て全共闘と対話、対決、私もその中にいた。赤ん坊を肩車して話す学生とかいて、三島由起夫も困ったように見えた。
三島由起夫は関西弁でいうと「ええかっこしいやな」と思っていた。ところが自衛隊で割腹自殺、本当にびっくりした。
三島由起夫の本で不道徳教育講座という本がある。内容はよく覚えていないが、とてもユーモアがあって面白い。「潮さえ」「仮面の告白」などはどうかな?と思うが、この不道徳教育講座は知的なユーモアに溢れている。その中で銀閣寺の一場面は皆でおもしろがった記憶がある。以下のような内容だったと思う。
主人公が女にもてないと悩んでいたら、友人が「自分の欠点を見せればええのや、俺、足悪いやろ、それを言うたら女はそれが気の毒に思うのか、この足にキスしてくれるんや」と話す件である。
それで皆で女に持てる方法、若いときは何でも面白いもの!
「このにきびにほれてくれるんや!」
「どない?このやけどの跡」
「頭悪いのでなやんどるんや」
「ここに禿げがあってナ」
自分の悪いところを言いあって、「これ見て、この傷に女が惚れるんや。」笑い転げる。
三島由紀夫、衝撃の割腹死と同じ年にこんなことがあった
大阪で日本万国博覧会開幕8岡本太郎の太陽の搭)
赤軍派日航機「よど号」ハイジャック事件 
44119日東大安田講堂の封鎖解く
あのときの教室を思い出す。
全共闘であったものに対して、「お前はなぜ授業に出るのだ!出て行け!」
「俺はこれから自分の生き方で示す」と言った友。
真剣に考え苦しみぬいて、権力が大学の自治を破り、代議員大会で全学ストが止められ、突然普通の世界に戻ってしまった。中には林先生のようにクラスの仲間をいつもわけ隔てなく暖かい眼で見てくれる 担任もいたが、そっけなく、お前はバカかということを平気でいう先生もいた。
今となっては全て遠い昔である。
江夏が奪三振日本新記録
ブルーライトヨコハマ
友よ」「機動隊ブルース」
こんな歌が流行っていた頃
私は東大牧場に行き、馬に乗ったり
ソーセージを作ったりもしていました。
農学部では学生執行部副委員長をし、毎日のようにアジテイト、デモ、ガリ版スリ、、、しかしの合間をぬって桜の木の下で花見をしたり、デートをしたり、マージャンしたり、、多くの友人と心から付き合えることが出来た。
学生運動しながらエイトを漕いでいた(8人のり)・・いい思い出。
ズッペとはスープのことではないかと思うが、どんぶり鉢に紅茶がいっぱい、それをぐいぐいのむ。汗をかいた後、それはどんどん身体に吸収される。
東大の山中寮は山中湖の近くにあり、その周りには運動場がたくさんあった。
夏休みを利用して合宿。山中湖一周、私は13キロ一時間で走れた。今思い出されることで山中湖一周一時間は私のなかで誇れる一つだ。
皆で定年後、山角君の別荘で合宿しようということになっている。
面白いことに記憶と言うものは、不思議。楽しかった思いでは、それぞれ一人二人覚えていて「そんなことあたっけ」
山中湖13キロ一周マラソンは皆覚えている。森本が1時間以内で一位、次が白矢で一時間ちょっと、山角が1時間半、渡辺が足のまめをつぶしてビリ。
山中湖でフォークダンスをしたことや、女の子を誘ってボートに乗ったことなど、ほとんど覚えていない。
戸田で合宿してまずいズッペを飲んだり、冬に川に落ちたり、夏は蚊に唇をさされて、はれ上がった口をした山角、
それぞれ道は違っても思いでは一緒、山陰の安旅行、山口大学の寮に泊めてもらい、銭湯に行った記憶、紛争当時、東大入試がなかった頃、皆で留年、「お前はなぜ」
「全共闘のバリバリだったから」「うそー、お前が」皆まじめに生きてきた、これから第2の人生、そのとき山中湖に行って13キロは走れんでも、ゆっくり歩いて、昔の俺たち仲間いつまでもやっていこう。
昔若かった頃の顔と重なって俺たちは走っているようだ。
東大農学部ボート部の同窓会もしばしば行われるようになった。数10年ぶりに仲間に会えると思ったけで胸が高鳴った。学部ボート部の仲間は今も心の支え。彼らと夜行列車で山陰の旅、日光の旅、彼らの一人が昔の我々の都内対抗試合の索引を押入れから見つけて送って来た。そこに我々の汗したボート部の若かりし日の名前とともに
あの頃の記憶が蘇ってすっかり心は青春時代にぶっ飛んでしまった。埼玉県の戸田に東大ボート部の合宿場があり、多くの企業や大学が艇航を持っている。そこで合宿してナックル4やエイトを漕ぐ。
東大には学部ボート部と全学ボート部があり、東大紛争で全学ストの時、よく練習できたのだろう。全学ボート部が日本一になって、当時の東大総長と一緒に食事したという話を予備校時代に一緒だった坂田君(彼は始めひ弱な東大生でしたが、ボート部に入り、エイトの一人となっていた)に聞いたことがある。
写実の画家クールベ、
パリ・コミューン、三万ともいわれる民衆が殺され、その首謀者として逮捕されたのが、クールベ。
1877年、あの第一回印象派展が開催された3年後、58歳でこの世を去った彼。
東大紛争で農学部を退学させられた勝呂君は今どうしているのであろう?
若き日、自分の信念を貫き、そのとき引くに引けなくなったのであろう、信念を貫くとは、自己破壊にもつながることで、今の自分を殺すことにもなる。

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