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佐伯祐三 衝撃の真実 絵画 巴里 パリ 哀愁の巴里

佐伯米子

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佐伯祐三 静岡

静岡で開かれた佐伯祐三展の図録を送ってもらった。佐伯祐三年表で佐伯死亡日の前に米子が見舞うというのが載せられている。これはおかしい。なぜか、間違いをそのままにしている。
佐伯祐三は周蔵から援助を受ける必要はなかった。これは父の遺産相続として実家からのお金が十分あったこと、また第2次渡仏のときや佐伯の絵が売れていたためである。

佐伯の渡仏にあたり、白川朋吉を会長とする画会が組織された。
4号1枚現物と引き換えで200円で買ってもらうことになっていた。20号の場合は100円後払い。私はやっと3枚を親戚に買ってもらったが、白川のほうはすこぶる成績がよ約く6000円の会費が集まった。当時の私の毎日新聞社の月給は90円であった。(坂本勝)


また次の新聞は佐伯の絵がパリで売れていたことを示している。

1991年01月17日 00:00:00 共X099外信217 
◎佐伯祐三の作、パリで発見  モンパルナスの裏町描く 
 【パリ十七日共同】日本の近代洋画の代表的画家佐伯祐三の知られざる作品が十六日、パリ北東の郊外、ポントワーズ近くの美術倉庫に埋もれているのが見つかった。この作品はパリのモンパルナス周辺の裏町を描いた20号(縦六〇センチ、横七二・八センチ)の油絵で、佐伯画伯に詳しい美術評論家の朝日晃氏(62)=東京都大田区田園調布本町=がこの日、倉庫で本物であることを確認した。
 特徴のある自家製のカンバスや、糸くずを絵の具の中に塗り込めたような独特のタッチ、サインの表記から見て「一九二七年の暮れごろに、死を前にした激しい執念で取り組んだ作品」と同氏は話している。
 朝日氏の推測によると、この作品は、制作直後に、ブルターニュ地方出身でモンパルナスに住んでいたフランス人船員が画伯から直接購入したらしく、画伯の米子夫人(故人)も生前、これを裏付ける思い出を語っていたという。
 船員の死後、パリに住むいとこの女性が絵を受け継いだが、昨年ブルターニュ地方へ移るに当たって、ルノアールなど所蔵の絵を放出。その中にこの作品も含まれていたとみられる。絵の裏側にはフランス語で「日本人画家佐伯の作品アベニュー・ド・メイン。佐伯は一九三〇年(注=実際は二八年)パリに死す」と記してあった。
 佐伯祐三はパリを描いた最高の日本人画家といわれ、二八年八月に三十歳の若さで死ぬまでに二回渡仏。ブラマンクやユトリロの影響を受けながら主に灰色のパリの冬景色を死の直前まで描き続けた。

また祐三は兄に金送れという文章を残している。
佐伯祐三の兄へのハガキ 
消印は1924年6月25日クラマール

その後はご無沙汰しました。この頃は如何御暮らしですか こちらはもう御金がなくなって困っています こんど御金がきたら一日何金かきめてそれで生活スルツモリです 沢山御金をつかった事を非常に悪く思っています
パリーのこの夏は大変涼しくて冬服でないと寒い日はいくらもあります 別にヒショに行かなくてもよい気候なのでパリーもヒショニ行く人は少ないです。私たちは来月でこのこの家をきり上げて南フランスへ十月一日に行くつもりにしています そこで四五ヵ月おくります。生活費はここよりかかりません 田舎ですから伊太利の国境に近いところです。只只お金のつくのをまっています。それではお身体を御大切に この絵ハガキはパリーで有名なマドレーンと云うお寺の画ハガキです。

ソンムラールのホテルから祐正宛葉書 1924年11月29日

十一月二十九日 巴里にて

一週間以前より巴里に来ました 田舎を引き上げてーー只今ソムラールニ居ますが二三日の中に宿ヲカエまス さて今自分は米子が病気の為金が必要で 二月初めにいただく御金を一月のはじめに電報カワセデオクッテ頂きたいのです。オリ入ッテ御ネガイシマス 理ニ合ワナイデショウが実に困りますから必ラズ御願イシタイデス 田舎の方がケイザイニイクハズデスが米子が病気ノタメヤムナク巴里ニイマス 一月カラ又田舎へ入リタイト思ッテイマス ヨロシク御願イシマス コノ手紙ツキ次第巴里シャトウダン日佛銀行方佐伯祐三ニシテ下サイ 
字カズガ少ナクナリマスカラ

落合氏の著書によると「自由と画布」は伝聞と随想だから、これをまじめに取り上げたほうが悪いという書き方をしています。しかしここには周蔵の日記なども入っています。
「巴里日記」も無垢な女性明子氏が匠の言うままに、本にしてしまったから、これも誤解を招くとしています。つまり上記の二つは明子氏がもっとも深く関与しているのに、あてにならないとしています。

落合氏は武生市で明子氏の代理人となって動き、武生市資料(この武生市資料には、残念ながら市が途中で調査を打ち切りにせよとしたため、最後まで事実を書く事ができなかったとしています。市長を守るため真実を暴けなかったのでしょう。)が発表され、また市が佐伯作品をかぎりなく灰色に近い黒としてこの寄贈を断ったとき、落合氏はその反論を書いています。そして書かれたのが落合氏の天才画家佐伯祐三真贋事件の真実。

この本になって始めて、周蔵がスパイであって佐伯もスパイであったという話に変えられていきます。
その資料の出方も不思議、また米子の加筆の手紙がでてきた事情、このあたり、おかしいと思います。
次から次へと都合のいい資料が後から出てくる。それを落合さんが、なぜもっと早く出さなかったのかとたずねる。すると明子氏が亡くなっただれそれが、それはしまって置いたほうがいいとおっしゃいましたので、という文章。

この本に書かれていることは、明子氏よりの伝聞と歴史的事実を結び付けているだけで、まったく証拠がありません。またつじつまがあわないところがいっぱいあるのを認めてか「佐伯が何度も書き直すように支持した。なぜかわからないが日にちが違うようにしている」などと書いてあります。
佐伯祐三や米子が国のスパイになってなにか意味があるのでしょうか。佐伯の係累が周蔵の名前など聞いたことがないと言っているのです。また佐伯に関する過去の全ての資料にも周蔵はでてきません。
この本に書かれている「周蔵の長男、緑が死んでから佐伯作品を世に出せ」という周蔵の遺言。
やはり佐伯を一番知る山田の死を待ち望んだ欲にからんだたくらみと見るべきでしょう。

「自由と画布」の第2号の「訂正」というページ

阿王氏が私に何度も質問されたことのひとつに、周蔵の金銭の動きの確認でした。

ひとつには、周蔵が大正8年ころから昭和3年頃までに、佐伯さんに都合するだけの、金銭に対する力があったかどうか。

二つには、周蔵が父、林次郎に無心した場合、それに対応できる、処分するなりの資産があったかどうか。

三つは、資産があったとして、先祖から継いできたものを林次郎が、処分してしまでよういしたかです。

美術界に縁のなかった私は、これは大変面倒なことに巻き込まれてしまった、と思いました。思えば私が阿王氏に相談したわけですし、ここは面倒になる前にいちはやくこのことは取りやめようと思いました。

(中略)

私より20才近く上のいとこと、周蔵の一番下の弟の未亡人が健在だったりして、私の記憶違いが少し解明できましたが、吉園の生家ではいまだ財産を失くしたと周蔵の行為を怒っていることを知り、正直、私は仰天しました。

(中略)

周蔵は、当時としては大変な資産を売り払うことに専念したようですし、
(中略)私が疎遠だった叔母やいとこたちは、いまだに周蔵を許してないこと、憎悪しているということ、今回改めて改めてしることになりましたが、数人いる周蔵の甥の中の唯一人だけが、こんなことを話してくれました。

伯父さんは進歩的ないい人でした。金銭を使ったと言っても、それは父親が許したことだから、誰も依存を言うことはできないのです。

自由と画布第4号で突然
「佐伯祐三さんに協力を惜しまなかった人物は母方の親戚の若松家である」として若松忠次郎の話がでてきます。
彼が周蔵の求めに応じて金を与えたとなっています。

落合氏は「自由と画布」は参考にするものではないと言われるが、ここまで書かれているものを無視していいものでしょうか。

これらの「自由と画布」に書かれている資金については武生市の調査によって全て否定されています。

その後落合氏の本になり金の出所は周蔵がスパイであり、彼の麻薬作りによって佐伯にわたす金ができたというふうに話が変わっていきます。

佐伯米子 贋作 

googleで佐伯米子を検索すると、米子さんに対するひどい中傷ばかりが眼につく。なんら佐伯祐三を研究することなく、何億という金をだまし取った一派の主張を取り上げている。
私が佐伯米子であれば、だまっていない。
このような嘘を平気でつく人の人格を疑う。
贋作を何億で売りさばいた理由づけに、佐伯祐三、米子の誹謗中傷をまき散らす。インターネットの世界では確かになんでもありである。
落合氏にお聞きしたい。氏の描かれた著書はたいへんわかりやすくその裏が見えるように書かれている。その点立派と評価している。なぜなら他の人の書いたものを丸写しがすぐわかるようになっている。また周蔵の渡航も簡単に覆せるようになっている。吉薗の家系など、まったくのでたらめだがその根拠はどこにも」書いていない。
巴里日記 周蔵による日記めいたもの、自由と画布について、どれも信用できないとお書きになっている。ではいったい何を信用すればいいのか?教えていただきたい。
周蔵の関係した医学校、長男、緑の行った何とか学校、これだけではない、多くの矛盾。
全国裁判長が認めたとする吉薗資料、
米子さんによる借用書、この筆跡鑑定に対しての答え方、これでいいのでしょうか。
またガッシュで油絵に佐伯の線が描けることを証明していただきたい。
もしできるのであれば「油絵とガッシュを用いた新しい絵の描き方」などという本がでてきてもいいはずである。
著者は全て裏付けをとって書いているつもりである。
著者に反論される方がいらっしゃれば、実名とその身分を明らかにしてお答えいただきたい。著者は佐伯一族および親鸞の教えを引き継ぐ門下の代理として、質問をしているのである。

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