http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/signpol.gif
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白矢
1686年はフランスでは痔ろうの年とよばれるそうです。ベルサイユ宮殿の牛の目のサロン(鏡の回廊の後ろにあり、一般には公開されていません)にてルイ14世の痔ろうの手術が主席外科医Charles Francois Felixによっておこなわれました。この当時医師は医学古典を研究する医学者のことで、診断し、簡単な指示をメスやはさみを使い慣れた床屋外科医に与え治療させていました。
床屋の広告塔 赤 動脈血
青 静脈血
白 包 帯
この手術は無事終了し、このときより外科と外科学がフランスで脚光を浴びるようになりました。
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白矢 (追補)
最近ちょっと違う解釈を見つけました。以下のようです。
(府中市 ヘアーサロン「オオツキ」さんのページから)
「サインポールの謎」
床屋さんにあるクルクル回転する3色看板は、日本ではサインポール、海外ではバーバーポールと呼ばれている。ちなみに、バーバー( barber )は、英語ではラテン語の「ひげ」を意味する barbaから来ている。
中世の頃、理髪師は修道院などにいて、髪やひげを切るだけでなく、瀉血(しゃけつ)や民衆の求めに応じて、やけどや骨折などの治療、抜歯などの外科的治療も行うようになっていた。そのため、当時は理髪外科医と呼ばれていた。
瀉血とは、患者の静脈から血を少しだけ抜き出す治療のことだ。今でこそ、こんな治療法はほとんど行われていないが、昔はこの瀉血が健康維持や病気の治療のためには、悪い血を抜かなくてはならない…と信じられており、盛んに行われていた。
瀉血を行っている間、患者は棒を握っていた。腕から出た血は受け皿に落ちるようになっていたが、腕から棒へ血が垂れることも多い為、この棒は最初から真っ赤に染められていた。後に、この棒はバーバーズ・ポールと呼ばれるようになった。
瀉血治療が終われば、患者の出血を止めるため包帯で巻いていたのだが、当時の包帯は非常に貴重なもので、何度も洗って干し、再利用していた。その干すのに使われていたのだが、バーバーズ・ポールだった。
バーバーズ・ポールを軒先にさして、包帯を吊して干す。赤いポールに垂れ下がる包帯は、風に吹かれてポールに巻きつくこともあったとか…。そう、この巻きついた包帯こそが、紅白の螺旋模様のポールが理髪店の看板となっていたのだ。
では、残る「青」はどこから来たのだろうか? これは理髪師と外科医の組合が分離したのがきっかけだ。1745年のイギリスで、その時に理髪師は赤・青・白の看板、外科は紅白の看板を掲げるように決められたのだ。
これは一つの説であり、他にも色々な説があると思います。
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