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心の傷 1

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心の傷と作品性

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白矢

芸術家の人生や恋、病気、気質などを調べてホームページに書いていくことが楽しくなりました。皆様もなにかご提案がございましたらお教えください。ウイーンの中央墓地のモーツアルトの記念碑を中心に、ベートーベン、シューベルト、ブラームス、ヨハン・シュトラウスなどの病気について、バッハの白内障について近々書いてみたいと思います。ピカソについてもなにか書きたいと思います。ゴーギャンも。佐伯についてはまとめるが難しいと感じています。(2005/10現在 HPへのUP済みですが、佐伯は試行錯誤のUP)


mitchiami (男性/長野県)
 白矢さんの研究なさっている病跡学はとても興味深い学問だと思います。ホームページの記事を楽しみにしています。病跡学には二つの重要な意味があると思います。一つは作家を生身の人間として捉え、その上で作品を人間の業(わざ)として見る鑑賞法と、もう一つは作品というものが何らかの『瑕疵』の影響を受けているものだとする分析的な見方です。これは共に作品を制作の現場から実証的に解きあかしていこうとする現代的視線だと思うのです。僕は特に後者について近頃思う所があります。
 芸術作品を特徴付けている要素を芸術性というのなら、僕はそれは差異性の中にあるのではないかと考えています。こうした見方は現代的な構造主義以降の観点で、それまではギリシャの昔から芸術作品を存立させている芸術性は、普遍性に根ざすものだとされてきました。表面上の違いは問題ではなく、その根底に流れる普遍的な価値が作品を決定するのだということですね。大筋ではこうした考えに反対ではないのですが、その普遍性というのが、実は表面上の差異の中にこそ宿っているのではないかと思っているのです。差異を望むその感性こそが普遍的な人間の業(ごう)のようなもので、人は他人とは違うものを示したいと望みながら、そのくせそれをもって他人と繋がりたいと願う逆説的な感覚をもっているように思います。
 その差異というものを分析していこうとする一つが病跡学ではないかと思うのです。病気というのは他者との差異のポイントです。それが作品にどう影響していったかを調べるのは、差異を切り分けていく行為といえます。病気というとマイナスのイメージですが、差異を特徴付ける要素として捉える病跡学では、そこに上下関係を持たせないのが鉄則です。しかし僕はそこにあえて『瑕疵』の概念を与え、さらに拡大して、作家個人のもつ社会からのネガティブな短所こそが、逆に作品性の重要な要素なのではないかと考えているのです。というのも、芸術性というのがどうも作家のもつネガティブな面に多く特徴づいている気がするからです。
 例えば、フリードリッヒの作品を特徴付けている「疎外感」や「崇高性」は、子供の頃に自分の身替わりとなって死んでしまった弟に対する自責の念や祈りのようなものが、直接創作のモチベーションではなかったにしろ、深く影響を与えていたと思うのです。これは病気とは言えない心のキズです。そうしたレベルの『瑕疵』は病跡学では扱わないかもしれませんが、実際の制作の段階では重大事だったりするものです。他にも例えば貧乏というのも『瑕疵』といえるかもしれません。経済的困窮というのは作家にとって看過しえない切実な問題で、それが作品に影響しないわけがないのです。貧乏から脱出するため、あるいは社会に対するルサンチマンというネガティブマインドを転化させることが、作品を作るエネルギーになっているばかりか、作品の内実にまで影響を及ぼしていると思うのです。芸術家ではありませんがヒトラーなどはそうした分析がされていますよね。
 病気も含めた、そうした作家独自のもつ社会からのマイナス点を、総合して分析するような学問もあっていいような気がします。
 僕はとりあえずそれを「蹉跌学」と名付けたいと思います。賛同者が集まっていつか学会が出来ちゃったりなんかして・・・。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/friedric.jpg
フリードリッヒ  「孤独な木」

mitchiami (男性/長野県) (つづき)

 蹉跌学などと、まるで僕の発明のように言ってますが、作品の分析においてそうしたアプローチはこれまでもあって、文学などではむしろ主流的な解読法といえるかもしれません。例えば青春期の失恋が大きな影を落としている小説や詩は多く見受けられます。ドフトエフスキーは革命運動で処刑される寸前に赦免された経験が、後の創作活動全てに多大な影響を与えています。同じようなことは転向文学というジャンルがあるほど多く見受けられます。転向の精神的なキズが創作の拠り所となっているもので、社会運動だけでなく宗教的な転向や棄教もこれに含まれます。敗戦文学というのも同じように一つの蹉跌の産物と言えるでしょう。このように文学においては蹉跌というものが創作上の重要なポイントとされているので、それが音楽や絵画といった表現活動においても同様に影響を与えていると見なすのはむしろ自然な見方と言えます。文学のようにテーマにそれが直接間接表現されている場合はわかりやすいのですが、造形美術や音楽ではそれを具体的に検証できないため、そうした見方がされてきませんでしたが、病跡学はそうしたものの先鞭を付けたと言えます。
 ただし、ここで注意しなければならないのは、病跡学(や蹉跌学)は作家や作品の分析や鑑賞の参考にするためのもので、文学作品のような「解読」をするものではないということです。そうした分析は作家や作品の差異性を明らかにするためのものであって、一般的認識として公式化するためのものではないのです。そこを取り違えると、ムンクの絵の暗い雰囲気を、単純に死の病にとり憑かれていたためだと等式化してしまうような結果に陥ってしまいます。その両者の間には文学におけるような即対応の関係はないと見るべきです。複雑系に向うべきところを単純化や原理化に向うと、心理学がはまってしまった占いのような無明性に行き着いてしまうでしょう。

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/dostevsk.jpg
ドストエフスキー

mitchiami (男性/長野県) (つづき)

 さて、蹉跌学を考えるとき忘れてはならない重要なポイントとして、これまた僕の造語なのですが「擦過性」というものがあると考えます。擦過傷の擦過ですが、僕はこれを当人の思いもよらず大きな傷跡を残す、些細な事柄による影響と意味付けています。蹉跌というと、ともすると重大事件やトラウマなどを想定しがちですが、現実には本人も気にとめないような小さな出来事が、アリの一穴のように大きく作用することもままあることです。また、作家が自ら小さな出来事を過大に評価し、大げさに感受する事で創作のモチベーションとすることもよくあります。僕はこれを前者を正擦過性、後者を加擦過性と名付けました。(別にもっと的確な言葉が既にあるのかも知れません。誰か知ってたら教えて下さいね。)創作に影響する作家の蹉跌の経験は、そうした擦過的な事柄も多分に含まれるでしょう。そうした事を分析するのは現実には非常に困難だとは思いますが、それを考慮にいれないと、またしても重大事件だけが創作の重要なモチベーションになるという、誤った観測に陥ってしまいまいます。だいたい以上のような事を近頃考えていました。これらは鑑賞の立場の思考で、実を言えば別トピで発表しようと思っていたのですが、そことは決別宣言しちゃったし、ちょうど白矢さんが病跡学について興味深い研究をなさっているので、それとも関連があるのでこちらに書き込ませてもらいました。

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