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佐伯祐三 衝撃の真実 絵画 巴里 パリ 哀愁の巴里

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大当たり

今年2012年は吾輩にとってはたいへんな当たり年になってしまった。吾輩はもともと内気でシャイな人間である。テレヤで恥ずかしがりでとおっている。ところが今年は最初から普通の年月とはまったく異なった日々となってしまった。
まずその一つはこの研修旅行記を書く羽目になってしまったことも大当たりである。
しかしこの旅行記を書く前に今年おこったことを書き記し我が思い出の記として後世に残しておこう。
今年は巴里の友人の家でのカウントダウンから始まった。フランス人は炎が好きである。ドラクロアの「民衆を導く女神」このシーンは最近は混雑がすごく見かけられないが昔は大晦日のシャンゼリゼでもよく見られた。赤い火をかかげ歩いく青年、一晩中騒ぎまわり、ビール瓶をわる。元旦は割れたビール瓶がよくみかけられた。
ここ数年はシャンゼリア通りには行かず友人たちの家で過ごすことが多い。巴里の郊外に住む友人の家でカウントダウンを迎えるのだ。庭で豚の丸焼きをつくった後、パスカルやチェリーがあたかも女神のように赤い火をともす
。久しぶりにこの風景を目にした。

犯罪者 時事通信

きっぱりと佐伯祐三贋作事件を否定した。
真実の報道をつたえる義務のある時事通信は詐欺師に加担していいのか!
白矢眼科医院で検索していただきたい。
内容証明付きで時事通信社に問い合わせているが返事がない。 詐欺罪で有罪となった吉薗明子氏のワープロ稿がもとになっているものを出版した時事通信。このままですませるつもりか。
中島誠之助裁判で落合氏は敗訴した。
それでも、なんら反省の示さず、平気な顔をしているのか。
トヨタにしろパロマにしろ自社製品に欠陥があれば、責任をとっている。
欠陥製品を出し、多くの人を傷つけ、一般人を騙し続ける。
これは許されないことである。
襟をただし、心あるならば再調査し、出版した本を回収すべきである。

日本医家芸術クラブ

日本医家芸術クラブ
医に関わる全ての人が参加しています。美術 写真 文芸 洋楽 邦楽 とても楽しいクラブです。

佐伯祐三のための裁判

もし私が佐伯祐三であったり、妻米子であったら、吉薗派、落合氏、斉藤氏、また佐伯祐三の妻米子の本を出した輩、いいかげんなことを書く古物商を許さないだろう。
金のために、嘘につぐ嘘を重ねる。
これを出版した時事通信社も許されない。
この世に私たち佐伯家族が存在できるなら、彼らには裁判の場で真実を明らかにしていただきたい。
または私に変わって裁判の場で 戦っていただく人がいてほしい。

東大紛争と私 1

1)東大闘争(安田講堂攻防戦)事件 さらに天安門事件
 
S43年 1月 29日 東大医学部の学生がインターン制度に代わる登録医制度に反対し、無期限ストに突入。
         6月 26日 東大文学部無期限ストに突入。
         7月   5日 東大闘争全学共闘会議(東大全共闘)結成(全共闘議長・山本義隆)。教養学部も無期限ストに突入。
       10月 12日 法学部無期限スト突入。開校以来初の10学部「無期限スト」
11月 1日 東大評議会で大河内一男総長の辞任を承認
     11月 4日 新学部長会議で加藤一郎法学部長を学長事務取扱(代行)に選出
 12月 29日 文部省(当時)が、1969年度の東大入試中止を発表する
S44年 1月 10日 秩父宮ラグビー場で7学部代表団と大学側の集会。駒場共闘100人以上逮捕。
         1月 18日 翌19日にかけて、封鎖解除実行(安田講堂攻防戦)。東大内での逮捕者は600名以上
   いったい何を目的にしていたのか? インターネットでは下記のようになっている。
 
  学生側の要求は全共闘と民青系では異なり時期によっても変遷し一定はしないが、主として(1)医学部、文学部などの不当処分の撤回、(2)警察力導入への反省と再発防止、(3)学生、職員の教授会と対等な交渉権の確認、(4)学部分断工作の中止などであった(全共闘の要求は特にはっきりしないが)。
   私の頭に残っているのは資本主義、帝国主義に加担する東大を頂点とする教育システムという考え方である。
 
−経緯−
  東大闘争のきっかけは、昭和43年1月に、東大・医学部の学生が「インターン制度に代わる登録医制度」に反対したことから始まる。
  医学部の学生達は、この制度改定に反対するため無期限ストを実施。さらに、東大・医局長を缶詰状態にして制度改定反対を申し入れた。  しかし東大・医学部は、この缶詰事件で17人の学生の処分を発表した。ところが、処分発表された1人は、缶詰事件に関与していないことがその後判明し、学生側と東大側で紛争の火種となる。この処分撤回を要求する学生側と東大側で平行線が続く。
  6月には、反日共系の学生たちが、東大のシンボルである「安田講堂」を不法占拠した。これに対して、大河内東大総長は警察に出動要請。機動隊1200人が大学構内に入り、不法占拠を解放した。  7月5日には、学生達の集会で「全学共闘会議」が結成され、医学部の不当処分撤回と警察介入批判など7項目の要求で戦うことを明確にした。  11月、この一連の騒動に対して、大河内総長が辞任する。
  以降、加藤一郎総長代行及び各学部長との話し合い(と言っても、教授らを監禁状態にした)は進展がなく、翌年の「安田講堂攻防戦」へと展開していった。          (以上 http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage141.htm より)
 
昭和44年1月18日、東京大学(以下、東大)・加藤一郎大学総長代行は、東大・安田講堂、その他の教室を不法占拠している全学共闘会議(以下、全共闘)の学生達を排除するため、警察に出動要請を行った。この要請に警察は、8500人の機動隊を派遣し35時間の攻防戦を展開した。
  教室や安田講堂に立て篭った全共闘の学生達は、バリケードを作り、投石や火炎瓶で機動隊に抵抗した。機動隊は、催涙ガスや放水で徐々に教室を開放していく。最後の砦となった安田講堂では、全共闘の主流派が多数篭城し、翌日の19日午後5時45分、全員逮捕がされるまで35時間の攻防戦を繰り広げた。
  東大及び周辺地域では、報道関係のヘリコプターが旋回し大騒音、催涙ガスの充満、器物破損などで、さながら戦場における市街戦の模様を呈した。
  この安田講堂の攻防戦で、全共闘の学生達371人を逮捕、重軽傷者は100余人にのぼった。
 
 
 

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