|
佐伯祐三展で印象に残るのは練馬だろう。あれだけ多くの作品を展示したものは見たことがない。
今回 佐伯祐三 哀愁の巴里 を出版した。
贋作事件にも触れている。
佐伯祐三の純粋などについて書いている。佐伯の絵は最高
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2012年06月12日
全1ページ
[1]
|
佐伯祐三の心からのファンとして問いたい。吉薗派は佐伯祐三をどのように考えているのか。彼ほど純粋に絵画の中に自分自身を描いた画家がいたであろうか。命を削って絵を描いたのである。佐伯祐三を真に研究し、吉薗派の嘘につぐ嘘を引っ込めていただきたい。
佐伯米子加筆説はあり得ない。もうすでに贋作事件については結論がでている。今回著者は「佐伯祐三 哀愁の巴里」でも贋作事件をきっぱり否定した。何度も同じことを言うが「ガッシュで油絵の上に佐伯の線を描けるだろうか」
落合氏の話はもともと不可能、無理、あり得ないことから出発している。初めから破綻しているのである。
落合氏の文章は内容が変わる。不都合な話は変えられていく。そしてとどのつまり佐伯祐三の何が何だかわからない人格のせいにしてしまう。次の文章。
「本願寺の要求は、佐伯が一人前の画家になるまで面倒を見てやってくれと云うことで、その代り、佐伯が周蔵のアリバイ作りに役立つというものでした。そこで周蔵は、佐伯が精神病者ということにして救命院の診察記録『救命院日誌』に佐伯の記録を記載し始めます。出張続きで現場にいない周蔵は、『救命院日誌』の記帳を佐伯本人に任せますが、佐伯は自己顕示欲なのか、それにのめり込んでいき、周蔵を悩ませます。」
武生市資料では周蔵、佐伯、米子などの筆跡鑑定を行っている。もっともこの日誌は明子氏が持ってきたワープロがもとになっているはずである。だから本物は誰も見たことがない。この日誌を明らかにし科学鑑定、筆跡鑑定を行うべきである。いったいなぜこういう理解不能、矛盾を矛盾であると理由付けせねばならない文章まで載せる必要があるのか。それはo氏も述べているように、日にちや前後関係、おかしいところがいっぱいあり、それは佐伯祐三の創作であるから仕方がない、そしてまた、なぜ佐伯がそうするのかわからないとしてしまうのである。
救命院日誌について、もう一度読み返していただきたい。落合氏が書き直されていなけば次のように書かれていたはずである。「佐伯が周蔵本人に書き直させた。」
ところがここでは佐伯が自ら書き直したことになっている。筆跡鑑定について武生資料を参考にしていただきたい。
いとも簡単に主張を変えておられる。もっともご本人も「救命院日誌」や「自由と画布」「巴里日記」すべてをいい加減なものだと書いた文章が存在する。ご自身の本の中で明子氏からワープロが届くと明記もされている。では一体なにを信用しろと言われるのか。
本願寺も馬鹿にされたものだ。もっとも親鸞のひたむきさにうたれたまことのお坊さんはこのような世俗のことは気になされないだろう。
新宿中村屋の件についても同じことが言える。相馬さんの件は「自由と画布」ここでは周蔵が話したことになっている。「巴里日記」にも同様に書かれている。それを上高田の中村屋だったと主張されるのはいかがなものか。巴里日記の日記以外の部分はワープロ稿である。日記も筆跡鑑定によれば何人かで書いたと考えられると武生資料にはでている。この日記を出した編集者は後悔している。佐伯の話は2度としたくない。
米子借用書の筆跡鑑定で米子の字でないと証明されると、あれは米子の知り合いが代筆したものだと主張される。普通は筆跡鑑定で否定されたならば、それで終わりのはずである。ところがあれは米子の友達が代筆したものだと後から付け加えられるのである。ご丁寧に借用書を他人に書かせハンコまで押させたいうのである。後出しじゃんけんのように、後から話しがつくられる。
矛盾に満ちた吉薗派の資料を、すべて佐伯祐三のせいにしてしまう。佐伯を精神分裂病予備軍と「自由と画布」「巴里日記」で書かれていたものを、「そこで周蔵は、佐伯が精神病者ということにして救命院の診察記録『救命院日誌』に佐伯の記録を記載し始めます。」と矛盾をかってに変えてしまうのである。
J社に内容証明で、自ら真実を調査し、その責任を明らかにするように手紙を取締役社長に出したが、内紛で辞任されたようだ。 しかし、この会社は事実を明確に自ら示す社会的責任があるはずだ。
佐伯祐三の名誉 米子、荻須 その他大勢の著名人の名誉、その係累を辱め、そのまま放置することになるからである。荻須は米子と関係があった書かれている。
荻須氏の係累はこれを無視できないだろう。
証拠を見せてくれと裁判を起こされても仕方がないO氏はいかが思われるのか。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
あまりにもひどい落合氏の文章に驚きあきれた。氏に対しては常識が斉藤氏より少しはあると思っていたが、これほどころころ主張を変え、すべて佐伯祐三のせいにしてしまう。氏が書いたすべてを読めば、いかにごまかすことに終始しているかわかると思う。これは佐伯祐三に関係する人物、係累、日本国民を愚弄し馬鹿にしている。
次の文章を見てほしい。
「本願寺の要求は、佐伯が一人前の画家になるまで面倒を見てやってくれと云うことで、その代り、佐伯が周蔵のアリバイ作りに役立つというものでした。そこで周蔵は、佐伯が精神病者ということにして救命院の診察記録『救命院日誌』に佐伯の記録を記載し始めます。出張続きで現場にいない周蔵は、『救命院日誌』の記帳を佐伯本人に任せますが、佐伯は自己顕示欲なのか、それにのめり込んでいき、周蔵を悩ませます。」
矛盾だらけの吉薗派の資料を、なんとすべて佐伯祐三のせいにしているのである。佐伯を精神分裂病予備軍と「自由と画布」「巴里日記」で書かれていたものを、いとも簡単に「そこで周蔵は、佐伯が精神病者ということにして救命院の診察記録『救命院日誌』に佐伯の記録を記載し始めます。」と矛盾をかってに変えてしまうのである。
これほど守備一貫していない、大嘘だらけの説を流布するのはいかがなものか。
もとの資料そのものが明示されない、愉快犯によるワープロ稿うを書き写し歴史を歪め人を惑わし続ける。
著者の若い頃は「菊と剣」という本があり、日本は恥の文化と言われた。ところが氏は平気で恥の上塗りをしているのではないか。
佐伯祐三を愚弄することをいい加減やめるべきであろう。そうでないと氏の書いた文章は佐伯関連だけでなく、全て嘘ということになる。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
全1ページ
[1]



