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自由と画布第一号から第四号まですべて公開すべきであろう。また巴里日記、武生資料も。これをパソコンに打ち込むのは大変な作業である。デジカメで張り付けるのがいいかもしれない。
すべての資料を賢明なる諸氏にお見せし、落合氏や斉藤氏の吉薗資料がいかなるものかお考えいただくのがよいのではないだろうか。落合氏は「自由と画布」はか弱い女性のただの主婦の伝聞だから、相手にできないと不可思議なことを述べている。しかしその内容はとても見過ごすことはできない。吉薗明子氏は詐欺事件でのせられた新聞には会社役員となっている。
自由と画布第一号 抜粋
この小冊子は、佐伯祐三さんと吉薗周蔵の交流の日々を、周蔵の日誌、佐伯祐三さん、薩摩次郎八さん等からの手紙などに基づいて作りました。
文中に取り込まれている絵は、佐伯祐三さんの遺作と思われますが、年号、題名などは判りません。
よって、文中の内容とはかかわりがないものがほとんどです。 筆者 吉薗明子
ここで明確にしたいのは周蔵の日誌、佐伯祐三さん、薩摩次郎八さん等からの手紙などに基づいて作りました。というところである。落合氏は「自由と画布」について伝聞だから取り上げてはならないとする。しかし4号まで読めばとても氏を支持することはできない。大嘘をつくのは何のためか?氏は都合の悪いことは全て隠し、虚実ろ織り交ぜて駄文を書いていく。
そのもとは、次々とどこかからでてくる周蔵手記である。明子の係累の着物の袖から、「こんなものがでてきました」で、はじまる周蔵手記。この手記はとてつも長いものである。いったい着物はどのくらいあったのか?しかも落合氏の書くものは、明子氏が持ってきたワープロ稿である。
日誌
佐伯祐三 明治31年4月28日 大阪生まれ 満19才 住所不定、九段 田中方下宿
〇 6年9月21日 金
経緯
佐伯君は武者小路実篤さんの「その妹」なる文章を熟読し、同情の手紙を書いたことから数年前に知り合った。
その時の手紙の中に、自分はかの文章を読んで、画家になることを決意したとあったが、佐伯君はその時の決意通り上京した由。
成り得るかどうかわからないが、自分はその決意を貫くのだといった。
頭痛がすると訴えたので診察した。緊張が激しいらしく、チックがある。
やや頬が紅く、微熱があるように見えたので熱をとると、37.2度であったが、本人曰く
「毎度のこっちゃ」「頭痛jは母親ゆずりや」
即、牧野さんへ行く。
牧野さん所見
左肺が僅かのくもりと思われる。
肺結核第一期
血液型 AB
肺活量 4600
体温 37.2度
脈拍 74
小便検査 良
脚気 無シ
奇形 無シ
知歯 左奥一本
下3本 上2本
耳 異常なし
目 やや迷目アり
集中デキナクナルト頭痛ヲカンズル
〇一点をミ見ツメテイルト軽い頭痛ニオソワレル。
〇対象物ガボンヤリシテ見エナクナル。
〇シバラク2秒ナイシ3秒ツヅク
〇頭ヲ振ッタリスルト治ル
本人の自覚としては 輪になって広がりぼうっとして見えなくなる。
牧野さん、結核に対し治療法
〇安静といっても無理であろうから、折あらば眠るように。
〇鉱物で良いから、よく食べ栄養をつけるように。
〇風呂はなるべく避けること。入浴ではなく、熱い布でふくこと。
本人の都合により、次回の診察は、30日、日曜。
宿題としては就眠前に体温を測ること。
説明 周蔵は、人間の性格は大きくわけて4通りあると考えていた。それは血液型に関係があると思っていたらしい。よって血液型を調べるという診察法を重要視していた。
この時期、それが行えた医師は日本では稀だったということである。周蔵の学んだ医学のことを知ると、現在の医療の目覚ましい進歩がよくわかりますので、機会ができましたらそのことは記述します。
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2012年05月12日
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