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落合氏の二元性というHPから抜粋
ところが準備室は当初から、理由にならない理由をつけて、『パリ日記』、書簡・メモ等を調査対象から除外し、内容の片鱗すら小林報告に記載しなかった。要するに、『パリ日記』、メモ等が注目を集めぬよう、人目に触れぬように、そっと隠したので、これを見れば、準備室調査の真の目的が、行政上の調査に名を借りた『パリ日記』、書簡・メモ等の抹殺にあったことは明らかである。日本美術史における、これが小林報告の意味なのである。
おいおい巴里日記は落合氏自ら、はじめは否定していたはずでしょう。六年にも及ぶ裁判で、裁判官にいい加減にせよとひつっこさを指摘され敗訴した人間が、いまさら巴里日記を引き合いに出すのはおかしい。
巴里日記は最初の数十ページは詐欺罪で有罪となった吉園明子氏のワープロ原稿である。そこには佐伯が子供のころ親兄弟に疎まれたなどと、ありもしないことが書かれている。
巴里日記での書体も鑑定されている。やフランスからの郵便局の押し印も比較され否定されている。
なぜ落合氏は嘘をつき、人をだますのか。
巴里日記の編集者がこれを出したことを後悔し、また吉園明子氏についても、信じられないと話しているのである。
氏の書いたものはすべてでたらめと言われても仕方がない。
でたらめを信じられる輩は巴里日記を、そこかの図書館で見られればいい。
落合氏は稀代の詐欺師の代弁者であり、愉快犯であるといわれても仕方がないであろう。
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佐伯祐三1
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