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大阪の親戚の家で法事があり、また佐伯祐三展を見たかったので、大阪の鶴橋のホテルに一泊。
法事で、お坊さんがとてもいい話をした。
法事の意味、確かに故人を偲び親戚が何年か一度顔を合わす。これは亡くなった方のご縁だろう。
このお坊さんのお寺は由緒あるものだそうで、フェノロサも関係していたそうだ。久しぶりにいい話を聞けた。浄土真宗は戒名代もそれほど高くないそうだ。
親鸞はなぜこのような理不尽な世に人は生きなければならないのか?問い続ける生涯であった。法然や親鸞の時代、人は死んだ後天国行ける」ことを願った。南無阿弥陀仏と唱えればどんな悪人でも天国に行くことができる。これはある意味、危険なことにもつながる。これを克服しなければならない。親鸞は真剣になやんだことだろう。
この思想はキリスト教にもみられる。「アメージンググレイスを作った人は奴隷船の船長だったそうだ。あらゆる悪事を働いてきた。あるとき何等かに理由で船に乗れなかった。その船が沈没、多くの人々が死んでしまった。ところが彼は助かった。これは神のおかげだ、神の愛により自分は助かった。」
この話を聞いたとき、著者は「おいおい、それでは死んだ人間はどうなるんだよ。」と思わず考えてしまった。
佐伯祐三は同じ浄土真宗、光徳寺の次男坊である。兄の祐正は社会貢献を考えたお坊さんであった。一度光徳寺に行ってみたい。佐伯祐三ファンとしては一度はお墓参りに行かなくては。
心斎橋の佐伯祐三展に法事が終わってから行ってみた。
ほとんどの佐伯祐三展に行った経験から、佐伯の絵も照明や配置を考えないとせっかくの絵がやや存在感を失うと思った。今まで見た中で一番よかったのは練馬美術館。質、量とも最高であった。
心斎橋で感慨深かったのは、山本発次郎のことがダブってみれたことである。図録もよかった。
このころ、佐伯祐三 哀愁の巴里の校正をしている頃であったので、本物を見れたのはラッキーであった。
佐伯祐三ファンとして思うが、いつまでも準備室のままではどうかと思う。
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