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佐伯祐三 衝撃の真実 絵画 巴里 パリ 哀愁の巴里

吉薗明子

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目の神

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シャーロック・ホームズのコナン・ドイル(1859−1930)は、エジンバラ大学卒の眼科医でした。 白銀号事件で眼科の手術に昔使われたグレーフェの刀がでてきます。 また題名を忘れてしまいましたが、確か真っ青なひげの男の話(青ひげという題名だったかな?)があります。 その男が犯人であったと記憶しているが、間違いだったらごめんなさい。 なにせ40年前に読んだ話なものですから。 ホームズはその男が色覚異常 ( 真っ青なひげは異常です ) と判断し、犯人を見つけるという話。 色覚異常は男性がほとんどで、これは遺伝子によるものです。 私は色覚異常という言葉は止めるべきだと考えています。 人によって色の感じ方が違うわけですから。 異常という言葉をやめて色覚A群、B群、C群という風にすべきと考えています。
コッサ の サンタルチア ( St. Ruchia )


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歌で有名なサンタルチアは眼の神様と言われています。絵にも両手に両眼を持ったルチアの絵が残っています。ベニスに行ったとき列車に座ったとなりのイタリア人に教えて貰いました。あまりに美しいので多くの男たちにいいよられ自ら眼をくりぬき、醜くなった。ローマ兵に眼をくりぬかれたなどの説があるようです。有名なスイスのルシェーンもルシア、 light が語源とのことです。アメリカではルーシー、あかりちやん、光ちゃんというところでしょうか、サンタルチアはナポリの港が本家本元とナポリの人が言いましたが真偽は知りません。いずれにせよ、歌うたびに眼のかみさまの歌と思って歌っています。

フォービズム

1890年 マティス20歳で虫垂炎になり入院。母親に油絵の具を与えられ、絵を描き始める。虫垂炎にならなければマティスは画家にならなかった。人の運命はわからないものです(この頃は笑気ガス、コカインの局所麻酔もあり、手術材料のオートクレイブ殺菌 煮沸消毒手術用手袋煮沸消毒も行なわれていた)。マティスはセザンヌ、後にスーラーなどの新印象主義、ゴーギャンの影響を受けています。色彩の魔術師、「フォービスム」にたどり着くまでマティスはずいぶん悩みます。マティス自画像
1906年


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シャガール美術館
南フランスを訪れました。お目当てはシャガール美術館とマティス美術館。シャガール美術館には大きな絵が10数点ありました。彼は大きな絵をフランスにすべて寄贈したそうですが、掛けるところがなく、この美術館がつくられたそうです。絵は色彩を考えてそれぞれの配置が決められたとのことです。カメラはフラッシュなしならOKです。何枚か絵の前で取ってもらいました。色彩豊かで、厚塗りの部分もあれば、カンバスが透けて見える部分もありました。日本には無いであろうと思われる画集を数冊買いました。
シャガール美術館の近くにマティス美術館があるのですがツアーにははいっていません。タクシーで別行動で5,6分のところでした。マティスが住んでいたところだったそうで、山の中腹あたり、きれいな建物です。マティスの油絵じたいは少なかったので、やや残念。しかし、日本には無かった、フォーブの画集を購入。美術館の後ろにマティスのお墓があるとのこと。詳しい案内書を忘れたため、発見できず。次回は心して用意しておこうと思いました。http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/matis_m2.jpg

マティス美術館
眼科の世界でも常に新しい発見を求めます。白内障、緑内障、網膜はく離、硝子体手術、レーザー治療、手術の世界でも、治療薬の世界でも、ここ20年内の前進はめざましいものがあります。
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ドラン 「コリュール港のボート」 1905年
常に新しいものを求めるのは絵の世界でも同じようです。マティスは摸写をたくさんしたそうです。私も思い出せば、学生時代美術部員だった頃、佐伯祐三の人形を模写したことを思い出しました。3つ子の魂百までとはよく言ったもので、そのためマティスやブラマンクのフォービスム、人形に今でも、こだわっているようです。私もまた模写を始めて見ようと思います。フォービスムはもともとなんの理論もなく、偶然そういう人が集まってできたもので、やがてすぐに消えていく運命であったとされています。それはなぜなのでしょう。西洋絵画の初期から現在までいろんな流儀があり、それぞれ、次の時代に影響を与えたけれど、フォービスムは一時的で遺産を引き継ぐ人がいなかったという意味でしょうか。私が考えるに彼らは終に同じ絵を描くようになってしまった、そのため各々独自の道を歩むようになったと思います。

生き残るもの

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アンリー・ルソー自画像
1910年頃
アンリー・ルソーは、 はじめ皆に、こんなへたくそな絵は見たことが無い。腹がよじれて笑い死にしそうだといわれたそうです。ところが、 「へび使いの女」を描いたとき、誰も笑わなくなりした。http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/snakegal.jpg
へび使いの女
最近、一村の絵が注目されるようになりました。 一村が彼の絵と似ているのは葉や動物の感じのせいと思います。彼の絵は死後評価されるようになってきました。
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奄美の社
日本には縄文人が住んでいました。 そこに第1次、第2次の朝鮮からの渡来があり弥生文化が始まり、縄文人は沖縄人とアイヌに北と南に分割されます。 大和朝廷は出雲にいた大国主の尊や九州のクマソを滅ぼしたという説が裏日本史に書いてあります。出雲大社、これは滅ぼされたもののたたりを沈めるための社。
「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな 」の菅原道真の天神さん。これらには日本人の心の中にたたり信仰があると描いてあります。日本の歴史は戦いと勝利者のたたりを静める気持ちの心が流れているとのことです。
ネアンデルタール人などの原人と現在の人の祖先クロマニヨン人が 何世紀にもわたって生存していたという話を ディスカバリーチャンネルで見ました。 チンパンジーとオランウータンが種の木から分離して今一緒に生存していますが、何らかの理由で将来どちらかが消滅してしまう可能性も考えられます。人類にも新種が現れる可能性があります。とりとめも無い話ですがシートン動物記では一番悪いのはいつも人間です。一生懸命生きようとする狼の一族や熊を追い詰めるのは人間なのです。今は人間が地球の支配者。http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/isson2.jpg

一村 50歳代
歴史は勝者によってつくられます。絵についてはどうでしょう。アンリー・ルソーは生きている間に認められ一村は最近注目されるようになりました。絵画は科学と同じで常に新しいものを求めていると思っています。一村はそういう意味で評価されると感じます。絵画に勝者というものがあるなら、それは歴史の時間にさらされても残れるものをいうのでしょう。難しいところはそれが将来決められるという点だと思います。

モネと白内障

モネ(1840−1926)は30歳の時から、右白内障となったが、コカインが局所麻酔として発見されたのが、1884年。 彼は手術を恐れ、眼科医を転々としたそうである。 私も麻酔なしで白内障の当時の手術を受けるのはいやです。 しかし、1923年右手術をうけ、右 0.7 左 0.1 に ( 褐色白内障、こちらは手術せず )。
 1923年に描かれた作品にから、右:青視症、左:黄視症であったと推測される。 パリのMarmottan美術館にこれらの作品があるそうです。
 70歳のころモネは両眼白内障と診断されます。手術から逃げ回っていたモネはフランス首相クレマンソーの勧めで白内障の手術をうけます。モネが手術を受けたのは1922年ですのでコカインはありましたが抗生物質は無い時代です。眼球は寒天培地みたいなもので非常に細菌感染しやすいと考えてよいと思います。昔白内障の手術は秘伝とされ、まったく見えなくなってから行うものという話を読んだことがあります。
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「しだれ柳」
1919〜1923年」
 手術で一時的にぼんやり見えても後は悲惨なことが多かったことでしょう。

当時までの白内障手術、麻酔、メガネ、抗生物質、消毒について述べてみたいと思います。
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1)古代インドにおいて鋭利な刃物で水晶体を硝子体に落下させる方法(昔の箱型のカメラを考えてください。レンズをつついてフィルムの前にある空洞に落とす)
2) フランスのジャック・ダビエル(1696〜1762)は嚢外摘出術をはじめます。レンズは透明なカプセルの中に硬い核を中心にやわらかい皮質が入っています。カプセルの一部を破り核のみを取り出す方法です。
3)これに対して嚢内摘出術はレンズすべてを取り出します。
さて、現代は ( 以下の ①〜③ の手順 )
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①膜の前の部分を切り取り、②中味を砕いて、吸出し、③人口のレンズを挿入
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1772年 ジョセフ・プリーストリー(英) による笑気の発見。
1799年 ハンフリー・ディービー(英) は、笑気の麻酔作用を発見。 自ら吸入し、その結果から”Laughing gas”と命名(麻酔学の教授は笑気を学生に吸わせ、見た夢を書くようにしていました。私は笑気ガスを吸わされ、ほんの数秒間で芥川龍之介の杜子春のように長い人生を味わいました。地球の果てまで行って帰ってきたら、地球がにっこり笑って「お帰りなさい」というのです)。
1884年 カール・コラーはコカインの局所麻酔作用を広く開発。
1892年 カール・ルドウィッヒ・シュライヒ(独)は、コカインによる浸潤麻酔を提唱し、局所麻酔法を普及した。
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メガネの起源は13世紀ごろ凸レンズが最初。白内障手術後に強度の遠視になります。.遠視には凸レンズが必要です。
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1928年にA.Flemingが発見したペニシリンが1940年代になって工業化されて以来、ストレプトマイシン、テトラサイクリン、,クロラムフェニコール、エリスロマイシン、アンピシリン、セファロチンなど数多くの抗生物質が開発されました。
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モネが幸運にも抗生物質なしで白内障の手術に成功したのが不思議に思い消毒の歴史を調べました。
BC1450Moses 火災殺菌による最初の記述
BC434〜430ヒポクラテス 沸騰水による洗浄 火災による防疫
シーザーの時代バーローの微生物伝染説
1266年ボルゴルノーニによるぶどう酒洗浄
17世紀オランダのリューベンヘックの顕微鏡による体液細菌の観察
1768年スパランターニ 有機体自然発生説の否定
1795年ジェンナーによる牛痘接種実験
1832年温度上昇による殺菌力増大の観察
その後フェノールが消毒薬として使われる
ヨードチンキ(1861年の南北戦争に使われる)いわゆるヨーチン
1857年Wells 術者手洗い 器具消毒
1861年パスツール 化膿と細菌の関係の証明
1865年リスター 術後観戦防止のためフェーノル使用
1867年ホルムアルデヒドの発見
1880年〜1900年手術材料のオートクレイブ殺菌 煮沸消毒 手術用手袋
        煮沸消毒法 1908年ヨードチンキによる手術野消毒 
1910年駆梅剤サルバルサン
1912年70パーセントエタノールの殺菌力効果大の証明
1920年マーキュロクロムの開発
1922年にモネが手術を受ける前に消毒は現在の手術室で行われているのと同じように手術材料のオートクレイブ殺菌 煮沸消毒 手術用手袋煮沸消毒1908年ヨードチンキによる手術の消毒が行なわれていたようです。モネが幸運にも抗生剤無しに手術に成功したのはこのような歴史的事実のためと考えられます。http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/autoclave.gif

ギッホの病気3

精神科の病気には大きく分けて、分裂病,躁鬱病、神経症、てんかんがあります。 ゴッホは最終的には分裂病、てんかんと言われていたようですが、私は神経症、ヒステリーではなかったかと考えます。 それにゴッホ本来の性質、群発頭痛、閃輝暗点、耳鳴りなどが加わったのではと。医学的な意味のヒステリーは、大声をあげて倒れたりしますが、自分の安全なところに倒れます。注目を引き、自分を見ていて欲しい、愛されたい、見て欲しいという願望が強い、しかし自分を傷つけることは避けようとします。
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サンレミの精神病院ゴーギャンと暮らした黄色い家
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ジギタリスをもつ
医師ガシュエの像
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ゴーギャンとの生活で耳を切ってしまいますが、これははずみで切ってしまったかもしれません。 そこまでするつもりも無かった、しかし耳は簡単に切れてしまい驚いたのが本音であったのでは。 また、その耳をラシェルという娼婦に送る、これも自分を見て欲しいという願望の現れとも思えます。 シャニックの前でテレピン油を飲もうとしたのも、ヒステリーのなせる業と考えられます。 サンレミの病院に入ったのも、村の人々からの非難から逃れる意味もあったようです。
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 ゴッホの手紙の多さ、内容、旺盛な創作活動から分裂病、躁鬱病は考えにくいと思います。 ゴッホの自殺は小林英樹さんの「ゴッホの遺言」を支持します。 ゴッホは正常でありましたが、しかしテオの奥さんのヨーの出現により、経済的な不安が覆い被さっていきました。 またテオはいつも自分の分身であったはずなのに、ヨーに気兼ねして、自分がいるために弟を苦しめてしまうと思うようになったのです。(実際、ヨーにしてみれば、お金を送ることは不満、子供もいるし、テオは会社を辞めて独立したいという) ゴッホとテオは昔はなんの隠し事もなく信頼していました。 しかし次第に遠慮がでてきます。 ゴッホをかこんでテオとヨーは嫁姑の関係であったと思えます。 ガシュエ博士の娘にも近づくなといわれ、ゴッホは愛する人に愛されたくて仕方が無いのに、一人孤独でいたのでしょう。 それがおかしな言動をおこさせてしまいます。 借りてきた銃で胸を撃ち、ラブー邸に運び込まれます。 しかし、ガシュエ博士とパイプをくわえて一日話をしていたので、ガシュエも手術しようという気にもならなかったそうです。 銃で胸を撃つ事は病気のなせる業か、そうならば、うつ病の回復期も考えられます。 ヨーとテオのこと、将来のことを考えると、うつになっても不思議ではありません。しかし、うつではあんなに精力的に絵はかけません。 ヒステリーのつもりが、はずみで本当にうってしまった? (自分で自分を殺す自殺は病的な状態でないとできない、それで、自殺でも保険がおりるようになったと聞いています) ゴッホはテオをもとのように自分に引き寄せたいために、自殺を半分本気で試み、実際に引き金を引いてしまったのではないでしょうか。

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