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佐伯祐三 衝撃の真実 絵画 巴里 パリ 哀愁の巴里

吉薗明子

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佐伯祐三 贋作事件

落合氏の「武生資料への反論」を読み、世の中には言い訳のやり方にもいろいろだと感じた。
文句があるなら控訴すべきであった。武生市長に反論文なるものを送り、世間に公表する。なにか間違っているのではないか。裁判官に反論するべきであっただろうに。
周蔵資料をその根本原因を作った本人が「しりませーん」と暴露しているのに、おかしなHPを張り出すのは考えものである。
斉藤氏、落合氏は、大谷光瑞まで侮辱したわけであるから、浄土真宗の門下が一体となって訴えてもいい状況になっている。
吉薗佐伯を支持するHPでなかなかたいした人物と思われる輩が洗脳されている。
たぶん軍国主義で洗脳されていたのと同じ、一方的資料しが入ってこないのだろう。
哀れである。同情する。速やかに考え方を変えないとそのファンも洗脳することになり、罪は大きくなる。
落合氏の罪は大嘘をついていることである。氏が時事通信社から出した本は、事実を根本的に歪めている。これは意図的なものである。自由と画布1巻から4巻までそのまま諸氏が手にしたならば、いかに氏が嘘をついているかわかる。落合氏はできの悪いぺてん師に騙されつづけているのか、ぺてん師そのものか、氏が一番知っていることだろう。
佐伯祐三の巴里日記、ここに日記以外の解説文章が長々と書いてある。
これは、自由と画布と重複するところが多い。この文章については巴里日記の編集者に確かめたが、現物が確かめられていない。つまりワープロによる文章である。周蔵が書いたという証拠はない。また日記については武生資料によって筆跡鑑定がされ、否定されている。
巴里日記の編集者は後悔している。彼もとんでもないことをしてしまったと悔いている。
佐伯祐三の真のファンなら、よく調査をし、自ら襟を正すべきである。
 
 
 
 
 
 

佐伯祐三

新刊記念パーテイ
佐伯祐三についての出版物をすべてお見せする。また贋作関係の本も。
カルテなどのコピー。
 
 
 
 
 
落合氏の本は吉薗明子氏のワープロ稿がもとになっており、根拠のないでたらめを連ね、佐伯祐三 その妻米子 およびその他大勢の人々を愚弄している。この無責任極まりない本は、時事通信社から出版された。時事通信社、取締役社長、西澤豊氏は吉薗の嘘を明確にできる立場にいる。
西澤豊氏は落合氏が嘘を書きつづけるのはなぜかを追求すべきであろう。
時事通信社は公的機関としての責任がある。
佐伯祐三について真実を調査し、見解を出すべきである。
佐伯祐三の係累、米子の係累などに、この本についていかが思うか尋ねるべきである。時事通信社は報道という社会的使命を自ら放棄し、詐欺師の主張を世間に広めているのである。今後の行うべきことは、自ら調査し、真実の解明、謝罪、嘘で固めた本を回収するということだ。
時事通信社みんなの掲示板にこの件について投稿したが削除された。臭いものに蓋ということだろう。
時事通信社は、このままだと詐欺師に加担し、世間を惑わし、日本の誇るべき画家、その他大勢を愚弄しつづけることになる。
 
吉薗資料によると佐伯祐三は親兄弟から疎まれ、金に困っていた。周蔵はそのため金銭的、精神的援助を行った。その金の出所はころころ変わり、最終的に周蔵の麻薬を売った金となる。
ところが実際は佐伯祐三は親兄弟から愛され、経済的にも十分満たされていたのである。
このあたりをJ社はまず調査すべきである。自由と画布、武生資料、各種新聞記事、裁判記録を調査し、歴史を歪曲しないように努めるべきである。
 
下記の文章をいかが思われるるだろうか。
 
「周蔵氏は、祖母ギンヅルとコネのある山本権兵衛閣下に依頼し、その佐伯祐三なる寺の次男坊を美校に入学させる手はずを整えました。本願寺の前門主大谷光瑞師は、佐伯祐三を諜者として育てるべく、そのバックグラウンドとして一流の画家にさせるために美校への入学させようとして上原閣下を通じて周蔵氏に依頼してきたのです。」
 
こういうことを書かれる前に調査をし、ちゃんとした証拠をそれぞれ示すのが常識というもの、なんの根拠もなくこういうことを事実のように書かれるのはいかがなものか。
津本陽氏の「大谷光瑞の生涯」を参照されれば吉薗資料にある大谷光瑞が偉大な人であり、とてもスパイの元締めなどとは思えないだろう。
 
 
米子さんの文章にある「バルコンのある病室」の写真。
バルコンとはバルコニーのこと。本邦初公開。
佐伯の病気はいつ発症したか。
佐伯の飲んだ薬、打たれた注射は?
日本初公開、本物のエブラール病院のカルテ、当時の病院はどのようなものであったか。
佐伯の芸術とは?佐伯はブラマンク ユトリロ ゴッホ セザンヌを彼はどう解釈したか。
 
世の中は広いようで狭い。我が日本医家芸術クラブに所属していた昔テレビでも知識人有名人として活躍した宮田重雄は佐伯祐三に信頼されていた。しかし宮田重雄は武見太郎との美術対談で佐伯祐三について一言も話していない。その理由は?
 
佐伯祐三のカンバスの秘密、佐伯の早描きの秘密。
贋作事件をきっぱり否定。落合氏は吉薗明子のもたらした嘘に次ぐ嘘に
まみれたワープロコピーを本にした。佐伯祐三を妻米子がヒ素で殺そうとしたと書く。ヒ素は愚者の毒薬と言われている。ヒ素での毒殺はすぐわかってしまうからだ。自らはなんら医学的知識、絵画的知識、歴史的知識のない氏は他人の論文を引用しもっともらしい嘘をつく。
佐伯祐三、米子、その係累を小ばかにし、またその他大勢の知名人を辱める。その罪は万死にあたいする。明子氏にいくら金をつまれたのか?税務調査は行われたのだろうか。贋作を買った人間は名乗り出ていただきたい。偽物を持っていてもなんら得はしない。はやく金を返してもらうことを考えるべきであろう。
 
 
本の中で米子さんと佐伯祐三、その子彌知子の追悼の絵を入れた。
素晴らしい絵を世界に残してくれた佐伯祐三、命を懸けて己の絵を模索した佐伯祐三に敬意を表し、その早すぎた死を悼みこの本を佐伯祐三に捧げる。
佐伯祐三は命をかけて自分の絵を探し続けた。絵画で大切なことは自分しか描けない絵を描くこと、人まねでないこと、人に愛される絵であること。
 
佐伯祐三の絵はすばらしい。
 佐伯祐三研究にこの本は一石を投じたと確信している。
 
≪佐伯祐三 哀愁の巴里 −今解き明かされる衝撃の真実ー ≫
                                    早稲田出版
第一部  佐伯祐三 その創造と病    白矢勝一
一.佐伯祐三との出会い 序に代えて
二.佐伯の軌跡
1.生い立ちと性格
2.推論・なぜパリに急いだか?
3.佐伯周辺の女性たち
4.米子の足の悪い理由と年齢についての考察
5.佐伯作品はどのようにして世に出たか
三.佐伯の芸術
1.「このアカデミズム!」
2.下落合時代
3.佐伯の線
4.モランの荒行
5.もう一つの傾倒
6.佐伯と芹沢光治良
7.佐伯と宗教性
8.実景と佐伯の造形性
四.佐伯の病気
1.佐伯は精神分裂病!?
2.結核について
3.死の引き金かモランの荒行
4.発病
5.精神に異常が
6.佐伯と医師
7.さて佐伯は何を注射されたのだろう?
8.まとめ
五.佐伯の晩年
1.プロローグ
2.脱走事件
3.なぜクラマールの森へ行ったのか
4.自殺未遂はあったのか
5.考察
6.さて真実は
7.佐伯の死亡日は何日?
8.佐伯の死の三日前
六.贋作事件
1.経緯
2.「吉薗資料」の破綻
付録   因縁話
第二部  佐伯芸術の土壌   吉留邦治
一.佐伯の周辺
1.本邦洋画の黎明
2.在野の萌芽
3.夭折の画家たち
4.「中村屋サロン」と下落合
5.今日に生きる佐伯芸術
二.佐伯の造形性
1.手製のキャンバス
2.早描きの秘密
人名索引その他
以下は落合氏、斉藤氏(今のところ斉藤氏の文章である。これには致命的なミスがある。その根拠が吉薗資料にしかないということである。佐伯は米子以外に当時は眼に入らなかったのである。純粋な青年について詐欺師たちは物語をつくる。歌舞伎町がどこにあろうとなかろうと、もともと資料がいい加減なもので一笑に付されるだけである。どちらが正しいかといえば小林頼子に軍配があがるだろう。
多くの矛盾を語らずになにか有利と思えば、後出しじゃんけんのように大きな顔をしてまことしやかに人を食う。
 
彼らは、もともと岸和田事件と同じように、贋作でもなんでも金になるものには鼻が利くようだ。
落合氏はテレビで佐伯祐三贋作事件を知る。そして張本人吉薗明子氏が落合事務所を訪れる。
このへんのことはなにも書いてない。
諸氏に考えていただきたいのだが、なぜ明子氏が落合氏のところに来たか?どちらが連絡したか?
詐欺師の上をゆく人間のすることはすごい。明子氏も大金を使い有名な評論家を騙しまくったが、氏はその上をゆく。真実の報道を使命とする時事通信社を丸め込み、嘘と史実を巧妙に織り交ぜ、多くの人間を煙に巻いたのである。
氏は明子氏からどのくらいの大金を得たのであろうか。クレーの絵も売ったそうである。これがほんとうであるならちゃんと税務申告してあるはずである。
中島氏に対する裁判で佐伯祐三に関する絵は贋作と結審された。この裁判は何年もかかっている。この間、贋作は何作売れたのであろうか。氏は本物であるから売れたという。その大金は申告されているはずである。佐伯祐三、米子、外山、芥川龍之介、大谷等多くがスパイとされている。佐伯祐三を愛する諸氏、天皇家を敬愛する人々も訴えの権利がある。
裁判が行われたとき、それらも明らかにされることになるだろう。
斎藤氏のHPについて下記に示すが、これがなんの証拠になるのだろうか。歌舞伎町と本物の佐伯祐三との関係はなんら示されてはしない。
周蔵が佐伯祐三の金銭的、精神的援助を受けたという証拠はなにもないし、裁判でも完全に否定されたのである。
女々しく裁判官の悪口を書く、それなら控訴すべきであったはずだ。
 
 
 
*小林報告書は以下のように書きます。(27項)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大正11年1月12日の記述に「〔佐伯が〕歌舞伎町ヲ歩ヒテ女ニ袖ヲ引ヒテモライ、サソイニノラズニ戻ル」という件がある。ここでいう歌舞伎町とは、文脈からして、新宿の歌舞伎町と見て間違いない。しかし、当該の地域が歌舞伎町と命名されたのは、何と昭和23年4月1日のことであり、大正11年からは遥に隔たること26年後のことである。つまり、『周蔵日誌』は、いかにも出来事の進行とともに書かれた日誌を装っているが、実際には、昭和23年以降のある時点に綴られたものである可能性が高いということになる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これは、落合氏が反論しているように全くおかしな理論構築です。大正11年の記述に「新宿の歌舞伎町」という記述が出てきたのですから、
これは昭和23年にできた歌舞伎町ではない(当時は豊多摩群大久保町大字東大久保と呼ばれていた)
じゃあ当時、歌舞伎町と呼ばれていたのはどこだろう?
と考えるのが普通ではないでしょうか?
落合氏は、これは大国座歌舞伎横町の事だと指摘しています。
大国座は、HPで調べてみると新宿松竹座の前身だった事が分かりました。ここは、大正5年に開場しました。理性寺という寺の跡地にできたもので、境内に大黒堂があったため、当初は大国座と名前がついていたそうです。そして、
大国座 → 山手劇場 → 新宿松竹座 → 新宿歌舞伎座 → 新宿シネマ → 新宿大劇場 → 新宿松竹座
と次々と名前を変えたそうです。この周辺にあった私娼街の事を指していると考えるのが妥当と思いますが、小林氏は何故か、現在の歌舞伎町を指していると『思い込んで』います。
資料を読む時に先入観を持つとこうなるという良い例ではないでしょうか?

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