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小平医師会旅行

小平医師会旅行 明石への旅 震災地を訪ねて  白矢勝一
東北大震災をテレビで見て驚きまた日本人としてなんとか手助けできたらと思う。小平医師会は今期トータル400万円を送ることを決定した。また支援金も多く集まった。今後毎年支援金送らさせていただくということが先の理事会で検討されている。その際医師会はボランテア団体への支援を行う予定である。
わたしは兵庫県明石生まれである。関西の震災の時故郷を思い心配したのを思い出す。今は震災を思い出させるものはなく神戸も明石も平穏さを取り戻している。
 
私は子供の頃から関西では大きな地震はないものと信じていた。東京に住むようになると、いつ地震がくるかわからないといつも不安であった。ところが大地震が関西を襲ったのである。
3年ほど前、医師会旅行で会員の故郷を訪ねる企画があった。
小平市医師会は毎年医師会旅行を恒例としている。明石を訪ね、淡路島の震災あとに行っ時のことを書いてみる。
新幹線に乗った時からこの旅はすでに始まっていた。すぐに宴会が始まる。
車外の風景を愛でながら、酒を酌み交わし学識或る会話が飛び交わせる豪傑たち。次々と空の酒瓶を築きながら平気な顔で政治経済医療などこの国の諸問題を論じ合った。新大阪で新快速に乗り換えたときはさすがに豪傑たちもやや疲れ、他の乗客の関西弁を聞きながらの旅となった
明石に到着、ホテルチェックイン後、明石屋という料亭で食事。客は我々のみで貸しきり状態であった。新鮮な海の幸を堪能、中でも蛸シャブは珍しくこの店独自のものである。蛸の切り身をしゃぶしゃぶすると花が咲くようにみえる。歯ごたえもよく、また味わってみたい一品である。K先生がハーモニカを吹き、それにあわせて大合唱、あげくにK先生はY先生とどちらが腹がでているか競いあい、ついに相撲までとることになった。明石屋の店主もさぞ驚いたことであろう。ここでも我が医師会の偉大さを後世に語り継ぐ伝説を残すこととなった。
翌朝は明石城見学。明石城の上から市内や淡路島、明石大橋を展望、石垣を見ながら下に下りていく。W先生が城の稜線が美しいと声をあげる。木々の緑にその線はとても美しく見えた。菊花展で目の保養をし、宮本武蔵いわれの湯でお茶をたててもらいを庭を楽しんだ。次に天文科学館に隣接している人丸神社、東経135度線を訪問。人丸神社には「盲杖桜」という桜の木が残っている。 
 昔、筑紫(福岡県)からきた1人の盲人が人丸の塚に詣で、「ほのぼのと誠あかしの神ならば、我にも見せよ人丸の塚」と詠むと、たちまち目があき、大いに喜んで、不要となった杖を地に挿したものが成長したという伝説の桜がある。会員たちは幸運よ我にとこの桜や塚を愛で、手でふれた。東経135度線、線が地面に引いてあり、ここに乗ると地球の重要な地点に立ったような気をおこさせる。この人丸山から午後渡ることになっている明石大橋が展望できる。私が幼少時から独り占めにしてきたこの風景は今や明石市民に愛されるだけでなく、東京からの遠来の客からも絶賛されるようになった。そこからすぐの私の実家に。母親、弟たち、お手伝いさんが出迎えてくれた。
この家は空襲にも耐え、明石大震災にも耐え100年以上持ちこたえている。
母が医師会員と話をしていたが、私ははらはらはらどきどきであった。しっかりしているように見えても、歳は隠せない、かなり思考能力の衰えを感じさせるからだ。次は「魚の棚」で1時間、ここは漁港からの新鮮な魚を扱う店が軒を並べている。
それぞれ買い物をしている。その購買意欲に驚くばかりであった。魚の棚に少しは貢献できたことを誇らしく思う。明石焼きの店はいくつかあったが、我々はこざっぱりしたしゃれた店の軒先を選んだ。ここで明石焼きを注文した。日ごろグルメを標榜する先生方がうまいうまいと汁まで飲んでくれたのは地元出身の我輩にとって大きな喜びであった。ここで明石焼きについて述べてみよう。
やわらかく、直径5センチ程度の球形で見た目はたこ焼に似ている。材料は卵、小麦粉
具は基本的にタコのみ。小さな生板の木製の皿に盛り付けられ、添えてだされる出汁に浸して食する。意外と熱いのでふうふうとさましながら食べるのがよいと思われる。大漁の買い物の後、バスでいよいよ明石大橋に。大橋は世界一長いつり橋だそうだ。ここから振り返って見る本土の美しさ。ガガーリンは「地球は青かった」と感動したそうだが、我が故郷はほんとに美しい。
淡路島に渡り北淡震災記念公園を訪れる。
当時の様子をビデオで見せている。倒れ落ちるビルや高速道路、家屋の下から助け出される人々、何本もの黒煙が空高く上る。走り回る消防車、救急車。サイレンの音。
その日のことを私は思い出ししばらく画面を見続けた。その日の朝7時頃テレビで関西に地震発生、死者2人と知る。ところが10時ごろになると死者何千人とかいう話。心配になって明石に電話するが通じない。診療もままならず、故郷の地がどうなっているのかやきもきしていた。家族の安否を知ったのはいつだったか、今は記憶にない。
北淡震災記念公園について述べてみる。
平成7年(1995年)1月17日午前5時46分、淡路島の北、明石海峡下の地下を震源とするマグニチュード7.2の直下型地震が発生した。ビデオで立ち上る噴煙、壊れたビル、高速道路、火事、逃げまどうひとびと、サイレンの音を流している。当時の恐ろしい記憶が戻ってきた。
 野島断層の南端部に近い小倉地区では、断層崖や断層による生垣や畑のあぜ道の食い違いなど様々な断層変位地形が現れた。破壊された家屋や断層を、そのまま保存・展示したのが『野島断層保存館』である。この断層から地震は2000年に1度おこることがわかった。コンゴ000年は関西
では大地震はないことになる。ここでは地震体験コーナーもあり震度7の揺れを経験できる。
このすさまじい記憶を体験した後、バスガイドの大塚製薬の発祥の由来(塩田を生業として、その後大戦で輸液で大もうけしたそうである)、玉ねぎやラッキョなどの話を聞きながら淡路島を通過。吉川英治の小説鳴門秘帳でも知られる四国の鳴門へ。鳴門大橋を渡るとき、渦潮を見ることができた。大塚美術館、大塚御殿を経て船乗り場へ、ここで1時間くらい自由時間がある。またまた買い物に走る医師会員。レンコン、鳴門金時、わかめなどが特産物である。鳴門船乗り場の近くで4人ばかり魚釣りをしている。面白いように次から次へと釣っている。海の中をのぞくと魚、イカなどが泳いでいる。人住まずして海清し、群れをなしてきらきら光りながら帯状に泳ぐ魚たち。楽しく過ごすうちにワンダーナルトなる船が到着、我々は期待を胸によりよいと思われる場所に走った。船は大橋へと向かう。
名高い鳴門の渦潮を眼にするためだぐんぐん船はすすみ渦潮の中へ。
この渦潮は 大きなものになると直径20メートルにも達する。渦が巻いている時間は、数秒から数十秒。渦が出来ては消え、消えては新たな渦が発生し、そして消え、また発生する。潮の満ち引きは、太陽や月の引力などによって発生する。
渦潮を堪能したあと船は岸に向かうのだが、夕日が小島の向こうに沈んでいく。一大パラノマで同志の多くはカメラノシャッターをきった。
船からバスで一路徳島空港へ。ここでもみやげもの屋がある。S先生がスダチを2箱買ったとうれしそうに話していた。まだ時間があるので皆で酒と特産のつまみ、讃岐うどんを席を囲んで楽しんだ。
いよいよこの旅行最後の飛行機。夜間飛行、夜間飛行といえばラジオ「日本航空があなたにお送りする音楽の定期便,ジェットストリーム。皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私、城達也です。」を思い出す。窓から眼下に見る日本の夜景はゆっくりと流れていく。
わずか1日半の短い時間であったが、とても多くの経験をしたように思う。いずれにしても学ぶところの多い旅行であった。 
 
 

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