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佐伯祐三 衝撃の真実 絵画 巴里 パリ 哀愁の巴里

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病気 芸術家


http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/seijyou.gif


白矢
 皆様のお話を聞きながら上記のことに精を出しておりました。「病気と芸術家」の関係や訪れたところでの感動を書いていきたいと思っています。このトピに載せていたものがほとんどです。あとは、ジョルジュサンドとショパン、耳なし芳一...など。
 最近、私は芸術家は絶対の探求者ですので、ここはこうだと思ったらそれしかないのだということで、仕方がないのだと思います。それぞれおっしゃられることは各々正しく、それだからこそ相容れず絶対ということになるのではないでしょうか?油絵について多くの人が普通に知っていることをようやく手にしてきたように思います。つまり、まだまだこれからだと思っています。青バラに挑戦される方はすごいと思います。私ははじめから花びらの重なるとこを考えただけで逃げ出してしまいます。真摯にデッサンからはじめられる姿を想像し、「私は修行が足りんわい」と諦めております。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/georgesa.jpg
ジョルジュサンド

sokyo14
 「病気と芸術家」の関係興味深く読みました。色盲、色弱それでも絵描きになれるということですね。また精神異常でもかえって魅力ある絵が出来ると言う事実を知ると絵を描くとということの本質がわかってきます。人生色々、人間色々将に人間そのものに表現の根幹があるように思います。技術の追求のあまり人間性を失うと言うジレンマに陥ることになるように思いました。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/travelog.gif
「病気と芸術家」も掲載の小生のHP ロゴ

白矢
このシリーズをもっと深めてみたいと思っています。...人生色々、人間色々、将に人間そのものに表現の根幹があるように思います
 ギリシャ神話の世界は日本に当てはまると思います。多神教であった天照のいた古事記の時代の日本。神を信じてるような信じてないような今の日本。一神教になるとずいぶん制約が多くなると感じます。
 モンテクリスト伯は古今東西の物語の影響を受けたとありました。人間には不思議な感情があります。純粋な愛を求める、たとえば「ある愛の歌」、「君の名は」...近いところでは映画「ある日どこかで」。すいませんねー、この映画好きなものですから。クリストファー・リーブは「スーパーマン」などに出演、時と空を飛んだのに、闘病のベッドに長い間つきました。でも、彼の心は明るく未来を見ていたように思いました。ユリシーズではオデッセイがいろいろな誘惑と戦いながら、20年もの歳月をかけて愛する妻のもとに帰ります。純粋な愛の姿を見て人は涙します。復讐の心、岩窟王となってモンテクリストは心の誓いを果たします。敵討ちなども不思議なもので感動を与えます、忠臣蔵英雄はいつまでも、トロイは戦争で滅びましたがその子孫はローマの始祖となる。義経はジンギスカンとなる。
 愛は妨げるものがあってこそ燃え上がる、「ピュラモスとティスベ」は「ロミオとジュリエット」の原型とされています、親同士が仲が悪かったため二人とも死んでしまいます。ギリシャの昔より人間の本質は変わらないようです。
 愛というものは不思議なもの。励起状態にエネルギーが一番出ると思われます。まさに電子が飛び出そうとするとき、また放電状態のとき、至福の音楽を聞き、絶頂にいると思います。安定した状態では幸せを感じないように人は作られています(なんとひどいこと!)。愛の拒絶、エコーとナシサス人間とは『ああいえばこういう』というひねくれた性格に神がつくったのではないかと思います。永遠の愛に感動、しかし、悲恋にも涙する。最近では渡辺淳一の不倫の中に愛があるというのもはやったりしています。ゼウスはあちこちで浮名を流し子供を作ります。ピカソは近代のゼウスであったと思います。愛人の数は公認で22人であったそうです愛したいと思う心、また愛されたいという心は男女を問わず存在します。ピカソはそれができた現在人、顔、才能、富、力それだけの魅力があったと思います。人間性という言葉に反応してしまい長々と書いてしまいました。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/pyuramu.gif

病気 芸術家


http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/seijyou.gif


白矢
 皆様のお話を聞きながら上記のことに精を出しておりました。「病気と芸術家」の関係や訪れたところでの感動を書いていきたいと思っています。このトピに載せていたものがほとんどです。あとは、ジョルジュサンドとショパン、耳なし芳一...など。
 最近、私は芸術家は絶対の探求者ですので、ここはこうだと思ったらそれしかないのだということで、仕方がないのだと思います。それぞれおっしゃられることは各々正しく、それだからこそ相容れず絶対ということになるのではないでしょうか?油絵について多くの人が普通に知っていることをようやく手にしてきたように思います。つまり、まだまだこれからだと思っています。青バラに挑戦される方はすごいと思います。私ははじめから花びらの重なるとこを考えただけで逃げ出してしまいます。真摯にデッサンからはじめられる姿を想像し、「私は修行が足りんわい」と諦めております。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/georgesa.jpg
ジョルジュサンド

sokyo14
 「病気と芸術家」の関係興味深く読みました。色盲、色弱それでも絵描きになれるということですね。また精神異常でもかえって魅力ある絵が出来ると言う事実を知ると絵を描くとということの本質がわかってきます。人生色々、人間色々将に人間そのものに表現の根幹があるように思います。技術の追求のあまり人間性を失うと言うジレンマに陥ることになるように思いました。

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「病気と芸術家」も掲載の小生のHP ロゴ

白矢
このシリーズをもっと深めてみたいと思っています。...人生色々、人間色々、将に人間そのものに表現の根幹があるように思います
 ギリシャ神話の世界は日本に当てはまると思います。多神教であった天照のいた古事記の時代の日本。神を信じてるような信じてないような今の日本。一神教になるとずいぶん制約が多くなると感じます。
 モンテクリスト伯は古今東西の物語の影響を受けたとありました。人間には不思議な感情があります。純粋な愛を求める、たとえば「ある愛の歌」、「君の名は」...近いところでは映画「ある日どこかで」。すいませんねー、この映画好きなものですから。クリストファー・リーブは「スーパーマン」などに出演、時と空を飛んだのに、闘病のベッドに長い間つきました。でも、彼の心は明るく未来を見ていたように思いました。ユリシーズではオデッセイがいろいろな誘惑と戦いながら、20年もの歳月をかけて愛する妻のもとに帰ります。純粋な愛の姿を見て人は涙します。復讐の心、岩窟王となってモンテクリストは心の誓いを果たします。敵討ちなども不思議なもので感動を与えます、忠臣蔵英雄はいつまでも、トロイは戦争で滅びましたがその子孫はローマの始祖となる。義経はジンギスカンとなる。
 愛は妨げるものがあってこそ燃え上がる、「ピュラモスとティスベ」は「ロミオとジュリエット」の原型とされています、親同士が仲が悪かったため二人とも死んでしまいます。ギリシャの昔より人間の本質は変わらないようです。
 愛というものは不思議なもの。励起状態にエネルギーが一番出ると思われます。まさに電子が飛び出そうとするとき、また放電状態のとき、至福の音楽を聞き、絶頂にいると思います。安定した状態では幸せを感じないように人は作られています(なんとひどいこと!)。愛の拒絶、エコーとナシサス人間とは『ああいえばこういう』というひねくれた性格に神がつくったのではないかと思います。永遠の愛に感動、しかし、悲恋にも涙する。最近では渡辺淳一の不倫の中に愛があるというのもはやったりしています。ゼウスはあちこちで浮名を流し子供を作ります。ピカソは近代のゼウスであったと思います。愛人の数は公認で22人であったそうです愛したいと思う心、また愛されたいという心は男女を問わず存在します。ピカソはそれができた現在人、顔、才能、富、力それだけの魅力があったと思います。人間性という言葉に反応してしまい長々と書いてしまいました。

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オペラ座の怪人

白矢
正常と異常について

 
生理学、これは正常な組織についての研究これに対して、病理学は異常な組織に対しての研究。医学の場合、常に異常を正常に戻すことを目的としている。またはそれ以上悪化しないように、また変化に対していつも見張る役割も果たしている。眼科に絞ってみると、視力が落ちることは何らかの理由がある。なぜという疑問を解くことから始まる。
 絵の場合はどうであろうか?現代アートは身近に起こった感動、内面の葛藤を描くことを描く場合があると思う。正常な姿を描く事、例えば美しいと思った景色、この場合作者の思い入れが大きいと思いますが。ゴッホにしても、ゴーギャンにしても普通の世界にいなかったことが大きいと思う。旅をしたとき、日常とはなれた異常の世界にいる、「つまり心は生まれ故郷と違う好奇心に満ちている。
 
精神が高揚し高ぶること、いつもと違うぞ謡であること、例えば恋をしているとき、失恋したとき、戦争体験、こういうことを経験すると、いい小説が書ける場合がある。つまり感動とは異常なことかもしれない。
 こういう心をもちつづけることは、永遠に続く旅のようなもの。
今私は絵は空間にありと思っています。これは日常では希有なこと、なんだかんだと思い悩みながら筆を取っています。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/sei_ijyo.gif

taicyk
 ここの所暑い日が続いています。最高気温は33度ぐらいです。晴れ渡りかなり乾燥しています。こういう気候は私にはとても過ごしやすいのですが、落ち着ける気候ではありません。今までの人生を4分の3は日本で過ごして来ましたから、アルザスの気候に対して、未だに違和感を感じてしまうのでしょう。私にとって「天気」ですら「非日常」なのだなあと感じる事があります。
 正常と異常の話を興味深く拝見させていただきました。私もまた、異常な環境の中に身を置いているのだなあと思いました。病気になって初めて知る健康のありがたみというものがあると思います。芸術はイメージの表現ですから、病気に意識した時に健康な状態を強くイメージするようになるかも知れません。病気だから病的な表現をするというものだけではなく、病気だから健康なときに見えなかったものが見えるようになるという事も有るようにも思えました。
 ゴッホを病気としてくくる事に抵抗が有るのですが、ゴッホがかなり大きなストレスを持っていた事は確かだと思います。そのストレスの中で描かれた絵にも関わらず、ゴッホの絵からは「優しさ、柔らかさ、暖かさ」を私は感じます。それはゴッホが渇望していても現実では手に入らなかったイメージのような気がします。こういうゴッホの絵に感動する私たちもまた、「正常」と考えている状態とはまたことなる「日常」の中に生きていて、「正常」を渇望しているのかもしれないと思えました。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/operaimg.jpg

白矢
 オペラ座の怪人は異常でしょうか。正常でしょうか。ついこの間「オペラ座の怪人」を見ました。見ごたえのアルいい映画でした。あれは映画館で見ないとミュージックの素晴らしさは味わえないと思いました。あの怪人は自分の醜さ故に、天才になれたのでしょう。いじめられたりして劣等感を持つという事は、性格が捻じ曲げられなければ、(映画の中でも、そういうシーンがありました)天才を生む可能性があると思います。
 少し詳しいさわりは次の項に示しました。1919年の廃墟と化したオペラ座オークションから物語は始まり、そして私の好きな1870年の思い出の舞台へ時代は後戻り。1870年はとても魅力的な時代です。フランスの思想や芸術、医学が花開いた時代ファントムは魅力的です。顔を半分隠した彼、甘い声。芸術と愛のハザマで恋人を選んだクリスティーヌは良き家庭の主婦になり、芸術家としては消滅してしまった。ファントムは彼女の才能を導く神のような存在であったと思います。
 見る人によって印象は違うと思いますが、果たして彼女は恋人を選んだ方が良かったのか、私はファントムを選ぶべきであったと思います。
 初めてパリに行ったとき、寒い冬、この映画でも出てくるオペラ座の正面をうろうろしてパリのすばらしさに酔ったことを思い出します。
 あとバカなことかもしれませんが、あの仮面はどうやってくっつけているのでしょう。紐も無いし、のりでくっつけているのでしょうか。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/operasaw.gif

taicyk
あの仮面はどうやってくっつけているのでしょうか?のりというか、「入れ歯」を固定するようなそういうジェルで固定しているように思えます。日本では「ヌーブラ」というブラジャーが売っていますよね。あれと同じような原理で固定すれば上手くくっつきそうな気がします。(笑)
 実は、「オペラ座の怪人」を私は舞台でも見た事が無いし、本も読んだ事が無いんです。でも、芸術を選ぶか恋人を選ぶかという選択はなかなか大変なものですよね。芸術という仕事に就いてしまうと否が応でも人生のすべてをそこにつぎ込む事になりますからね。映画でも「オペラ座の怪人」は凄く興味をそそられますね。シャンデリアにスワロフスキーを使っているなんてこともご紹介下さったサイトに書いてありましたね。絵作りにも相当凝っている映画に思えました。

オペラ座の怪人

白矢
正常と異常について

 
生理学、これは正常な組織についての研究これに対して、病理学は異常な組織に対しての研究。医学の場合、常に異常を正常に戻すことを目的としている。またはそれ以上悪化しないように、また変化に対していつも見張る役割も果たしている。眼科に絞ってみると、視力が落ちることは何らかの理由がある。なぜという疑問を解くことから始まる。
 絵の場合はどうであろうか?現代アートは身近に起こった感動、内面の葛藤を描くことを描く場合があると思う。正常な姿を描く事、例えば美しいと思った景色、この場合作者の思い入れが大きいと思いますが。ゴッホにしても、ゴーギャンにしても普通の世界にいなかったことが大きいと思う。旅をしたとき、日常とはなれた異常の世界にいる、「つまり心は生まれ故郷と違う好奇心に満ちている。
 
精神が高揚し高ぶること、いつもと違うぞ謡であること、例えば恋をしているとき、失恋したとき、戦争体験、こういうことを経験すると、いい小説が書ける場合がある。つまり感動とは異常なことかもしれない。
 こういう心をもちつづけることは、永遠に続く旅のようなもの。
今私は絵は空間にありと思っています。これは日常では希有なこと、なんだかんだと思い悩みながら筆を取っています。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/sei_ijyo.gif

taicyk
 ここの所暑い日が続いています。最高気温は33度ぐらいです。晴れ渡りかなり乾燥しています。こういう気候は私にはとても過ごしやすいのですが、落ち着ける気候ではありません。今までの人生を4分の3は日本で過ごして来ましたから、アルザスの気候に対して、未だに違和感を感じてしまうのでしょう。私にとって「天気」ですら「非日常」なのだなあと感じる事があります。
 正常と異常の話を興味深く拝見させていただきました。私もまた、異常な環境の中に身を置いているのだなあと思いました。病気になって初めて知る健康のありがたみというものがあると思います。芸術はイメージの表現ですから、病気に意識した時に健康な状態を強くイメージするようになるかも知れません。病気だから病的な表現をするというものだけではなく、病気だから健康なときに見えなかったものが見えるようになるという事も有るようにも思えました。
 ゴッホを病気としてくくる事に抵抗が有るのですが、ゴッホがかなり大きなストレスを持っていた事は確かだと思います。そのストレスの中で描かれた絵にも関わらず、ゴッホの絵からは「優しさ、柔らかさ、暖かさ」を私は感じます。それはゴッホが渇望していても現実では手に入らなかったイメージのような気がします。こういうゴッホの絵に感動する私たちもまた、「正常」と考えている状態とはまたことなる「日常」の中に生きていて、「正常」を渇望しているのかもしれないと思えました。

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白矢
 オペラ座の怪人は異常でしょうか。正常でしょうか。ついこの間「オペラ座の怪人」を見ました。見ごたえのアルいい映画でした。あれは映画館で見ないとミュージックの素晴らしさは味わえないと思いました。あの怪人は自分の醜さ故に、天才になれたのでしょう。いじめられたりして劣等感を持つという事は、性格が捻じ曲げられなければ、(映画の中でも、そういうシーンがありました)天才を生む可能性があると思います。
 少し詳しいさわりは次の項に示しました。1919年の廃墟と化したオペラ座オークションから物語は始まり、そして私の好きな1870年の思い出の舞台へ時代は後戻り。1870年はとても魅力的な時代です。フランスの思想や芸術、医学が花開いた時代ファントムは魅力的です。顔を半分隠した彼、甘い声。芸術と愛のハザマで恋人を選んだクリスティーヌは良き家庭の主婦になり、芸術家としては消滅してしまった。ファントムは彼女の才能を導く神のような存在であったと思います。
 見る人によって印象は違うと思いますが、果たして彼女は恋人を選んだ方が良かったのか、私はファントムを選ぶべきであったと思います。
 初めてパリに行ったとき、寒い冬、この映画でも出てくるオペラ座の正面をうろうろしてパリのすばらしさに酔ったことを思い出します。
 あとバカなことかもしれませんが、あの仮面はどうやってくっつけているのでしょう。紐も無いし、のりでくっつけているのでしょうか。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/operasaw.gif

taicyk
あの仮面はどうやってくっつけているのでしょうか?のりというか、「入れ歯」を固定するようなそういうジェルで固定しているように思えます。日本では「ヌーブラ」というブラジャーが売っていますよね。あれと同じような原理で固定すれば上手くくっつきそうな気がします。(笑)
 実は、「オペラ座の怪人」を私は舞台でも見た事が無いし、本も読んだ事が無いんです。でも、芸術を選ぶか恋人を選ぶかという選択はなかなか大変なものですよね。芸術という仕事に就いてしまうと否が応でも人生のすべてをそこにつぎ込む事になりますからね。映画でも「オペラ座の怪人」は凄く興味をそそられますね。シャンデリアにスワロフスキーを使っているなんてこともご紹介下さったサイトに書いてありましたね。絵作りにも相当凝っている映画に思えました。

床屋 広告塔


http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/signpol.gif


白矢
1686年はフランスでは痔ろうの年とよばれるそうです。ベルサイユ宮殿の牛の目のサロン(鏡の回廊の後ろにあり、一般には公開されていません)にてルイ14世の痔ろうの手術が主席外科医Charles Francois Felixによっておこなわれました。この当時医師は医学古典を研究する医学者のことで、診断し、簡単な指示をメスやはさみを使い慣れた床屋外科医に与え治療させていました。


床屋の広告塔  赤  動脈血
  青  静脈血
  白  包 帯
この手術は無事終了し、このときより外科と外科学がフランスで脚光を浴びるようになりました。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/signpole.jpg

白矢 (追補)
最近ちょっと違う解釈を見つけました。以下のようです。
                      (府中市 ヘアーサロン「オオツキ」さんのページから)
「サインポール
謎」
 床屋さんにあるクルクル回転する3色看板は、日本ではサインポール、海外ではバーバーポールと呼ばれている。ちなみに、バーバー( barber )は、英語ではラテン語の「ひげ」を意味する barbaから来ている。
 中世の頃、理髪師は修道院などにいて、髪やひげを切るだけでなく、瀉血(しゃけつ)や民衆の求めに応じて、やけどや骨折などの治療、抜歯などの外科的治療も行うようになっていた。そのため、当時は理髪外科医と呼ばれていた。
 瀉血とは、患者の静脈から血を少しだけ抜き出す治療のことだ。今でこそ、こんな治療法はほとんど行われていないが、昔はこの瀉血が健康維持や病気の治療のためには、悪い血を抜かなくてはならない…と信じられており、盛んに行われていた。
 瀉血を行っている間、患者は棒を握っていた。腕から出た血は受け皿に落ちるようになっていたが、腕から棒へ血が垂れることも多い為、この棒は最初から真っ赤に染められていた。後に、この棒はバーバーズ・ポールと呼ばれるようになった。
 瀉血治療が終われば、患者の出血を止めるため包帯で巻いていたのだが、当時の包帯は非常に貴重なもので、何度も洗って干し、再利用していた。その干すのに使われていたのだが、バーバーズ・ポールだった。
 バーバーズ・ポールを軒先にさして、包帯を吊して干す。赤いポールに垂れ下がる包帯は、風に吹かれてポールに巻きつくこともあったとか…。そう、この巻きついた包帯こそが、紅白の螺旋模様のポールが理髪店の看板となっていたのだ。
 では、残る「青」はどこから来たのだろうか? これは理髪師と外科医の組合が分離したのがきっかけだ。1745年のイギリスで、その時に理髪師は赤・青・白の看板、外科は紅白の看板を掲げるように決められたのだ。
 これは一つの説であり、他にも色々な説があると思います。

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